ヤンマ探索記

トンボの観察記録です。

タイトルはヤンマですが、トンボなら何でも撮ります。
勿論、ヤンマが優先です。

昭和40年代前半の鉄道写真(67・中央西線電化の記録⑥) 

2015-12-10 | 昭和40年代の鉄道(中央線他)

名古屋・多治見間   電化前後の大曽根駅周辺

千種の先は大曽根・新守山・勝川で、新守山までが名古屋市内の駅である。
昭和40年10月、大曽根の北、庄内川支流の矢田川の橋梁でD51を撮影。コンクリートポールが建つ前である。

形式入り旧ナンバープレートD51-823[稲一]牽引の上り貨物

1965.10 新守山・大曽根

架線のない大曽根駅に停車中のキハ35系下りDC 後尾から

1965.10 大曽根駅

大曽根駅は築堤にあるが、千種・大曽根間の大半は掘割構造で複線化された。

架線が張られる前、千種に向かう上り急行"赤倉"

1965.8 大曽根・千種

千種側から電化後の大曽根方面を望む。
千種・大曽根間には、上り方面からスイッチバックして日本専売公社名古屋工場に入る引込み線があった。
右側が引込み線で、千種からこの地点までが掘割構造である。

EF60-2(先行試作車)牽引 暖房車連結の上り名古屋行普通列車

1967.12 大曽根・千種

かつて、特異なルートで大阪・日光間を結ぶ信越・日光観光団体列車が運行されていた。
41年10月のダイヤ改正で長野・日光間を廃止、大阪・長野間は団体専用列車、急行信越観光号として残された。
42年3月のダイヤ改正までの間に一般列車に置換えられ、継承したのが中央西線で馴染みの臨時急行"彩雲"である。
列車番号は以前と変わらず、下りは夜行3811レ、上りは昼行3812レであった。

ぶどう色時代のEF60-2牽引 暖房車を連結した上り急行"彩雲"

1967.3 大曽根・千種


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