多治見・中津川間 大井の峠路
恵那から美乃坂本・中津川と進む。
恵那は、明知線(現在、第三セクターの明知鉄道)の分岐駅で昭和38年に大井から駅名変更した。
恵那・美乃坂本間5.2キロは腹付け線増で複線化され、恵那から3.2キロの二軒屋信号所の先は41年に完成していた。
撮影時は、恵那と中津川の市境辺りの同信号所までが新設トンネル1基を含め旧線と並行して工事中であった。
旧線は複線化後上り線として使用。下り列車にとって基本上り勾配であるが、下りもある起伏に富んだ区間である。
42年11月5日、恵那・美乃坂本間で撮影。
武並で撮影後、下り気動車で12時半頃に恵那に到着。至る所の工事現場を横目に大井トンネルを目指した。
阿木川を渡ると25‰の上り勾配が大井トンネルまで約1.5キロ続き、D51の力行が見られる。
D51牽引の下り長野行829レ 右側は複線化工事中
長さ284mの大井トンネル恵那側坑口
新トンネル恵那側坑口付近の工事現場 右手が坑口
大井トンネル上から美乃坂本、二軒屋信号所方面を展望。
下り列車はトンネルを抜けると一旦20‰勾配を下り、信号所手前まで25‰の上り勾配を行く。
左手に建設中の新トンネルは旧線のトンネルより長い378m、低い位置に設けて新設の下り線の勾配を緩和した。
上り中津川発名古屋行550D、大井トンネルに入る
新トンネルは旧線の北側になる 複線化は43年に完工
下り貨物列車を撮影しないことには始まらない。峠から恵那方向に戻り、トンネルに向かう築堤の入口で待つことにした。
曇天で夕暮れ時のように暗い。上り急行が遅れ、交換待ちの下り貨物も約10分程発車が遅れた。今や遅しと待ち構える。
15時になる頃、D51が補機を従え爆煙で25‰の築堤を登ってきた。右側の新線の勾配が緩和されているのが分かる。
D51-122[中]牽引の下り貨物 655レ
D51の後補機
この時のD51の迫力は格別であった。未だに忘れられない光景である。
見事な煙が消えるまで見送り、恵那に向かって歩くと美乃坂本で交換した上り貨物列車が坂を下ってきた。
D51-549[中]後補機の上り貨物656レ
D51牽引の下り塩尻行831レ、恵那を出発して阿木川を渡る
1967.11 恵那・美乃坂本
42年秋の行楽シーズンに名古屋・恵那間で上下各2本、全車指定席の臨時快速"恵那峡"号が運転された。
途中の停車は千種のみで急行より早かった。節約のため先行して発車するDD51牽引の上り列車で帰途についた。
キハ58系上り快速"恵那峡"1号 発車待ち
1967.11 恵那駅
43年1月15日の撮影。
千種から明科行長距離普通気動車に乗って9:14恵那に到着。大井トンネルへの急勾配でD51の力走を再び撮影したかった。
東濃路は一面銀世界。降り続く雪の中を大井トンネルを目指した。3ヵ月前は整地中であった下り線に線路が敷設されていた。
キハ58系下り急行"第1しなの"
大井トンネルを越えて上り貨物を待つうちに吹雪になって視界不良。期待した遠景は撮影できない状況になった。
トンネル直前は20‰の上りでも、それまでが長い下り区間でありD51は惰行で来た。
D51牽引の上り貨物652レ
再びトンネルを越えて築堤沿いに恵那側に戻る。10時半頃、いつも乗ってくるDD51牽引の下り旅客列車がやって来た。
雪は降り止まず、D51牽引の次の下り列車まで1時間待ちになるのでここで断念。
この後は、駅を通り越して槙ヶ根の峠に向かった。
DD51-48[稲一]牽引の下り松本行827レ
1968.1.15 恵那・美乃坂本