陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

プア5-(1) 天知る 地知る 我知る プア人生

2009-04-03 08:43:11 | Weblog
春らんまん。
家の桜は、とっくに散ってしまったが、世は満開。
寒い冬(昨今の冬はだいぶ暖かくなったが)の後の春は、縮こまった身体に有り難い。
不景気な時代にも、プアのところにも等しく訪れるのが良い。
また、春は、新しい息吹きを感じさせ、新年度に相応しい。
黄砂と共に汚染された空気が西から来るのは困ったことだけれど。

毎度のことだが、新年度になるとプアを脱する様にならないものかと考える。
春は、小学校にあがったときの子供なりのときめきや、社会に出たときの高揚感を想いださせる。
桜のせいだと思う。
しかし、それは一時で、アタマを抱えアクセクする季節が来ては過ぎてゆく。
いつまでたってもプアは相変わらず。
最後までこんな調子なんでしょうなぁ。

そんなことばかり考えても仕方がないから、何か気分を変えるものはないかと周りを探す。
けれど、そんなものはありはしない。
無いものねだり。
無い無いづくしのプア人生。

結局、その繰り返しで、五年、十年、六十年。
我ながら感心するね。
よくぞ飽きないでというか、いつまでもプアを続けられるもんだと。
継続は力なり、というが、すごい継続力+忍耐力。
生来、継続力や忍耐力には極めて縁遠いのだが、結果として、そういう面だけは結構いけるみたい。
と、言うか、要するにアホなんでしょうなぁ。
基本的なところが。

フトコロのプアもさることながら、アタマとココロのプアは、もう変えようがない。
変える意欲もなく、ただタナボタを待つのみ。
それじゃあ、変わる筈もないか。

「守株待兔」(しゅしゅたいと)-株を守りて兔を待つ(韓非子)
切り株にうさぎが衝突して死んだのに味をしめ、切り株の番をして暮らし、国中の笑いものになったという故事で、
タナボタと同じ。

しかし、その株で一度うさぎが死んだのなら、一万年後には同じことが起こるかも知れない。
じゃあ、一万年ぢっと待ってやろうかい。
国中の笑いものになったというが、笑う輩は、何を笑うのかね?
笑う輩は、うさぎを待つ者よりどれほど価値のある人生を送っているというんだね?
何が価値なのか知らないけど。
所詮、五十歩百歩じゃあないの。

なあんて、アホなことをひとりよがりで考えながら日が暮れる。
人間、すぐに自分を正当化するんだよね。
ワタシなんぞ、その典型。
何でも人のせい、国のせいにしてしまう。

ああ、天知る 地知る 我知る プア人生。
人は言う。 運命は人を変えるが、人は運命を変えられない、と。 
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1 コメント

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他力本願寺 (とおりすがり)
2009-04-08 22:40:13
おもしろいでつ。でもこのくにのおろかなたみをうつすかがみみたいな他力本願寺にみえまつ。ほんとおにしゃちょおさんやってるんでつか。おきゃくによまれてもだいじょおぶでつか。もっとじぶんでがんがれ。
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