目からウロコ、安土城址
=長谷川博美先生と歩く山城=
(この日記の掲載:3月4日ー10日)
Kennyの城址歩き:
ちょっとしたきっかけで城址を歩いて3年、と言ってもそれほど城址に
興味があった訳ではなく郷土史くらいは知っておかないと他府県から
の客に滋賀も説明出来ないし、ましてや周辺の友人知人は他府県の
方が圧倒的に多い。その方々のほうが滋賀の歴史を私よりよく知って
いるようでは面子にかかわると・・・。
そこで何か(当時20年がかりの発掘調査と復元が)やっていたので
その3年前にちょこっと安土城址へ立ち寄ってみました。 これがきっ
けで以来城歩きをする事になりました。
長谷川博美先生
先生のお話に、ほぉーそうなんやと:
ところが面白いもので、ちょこっとかじると疑問やもう少し知りたい事柄
が出て来るものです。過日専門家の先生と安土城址を歩く催しがあり
参加させて戴きました。これは日記に書き留めておきたい、そうだった
んやー(目からウロコ)と言う先生のお話しと現場を見てきた感想です。
その日記は2,3回に分けて:
この日の長谷川先生のお話しで書き留めるておきたい話題は15件
ほどあります。そこでこの日記では先ずは3点取上げます
現地の案内板を使い熱心に説明される先生
大手道がまっすぐに伸びるが・・:ーその1
こんな常識外れのお城は信長のこの安土城だけです。(Kennyの見解)
その大手道が80m程まっすぐに伸びて、でもやはりやがては鍵形に折れ
てその後極めて戦国時代の城然と幾重にも曲がり、頑強な黒金門や櫓台
と強力な防衛体制が整った城となり本丸、天主へと続いていきます。
大手道
この安土城は守る城から見せる城(権威の象徴)に主眼を置いたと言
われています。先ずは一番侵入され易い大手道がまっすぐに伸びてい
るのですが途中で急に曲がっています。 私は地形(そこからは勾配が
急になる)から来ていると思っていました。 ところが!
黒金門址
軍学で言う「翳し虎口」、「翳し櫓」を設置している(先生のレジュメから)
この翳(かざし)虎口、翳櫓は始めて聞く言葉で、日を翳して見上げる
ようなやや高い位置に設置されています。
先生のお話:
最大限見せる城を意識をしているがやはりそこは城、出来るだけ大手道
を直線にはしておくが主郭に至るに従い防御構造を強固にしたとの事です。
上部突き当たりで直角に折れる大手道
なるほど!
そうか、でないといつ攻撃されてもおかしくないですよね。いくら権力が
集中していた信長と云えど。
その鍵形に曲がる位置に定礎が:-その2
どのビルにも必ず定礎(測量の基準点)という物があるのだそうです。
そこで、この安土城にも当時の中世ヨーロッパで言うビスター線 (見晴
らし線)がすでにに存在した事は驚くべきと事だとした上で、これを導入
して定礎を大手道が鍵形に曲がると位置に設置していると先生はみ
ておられます。
この位置に定礎を設置
なるほど、その鍵形に曲がるところ、そこはまさに聳える天主が真上に
見える場所です。 この地点が天主を見上げる最っともいい展望地点!
先生のお話:
これは雄大な安土城をより雄大に見せるために展望位置が設定された
と考えられ、この定礎から真北に城の中央線を設定して放射線状に幾何
学律に測量されたと。さらには、城郭一帯は扇形に構築されより壮大に、
映えるようになっている。
扇状を構成する湾曲構造の石垣
天主址の真ん中に礎石がない:-その3
先生のお話しとこれらの見解は先生が実際に現地で測量してだされて
いるのは勿論ですが、表題のことも初めて知りました。そして天主の中
心点と真北、さらに大手道が鍵形に曲がる定礎があると言われる位置が
一直線上にあるのです。またその天主の中央部の礎石一つだけが欠
けており(他の礎石は全て残っています)天主のその位置に仏教
の宝塔があったのではと言われています。
矢印(X)のところに中央線が走る
またこの中心部には礎石がない
この見学会:
主催者: 賎ケ岳フォーラム実行委員会
事務局: ウッデーパル余呉
(HP:ウッデーパル余呉で検索可)
この施設は古戦場、賤ケ岳や近年ではわかさぎ
釣りでも有名な鏡湖、余呉湖にも近い四季を通じ
て楽しめるルゾート地です。
講 師:長谷川博美先生 滋賀民俗学会理事
近江中世城郭調査委員会会長
他、各研究会の会長として研究と
指導
HP: 長谷川博美城郭 で検索可
(当日記の掲載に関して、主催者、講師先生のご了解を頂いております)
今日の日記の終わりに:
安土城目からウロコの第一回目の日記、ここまで先生のお話しを私
なりの言葉で記載しましたがそれでもやや難しい内容です。間違っ
ていなければいいのですが・・・。
いづれまた後2,3回に分けてへーそうなんやー、という先生から
教わったお話しを日記にまとめたいと思います。
今日もご覧くださいましてありがとうございました。
長谷川先生は、内藤昌氏の説を支持しておられるのでしょうか。
だいぶ前に内藤昌氏の安土城復元に関する本を興味深く読みました。吹抜空間と天主地階に宝塔を置くという復元案でした。
ところが、宮上茂隆氏は、これに対して疑問を呈しておられますね。
『国華』第998号、第999号に、内藤氏の復元案への疑問を論証されています。
(某大学の図書館蔵書で、論文のコピーをさせてもらいました。)
素人には、どちらもなるほどと思わせるところがあり、困ってしまいます。
その部分ますます、興味が湧くのですが・・・・
安土城は、ほんとロマンの源ですね。
内藤 昌 講談社選書メチエ
という本にその考証が出ています。
手帳の読書記録をみたら、2009年10月に、この本は通読していました。
たしか、安土の信長館(? 正式名称は忘れました)に復元されている天主のモデルは、内藤氏の案ではなかったかな・・・・
私自身この館はまだ訪ねてはいません。写真入りの説明を読んだ記憶だけですので、間違っているかも。(確認せずに記憶で書いています。)
それにしても今日の地震、大変なことになりました。