今日は暖かい。春の様な気温。
暖かいと、足腰が少し楽になる(ような気がする)。
最近、歩いているとき、
自分の今の状況なりがぼやけてくる、
そういう感覚に、ふと襲われるときがある。
一言でいうと、「トシだから」になるんでしょうかなあ。
実際、クリニックで、医者からそう言われることもある。
振り返れば、若いときから、身体によろしくない生活の連続だったからねぇ。
(遊んでいたわけじゃあありませんよ。)
歩くときに、一番それを感じさせられる。
歩くにも一生懸命にならないといけない。
はた目には、壊れかけのロボットの様に、ぎこちなく歩いている様に見えるだろう。
しかし、本人は一生懸命。視線は広域ではなく、足元または数メートル先。
そういうとき、上の感覚になる場合がある。
あれ? 何をしているんだろう? どこへ行こうとしているんだろう?
そう感じたときを比喩として例えれば、雲の上を歩いている感じ。
ふわふわと調子よくではなく、調子悪く。
勿論、雲の上を歩いたことはないけれど。。。
足元がおぼつかないため、身体が力んでしまう。
そして、何をしているのかがぼやける。
周囲の観察力が落ち、足が地についていないために、上の様な感覚を誘うのだろうと思う。
夢の中で、方向も目的も定かではなく歩いている感じにも似ている。
- うまく説明できないけど、言わんとするところは、おぼろげにでも分かってもらえるだろうか?
昔からの故事にある - 邯鄲の夢。
(邯鄲(かんたん)は、古代中国、戦国時代の趙の都)
一炊の夢、邯鄲の枕、黄粱の一炊、などと表現されることもある。
若干内容が違えども、言わんとするところは同じ。
栄枯盛衰のはかないことと解する人もいるが、単純に「人生は一炊のできごと」でよい。
夢から覚めた直後は、その夢を覚えている。余計なことを考えなければ。
家族の誰かにその話しをする。
夢の内容を口で伝えようとしても、陳腐な表現になり、本当に伝えたいことと違ってしまう。
断片的な夢の記憶を、わかってもらおうと言葉を足し、そして話すほどに、夢から遠ざかる。
夢が何だったのか、よく分からなくなる。
そういう経験は誰しもあると思う。
「邯鄲の夢」では、
夢から覚めて、(主人公の)廬生は、人生の全てを見たと告げるわけだが、それは本当に夢なのか?
廬生が、本当に言いたいことは何だったのか、
それは、栄枯盛衰や、人生のはかなさではない、のではないか?
ヒントは、郷里に戻った後の廬生の人生にあるはずだが、その話は(故事には)ない。
いや、そんなことはどうでも良い。
どんな夢を見、どう感じようが、その夢は、それがどうして夢だといえよう。
夢から覚めたと思っている、その今こそが夢ではないのか?
「豊饒の海」(三島由紀夫)四部作の最後、「天人五衰」。
死期を悟った本多繁邦が月修寺門跡(綾倉聡子)を訪ね、
60年前の、松枝清顕と聡子とのできごとを投げかけるが、門跡は初めて聞く話しだという。
門跡-「松江清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。
そんなお方は、もともとあらしやらなかつたのと違ひますか」
本多-「それなら勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンもゐなかつたことになる。
…その上、ひよつとしたら、この私ですらも」
門跡は本多を見据え、「それも心々ですさかい」。
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる…」
(「天人五衰」より抜粋)
門跡はいう。-「それも心々ですさかい」
そう、全ては「心々」。
それは輪廻転生をめぐる本多の夢。
そして、その夢は、本多にとっては現実。
これは、三島を忖度しているのではなく、ワタシが感じているワタシにとっての夢。
転生があるとして、
その転生する者にとって、この世の人生が夢ではないと誰が言えよう。
(上の)廬生の夢は、廬生の、ある世での人生。
ワタシがプアである(と感じている)のも、ワタシのある一つの人生。
あなたが、今、幸せであるにせよ、そうでないにせよ、それも「心々」。
「世間虚仮」
- 世の中、何が真実か知らないけど、自分が選択した道を信じるしかないんだろうなあと、
朦朧としたアタマで、そんなことをぼんやりと考える。
暖かいと、足腰が少し楽になる(ような気がする)。
最近、歩いているとき、
自分の今の状況なりがぼやけてくる、
そういう感覚に、ふと襲われるときがある。
一言でいうと、「トシだから」になるんでしょうかなあ。
実際、クリニックで、医者からそう言われることもある。
振り返れば、若いときから、身体によろしくない生活の連続だったからねぇ。
(遊んでいたわけじゃあありませんよ。)
歩くときに、一番それを感じさせられる。
歩くにも一生懸命にならないといけない。
はた目には、壊れかけのロボットの様に、ぎこちなく歩いている様に見えるだろう。
しかし、本人は一生懸命。視線は広域ではなく、足元または数メートル先。
そういうとき、上の感覚になる場合がある。
あれ? 何をしているんだろう? どこへ行こうとしているんだろう?
そう感じたときを比喩として例えれば、雲の上を歩いている感じ。
ふわふわと調子よくではなく、調子悪く。
勿論、雲の上を歩いたことはないけれど。。。
足元がおぼつかないため、身体が力んでしまう。
そして、何をしているのかがぼやける。
周囲の観察力が落ち、足が地についていないために、上の様な感覚を誘うのだろうと思う。
夢の中で、方向も目的も定かではなく歩いている感じにも似ている。
- うまく説明できないけど、言わんとするところは、おぼろげにでも分かってもらえるだろうか?
昔からの故事にある - 邯鄲の夢。
(邯鄲(かんたん)は、古代中国、戦国時代の趙の都)
一炊の夢、邯鄲の枕、黄粱の一炊、などと表現されることもある。
若干内容が違えども、言わんとするところは同じ。
栄枯盛衰のはかないことと解する人もいるが、単純に「人生は一炊のできごと」でよい。
夢から覚めた直後は、その夢を覚えている。余計なことを考えなければ。
家族の誰かにその話しをする。
夢の内容を口で伝えようとしても、陳腐な表現になり、本当に伝えたいことと違ってしまう。
断片的な夢の記憶を、わかってもらおうと言葉を足し、そして話すほどに、夢から遠ざかる。
夢が何だったのか、よく分からなくなる。
そういう経験は誰しもあると思う。
「邯鄲の夢」では、
夢から覚めて、(主人公の)廬生は、人生の全てを見たと告げるわけだが、それは本当に夢なのか?
廬生が、本当に言いたいことは何だったのか、
それは、栄枯盛衰や、人生のはかなさではない、のではないか?
ヒントは、郷里に戻った後の廬生の人生にあるはずだが、その話は(故事には)ない。
いや、そんなことはどうでも良い。
どんな夢を見、どう感じようが、その夢は、それがどうして夢だといえよう。
夢から覚めたと思っている、その今こそが夢ではないのか?
「豊饒の海」(三島由紀夫)四部作の最後、「天人五衰」。
死期を悟った本多繁邦が月修寺門跡(綾倉聡子)を訪ね、
60年前の、松枝清顕と聡子とのできごとを投げかけるが、門跡は初めて聞く話しだという。
門跡-「松江清顕さんという方は、お名をきいたこともありません。
そんなお方は、もともとあらしやらなかつたのと違ひますか」
本多-「それなら勲もゐなかつたことになる。ジン・ジャンもゐなかつたことになる。
…その上、ひよつとしたら、この私ですらも」
門跡は本多を見据え、「それも心々ですさかい」。
「この庭には何もない。記憶もなければ何もないところへ、自分は来てしまつたと本多は思つた。
庭は夏の日ざかりの日を浴びてしんとしてゐる…」
(「天人五衰」より抜粋)
門跡はいう。-「それも心々ですさかい」
そう、全ては「心々」。
それは輪廻転生をめぐる本多の夢。
そして、その夢は、本多にとっては現実。
これは、三島を忖度しているのではなく、ワタシが感じているワタシにとっての夢。
転生があるとして、
その転生する者にとって、この世の人生が夢ではないと誰が言えよう。
(上の)廬生の夢は、廬生の、ある世での人生。
ワタシがプアである(と感じている)のも、ワタシのある一つの人生。
あなたが、今、幸せであるにせよ、そうでないにせよ、それも「心々」。
「世間虚仮」
- 世の中、何が真実か知らないけど、自分が選択した道を信じるしかないんだろうなあと、
朦朧としたアタマで、そんなことをぼんやりと考える。
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