【闇が広がる…】
モテというか恋愛至上主義の時代を経て、いまは
「モテたい人、恋愛したい人はやりたいだけやって、やりたくない人はやらなくてよい」
という時代になりつつありますよね。
いい変化だなぁ。
という時代ですがあえてモテたい欲にまつわる闇について考えてみたいと思います。
モテたいって実は人によって違う感情ですよね。
王道がこの3つじゃないかな?
1.異性にチヤホヤされたい
2.同性にモテる人認定されたい
3.幸せな人・恵まれてる人だと思われたい
とにかく異性という生き物が大好きで、愛さずにはいられないっていうタイプは実は少ない気がするんだけど…どうでしょう?
(ここで異性って書いてるのは、私が恋愛対象異性なので同性愛のことを軽々すく書いてはいけないと思うからです。
差別的な意味はないです)
【相手(ひと)をなにも見てない】
ていどによりますし、相手にメリットを与えれば問題ないのかもしれないけど…でもやっぱり1~3までもれなく相手に興味がないよね(笑)。
人はなかなか聖人にはなれないけれど、自分!自分!となりやすいのが恋愛な気がする。
「異性にチヤホヤされたい」
は一見相手が好きなようでいて、チヤホヤされないと不機嫌になってしまうので自分が一番。
しかもチヤホヤされることに依存しているのでとても不安定な状態ですよね。
悪い人にだまされやすそうだ。
「同性にモテる人認定されたい」
はスクールカーストで辛い思いをした人が陥りやすいかもしれない。
学校によると思うけど、いや~本当に学校ってヤバい世界だよね。
差別に暴力、世の中の黒いものが全て存在してる気がするわ~。
小学生から高校生まで話を聞くとそんなに昔と変わってないっぽい。
人気者には人気者の、ヤンキーにはヤンキーの、優等生には優等生の苦労があるだろうから単純にうらやましいとか妬ましいとか私は思えないけどね。
はるか昔は思っていたのかもしれない。
なんにせよバカにされたら辛いことになる可能性がぐっと上がってしまうスクールライフ、
モテる人認定はある種の地位保障なのかもしれない。
で、最後の
「幸せな人・恵まれてる人だと思われたい」
これが一番闇が広がる(言いたいだけ)案件かもしれない。
他者承認と自己承認はバランスを保つのが難しいけれど、この考え方をしてしまうとなんでもかんでも他人のリアクションありきになってしまうので自我が暴走してしまいそう。
他者を道具のように扱うから衝突を起こしやすいし、自分の気持ちに実は無関心だからブチギレやすくなる。
「いい年して小学生かよ~」
というケンカ別れを友情でも恋愛でも繰り返しがちな人はこれな気がする。
幸せ=こころ。も恵まれる基準=自分が大切に思うもの。それを他者に決めてくれと頼りきってるからかな。
人によって価値観が違うから、いちいち相手の反応ばかり気にしてたら不安定になるよね。
【今こそ断ち切るとき】
モテたい欲からくるあらゆるグダグダ状態にまともなアドバイスをしてくれるのは、人生のよき先輩方。
私がモテたい欲うずまいてた時代にもらったアドバイスは
「自分がどうしたいのか、まず優先順位をつけて試してごらん」
でした。
シンプルなことだけど、まさにこれ。
自分がどうしたいっていうのは自分の気持ちに注目するステップだし
「試してごらん」
という言葉には
「違ったら変えればいいんだから」
という余裕があります。
実際そのとおりだもん、見るのとやるのじゃ大違いだから。
私は運動がしぬほど苦手なのでスポーツ万能な人にとても憧れますが、スポーツの才能ないし毎日練習なんかしたら心も体も破滅するでしょう。
やってみたら
「あわない、これじゃない」
とわかって目が覚めるでしょう。
1~3に書きだしたモテたい欲も
「じゃあどうすればそれが叶うか」
って試してみて自分の気持ちの答え合わせすると抜け出せるかもしれません。
たとえば
「異性にチヤホヤされたい!」
でモテ術試しまくって、成功するかどうか。
そして成功したとき本当に自分が幸せなのかどうかをチェックする。
「全員にモテなきゃ意味ない!!」
とかってハードルを高くするとドツボにはまるので、低いハードルにしときましょうね。
はじめての方向きの記事と対面カウンセリングのご案内です♪
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※スキンケア記事・まとめ。
※宝塚の娘役さん風・ナチュラルメイクレシピまとめ。
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モテというか恋愛至上主義の時代を経て、いまは
「モテたい人、恋愛したい人はやりたいだけやって、やりたくない人はやらなくてよい」
という時代になりつつありますよね。
いい変化だなぁ。
という時代ですがあえてモテたい欲にまつわる闇について考えてみたいと思います。
モテたいって実は人によって違う感情ですよね。
王道がこの3つじゃないかな?
1.異性にチヤホヤされたい
2.同性にモテる人認定されたい
3.幸せな人・恵まれてる人だと思われたい
とにかく異性という生き物が大好きで、愛さずにはいられないっていうタイプは実は少ない気がするんだけど…どうでしょう?
(ここで異性って書いてるのは、私が恋愛対象異性なので同性愛のことを軽々すく書いてはいけないと思うからです。
差別的な意味はないです)
【相手(ひと)をなにも見てない】
ていどによりますし、相手にメリットを与えれば問題ないのかもしれないけど…でもやっぱり1~3までもれなく相手に興味がないよね(笑)。
人はなかなか聖人にはなれないけれど、自分!自分!となりやすいのが恋愛な気がする。
「異性にチヤホヤされたい」
は一見相手が好きなようでいて、チヤホヤされないと不機嫌になってしまうので自分が一番。
しかもチヤホヤされることに依存しているのでとても不安定な状態ですよね。
悪い人にだまされやすそうだ。
「同性にモテる人認定されたい」
はスクールカーストで辛い思いをした人が陥りやすいかもしれない。
学校によると思うけど、いや~本当に学校ってヤバい世界だよね。
差別に暴力、世の中の黒いものが全て存在してる気がするわ~。
小学生から高校生まで話を聞くとそんなに昔と変わってないっぽい。
人気者には人気者の、ヤンキーにはヤンキーの、優等生には優等生の苦労があるだろうから単純にうらやましいとか妬ましいとか私は思えないけどね。
はるか昔は思っていたのかもしれない。
なんにせよバカにされたら辛いことになる可能性がぐっと上がってしまうスクールライフ、
モテる人認定はある種の地位保障なのかもしれない。
で、最後の
「幸せな人・恵まれてる人だと思われたい」
これが一番闇が広がる(言いたいだけ)案件かもしれない。
他者承認と自己承認はバランスを保つのが難しいけれど、この考え方をしてしまうとなんでもかんでも他人のリアクションありきになってしまうので自我が暴走してしまいそう。
他者を道具のように扱うから衝突を起こしやすいし、自分の気持ちに実は無関心だからブチギレやすくなる。
「いい年して小学生かよ~」
というケンカ別れを友情でも恋愛でも繰り返しがちな人はこれな気がする。
幸せ=こころ。も恵まれる基準=自分が大切に思うもの。それを他者に決めてくれと頼りきってるからかな。
人によって価値観が違うから、いちいち相手の反応ばかり気にしてたら不安定になるよね。
【今こそ断ち切るとき】
モテたい欲からくるあらゆるグダグダ状態にまともなアドバイスをしてくれるのは、人生のよき先輩方。
私がモテたい欲うずまいてた時代にもらったアドバイスは
「自分がどうしたいのか、まず優先順位をつけて試してごらん」
でした。
シンプルなことだけど、まさにこれ。
自分がどうしたいっていうのは自分の気持ちに注目するステップだし
「試してごらん」
という言葉には
「違ったら変えればいいんだから」
という余裕があります。
実際そのとおりだもん、見るのとやるのじゃ大違いだから。
私は運動がしぬほど苦手なのでスポーツ万能な人にとても憧れますが、スポーツの才能ないし毎日練習なんかしたら心も体も破滅するでしょう。
やってみたら
「あわない、これじゃない」
とわかって目が覚めるでしょう。
1~3に書きだしたモテたい欲も
「じゃあどうすればそれが叶うか」
って試してみて自分の気持ちの答え合わせすると抜け出せるかもしれません。
たとえば
「異性にチヤホヤされたい!」
でモテ術試しまくって、成功するかどうか。
そして成功したとき本当に自分が幸せなのかどうかをチェックする。
「全員にモテなきゃ意味ない!!」
とかってハードルを高くするとドツボにはまるので、低いハードルにしときましょうね。
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