風とともに走れよ自転車

旅日記。今の自分のモノローグ。

12月28日は御用納め

2023年12月28日 | 日記
12月28日、わが家にテレビがやってきた。
テレビはもちろんあったのですが、
時代に取り残されつつあるわが家にとっては
最新式?の有機EL なる大型のテレビなのである。
音響も画面表面から出るという。面スピーカー🔊
YouTubeもNetflixも視聴できると言うので驚きだ。
これが今の主流なのかと驚きます。
このテレビ実のところ義母の家からこっそり(承諾済)
入れ替えたのであります。ふむふむ。

今日は、世間は御用納め。
チェロ練習で使っている近くの公民館に出かけ弾きおさめとご挨拶を。
また演奏会に来ていただいた方にお礼もできた。

義母と年越し食品の買い物にも行けた。
なんと段ボールに食品いっぱいだ。
ばあさんは元気、食欲もよし。よしよし。

おせち料理として棒ダラの甘露煮の準備も始めた。
干し鱈を水で戻して作るのであーる。





カミさんは自家製干柿を使って柚子巻と、
初の伊達巻にチャレンジ。
おせちは以上でござる。

8月28日の夜が更けて行きます。



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クリスマス🎄ですね。

2023年12月25日 | 日記
世界中でイエス・キリストの生誕を祝うのはいつ頃からなのかな。

クリスマスというお祭り。
サンタクロースもやって来る。
一つのおとぎ話に夢中になる。
街はどんちゃん騒ぎだけど、
家ではケーキなどいただきます。
チキンも。

ふむふむ

ボクはいつも宙ぶらりんになります。クリスマス。
何を祝うのかわかりません。
クリスマスキャロルの演奏会はしたけれど。
どうもよくわかりません。
どう楽しめばいいのか。

これは、貧乏学生時代部屋にひとりポツンといて陽気に過ごす連中から距離をおいていた精神的状況と変わらない。

だけどスピリチュアル世界に関心を持っていた。

クリスチャンではないけどスペインのコンポステーラ目指して旅をしたことも。
バッハのマタイ受難曲になみだしたことも。
教会のコンサートに足しげく通ったことも。

ヒンズー教の世界に惹かれて
インドとネパールの旅をしたことも。
だけど、
宗教の熱情をしることなく今まで来ている。

これからはどうだろうか。
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教会のクリスマスコンサート

2023年12月17日 | 日記
教会のクリスマスコンサートへ行った。
ポストに入っていた教会コンサートの案内チラシに誘われて、近くの教会へ行った。
ここへは二度来ている。
前回はチェロだった。
チェロを始めての頃だったので、
その響きに感動した。
ドイツ出身のチェリストはもちろんクリスチャン。
クリスチャンになったいきさつも熱っぽく語られたのを覚えている。

今回はクラリネットだった。
この演奏家はドイツ留学先で洗礼を受けたと。それまでは、人よりも上を目指す自分の音楽だったが大きな転向点になったと話された。
クラリネットの温かい音色に満たされたひとときだった。
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東京散歩谷根千

2023年12月15日 | 日記
東京散歩

駒込の六義園から根津神社、
ゴールは芸大奏楽堂。
大した距離ではないけど、
スマホは15000歩以上になっていた。
六義園の広大な庭園の巨木に感動した。もとは大名屋敷所以。
途中ファーブル昆虫館に立ち寄るがあいにく閉じていた。行き当たりばったりなので仕方なし。なんでこんな街なかにと驚きますね。
(南フランスのオランジュにあるファーブルの家を訪れたのは30年も前か)

千駄木界隈は漱石や高村光太郎らの旧居があるそうで、当時のいわゆる文人たちがひしめいていた所か。
東大も近い。
根津神社では赤い鳥居のトンネルを通り抜けた。

門前で金太郎飴を買った。

奏楽堂庭の滝廉太郎







奏楽堂で演奏会を楽しむ。
年末恒例の東京散歩だった。
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ほんとうのことばを求めてーー宮沢賢治

2023年12月11日 | 日記
宮沢賢治の勉強会に参加した。
東京駒込、六義園横の小さな教会が会場だった。

詩人然、研究者然としたお客の中でボクは異質かもしれない。妻は旧知のひとと挨拶していたが。
主催は、日本詩人クラブというビッグな名前を冠する詩人の組織だ。
(かつて胡散臭い集まりと言ってしまった)

メインは、文学者(大学教授)の講演で、
「言語の夢、夢の言葉、宮沢賢治が求めた『まことのことば』」千葉一幹氏。



ボクは予てから宮沢賢治と法華経とのかかわりに関心を持っていた。『まことのことば』を求める宮沢賢治そのものが法華経なのかなと思う。彼の生き様そのものが観音様。

宮沢賢治没後90年間(『春と修羅』100年)記念だった。

講演のあと、
黒田三郎の長男によるピアノ弾き語りで父親の残した詩を歌った。(赤い鳥が歌った紙風船など)
秀逸は、黒田三郎の「道」に六文銭が曲をつけたもの。
この詩にはプルーストの失われた時を求めてでえがかれている場をほうふつとさせる。

詩は絶滅危惧種なのか?

詩はこれからも生き続けるのか?

詩と音楽の共生は一つの未来かも知れないと思った。



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