昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

新幹線、熊本。

2016-04-30 16:51:38 | ひとりごと

(今日の一枚・熊本行き)

大型連休の前半が始まって駅の構内は行き来する
旅行者で混雑をしている


やっと新大阪から熊本まで新幹線の直行が復活した...
案じてふるさとへ向かう人を乗せて熊本へ、熊本へ!


救援物資のおむつ。

2016-04-30 16:39:48 | ひとりごと

(今日の一枚・紙おむつ)

熊本の震災で何か少しでもお役にたつことはできないか
孫姫だったらきっと「紙おむつ」が必要だろうと
ふた駅はなれた大型ショップへ買い出しに出かけた

...

両手とリュックに詰め込めば三パックは持てると思ったが
一人、二パックまで限定販売ということだった
それでも確保できてほっとした!

まさかこの歳になって「紙おむつ」を買おうとは・・
初めてのお買い物は大成功だったので相棒に電話した
うれしくてミスタードーナツに寄ってコーヒーをして
ついでに写真をお願いしたらなぜか眼鏡をはずしていた
(おいおい、発送係の相棒が待ってるのに道草してる)

両手にこの「紙おむつ」を持って地下鉄に乗ったら
向かいのおばちゃんがしきりに荷物を見ていた
「この爺、紙おむつしてはる」と思ったのかもしれない

家で待機をしていた相棒とバトンタッチしてやれやれ!
おむつを待ってる赤ん坊とお母さんに早く届いてほしい
小さなことでも具体的に動かないと案ずるだけではだめ

やってみれば次の行動が生まれてくる
みんなの小さな一歩が大きな一歩になるよ

現地では救援物資の整理が追いつかないらしい
腰のヘルニアで重い物は持てないが軽作業ならできる
爺でも必要なら熊本へ行ってもいいと思っている
ピカピカ76歳、まだ役にたつよ。
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
相棒からの連絡 郵送
 明日20日の午後 下記送り先に届くそうだ

◆受付場所◆
株式会社Green prop 熊本地震救援物資受付係
〒818-0066 福岡県筑紫野市大字永岡1272-14

◆受付を行う物資◆
・飲料水(水に限らせて頂きます)
・カップ麺
・紙おむつ
・生理用品


誕生日前祝い?

2016-04-30 16:12:58 | ひとりごと

(今日の一枚・誕生日前祝い?)4月7日、FB投稿記録より

気疲れが続いているので
こんな時は、おいしいコーヒーでくつろごうと
近所のスタバへ寄った

顔なじみの中年の女性スタッフが
新商品ですが、いかがですか?
と持ってきてくれた

13日に発売されるそうだ
“その日は76歳の誕生日、喜寿になるんですよ”
と思わずしゃべったら
“えっ?ほんとですか!”と大げさに反応したので
両隣のお客さんがこっちを覗いた

あー恥ずかし!
その日は遠征にでかけるので
スタバさんからの前祝いにいただきます!
とお礼をいっていただいた
試食でもうれしいね。


おしらせ。

2015-07-03 18:02:14 | ひとりごと

「ブログ」から「フェイスブック」へ

のブログを閉刊して半年が過ぎた

楽しみに訪ねてくれていた人から

その後、どうしているのか?

と複数の問い合わせをいただいている

 

いつまでも忘れないでもらってうれしいやら

それにお応えしていないことに申し訳ないやら

複雑な心境だ

 

いまはフェイスブックに代えてこれまでのブログ同様に

ほぼ毎日のように投稿を続けている

顔の見えないブログもいろいろ連想する楽しみがあり

顔の見えるフェイスブックのは身近であることが楽しい

どちらにもそれぞれのよさがあっていい

当面はフェイスブックで続けてみたいと思っている

フェイスブックをお持ちの方なら声をかけていただければ

友達申請をさせていただきたい

よろしくお願いいたします。

    27年11月1日  山崎秀明


ブログ発刊記念日と閉刊日。

2015-05-03 23:29:52 | ひとりごと

このブログを書き始めたのが2007年5月3日

あれから今日でもう9年になった

思えばここまでよく続いたと思う

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20070503

 

当初は「東海道五十三次」歩きのスタートに合わせて

2007年4月14日に別のプロバイダー(FC2)で始めたが

しっくりこなくてこのgooblogに変更したために

東海道の初歩き(1回目)の記事はなくなってしまった

 

それから延々と書き続けて8年がたったが

ここ数年はすっかりマンネリになってしまった

この半年でアクセス数が一時の三分の一から

四分の一に激減したのもその表れだと思った

 

写真をあまり使わず個人的な話題を文字だけで

つづるブログは知り合い以外には興味のないこと

とっくに賞味期限が来ていると感じていた 

正直なところ止め時をいつも考えてきた

  

例え駄文であっても書くことには時間がいるし

書かなければならないという変な責任感があった

しかし、もう、ここらでいいだろうと思う

 

9年目を迎えてひとまず区切りをつけたいと思い

ほぼ毎日の書き込みはここでやめることに決めた

 

こんなに多くのご訪問をいただきありがとうございました

閲 覧 1,626,156 PV  
訪問者   444,432 IP  

お礼を申し上げます。

 

なお、私へご連絡をいただく場合は左の欄にあります

「メッセージを送る」よりお願い致します。

 

                                 2015.5.3  山 崎


後期高齢者。

2015-04-21 17:04:58 | ひとりごと

4月13日に75歳になって何が変わったか?

とりたてて何かがあるわけではないが

被保険者証が変わった

 

従来は被保険者証の前に「健康」が入っていたが

その「健康」が省かれて代わりに「医療」が入り

「後期高齢者医療被保険者証」となっている

 

今日初めて歯科医院で使った

院長さんから

”後期高齢者になられたんですね!”と

言われて返事に戸惑ったよ

 

” おかげさまで!” と言うべきか

” もう年ですわ!” と言うべきか

” 黙っておくべきか・・・・・ ”

一瞬反応が遅れて

”とうとうここまできました!と答えた

 

昨日から今日

金婚式のお祝メールが殺到してびっくりした

先日の後期高齢者になった誕生日祝よりさらに多くて

うれしいお礼書きに追われた

 

40数年前に同僚だったFさんからもお祝がきた

まったく記憶の外にあった人だが

Fさんはこちらのことをつかんでいたんだ

 

ネットに居場所をつくるということは

どこかでだれかに見られている

そのことを忘れてはいけない

 

おかげさんで目が疲れて今日はここらで・・・

そんな罰当たりなことを言ってはいけない!

お礼を申しあげたい。


頭も春仕立て。

2015-04-16 23:58:45 | ひとりごと

新しいランドセルに新しい帽子を買った

このペア?で似合うのかな

この種の帽子はおじさんの定番

でも似合う人とまったく似合わない人がいる

老けて見えるなあ

 

似合っているか似合っていないかわからないが

時々、女性がこっそりひとこと言ってくれる

男性の反応がないのは関心がないからなんだろう

 

髪を一番短かく借り上げると目立つ

電車で向かいの席からの反応でわかる

感じがいい短髪もあれば避けたい雰囲気の人もいる

 

だから帽子を愛用するようにしている

帽子ひとつで気分もかわる

 

先日の誕生会で丸坊主トリオがそろった

無理やりに・・・くっかれて嫌がられている?

気の毒に

56歳、57歳、75歳

これだけでは年齢はわからんね

輝き度も違う。 


いまになって。

2015-04-07 21:50:11 | ひとりごと

あと75の誕生日まで5日となった

その日を人生終盤のスタートの日にしたい

仕事場をサロンにして何か有効活用したい

 

ここを仕事場にして39年になった

ビルができて40年だから

もっとも古い人間であることは間違いない

 

人を迎えるのにはあまりに老朽化してしまったので

改装をしたいと思いながらなかなか踏ん切りがつかな

そこまで金をかけて10年も15年も使うつもりか?

年齢を考えれば5年がいいところ

いまのまま最少限の繕いがいいでいいのかもしれない

 

結論がでないままに3月、そしてここまで何もしないまま

親しい仲間を呼んで13日の75を迎えることになった

女性が来ても失礼がないようにトイレは全面的に変えたい

業者に見積もりをだしてもらうことになったが

工事まで10日間ほど時間をくれという

13日の誕生日にはもう間に合わない

 

ここ数日、気分がのらない

こんなことは滅多にないことだけど

天候不順で歩くこともできず

それもストレスになっているのかもしれない

カープが負け続けているから?

それもあるかも・・・まさか

 

つまらぬことを書いた

こんなことにコメントでもあったら最悪だから

ここまで。


青春の思い出。

2015-03-31 16:31:37 | ひとりごと

朝、ぶらりと近所の公園をひと歩きした

もう桜は満開だった

 

新大阪駅の構内を真新しいスーツに大きな荷物をもった

若者の集団をあちこちで見かけた
明日は入社式、新社会人としてスタートするために先輩に

引率されて大阪の会社へきたんだろう
毎年見受ける光景だが、はるか昔の自分と重なって懐かしい

52年前のあの日は西宮の寮の桜もほころび始めていた
入行式の答辞の練習を遅くまでやったことを覚えている
原稿と原文(控え)が二年前の改装の時に見つかった

抱いた夢や希望は重なる病との闘いでどどこへやら

長い挫折の人生を続けた
諦めるな、まじめに生きていけば、いいことがあると言い聞かせた
その人間が75歳になるのに現役を続けているのだからわからない

思うに挫折体験を持っている人はピンチに強い

ひとり(孤独)に強い

人にも強い

人生後年になってそのことがよくわかる

答辞を包んだ紙はぼろぼろだが青春の懐かしい思い出のお宝物だ
「夢よもう一度!」あのころの高き志の火を再び燃やしたい
新人さんと合宿が始まる、爺と孫世代の真剣勝負、これまた楽しい。

山崎 秀明さんの写真

あと13日になった。

2015-03-30 19:14:21 | ひとりごと

月初めにハードな合宿研修が始まるので

元気とはいえ歳は歳、ひととおり受診をして

万全の体調で臨みたい

 

土曜日にかかりつけの医院に行ったのに

「臨時休診」だったので

今朝、出直しで医院に行った

 

土曜日の担当医ではなくて初めての医師だったが

珍しく聴診器をあててあれこれ問診をしてくれた

いまのところ問題なしで一安心

 

4月からほとんどの医師が入れ換わるそうで

呼吸器科は++先生だからその先生の×曜日がいい

と丁寧に話してくれた

 

それを聞かなかったらいつもの土曜日に行くはず

専門外の医師から診察を受けるところだった

親切というか当たり前のことだが

カルテをきちんと見てそう言ってくれた

 

先に検査を終えて出てきた大柄なおじさんが

受付の女性に大きな声で

”あの先生は話しやすくてええわ”

と言っていた意味がわかった

 

75歳まであと13日になった

いろいろなことがあった74歳だったが

とにかく元気で誕生日を迎えたい。

 

きのうの黒田の1勝に

2日間限定の

Tシャツが発売された。

 


アンズの花。

2015-03-19 20:41:12 | ひとりごと

 ついついパソコンを覗いていると遊ばれてしまって目が疲れる

 こんな時はPCから逃れるに限ると街歩きにでかける

梅田周辺では大阪駅ビルの風の広場、天空の農園を隠れ場所にしている

時間がたっぷりあればシネマもよいし東急ハンズも気分転換になる

今日は雨上がりの天空の農園に行ってみたらアンズの花が咲いていた

ほとんど散ってしまってわずかに残った花にメジロが二羽飛んできて

忙しそうに蜜を吸っていた

ここはメジロも隠れ場所かもしれない

それにしても街中の高層ビルにどこから飛んできたのやら

21日から時空の広場はお花見広場に変身して春を楽しませるらしい

また足を運んできたい。


1ケ月。

2015-03-13 20:03:08 | ひとりごと

とりあえず?確定申告をすませた

今年は16日までだからとのんびり構えていたら

またまたぎりぎりになってしまった

 

医療費控除用の領収書を夫婦合わせると250枚を超えた

ここ数年ずっと続いている

それでも、この一年を生きてくることができたのだから

 

ほんまにありがたい

 

通院、リハビリに通い続けている相棒だが

早朝ウォーキングにボランティアで施設に通う

ミシンで何やら縫っては持って行ってる

 

現場は人手不足だからボランティアは貴重なはずだ

役にたっているのが楽しいのかもしれない

それが元気を引き出しているのだと思う

 

きのうまでの寒さはどこへやら

日中はコートなしで動くビジネスマンが目に付いた

もう暖かくなっていいころだろう

 

明日から福山、福岡と遠征が続く

道中、広島で途中下車するので慌ただしいが

車窓から春を楽しみたい

 

75歳の誕生日が1ケ月後に迫ってきた。


眼鏡も春仕様に。

2015-03-12 22:53:32 | ひとりごと

眼鏡のフレームが壊れてしまった

視力が悪いので眼鏡なしでは危なくてこまる

自宅に1年前まで使っていた眼鏡があるので

なんとか一時ですんだが階段の下りが恐ろしくて

みっともないけど手すりにさわりながら下りた

 

新しい眼鏡は思い切ってフレームを変えた

細いフレームが一般的になっているが

今度は大きめのに変えてみた

 

プロフィールの写真の眼鏡はもうない

今度のプロフィールは新しい眼鏡をかけて

デビューは75になってから。


東日本大震災から4年。

2015-03-11 18:09:49 | ひとりごと

東日本大震災から4度目の鎮魂の日がきた

午後2時46分、東北の方角に向かって

ひとり手を合わせ1分間の黙とうをした

 

とうとう一度も被災地を訪れることもなく

復興に何の手助けもできていないが

せめて今日は被災地を思い静かに過ごした

 

震災でどうしても忘れられない三人の子供がいる

あの子たちは、いま、どうしているのやら

毎年この日を迎えるたびに当時のブログを見る

 

僕の手で探すと

「父さん母さん、いまどこに」と紙に書いて

避難所を回っていた9歳(当時)の男の子のこと

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20110322

 

「もっこ」という竹かごに弁当を入れて

20軒の高齢者に一日三食を届けていた

宮古市の12歳と10歳(当時)の姉妹のこと

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20110418

 

あの子たちは、いま、どうしているやら

父さん母さんに会えたのか?

元気にすごしているだろうか?

幸せになってほしいと祈られずにはおられない。

 

あの日、この通行手形がゆらりゆらり揺れていた