【明日カノ最終章で描かれていた世代連鎖】
をのひなおさんの漫画『明日、私は誰かのカノジョ』の最終巻言いたい放題記事3回目です。
前回はこちら。
↓
・『明日カノ』最終巻言いたい放題・その2。
1回目の時書いていなかった、明日カノ最終章=雪さん編第二章。に描かれていた世代連鎖についてサラッと私が思ったことを書いておきます。
親から子ども、子どもから孫、複数の世代に渡って同じような問題が繰り返されることを世代連鎖と呼ぶんだけど、これはたいてい毒親・虐待・依存症の問題と共に語られていて、よく言われる
「親が親なら子も子」
「虐待は繰り返す」
というあの意地悪な言葉なんか最たるもの。
実際の研究や統計データから
「遺伝ではなく、その後の環境」
と言われているらしいのでヒヤッとした方は安心してほしいです。
「自分も毒親に似てる気がする、どうしよう、あんな奴になったら」
と心優しき毒親育ちは皆思うもの。
私はいつもそれに対して
「毒親エピソード検索してみて、血のつながりもない、知るわけもない、縁もゆかりもない赤の他人のはずなのにどうしてみんな同じヤバイことするんだろうって思うから。
あれは遺伝じゃなくて人間のよくある悪しき慣習だと私は考えるなあ」
と答える。
それは最初に強く主張しておきたい。
とはいえ…遺伝ではなく、
「自分が見たこと・されてきたことを模倣しやすい」
点は見逃せない。
依存症患者に苦しめられてきた家族が、たいてい子どもが、
「自分はぜったい親のようにはならない」
と思いながらも自分も同じ依存症になるか(アルコール依存症が有名だが、家庭内暴力など依存がある)、子ども時代そうしていたように依存症の人と結婚して同じようにずーっと世話をして振り回されているってよくある話。
(詳しく知りたい人はクラウディア・ブラックの『私は親のようにならないー嗜癖問題とその子どもたちへの影響』を読んでみて)
この問題は宿命でも現在でもなく、単純に慣れ親しんだもの・知っているものを人間はやりやすい、ってことなのだ。
雪さんと太陽くんがあんなに重い合いながらも傷つけあって悲しい別れを選び、寂しいのに別れてホッとするのは作中描かれている通り
「これでもう捨てられるかもって怯えないですむ」
「やっと嫉妬して疑わずにすむ」
に違いないんだけど、幸せじゃない状況に慣れすぎていて不幸な方が慣れてて心地よい、安心するという精神状態にされているからなのです。
雪さんの語った
「幸福が麻薬なら不幸も麻薬、不幸に心地よさすら感じる」
というアレです。
(私は雪さんのいう麻薬みたいな幸福って幸福じゃなくてただの刺激だとずっと考えているけどね。
幸福依存症じゃなくて刺激依存症。
幸福ってもっと穏やかで健やかなものだ)
太陽くんが
「こんなに嫌なのに、母親と同じに嫉妬して狂って愛する人を苦しめてる」
と母親のコピーみたいな思考・行動をするのは、それをされて学習してしまっているからなのだ。
慣れってすごく怖いのだ。
洗脳されているしね、愛は壊れるものだ、傷つけるものだと。
作中明言されていないけど、きっと太陽母は夫に浮気されたんだよね…それで狂ってる。
雪さんと愛さん(母親。シッチィ)は全然似ていないようで
「大切だと思った人はぜったい自分を捨てる」
という言葉をリンクさせてましたし、雪さん自身が
「私も母親と同じように逃げてる。
あの人の行動をなぞっている」
とわかっているので、愛さんの
「向き合わずに・話し合わずに・逃げる」
をやられすぎて学んでコピーしちゃっているのね。
でも…こういう状況には『ハリー・ポッター』でダンブルドア先生が主人公・ハリーに優しく語ったこの言葉を贈りたい。
「どれだけ似ているかじゃない、どれだけ違うかだ」
人間似てるところなんかいっぱいある。
それを数えだしたら病んでしまうから、どれだけ自分は違うかに意識をうつした方が良いと思うから。
【成熟しない心は肉体を朽ちさせる】
雪さんの底つきからの勇気の芽生えの後、もちろんクライマックスとなる愛さんとの対決へ。
その前に前章のヒロイン・江美さんと愛さんのつながりが描写されます。
愛さんの地元時代の友達が江美さんだったのよね。
十数年ぶりの再会らしいよ、江美さん・幸子さんと。
東京(中目黒かな?)のカフェレストランでの3人同好会です。
江美さん・幸子さんの清らかな美に対して愛さんの全ての汚らしい&ねちっこいこと。
当然のように遅刻、バカそうな子どもっぽい話し方と表情、溢れ出るマウント精神など、少ないページにこれでもか!と嫌らしさを匂わせる…。
持っているバッグもブランドもので、ここだけじゃなく毎回タクシー乗るのでほんっとうにお金がないわけじゃないんだよね。
1円も引き取られてからの雪さんに援助してこなかったんでしょ?
辛い。
いつものガビガビ赤リップで愛さんはこうつぶやく。
「皆変わんないなぁ」
江美さん・幸子さんのことなんだけど、これは
「変わってないのお前だけだよ」
という強烈に皮肉がきいた描写なのです。
江美さんの成長も変わらない清らかさも読者はわかっているし、幸子さんだってあんなに綺麗に家を整えて家族の世話を頑張って、すごくすごくちゃんと成熟してるのにね。
ある年齢から…早い人は18才とかから、肉体年齢に対してあまりに精神年齢が追いついていないと人はとても老いて美から遠い容姿になる、と私はずっと思ってるんだけど。
愛さんはまさにだなあ。
ちなみにそんな私の自論にある大先輩レディーが
「いい年した大人の幼さって、自我なんですよ。
わがまま、身の程知らず、傲慢、幼稚。
そんな自我は停止…停止はすなわち死、でしょう。
老いは死に近い様だから、そりゃー老けますよ」
と考察してくれたことがあって雷打たれたね
まさに!と。
(詳しく書いた過去記事はコチラ。
↓
・自我=停止=死。)
きついわあ。
さて、大切な友達である二人に愛さんはマウント感をにおわせながら
「娘と来週海に行くんだぁ」
と話す。
そう、決戦はすぐそこなのだ…。
長く書いちゃったので今回はここまで。
読んでくださってありがとうございます
続き書きました!
↓
・『明日カノ』最終巻言いたい放題・その4。
をのひなおさんの漫画『明日、私は誰かのカノジョ』の最終巻言いたい放題記事3回目です。
前回はこちら。
↓
・『明日カノ』最終巻言いたい放題・その2。
1回目の時書いていなかった、明日カノ最終章=雪さん編第二章。に描かれていた世代連鎖についてサラッと私が思ったことを書いておきます。
親から子ども、子どもから孫、複数の世代に渡って同じような問題が繰り返されることを世代連鎖と呼ぶんだけど、これはたいてい毒親・虐待・依存症の問題と共に語られていて、よく言われる
「親が親なら子も子」
「虐待は繰り返す」
というあの意地悪な言葉なんか最たるもの。
実際の研究や統計データから
「遺伝ではなく、その後の環境」
と言われているらしいのでヒヤッとした方は安心してほしいです。
「自分も毒親に似てる気がする、どうしよう、あんな奴になったら」
と心優しき毒親育ちは皆思うもの。
私はいつもそれに対して
「毒親エピソード検索してみて、血のつながりもない、知るわけもない、縁もゆかりもない赤の他人のはずなのにどうしてみんな同じヤバイことするんだろうって思うから。
あれは遺伝じゃなくて人間のよくある悪しき慣習だと私は考えるなあ」
と答える。
それは最初に強く主張しておきたい。
とはいえ…遺伝ではなく、
「自分が見たこと・されてきたことを模倣しやすい」
点は見逃せない。
依存症患者に苦しめられてきた家族が、たいてい子どもが、
「自分はぜったい親のようにはならない」
と思いながらも自分も同じ依存症になるか(アルコール依存症が有名だが、家庭内暴力など依存がある)、子ども時代そうしていたように依存症の人と結婚して同じようにずーっと世話をして振り回されているってよくある話。
(詳しく知りたい人はクラウディア・ブラックの『私は親のようにならないー嗜癖問題とその子どもたちへの影響』を読んでみて)
この問題は宿命でも現在でもなく、単純に慣れ親しんだもの・知っているものを人間はやりやすい、ってことなのだ。
雪さんと太陽くんがあんなに重い合いながらも傷つけあって悲しい別れを選び、寂しいのに別れてホッとするのは作中描かれている通り
「これでもう捨てられるかもって怯えないですむ」
「やっと嫉妬して疑わずにすむ」
に違いないんだけど、幸せじゃない状況に慣れすぎていて不幸な方が慣れてて心地よい、安心するという精神状態にされているからなのです。
雪さんの語った
「幸福が麻薬なら不幸も麻薬、不幸に心地よさすら感じる」
というアレです。
(私は雪さんのいう麻薬みたいな幸福って幸福じゃなくてただの刺激だとずっと考えているけどね。
幸福依存症じゃなくて刺激依存症。
幸福ってもっと穏やかで健やかなものだ)
太陽くんが
「こんなに嫌なのに、母親と同じに嫉妬して狂って愛する人を苦しめてる」
と母親のコピーみたいな思考・行動をするのは、それをされて学習してしまっているからなのだ。
慣れってすごく怖いのだ。
洗脳されているしね、愛は壊れるものだ、傷つけるものだと。
作中明言されていないけど、きっと太陽母は夫に浮気されたんだよね…それで狂ってる。
雪さんと愛さん(母親。シッチィ)は全然似ていないようで
「大切だと思った人はぜったい自分を捨てる」
という言葉をリンクさせてましたし、雪さん自身が
「私も母親と同じように逃げてる。
あの人の行動をなぞっている」
とわかっているので、愛さんの
「向き合わずに・話し合わずに・逃げる」
をやられすぎて学んでコピーしちゃっているのね。
でも…こういう状況には『ハリー・ポッター』でダンブルドア先生が主人公・ハリーに優しく語ったこの言葉を贈りたい。
「どれだけ似ているかじゃない、どれだけ違うかだ」
人間似てるところなんかいっぱいある。
それを数えだしたら病んでしまうから、どれだけ自分は違うかに意識をうつした方が良いと思うから。
【成熟しない心は肉体を朽ちさせる】
雪さんの底つきからの勇気の芽生えの後、もちろんクライマックスとなる愛さんとの対決へ。
その前に前章のヒロイン・江美さんと愛さんのつながりが描写されます。
愛さんの地元時代の友達が江美さんだったのよね。
十数年ぶりの再会らしいよ、江美さん・幸子さんと。
東京(中目黒かな?)のカフェレストランでの3人同好会です。
江美さん・幸子さんの清らかな美に対して愛さんの全ての汚らしい&ねちっこいこと。
当然のように遅刻、バカそうな子どもっぽい話し方と表情、溢れ出るマウント精神など、少ないページにこれでもか!と嫌らしさを匂わせる…。
持っているバッグもブランドもので、ここだけじゃなく毎回タクシー乗るのでほんっとうにお金がないわけじゃないんだよね。
1円も引き取られてからの雪さんに援助してこなかったんでしょ?
辛い。
いつものガビガビ赤リップで愛さんはこうつぶやく。
「皆変わんないなぁ」
江美さん・幸子さんのことなんだけど、これは
「変わってないのお前だけだよ」
という強烈に皮肉がきいた描写なのです。
江美さんの成長も変わらない清らかさも読者はわかっているし、幸子さんだってあんなに綺麗に家を整えて家族の世話を頑張って、すごくすごくちゃんと成熟してるのにね。
ある年齢から…早い人は18才とかから、肉体年齢に対してあまりに精神年齢が追いついていないと人はとても老いて美から遠い容姿になる、と私はずっと思ってるんだけど。
愛さんはまさにだなあ。
ちなみにそんな私の自論にある大先輩レディーが
「いい年した大人の幼さって、自我なんですよ。
わがまま、身の程知らず、傲慢、幼稚。
そんな自我は停止…停止はすなわち死、でしょう。
老いは死に近い様だから、そりゃー老けますよ」
と考察してくれたことがあって雷打たれたね
まさに!と。
(詳しく書いた過去記事はコチラ。
↓
・自我=停止=死。)
きついわあ。
さて、大切な友達である二人に愛さんはマウント感をにおわせながら
「娘と来週海に行くんだぁ」
と話す。
そう、決戦はすぐそこなのだ…。
長く書いちゃったので今回はここまで。
読んでくださってありがとうございます
続き書きました!
↓
・『明日カノ』最終巻言いたい放題・その4。