良寛関係の本を何冊か読んでみた。
おもえば不思議なものだ。
良寛の名は、こどものころから聞いていた。
手まりつくお坊さんと。
そこから一歩もすすんでいない。
この夏、越後旅行で寺泊に行かなければ、
こどもの頃の良寛像だけで終わっていただろう。
五合庵を訪ねて、急に関心が勢いづいてしまったのだ。
何冊かの本の中で、水上勉著「良寛」と「良寛を歩く」が
とても良かった。
良寛と手まりをついたであろう村の娘らが、
越後と群馬の国境である
三国峠をこえて群馬の花街に売られていく記述があった。
水上勉は実地調査で明らかにした。
群馬の花街にある娘らの墓の年代から、
確かに良寛と手まりをついたであろう、
村娘。
この推測していくくだりはちょっとしたサスペンスを感じる。
五合庵は国上山の中腹にひっそりとある。
眼下には越後蒲原平野。
遠くに東北の名山飯豊山が望める。
広い平野は越後の米どころだ。
そして、ここは幾度かの
信濃川の洪水に悩まされてきたところ。
分水(ぶんすい)という地名が気になるが。
ボクの関心は分水と言う地名と、
洪水、治水、灌漑と移っていく。
川と人との戦いだ。