【幼い人たちが、大先輩たちが】
ああ、時代は本当に変わったんだな、二度と戻らないな。
そう強く感じた出来事があった。
ひとつは、『となりのトトロ』が病院の待合室で流れていた時に、幼い人たち(小学校低学年くらい。男女いました)がメイちゃん・さつきちゃんのパンチラに淡々と、しかしはっきりと嫌悪感を示していたこと。
「こういうのよくないよね」
って感じに。
もうひとつは、推定70~80代のレディーたちが
「『借り暮らしのアリエッティ』がテレビでやってたから見たんだけど、またパンツ見えてる~って嫌だった」(←そうなの?!)
「あの方のアニメって小さな女の子をセックスシンボルにしすぎていて、それがダメよね」
と話していたこと。
どちらも天下のスタジオジブリ作品ですが、そんな特別扱いされているものが淡々とこう評されているという現実が、誰が何を言おうと確かに変わっている証拠だと思いましたね。
素晴らしい部分は未来永劫愛され続けるでしょうが、時代遅れな部分は
「この時代はこれが許されたのかもしれないけど、今はいけないよね」
って捉え方が変わるのでしょう。
時代という風の前に跡形もなく消え失せるのみ…か。
【『借り暮らしのアリエッティ』の原作】
さて、上にも登場した『借り暮らしのアリエッティ』ですが、原作はイギリスの児童文学作家メアリー・ノートンさんの『床下の小人たち』
という作品です。
レビューで多くの人が書かれているように、ジブリ映画版と原作は全然違う作品です。
フィクションを楽しむ方法は特になんの決まりごとも制約もないので、好きなように読んで受け止めて感想を持てばいいのですが、作品をきちんと解釈しようと思ったらそれではいけません。
私は文学部出身なのですが、作品について論文を書くときはなんといってもその作品が描かれた時の時代背景を調べることが大事。
時代背景をちゃんと頭に入れて描写や展開について言及しなくてはいけないので、そこは“学ぶ”と“楽しむ”の基礎的な違いでしょう。
音大の人も楽曲分析(アナリーゼ)をやりますよね。
俳優さんも役作りするときは時代背景を調べて丁寧に役に入るのと入らないのでは全然違うというし。
さて、時代背景。
『借り暮らしの小人たち』が人気を博したのは戦中~戦後(WW2)のイギリスにおいて、だそうです。
戦中戦後のイギリス社会を少し勉強すれば、この物語にそこはかとなく漂う暗さにとても納得させられます。
小人、小さな人、非力なひと。
借りる、所有、ものがない。
全ての設定に
「ああ、だから」
とつながって浮かびあがってくるものがあるし、アリエッティ達の言葉がたしかな体温を持って入ってくる。
日本でもね、戦後をはっきり記憶している世代の方は
「アリエッティの気持ちが全部わかる」
とおっしゃるのだ。
映画版は正直わたしは
「どうしてそうなるの?」
「そのエピソードの意味はなに?」
「どうしてその設定のキャラがその行動をとるの?」
って混乱してばっかりだったんですが、原作読むと
「違うじゃない、ちゃんと意味が通るじゃない」
って思いました。
ドールハウスを分譲~のエピソードはぜひ原作で読んでもらいたいな~。
あの時代の人たちの気持ち、誇り、何に励まされ何ゆえ愛されベストセラーになったのか…。
そういう視点をもつのも読書・鑑賞の楽しみになりますよ。
【違和感も語る】
「これが作られた時代はゆるされても、今はゆるされない」
表現にももちろん大きな意味がある。
なぜそれがゆるされてしまっていたのか…そこを分析していくとあの時確かに存在していた現実がはっきりと浮かび上がってくるから。
戦中・戦後をはっきりと体験していない世代(私もです)は
「遠い昔の戦争なんて、自分たちになんの影響も関係もないでしょ」
と考えてしまうかもしれないけど、ぜんぶぜんぶつながっているのです。
私たちの両親世代、祖父母世代…全て全てつながっている限り誰も歴史と無関係ではいられないのだ。
別に社会派なことを書きたいわけではなく(そんな頭も、文章力も持っていない)、エンタメすらそうやって関係してるね~としみじみ思っただけです。
フィクションは過去から現在への、現在から未来へのメッセージなのね。
そうそう、カズオ・イシグロさんの作品はまさに隠されたメッセージだらけらしいですよ。
歴史と社会情勢をしっかり頭に入れてから、謎解きするように彼の作品を見ればどんどん出てくるんだって。
日本語訳版でもとても難しいらしいですが、読書好きさんはぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
はじめての方向きの記事と対面カウンセリングのご案内です♪
※対面有料カウンセリングやってます。
※スキンケア記事・まとめ。
※宝塚の娘役さん風・ナチュラルメイクレシピまとめ。
※有名人さん風メイクレシピ・まとめ。
※大学1年生のための外見魅力アップ講座『ホンカワ』!
※モテ服関連記事・まとめ。
ああ、時代は本当に変わったんだな、二度と戻らないな。
そう強く感じた出来事があった。
ひとつは、『となりのトトロ』が病院の待合室で流れていた時に、幼い人たち(小学校低学年くらい。男女いました)がメイちゃん・さつきちゃんのパンチラに淡々と、しかしはっきりと嫌悪感を示していたこと。
「こういうのよくないよね」
って感じに。
もうひとつは、推定70~80代のレディーたちが
「『借り暮らしのアリエッティ』がテレビでやってたから見たんだけど、またパンツ見えてる~って嫌だった」(←そうなの?!)
「あの方のアニメって小さな女の子をセックスシンボルにしすぎていて、それがダメよね」
と話していたこと。
どちらも天下のスタジオジブリ作品ですが、そんな特別扱いされているものが淡々とこう評されているという現実が、誰が何を言おうと確かに変わっている証拠だと思いましたね。
素晴らしい部分は未来永劫愛され続けるでしょうが、時代遅れな部分は
「この時代はこれが許されたのかもしれないけど、今はいけないよね」
って捉え方が変わるのでしょう。
時代という風の前に跡形もなく消え失せるのみ…か。
【『借り暮らしのアリエッティ』の原作】
さて、上にも登場した『借り暮らしのアリエッティ』ですが、原作はイギリスの児童文学作家メアリー・ノートンさんの『床下の小人たち』
という作品です。
レビューで多くの人が書かれているように、ジブリ映画版と原作は全然違う作品です。
フィクションを楽しむ方法は特になんの決まりごとも制約もないので、好きなように読んで受け止めて感想を持てばいいのですが、作品をきちんと解釈しようと思ったらそれではいけません。
私は文学部出身なのですが、作品について論文を書くときはなんといってもその作品が描かれた時の時代背景を調べることが大事。
時代背景をちゃんと頭に入れて描写や展開について言及しなくてはいけないので、そこは“学ぶ”と“楽しむ”の基礎的な違いでしょう。
音大の人も楽曲分析(アナリーゼ)をやりますよね。
俳優さんも役作りするときは時代背景を調べて丁寧に役に入るのと入らないのでは全然違うというし。
さて、時代背景。
『借り暮らしの小人たち』が人気を博したのは戦中~戦後(WW2)のイギリスにおいて、だそうです。
戦中戦後のイギリス社会を少し勉強すれば、この物語にそこはかとなく漂う暗さにとても納得させられます。
小人、小さな人、非力なひと。
借りる、所有、ものがない。
全ての設定に
「ああ、だから」
とつながって浮かびあがってくるものがあるし、アリエッティ達の言葉がたしかな体温を持って入ってくる。
日本でもね、戦後をはっきり記憶している世代の方は
「アリエッティの気持ちが全部わかる」
とおっしゃるのだ。
映画版は正直わたしは
「どうしてそうなるの?」
「そのエピソードの意味はなに?」
「どうしてその設定のキャラがその行動をとるの?」
って混乱してばっかりだったんですが、原作読むと
「違うじゃない、ちゃんと意味が通るじゃない」
って思いました。
ドールハウスを分譲~のエピソードはぜひ原作で読んでもらいたいな~。
あの時代の人たちの気持ち、誇り、何に励まされ何ゆえ愛されベストセラーになったのか…。
そういう視点をもつのも読書・鑑賞の楽しみになりますよ。
【違和感も語る】
「これが作られた時代はゆるされても、今はゆるされない」
表現にももちろん大きな意味がある。
なぜそれがゆるされてしまっていたのか…そこを分析していくとあの時確かに存在していた現実がはっきりと浮かび上がってくるから。
戦中・戦後をはっきりと体験していない世代(私もです)は
「遠い昔の戦争なんて、自分たちになんの影響も関係もないでしょ」
と考えてしまうかもしれないけど、ぜんぶぜんぶつながっているのです。
私たちの両親世代、祖父母世代…全て全てつながっている限り誰も歴史と無関係ではいられないのだ。
別に社会派なことを書きたいわけではなく(そんな頭も、文章力も持っていない)、エンタメすらそうやって関係してるね~としみじみ思っただけです。
フィクションは過去から現在への、現在から未来へのメッセージなのね。
そうそう、カズオ・イシグロさんの作品はまさに隠されたメッセージだらけらしいですよ。
歴史と社会情勢をしっかり頭に入れてから、謎解きするように彼の作品を見ればどんどん出てくるんだって。
日本語訳版でもとても難しいらしいですが、読書好きさんはぜひチャレンジしてみてはいかがでしょうか。
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