風とともに走れよ自転車

旅日記。今の自分のモノローグ。

ある音楽家の死

2021年10月26日 | 日記




ミュージッシャンと呼ぶのか
音楽家と言えばいいのか。
クラシックもジャズもなんでも演奏される方だったが、
われわれは先生と呼んでいた。
フルートの先生だ。

その先生が亡くなられた。

音大卒業のあとバークレーとニューヨーク大学にも遊学されたと聞く。
数年前、
先生がご指導されている街のフルートアンサンブルに
ひょんなことから参加することになった。
チェロで。

おもえば、ろくに楽譜を読めない自分に、
初見でバロックなど参加させてくださった。

フルートの達人だったけど、サックス、クラリネット、フアゴット、
多くの楽器を演奏なされ、それらの教室も開いていた。

先生ご夫婦らと軽井沢での合宿が一番の思い出になる。
サンサーンスの白鳥を合奏した。
先生はなんとバイオリン、奥さんはキーボード、
かみさんはフルート、僕はチェロで。
音楽にはなってなかったなぁ。
思い出の名演奏にはなりましたが。

先生は、62歳で亡くなった。

先生はわたしの所属しているアマチュアオーケストラの初代指揮者でもあった。
学生指揮者としてできたてのオーケストラを指導なさった。
当時の音楽雑誌の特集にも、
できたばかりの街のオーケストラとして取材されている。

そのオーケストラで、今度奥さんがフルートのエキストラで参加なさる。

きっと先生への思いをこめてフルートを吹かれることと思う。

先生からの最後のアドバイスは
ラフマニノフのヴォカリーズだった。
わたしの横にこられて絞るような声でのアドバイスだった。
8月のこと。

合掌

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パンデミック時のたわごと

2021年10月26日 | 日記





旅に出なくなって久しい。
からだもこころもうずうずしてるが。
仕方ないことだ。
コロナウイルスのパンデミックが世界の情勢を一変してしまったのだから。

ヨーロッパの自転車旅行を思い出した。
何だったんだろう。
歴史ある文化の彩り濃い国々をめぐり、
その空気にひたる喜びを感じた旅の数々だったが。

気になることがある。

それは、アジア人であるぼくが欧米のなかで感じる視線だ。
旅しているときは感じなかったが、冷静になってしまった今、
確かに思い当たるフシが多々ある。
ひとつは、ホテルマンの冷ややかさ。
行き違いで部屋を間違えた時の、ホテルマンの冷たい言動はいまでも忘れない。
日本的愛想のよさを期待してはいけない。
彼らの対応は、完全ビジネス的だ。
もし、自分が欧米人だったら彼らはどう出ただろうか。

ひとつの例に過ぎないが、
どうしても比較してしまう。

それは仕方のないことでもあるのか。

上下感を植え付けられてぼくらは育てられたのだから。
欧米は上で、日本はかれらを仰ぎ見る下におかれたのだから。
彼らはアジア人を下に見る。
歴史のならわし。
もちろん、その逆の立場で日本をこよなく愛した欧米人もいたけど。
しかし彼らも、日本と日本人を調査研究の対象としての上目線ではなかっただろうか。

そして、
必然的に、
自分も、
欧米に憧れてきた。

フランスの香りにやられ、
ルソー先生のエミールを愛読し、
アテネフランセに通い、
星の王子さまに特別な思いをいだき、
レ・ミゼラブルを言語で読もうと苦心する自分。

ドイツの音楽に魂をうばわれ、
アマチュアオーケストラに所属して、
チェロの末席にいる自分。

あれもこれも欧米由来の文化にどっぷりつかっている自分。
もう抜け出せないぞ。
だけど、
黄昏れるヨーロッパに喝を入れられるのは、
ひょっとしたらアジア人、日本人かもしれないなあ。

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