賢い人がこうおっしゃった。
「日本で生まれ育った女性はほぼ全員が身体醜形障害(醜形恐怖症)だ」
たしかにな、と納得した私。
さらに時代は進んでいて、若き才能あふれる人はこうおっしゃった。
「自分が醜いと苦しむ女性たちは、セクシズム・エイジズム・ルッキズムの被害者だ」
たしかに(以下略)。
私の知ってるレディーは子ども時代肥満児だったそうで、10代までを壮絶ないじめを受けてすごしたそうです。
20才の誕生日から
「人生を変えたい!」
と一年発起し数年かけて大幅なダイエットに成功。
(100キロ近くから50キロまで落としたらしい。
もちろんダイエット内容は生活改善・健康的な食事・運動)
同時にファッションやメイクも頑張った結果
「モデルみたい!」
「芸能人みたい!」
(このセリフ、スレンダー美形は異口同音にうんざりするほど言われるセリフ)
と言われる美女になったのね。
「生まれて初めてモテモテになって、これ以上の幸せなんて考えられなかった」
と彼女は振り返る。
そこから彼女を苛んだのは
「かつての自分のような女の子が憎くてたまらなくなってしまう」
ことだった。
具体的にいえば
・太っている
・おしゃれをしない(もしくは下手)
・モテない
・二次元(漫画、ゲーム、アニメ)が好きなことを隠さない
女の子たちを見ると身体中が燃えるみたいに怒りがわいてきたそうだ。
現在アラフォーの彼女。
その青春時代はいわく
「二次元好きや美人じゃない女に人権はなかった」
そうで、
「私が努力して努力してここまできたんだから、あんたら開き直って生きてんじゃないよ!!」
という怒りだったらしい。
しかし平成が終わり令和になり、色んな
「当たり前だけどおかしいこと」
にみんなが気付きはじめ、彼女も目が覚めてきた感覚があるそうだ。
「私がダイエットして綺麗になったことは、迫害される側から迫害する側になることだった。
あんなに迫害されるのが嫌だったのに、迫害されるか・迫害するかのふたつしか選択肢しかないと思い込まされていた。
女の敵は女だと言われてそのまま信じていたけど、性別なんかで決まらない。
ルッキズムやエイジズムを押し付ける社会が敵だったはずなんだ」
うん…わかります…。
私はもう少し空気が柔らかかったけれど、
「容姿差別した人たちへの復習は綺麗になって幸せになることだけ」
だと思い込んでいた。
このブログもきっと探せばそれがわかる記事がいくつか残っているでしょう。
でもそれって少しおかしいだよね。
他者への加害という“やってはいけないことをした人”の罪が透明になっちゃってる。
果ては
「いじめられたおかげで綺麗になったんだから感謝」
なんて恐ろしい結論にたどりつく。
これはお笑いのスター(特に女性芸人さんには多い)が
「学校でいじめられて、その時に笑いをとったのが自分のお笑いの原点です」
って語るくらいおかしい。
その人がお笑いを頑張ってスターになったことは、加害行為を無罪にすることではないはずなんだから。
最近特に思い知っているけど、
「私たち一人一人はたしかに個人だけど、ぜったいにどこかでつながっている」
のよね。
自虐スタイルで誰も責めない知的なトーク力で大スターになった方がいらっしゃいますが、
「自虐は自分しか言ってないから問題ない」
なんてことは、ない!のです。
自虐=自分を攻撃すれば、自分と共通点がある誰かの攻撃につながっているのだから。
例えば自分の性別を落として表現すると必ずそれは全体への攻撃性をもっている。
年齢、容姿、国籍、性格…なんでもつながっています。
だから自分もやっぱり攻撃しちゃいけない。
日本というせまい国で強者としてすごすとその感覚もなくなるけど、世界に出れば日本人てとてもマイノリティーですからね、一度そういう視点で考えてみるといいかもしれない。
特に
「差別なんて日本にはない」
と思えてしまう人は。
これは私の友達の経験なんだけど、彼の大学にとある国のお坊ちゃんが短期留学にやってきたのね。
そのお坊ちゃんは母国ではプリンスのように会う人全員にチヤホヤされていたのだけど、日本の大学、それもそこはお金持ち大学だったから世間知らずのお坊ちゃん・お嬢様方は彼にチヤホヤなんかぜったいしない。
どころか
「金髪で青い目の王子さまだったら良かったのに」
と堂々差別発言されて激怒ですよ。
「自分は○○からやってきた××の息子だぞ!!」
って彼は“格下である他人たち”からのチヤホヤを御所望だったけど誰も応えない。
彼らにとってお坊ちゃんは
「むしろ格下」
だったから。
つまり、どっちもどっちってこと。
無知は怖いよね…ううう…身につまされる…
話を最初に戻しますが、
「お前は醜い」
と思い込まされすぎてしまった日本の女の子がそれから解放されたように見えるとき、本当に傷は癒えているのか・認知の歪みに気付いて治しているかってのは全然違う話なんですよね。
解放されたようで、迫害する側に回っただけかもしれない。
田房永子さんが著書で
「被害者としての自分を認めないと、同じような他人を見たときに被害者に怒りがいく。
きちんと被害者としての自分を認めれば加害者にきちんと怒りがいく」
とおっしゃっていたのはその通りだな~と私は思うよ。
さて、ルッキズム・エイジズム・セクシズムに気付いたレディーは今
「テレビやネットでいろんな外見の人が見られるようになって、多様性だな、素晴らしいなって思う気持ちと、痩身の美形が見たいって気持ちが戦っている」
そうです。
うん…なかなか一足飛びにはね、いかないよね
けれど自分の中の差別心に気付けるって画期的なことです。
気付かなければ、連鎖されるだけだから。
これはたまたま日本人女性の話だけど、老若男女問わない問題ですよ。
「日本で生まれ育った女性はほぼ全員が身体醜形障害(醜形恐怖症)だ」
たしかにな、と納得した私。
さらに時代は進んでいて、若き才能あふれる人はこうおっしゃった。
「自分が醜いと苦しむ女性たちは、セクシズム・エイジズム・ルッキズムの被害者だ」
たしかに(以下略)。
私の知ってるレディーは子ども時代肥満児だったそうで、10代までを壮絶ないじめを受けてすごしたそうです。
20才の誕生日から
「人生を変えたい!」
と一年発起し数年かけて大幅なダイエットに成功。
(100キロ近くから50キロまで落としたらしい。
もちろんダイエット内容は生活改善・健康的な食事・運動)
同時にファッションやメイクも頑張った結果
「モデルみたい!」
「芸能人みたい!」
(このセリフ、スレンダー美形は異口同音にうんざりするほど言われるセリフ)
と言われる美女になったのね。
「生まれて初めてモテモテになって、これ以上の幸せなんて考えられなかった」
と彼女は振り返る。
そこから彼女を苛んだのは
「かつての自分のような女の子が憎くてたまらなくなってしまう」
ことだった。
具体的にいえば
・太っている
・おしゃれをしない(もしくは下手)
・モテない
・二次元(漫画、ゲーム、アニメ)が好きなことを隠さない
女の子たちを見ると身体中が燃えるみたいに怒りがわいてきたそうだ。
現在アラフォーの彼女。
その青春時代はいわく
「二次元好きや美人じゃない女に人権はなかった」
そうで、
「私が努力して努力してここまできたんだから、あんたら開き直って生きてんじゃないよ!!」
という怒りだったらしい。
しかし平成が終わり令和になり、色んな
「当たり前だけどおかしいこと」
にみんなが気付きはじめ、彼女も目が覚めてきた感覚があるそうだ。
「私がダイエットして綺麗になったことは、迫害される側から迫害する側になることだった。
あんなに迫害されるのが嫌だったのに、迫害されるか・迫害するかのふたつしか選択肢しかないと思い込まされていた。
女の敵は女だと言われてそのまま信じていたけど、性別なんかで決まらない。
ルッキズムやエイジズムを押し付ける社会が敵だったはずなんだ」
うん…わかります…。
私はもう少し空気が柔らかかったけれど、
「容姿差別した人たちへの復習は綺麗になって幸せになることだけ」
だと思い込んでいた。
このブログもきっと探せばそれがわかる記事がいくつか残っているでしょう。
でもそれって少しおかしいだよね。
他者への加害という“やってはいけないことをした人”の罪が透明になっちゃってる。
果ては
「いじめられたおかげで綺麗になったんだから感謝」
なんて恐ろしい結論にたどりつく。
これはお笑いのスター(特に女性芸人さんには多い)が
「学校でいじめられて、その時に笑いをとったのが自分のお笑いの原点です」
って語るくらいおかしい。
その人がお笑いを頑張ってスターになったことは、加害行為を無罪にすることではないはずなんだから。
最近特に思い知っているけど、
「私たち一人一人はたしかに個人だけど、ぜったいにどこかでつながっている」
のよね。
自虐スタイルで誰も責めない知的なトーク力で大スターになった方がいらっしゃいますが、
「自虐は自分しか言ってないから問題ない」
なんてことは、ない!のです。
自虐=自分を攻撃すれば、自分と共通点がある誰かの攻撃につながっているのだから。
例えば自分の性別を落として表現すると必ずそれは全体への攻撃性をもっている。
年齢、容姿、国籍、性格…なんでもつながっています。
だから自分もやっぱり攻撃しちゃいけない。
日本というせまい国で強者としてすごすとその感覚もなくなるけど、世界に出れば日本人てとてもマイノリティーですからね、一度そういう視点で考えてみるといいかもしれない。
特に
「差別なんて日本にはない」
と思えてしまう人は。
これは私の友達の経験なんだけど、彼の大学にとある国のお坊ちゃんが短期留学にやってきたのね。
そのお坊ちゃんは母国ではプリンスのように会う人全員にチヤホヤされていたのだけど、日本の大学、それもそこはお金持ち大学だったから世間知らずのお坊ちゃん・お嬢様方は彼にチヤホヤなんかぜったいしない。
どころか
「金髪で青い目の王子さまだったら良かったのに」
と堂々差別発言されて激怒ですよ。
「自分は○○からやってきた××の息子だぞ!!」
って彼は“格下である他人たち”からのチヤホヤを御所望だったけど誰も応えない。
彼らにとってお坊ちゃんは
「むしろ格下」
だったから。
つまり、どっちもどっちってこと。
無知は怖いよね…ううう…身につまされる…
話を最初に戻しますが、
「お前は醜い」
と思い込まされすぎてしまった日本の女の子がそれから解放されたように見えるとき、本当に傷は癒えているのか・認知の歪みに気付いて治しているかってのは全然違う話なんですよね。
解放されたようで、迫害する側に回っただけかもしれない。
田房永子さんが著書で
「被害者としての自分を認めないと、同じような他人を見たときに被害者に怒りがいく。
きちんと被害者としての自分を認めれば加害者にきちんと怒りがいく」
とおっしゃっていたのはその通りだな~と私は思うよ。
さて、ルッキズム・エイジズム・セクシズムに気付いたレディーは今
「テレビやネットでいろんな外見の人が見られるようになって、多様性だな、素晴らしいなって思う気持ちと、痩身の美形が見たいって気持ちが戦っている」
そうです。
うん…なかなか一足飛びにはね、いかないよね
けれど自分の中の差別心に気付けるって画期的なことです。
気付かなければ、連鎖されるだけだから。
これはたまたま日本人女性の話だけど、老若男女問わない問題ですよ。