陋巷にさまよう (野を拓く 第2部)

プアなわが道とこの世を嗤笑するブログ

六四、天安門事件

2009-06-13 17:00:53 | Weblog
天安門事件20周年ということで、先週から論評がさかん。
早いもので、もう20年になる。
年月のうつろいを痛感させられる。

現代中国の本質があぶり出された事件。
その後の経済成長で、問題の焦点がぼけてきている部分と、更に問題が深化している面があるが、
人民解放軍が人民に銃口を向けたこと、それが全てを物語っている。
一党独裁もさることながら、「権力」というものはすべからくそうだということが。

最近思うのは、中国人にとっては、一党独裁が向いているのではないか、という点。
「民主化」は耳に心地よいが、どうも中国にとって、あるいはこれからの世界にとって、
ホントウに目指すべき目標なのかどうか。
そんな20世紀の遺物の様なものを追うのではなく、
新しい価値観、新しい仕組みを追求すべきなんだろうけどね。

役人の腐敗がひどい?
しかし、それは中国では 4000年前から同じこと。
政権が変わっても、利権とたかりの構図は何も変わらない。
そして、権力は必ず腐敗する。
その帰着点(の一つ)が、天安門事件。
外から見ると、その腐敗は中国人民そのものに見える。
程度の差はあれ、日本も同じこと。
アジア全体が同じ社会構造。
一見、少しマシの様に見える国や社会は、その手口が巧妙になっているだけ。
今、問題になっているイギリスの政治家の利権構造だって、本質は同じ。
人間、いつになっても変わらない。
中国で「民主化」が実現されたとしても、本質は何も変わらない様に思える。
では、今のままでいいのか?
いいワケがない。

何だか、どうどうめぐりですのう。
何も分かっていないくせに、分かった様なことを言うなと叱られそう。


【蛇足】-よく分からないこと
今は、いや以前からなんだろうけど、天安門事件を六四とも表現する。
中国での表現を、日本でも用いる様になったのだと思う。
その日本語の読み方で、
上の場合の「六四」は、一般的に「ロクよん」と読むらしいけど、
五四運動の「五四」は、「ゴシ」と読む。
何故に「四」の読みが違うんだろうねぇ?
互いに関係がない分野であればともかく、上の六四と五四は、社会的な事件として対の様なもの。
読み方など、慣用・慣習だといえばそうなんだけど、
なんでだろう? ご存知の方がいたら教えて欲しい。

五四 → ゴシ=「音・音」読みで違和感なし
六四 → ロクシ=「音・音」でOK
六四 → ロクよん=「音・訓」となり、ん?
ロクが2文字だから、語調なり字数のバランス重視で、言い(読み)出しっぺが「よん」と読んだのか?
その日本人は、自分の読みを復唱してみなかったんだろうか?
あるいは、その後に使っている(発音している)者は、不自然さを感じないのだろうか?

読み方は、慣れてしまえば、そういうものだとなってしまうものだが、
慣用にまでいっていない場合は、重箱読みも、湯桶(ゆとう)読みも、やはりおかしい。
(この重箱読み等で、最近感じていることを後日に書く。)
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