大阪の堺市を歩く
利休の生誕地であり、与謝野晶子のそれである堺。
なによりも、自転車の町であることの不思議さで、
個人的にとても気になっていた町をはじめて歩いた。
謎解きの街歩き
堺という地理的な位置が町を特異なものに発展させた思われる。
一つは海に面していることで、物資の輸送に適っていたこと。
大阪が大きな都市になる以前より、堺の町は整備発展させて行ったそうだ。
確かに、時代的に豊臣秀吉が大阪城を築くよりまえに、すでに利休は
茶の湯を開いていた。
海外との交易で多くの物資の行き来があり、
城はないので城下町としてではなく、商人と町人の手で町は作られていった。
環壕とよばれる、堀が町を取り囲んでいる。
交易の船はそこを行き来したらしい。
また、環壕は町を外敵から守るための重要な堀でもあったそうだ。
町は武士ではなく町民が守るという気風があったという。
なぜ「鉄」なのか?
巨大な前方後円墳である仁徳天皇稜は堺にあった。
小さな古墳も数多くあり、それら古墳の建造と「鉄」が多いに関係しているという。あの巨大な古墳を作るため、多くの鉄製の器具が使われた。
「鉄」文化は朝鮮からもたらされたという。朝鮮からの技術なくして、
古代の墳墓は作れなかったのか?