※犬さんの死について触れているので、苦手な人は読まないでください。
【飼育放棄されていた大人しい女の子】
大先輩レディーからこんな悲しい実話を聞いたので、ここにも記録しておきます
その大先輩レディーが幼子だった頃の話。
終戦直後だったそうだ。
彼女が住んでいたのは東京都内のお屋敷街。
当時はそんな街であってもセキュリティーは甘く、犬猫さんといったペットは基本放し飼いだったしあっちこっちの家に入ってくるのがふつうだったという。
ご近所には2匹の犬さんがそれぞれの家庭で飼われていた。
一匹は可愛がられて育った男の子(オス)で、もう一匹はペス(ベスかペチだったかも)と名付けられた女の子(メス)。
どういう理由だったのか、ペスは飼育放棄をされていてご飯(餌)ももらえずにいたようだ。
それでどうして生きていたのかというと放し飼いだったので、男の子(犬さん)の家で食べさせてもらっていたそう。
ペスのために多く飼い主さんは用意し、男の子もペスに残していたんだって。
ペスは大人しくて可愛い子で、ご近所に愛されていた。
【ペス、連れて行かれてしまう】
当時は野犬がどの街にもあふれていて、衛生的な問題があって定期的に収集されて処分されていたのだそうだ。
きっと猫もそうだったのかな。
(恐ろしい言葉だけど、事実だから)
上に書いたとおり飼われていても外に放し飼いがふつうの時代だったので、必ず何日も前から
「○日に野犬の収集作業をするので、飼い犬は必ず家に入れておいてください」
と周知されていたそうだ。
選挙カーのように自動車が伝えて回るんだって。
飼育放棄ではすまないことが起こる。
ペスは家に入れてもらえず、連れて行かれてしまった。
ペスがいない!!と気付いたレディーとその御家族は
「○○町で収集された犬はどの施設で処分されますか!?」
と調べて、大急ぎで保健所?処分場?にペスを取り返しに行った。
【「助けて」「殺さないで」と命が叫ぶ】
レディーはこう話してくれました。
「処分場に私達が入ると、殺されるのを待ってる犬がいっせいにこっちを見るの。
怯えた目をしてね。
元気がいい子は
「助けて!」
「連れて行って!」
「殺さないで!」
って命の限り叫んでアピールする。
あの目や声は忘れられない。
罪悪感いっぱいになりながら、ごめんねペスしか助けられないんだよって思いながらペスを探したわ」
ペスは奥の方で黙って居た。
「あきらめるでもなく、受け入れるでもなく、ただただ自分の運命を待っていた。
ブルブル怯えながら。
飼い主にも教えてやりたかった、あの子の強さを」
「ペス、迎えにきたよ!」
とレディーの家族が出してやってもペスは何も言えずブルブル震えていたらしい。
こうしてペスは新しい家族に保護してもらった。
(現代の価値観だったら飼い主のみならずご近所さんも収集業者も非難されそうだけど、焼け野原にされた戦後すぐの話だからね。
それを理解して読んでほしいです)
【意味ある数年】
長年の飼育放棄、もうすぐ殺されるという大きなストレス、当たり前だがペスはすっかり弱っていた。
獣医さんはまだ一般的な時代じゃない。
トサツ場や生物研究所の技術者に頼んで診てもらい色々治療をしたそうだ。
「お腹の中めちゃくちゃで、薬を飲んで真っ白なフンが出たのをよく覚えてる」
とレディーは証言する。
弱った体を治療しながら、新しい家族とペスは穏やかな数年をすごすことができた。
それでも必ず最期は訪れる。
いよいよ体が悪くなり、トサツ場か生物研究所に頼み込んで泊まりで治療をしてもらった。
(レディーの家は身分が高いので受け入れてもらえたらしい)
けれど、もうペスの命はもたなかった。
「朝にはもう亡くなりました」
と連絡を受けて、レディーと家族はペスの遺体を引き取りにいった。
大切なお客様の飼い犬だったからでしょう。
ペスの体は綺麗にしてもらって、菖蒲の花が咲き乱れる場所で待っていた。
美しい陽の光がペスを輝かせていたそうだ。
「それが本当に綺麗でねえ。
私、幼心にああ本当に良かったと思ったの。
ペスをあそこで恐怖のまま死なせずに済んで良かったって。
ペスの人生が恐怖と悲しみだけで終わらなくて本当に良かったって思った。
今でもねえ、菖蒲を見るとあの輝くペスを思い出すのよ」
…という、大先輩レディーが教えてくれた昔のお話でした。
戦争は多くを奪う。
それはけして人だけではない。
そんな、お話。
【飼育放棄されていた大人しい女の子】
大先輩レディーからこんな悲しい実話を聞いたので、ここにも記録しておきます
その大先輩レディーが幼子だった頃の話。
終戦直後だったそうだ。
彼女が住んでいたのは東京都内のお屋敷街。
当時はそんな街であってもセキュリティーは甘く、犬猫さんといったペットは基本放し飼いだったしあっちこっちの家に入ってくるのがふつうだったという。
ご近所には2匹の犬さんがそれぞれの家庭で飼われていた。
一匹は可愛がられて育った男の子(オス)で、もう一匹はペス(ベスかペチだったかも)と名付けられた女の子(メス)。
どういう理由だったのか、ペスは飼育放棄をされていてご飯(餌)ももらえずにいたようだ。
それでどうして生きていたのかというと放し飼いだったので、男の子(犬さん)の家で食べさせてもらっていたそう。
ペスのために多く飼い主さんは用意し、男の子もペスに残していたんだって。
ペスは大人しくて可愛い子で、ご近所に愛されていた。
【ペス、連れて行かれてしまう】
当時は野犬がどの街にもあふれていて、衛生的な問題があって定期的に収集されて処分されていたのだそうだ。
きっと猫もそうだったのかな。
(恐ろしい言葉だけど、事実だから)
上に書いたとおり飼われていても外に放し飼いがふつうの時代だったので、必ず何日も前から
「○日に野犬の収集作業をするので、飼い犬は必ず家に入れておいてください」
と周知されていたそうだ。
選挙カーのように自動車が伝えて回るんだって。
飼育放棄ではすまないことが起こる。
ペスは家に入れてもらえず、連れて行かれてしまった。
ペスがいない!!と気付いたレディーとその御家族は
「○○町で収集された犬はどの施設で処分されますか!?」
と調べて、大急ぎで保健所?処分場?にペスを取り返しに行った。
【「助けて」「殺さないで」と命が叫ぶ】
レディーはこう話してくれました。
「処分場に私達が入ると、殺されるのを待ってる犬がいっせいにこっちを見るの。
怯えた目をしてね。
元気がいい子は
「助けて!」
「連れて行って!」
「殺さないで!」
って命の限り叫んでアピールする。
あの目や声は忘れられない。
罪悪感いっぱいになりながら、ごめんねペスしか助けられないんだよって思いながらペスを探したわ」
ペスは奥の方で黙って居た。
「あきらめるでもなく、受け入れるでもなく、ただただ自分の運命を待っていた。
ブルブル怯えながら。
飼い主にも教えてやりたかった、あの子の強さを」
「ペス、迎えにきたよ!」
とレディーの家族が出してやってもペスは何も言えずブルブル震えていたらしい。
こうしてペスは新しい家族に保護してもらった。
(現代の価値観だったら飼い主のみならずご近所さんも収集業者も非難されそうだけど、焼け野原にされた戦後すぐの話だからね。
それを理解して読んでほしいです)
【意味ある数年】
長年の飼育放棄、もうすぐ殺されるという大きなストレス、当たり前だがペスはすっかり弱っていた。
獣医さんはまだ一般的な時代じゃない。
トサツ場や生物研究所の技術者に頼んで診てもらい色々治療をしたそうだ。
「お腹の中めちゃくちゃで、薬を飲んで真っ白なフンが出たのをよく覚えてる」
とレディーは証言する。
弱った体を治療しながら、新しい家族とペスは穏やかな数年をすごすことができた。
それでも必ず最期は訪れる。
いよいよ体が悪くなり、トサツ場か生物研究所に頼み込んで泊まりで治療をしてもらった。
(レディーの家は身分が高いので受け入れてもらえたらしい)
けれど、もうペスの命はもたなかった。
「朝にはもう亡くなりました」
と連絡を受けて、レディーと家族はペスの遺体を引き取りにいった。
大切なお客様の飼い犬だったからでしょう。
ペスの体は綺麗にしてもらって、菖蒲の花が咲き乱れる場所で待っていた。
美しい陽の光がペスを輝かせていたそうだ。
「それが本当に綺麗でねえ。
私、幼心にああ本当に良かったと思ったの。
ペスをあそこで恐怖のまま死なせずに済んで良かったって。
ペスの人生が恐怖と悲しみだけで終わらなくて本当に良かったって思った。
今でもねえ、菖蒲を見るとあの輝くペスを思い出すのよ」
…という、大先輩レディーが教えてくれた昔のお話でした。
戦争は多くを奪う。
それはけして人だけではない。
そんな、お話。