天安門事件20周年ということで、先週から論評がさかん。
早いもので、もう20年になる。
年月のうつろいを痛感させられる。
現代中国の本質があぶり出された事件。
その後の経済成長で、問題の焦点がぼけてきている部分と、更に問題が深化している面があるが、
人民解放軍が人民に銃口を向けたこと、それが全てを物語っている。
一党独裁もさることながら、「権力」というものはすべからくそうだということが。
最近思うのは、中国人にとっては、一党独裁が向いているのではないか、という点。
「民主化」は耳に心地よいが、どうも中国にとって、あるいはこれからの世界にとって、
ホントウに目指すべき目標なのかどうか。
そんな20世紀の遺物の様なものを追うのではなく、
新しい価値観、新しい仕組みを追求すべきなんだろうけどね。
役人の腐敗がひどい?
しかし、それは中国では 4000年前から同じこと。
政権が変わっても、利権とたかりの構図は何も変わらない。
そして、権力は必ず腐敗する。
その帰着点(の一つ)が、天安門事件。
外から見ると、その腐敗は中国人民そのものに見える。
程度の差はあれ、日本も同じこと。
アジア全体が同じ社会構造。
一見、少しマシの様に見える国や社会は、その手口が巧妙になっているだけ。
今、問題になっているイギリスの政治家の利権構造だって、本質は同じ。
人間、いつになっても変わらない。
中国で「民主化」が実現されたとしても、本質は何も変わらない様に思える。
では、今のままでいいのか?
いいワケがない。
何だか、どうどうめぐりですのう。
何も分かっていないくせに、分かった様なことを言うなと叱られそう。
【蛇足】-よく分からないこと
今は、いや以前からなんだろうけど、天安門事件を六四とも表現する。
中国での表現を、日本でも用いる様になったのだと思う。
その日本語の読み方で、
上の場合の「六四」は、一般的に「ロクよん」と読むらしいけど、
五四運動の「五四」は、「ゴシ」と読む。
何故に「四」の読みが違うんだろうねぇ?
互いに関係がない分野であればともかく、上の六四と五四は、社会的な事件として対の様なもの。
読み方など、慣用・慣習だといえばそうなんだけど、
なんでだろう? ご存知の方がいたら教えて欲しい。
五四 → ゴシ=「音・音」読みで違和感なし
六四 → ロクシ=「音・音」でOK
六四 → ロクよん=「音・訓」となり、ん?
ロクが2文字だから、語調なり字数のバランス重視で、言い(読み)出しっぺが「よん」と読んだのか?
その日本人は、自分の読みを復唱してみなかったんだろうか?
あるいは、その後に使っている(発音している)者は、不自然さを感じないのだろうか?
読み方は、慣れてしまえば、そういうものだとなってしまうものだが、
慣用にまでいっていない場合は、重箱読みも、湯桶(ゆとう)読みも、やはりおかしい。
(この重箱読み等で、最近感じていることを後日に書く。)
早いもので、もう20年になる。
年月のうつろいを痛感させられる。
現代中国の本質があぶり出された事件。
その後の経済成長で、問題の焦点がぼけてきている部分と、更に問題が深化している面があるが、
人民解放軍が人民に銃口を向けたこと、それが全てを物語っている。
一党独裁もさることながら、「権力」というものはすべからくそうだということが。
最近思うのは、中国人にとっては、一党独裁が向いているのではないか、という点。
「民主化」は耳に心地よいが、どうも中国にとって、あるいはこれからの世界にとって、
ホントウに目指すべき目標なのかどうか。
そんな20世紀の遺物の様なものを追うのではなく、
新しい価値観、新しい仕組みを追求すべきなんだろうけどね。
役人の腐敗がひどい?
しかし、それは中国では 4000年前から同じこと。
政権が変わっても、利権とたかりの構図は何も変わらない。
そして、権力は必ず腐敗する。
その帰着点(の一つ)が、天安門事件。
外から見ると、その腐敗は中国人民そのものに見える。
程度の差はあれ、日本も同じこと。
アジア全体が同じ社会構造。
一見、少しマシの様に見える国や社会は、その手口が巧妙になっているだけ。
今、問題になっているイギリスの政治家の利権構造だって、本質は同じ。
人間、いつになっても変わらない。
中国で「民主化」が実現されたとしても、本質は何も変わらない様に思える。
では、今のままでいいのか?
いいワケがない。
何だか、どうどうめぐりですのう。
何も分かっていないくせに、分かった様なことを言うなと叱られそう。
【蛇足】-よく分からないこと
今は、いや以前からなんだろうけど、天安門事件を六四とも表現する。
中国での表現を、日本でも用いる様になったのだと思う。
その日本語の読み方で、
上の場合の「六四」は、一般的に「ロクよん」と読むらしいけど、
五四運動の「五四」は、「ゴシ」と読む。
何故に「四」の読みが違うんだろうねぇ?
互いに関係がない分野であればともかく、上の六四と五四は、社会的な事件として対の様なもの。
読み方など、慣用・慣習だといえばそうなんだけど、
なんでだろう? ご存知の方がいたら教えて欲しい。
五四 → ゴシ=「音・音」読みで違和感なし
六四 → ロクシ=「音・音」でOK
六四 → ロクよん=「音・訓」となり、ん?
ロクが2文字だから、語調なり字数のバランス重視で、言い(読み)出しっぺが「よん」と読んだのか?
その日本人は、自分の読みを復唱してみなかったんだろうか?
あるいは、その後に使っている(発音している)者は、不自然さを感じないのだろうか?
読み方は、慣れてしまえば、そういうものだとなってしまうものだが、
慣用にまでいっていない場合は、重箱読みも、湯桶(ゆとう)読みも、やはりおかしい。
(この重箱読み等で、最近感じていることを後日に書く。)
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