【とても悲しい】
『セクシー田中さん』の作者・芦原妃名子さんがお亡くなりになったそうです。
どのニュースも今のところ、芦原さんがドラマ版の9・10話を担当するまでの経緯を話す…きっかけになった出来事を報じず、悲しくて仕方がありません。
彼女と彼女の作品を愛する多くの人がそれを伝えてくれているのでここでは書きませんが。
私がこの記事で書きたいのは、
「芦原さんがドラマ版『セクシー田中さん』の脚本で私達に何を与えてくれたのか」
についてです。
私は、あの作品には現代で苦しく生きる人たちへの万遍無い愛、受容、そして希望が込められていたと思っている。
W主人公に思える京子さん(田中さん)と朱里さんはもちろんのこと、当初彼女達を傷つけるように思えた男性キャラクター達、笙野さん・小西さん・進吾くんもその行動に至るまでの彼らが耐えた苦しみの歴史をきちんと描いて、それを受け入れた上で希望を示すひたすら愛で包む物語だったから。
芦原さん自身が
「小西と進吾が語り合う場面は物語の核であり、欠かせなかった」
と書いていたと記憶している(今は削除してしまわれたそうです)。
私はこのドラマを観て心から
「日本のドラマも捨てたもんじゃないじゃん!」
と感動しましたし、最終回(正確には最終回とその直前回)は原作者に脚本を書いてもらったというのが
「やっと、やっと、原作を愛して遵守してくれるようになったんだな」
と嬉しかったんですよね。
アニメもドラマも映画もどれだけ原作をぶっ壊してきたかわからないからね、この国のエンタメは。
最終回直後に私が感想を書いた過去記事。
↓
・【追記】ドラマ『セクシー田中さん』が良かった!
9話・10話は芦原さん自身が書いてくれたのが納得できるくらい、最もぶれなくて素敵なストーリー展開だったと私は思っている。
全てがメッセージなんですよ。
「あなたで人生を取り戻そうとしてごめんなさい」
と語った笙野さんのお母さん、京子さん(Saliちゃん)を巡って恋のライバルだけど、笙野さんのことも人間として好きな三好さんの表情や行動。
恋が成就する素晴らしさをしっかりと描きながらも朱里ちゃんも京子さんもラストシーンの時点で結婚していないのは
「恋だけが全てじゃないよ、結婚しなきゃ幸せじゃないなんてことないよ」
というメッセージですよね。
恋と結婚を礼賛してラストシーンにキスする二人を持ってくる作品はこの世にたくさんある。
でも芦原さんはラストシーンを
「男女みんなが一緒に生きて、幸せに笑い合う」
場面にした。
満遍なく…偏ることなく全ての人に愛を注いでくれているんです。
あれがラストシーンのメッセージなんだと私は受け止めてる。
笙野さんと京子さんは愛し合っているし、付き合っているだろうし、これから結婚もするでしょう。
でもそれをラストシーンにすると“そうじゃない”世の中の人がこぼれ落ちたようなメッセージに受け止められるから。
本当に全てのキャラクターに、人間に、愛を与えてくれた人なのだろうと私は考えています。
素晴らしい漫画家さんだったし、素晴らしい人だった。
それがこんな結末になってしまって辛くて仕方ないけれど、だからこそ、あのドラマ版も未完の漫画も、全てを彼女の生き様なのだと考えて、これからも敬愛していきたいと思います…。
ああ…。
※追記:
今現在流れているテレビのニュースやまとめだけを見た方には、
「1~8話までの評判が良くて、作者がシナリオを書いた9・10話は不評だったのか」
と受け止めてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
でもそれは違います。
1~8話が評判が良かったのは作者である芦原さんが無視と改変に負けずに原作の流れに持っていってくれたからですし、9話と10話(最終回)の評判は極めて高かったです。
ドラマ版はスタッフさん・演者さんの尊いお仕事と、芦原さんが戦ってくれたから良い作品になったんです。
連載の仕事をこなしながら初めてのドラマ脚本を2本も書くなんて殺人的です。
でも芦原さんは作品と視聴者とドラマ版に携わる全ての人たちを愛してくれているからやってくれた。
それを私はお伝えしたい。
『セクシー田中さん』の作者・芦原妃名子さんがお亡くなりになったそうです。
どのニュースも今のところ、芦原さんがドラマ版の9・10話を担当するまでの経緯を話す…きっかけになった出来事を報じず、悲しくて仕方がありません。
彼女と彼女の作品を愛する多くの人がそれを伝えてくれているのでここでは書きませんが。
私がこの記事で書きたいのは、
「芦原さんがドラマ版『セクシー田中さん』の脚本で私達に何を与えてくれたのか」
についてです。
私は、あの作品には現代で苦しく生きる人たちへの万遍無い愛、受容、そして希望が込められていたと思っている。
W主人公に思える京子さん(田中さん)と朱里さんはもちろんのこと、当初彼女達を傷つけるように思えた男性キャラクター達、笙野さん・小西さん・進吾くんもその行動に至るまでの彼らが耐えた苦しみの歴史をきちんと描いて、それを受け入れた上で希望を示すひたすら愛で包む物語だったから。
芦原さん自身が
「小西と進吾が語り合う場面は物語の核であり、欠かせなかった」
と書いていたと記憶している(今は削除してしまわれたそうです)。
私はこのドラマを観て心から
「日本のドラマも捨てたもんじゃないじゃん!」
と感動しましたし、最終回(正確には最終回とその直前回)は原作者に脚本を書いてもらったというのが
「やっと、やっと、原作を愛して遵守してくれるようになったんだな」
と嬉しかったんですよね。
アニメもドラマも映画もどれだけ原作をぶっ壊してきたかわからないからね、この国のエンタメは。
最終回直後に私が感想を書いた過去記事。
↓
・【追記】ドラマ『セクシー田中さん』が良かった!
9話・10話は芦原さん自身が書いてくれたのが納得できるくらい、最もぶれなくて素敵なストーリー展開だったと私は思っている。
全てがメッセージなんですよ。
「あなたで人生を取り戻そうとしてごめんなさい」
と語った笙野さんのお母さん、京子さん(Saliちゃん)を巡って恋のライバルだけど、笙野さんのことも人間として好きな三好さんの表情や行動。
恋が成就する素晴らしさをしっかりと描きながらも朱里ちゃんも京子さんもラストシーンの時点で結婚していないのは
「恋だけが全てじゃないよ、結婚しなきゃ幸せじゃないなんてことないよ」
というメッセージですよね。
恋と結婚を礼賛してラストシーンにキスする二人を持ってくる作品はこの世にたくさんある。
でも芦原さんはラストシーンを
「男女みんなが一緒に生きて、幸せに笑い合う」
場面にした。
満遍なく…偏ることなく全ての人に愛を注いでくれているんです。
あれがラストシーンのメッセージなんだと私は受け止めてる。
笙野さんと京子さんは愛し合っているし、付き合っているだろうし、これから結婚もするでしょう。
でもそれをラストシーンにすると“そうじゃない”世の中の人がこぼれ落ちたようなメッセージに受け止められるから。
本当に全てのキャラクターに、人間に、愛を与えてくれた人なのだろうと私は考えています。
素晴らしい漫画家さんだったし、素晴らしい人だった。
それがこんな結末になってしまって辛くて仕方ないけれど、だからこそ、あのドラマ版も未完の漫画も、全てを彼女の生き様なのだと考えて、これからも敬愛していきたいと思います…。
ああ…。
※追記:
今現在流れているテレビのニュースやまとめだけを見た方には、
「1~8話までの評判が良くて、作者がシナリオを書いた9・10話は不評だったのか」
と受け止めてしまう方もいらっしゃるかもしれません。
でもそれは違います。
1~8話が評判が良かったのは作者である芦原さんが無視と改変に負けずに原作の流れに持っていってくれたからですし、9話と10話(最終回)の評判は極めて高かったです。
ドラマ版はスタッフさん・演者さんの尊いお仕事と、芦原さんが戦ってくれたから良い作品になったんです。
連載の仕事をこなしながら初めてのドラマ脚本を2本も書くなんて殺人的です。
でも芦原さんは作品と視聴者とドラマ版に携わる全ての人たちを愛してくれているからやってくれた。
それを私はお伝えしたい。