中央西線電化の記録
中央西線と称される名古屋・塩尻間の電化は、昭和48年の全線完成に至るまで三段階で進行した。
41年の瑞浪電化、43年の中津川電化がその区切りで、主に各区間の電化前を記録した約5年間の写真である。
瑞浪電化前後の名古屋・多治見間に始まり、中津川電化までのD51、中津川以北は45年までのD51で終わる。
名古屋・多治見間 電化前の千種駅
生家から一番近い国鉄駅は千種で3キロ程の距離にあった。駅方向の部屋では蒸気機関車の汽笛がよく聞こえてきた。
千種は貨物駅としての役割が大で旅客扱いは少なく、日本通運の黄色いボンネット型トラックが多数駐在していた。
幼少時、祖父母に頼んで名古屋まで列車に乗ったり、県境近くの観光地である定光寺まで行くことが楽しみであった。
昭和36年9月、千種駅は中央西線の複線化工事に合わせて北に移転、先に開通していた市営地下鉄駅と接続された。
37年に千種・大曽根間、金山・千種間が相次いで立体交差化され、同時に複線化が完成した。
鉄道写真を撮り始めた頃、トンネル内の煤煙で皆が嫌っていた蒸気機関車には全く興味がなかったのが実態である。
しかし、いざ身近な場所で電化工事が始まると、撮れるうちに撮っておこうという気になった。
40年10月、電化に向けてコンクリートポールが建てられた千種駅下りホームを発車する旅客列車。
D51-827[中] 牽引の木曽福島行835レ
1965.10 千種駅
千種に進入する列車を撮ったが、暗いとスピードについていけずピンボケ、当時のカメラでは当たり前であった。
D51-663[名]牽引の上り名古屋行の到着
1965.12 千種駅
年明けて41年2月、いよいよ7月の電化が迫る。赤色ナンバープレートの名古屋機関区のD51が下り旅客を牽引。
D51 ー663[名]牽引の下り木曽福島行835レの千種到着 駅付近は未整備
発車
1966.2 千種駅
市内の幹線道路である広小路通から撮った写真 。昼間の利用客は学生ぐらいであった。
D51-850[稲一]牽引の上り中津川発名古屋行634レの千種到着
発車
1966.2 千種駅