昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

伊勢街道歩きはしばらく延期。

2011-03-14 20:07:54 | 伊勢本街道歩き
一緒に勉強をした大事な教え子たちが日ごろの交流に
活用しているネット上の掲示板にもお互いの安否情報
の書き込みが続いている

たった一人、福島県のメンバーの安否がわからない
元気でいてほしい


所属している全国規模のウォーキング関連SNSのブログを
覗いてみたら被災者へのお見舞いと恐ろしかった体験が次々
と書き込まれている

いつもの日曜、月曜日のブログは土日に歩いた記録が数多く
書き込まれるのだが、さすがのウォーカーたちもあの惨状の
現実を見れば悲しみをともにするのが礼儀と心得たのだろう
ウォーキングを自粛して書き込みはなかった

そしてある会員がこんなことを書き込んでいた

”当分の間、控えさせて頂きます ”

そこに書くことがつらい!ということなのか
個人的なことを書く時ではないということなのか・・・
日本人の人を思いやる優しい心を見たような気がした

わがW倶楽部も土日はウォーキング活動の書き込みで賑わう
掲示板なのに一件の書き込みもなかった
たぶん、声にならないのだろう・・・
13日の例会を中止したことをほっとしている


来月71歳の誕生日に伊勢神宮ゴールを目指し歩いているが
暖かくなってきたので伊勢街道へ戻る準備をしていたところ
しかし
被災地の様子をみながら自分の気持ちが許してくれるまで
当面、伊勢街道を行くことは延期することにした

別に伊勢街道や伊勢神宮がなくなることはない

海や里や山や豊かな自然を失った東北の人たちはそのすべて
を失ったのだから少しは辛抱しないと申し訳ない

ということで応援をしてくれている方には計画変更をここで
お知らせしておきたい

W倶楽部の活動再開はメンバーと相談して決めることにする

海外からも援助隊、弔意が寄せられているのだから
一人の日本人として何かで一歩踏み出さないと・・・
↓こんな姿を見たらのん気に歩いていると人の道を外すことになる
http://livedoor.2.blogimg.jp/stardom/imgs/6/7/671e275a.jpg

阪神淡路大震災の時、なにをしたか・・・

神戸湊川神社近くの知り合いの会社の半壊現場の手伝い
自宅で使っていた石油ストーブを避難場所へ届けた
水を沸かして入れられるだけの容器に詰め込んで運んでもらった
その水の確保と容器の確保も難しかった

今回はW倶楽部としてできること
個人でできること
小さな一歩から。

伊勢本街道行きは延期!

2011-02-10 19:15:33 | 伊勢本街道歩き
明日から三日間、伊勢本街道歩きを予定していたが

大阪も今夜から雪らしく全国的に天気は荒れるらしい


奈良県から三重県にすすむ伊勢本街道は雪と寒さとで

ウォーキングどころではないだろうと延期を決断した


もう「ウォーキング」前面の意識は持たないように

とにかく寒い時期は慎重に、慎重に身体と相談して

無理をしないようにブレーキだけはしっかりと!


大敵な冬場の高血圧の他に低体温の身体なので

あの手、この手、借りられるだけ借りてるが

なかなか改善がすすまなくて気になっている


でも、その気がかりがブレーキになっているので

マイナスばかりではないと言い聞かせている

さっ、今夜も生姜湯で温まろう!


お伊勢さん参りウォーク、天理から榛原まで完歩!

2011-01-08 23:40:03 | 伊勢本街道歩き
計画していた「お伊勢さん参りウォーク(3)」に行くか、延期するか、前夜、ギリギリまで思案したが、とにかく朝、目覚めた時の状態で決めようと準備だけはちゃんとして寝た。

年末から血圧の偏差値が上昇気味、とくに早朝が高いので無理はしないように、朝、気分良く目覚めるかどうかに賭けたが、すっきりと起きられたので血圧を測るより先にもう行く気になって、そのまま食事もせず7時に自宅を出た。

地下鉄、近鉄奈良線を乗り継いで大和西大寺へ、遷都1300年祭で賑わった最寄駅で天理線に乗り換え西の京では薬師寺の五重塔を車窓から眺めながら9時前に近鉄天理駅に着いた。電車を降りると冷たい!朝食代わりに駅前のミスタードーナツショップへ、ここで温かいコーヒー二杯にドーナツ二個で身体も温まった。30分遅れて9時半にスタート!




今日はお伊勢さん参り第三回目、コースは、天理市から三輪ソーメンで有名な桜井市、長谷寺を経由して奈良県宇陀市の近鉄名古屋線榛原駅に16時ゴールの予定。しかしいきなり30分遅れでスタート、どうなることやら。まあぼちぼちと朝は無理しないこと。



天理から桜井までは、伊勢本街道と山の辺の道がほぼ並行しており桜井市では一部、重なる部分がある。道中には大きな天皇陵や最近とくに話題になっている箸墓古墳をはじめたくさんの古墳群が点在するまさに古代ロマンの詰まった道を歩くのだから楽しみには事欠かない。

天理をスタートして狭い街道に古い屋並みが続く、空は徐々に晴れ上がり正面から日差しがまばゆく逆光のため写真が撮れずしばらくは記録ができなかった。



郊外へすすむと左手にすぐ低い山並みが続く、その下を山の辺の道が続いている、天理駅で下りたリュック姿の人たちはそこを歩いているに違いない。お世話をしているW倶楽部の3月例会はその山の辺を歩くことが決定している。



しばらくすすみ体が温まってきたころ、3年半前の9月に寄った見覚えのある「大和神社」の前にきた、喪中なので今日は鳥居をくぐらないことにしているのでパス。



さすがにこの季節、伊勢本街道を歩いている人はいない、ひとりおしゃべりをしながら歩き続けた。
街道の角で不思議なお堂が目に入った。

あれ!なんや? 

小さなお堂が太い一本の心柱の上に屋根が乗っているだけのお堂に「五智堂」と表示してあり傘堂とも呼ばれているそうだ、鎌倉時代のものらしく重要文化財に指定されている。ほんとに不思議なお堂でなぜこんな形のものを?



さらにすこし進んで左に入るとそこは「黒塚古墳」。3-4世紀の古墳らしく132メートルの前方後円墳、一角が公園になっており立派な資料館に出土品がたくさん展示してあった。所員の方に説明してもらった。池の中にある整備された古墳の頂上から周辺の景色が展望できた。





出土品の三角縁神獣鏡は、初期ヤマト政権のあり方や邪馬台国の所在論とも無関係ではないということで解明が待たれるとのことだった。

ふーん? 邪馬台国? 

もしかして、邪馬台国にいるのかなあ・・・ますますロマン、興味がつきない。

ついでに伊勢本街道から東へ足を延ばし169号線のすぐ東にある崇神天皇陵へ寄った、高い階段を上るとそこにきれいな陵があった。
思わず“わー きれいやな!”全長240メートル、美しい濠に囲まれた前方後円墳、崇神天皇は各地の勢力を平定して大和朝廷を確立した10代目天皇といわれている。



この天皇陵の東側が山の辺の道でまた3月に寄るかもしれない。ここから少し南へ行くと大和古墳群では最大の「景行天皇陵」があるが、そこへは寄らずにもとの街道へ引き返した。そういえば前回のコースに陵があった垂仁天皇が11代だから1代前の天皇が崇神天皇ということになる。天皇陵を訪ねるウォークもやってみたいね。

近くで大勢のおじいちゃん、おばあちゃんがゲートボールをしていたのでしばらく見物、まだ一度もやったことのないゲートボール、やってみるか?と聞かれたら“いや結構です!”でも、おばちゃんとお友達になれるかもしれないしなあ・・・。動機不純×。



古い軒並みの続く街道をどんどんすすむと生垣に「柿本人麿公屋敷跡」の石碑が見えた。あの有名な万葉歌人がここに住んでいたのか、山の辺を散策しながら歌を詠んでいたのだろうか・・・そういえば山の辺には歌碑がたくさんあるからなあ。



JR櫻井線、巻向駅周辺で行く道に迷った、それでもガードをくぐり、ミラー、階段・・・なんとか進んでいると若い男性と出会ったので確認したら、駅に引き返して別の道を進めば次の「箸墓古墳」に行けると教えてくれた、素直?に従ったが、結局、自分が進んでいた道に合流したのでなんのことやら、でも、とても親切に教えてくれてその出会いのほうがうれしかった。



田んぼに囲まれた「箸墓古墳」は日本書紀に登場し、卑弥呼の墓とも言われる古代の謎とロマンに包まれた古墳だ。東側を伊勢本街道の古い民家が続いている、そばを一周してみたかったが、広くて一部を歩いて街道へもどった。





ここで休憩、お腹がへったので黒豆パンを食べて、時計を見ると12時18分、予定より30分遅れている。桜井市の街中に入った。ここからの街道歩きには四苦八苦した。こだわらなければ簡単に行かれるのにやっぱり地図通りに行きたい、もう、三輪ソーメンを食べることは二の次。





わずかな距離の中、三人の男性と女子高生らしい女の子に聞いた、伊勢本街道を知る人は二人だけだったがみんな親切に教えてくれた。とくに洗車中の若い男性は手持ちの地図を見ながらとても丁寧に教えてくれて教え方にもいろいろあるなあと感心た。




道を確認するために声をかけた洗車中の若い男性が手持ちの地図を見ながら丁寧に教えてくれたのでお礼を言って行こうとしたら“お気をつけて!”と言ってくれた。

“お気をつけて!”

街道歩きをしていてこの言葉ほどうれしいことばはない。こちらが年寄りだから心配して言ってくれたのだろうか?それはどうであれ、そういう言葉がかけられる若者がすばらしいと思った。

やっと複雑な桜井市の中心部から山の辺の道と重なる街道へ入った。ここまで歩いてきて観光コース化し整備された山の辺の道に比べ、標識もなにもない旧道のままの伊勢本街道とがまったく違った自然な顔を見せてくれた。

その山の辺の道と伊勢本街道が合流したあたりが、「海石榴市跡」(つばいちあと)と言われた地域、最初に寄ったのが海石榴市跡の観音堂、ここも三年半ぶりに訪れた。



200メートルほどすすむと初瀬街道と呼ばれる165号線に出る、すぐそばを大坂へ流れている大和川が広がる、、「海石榴市」(つばいち)という古代に市場が開かれていたところ、ここから陸路、山の辺方面、初瀬から飛鳥方面、大坂方面からの道が集結、大和川の舟便で大坂からも便利で、物資や人の集散地として賑わい、伊勢・長谷詣でが盛んになるにつれて宿場町として栄えた。




また、この付近が、難波津(大坂)から大和川を遡ってきた船運の執着地で、大和朝廷と交渉を持つ国々の使節が発着する港としての役割も果たしたところ。



大坂から船で遣隋使の小野妹子もここに上たという。仏教伝来の地でもあるらしい。
説明板の一部から・・・【仏教伝来の地碑】
仏教伝来の地碑は日本書紀に、大意「欽明天皇13年(552年)の冬10月に百済(くだら)の聖明王(せいめいおう)という王様からの使いがきて、お釈迦様の金銅製仏像、一光三尊の阿弥陀仏、百済大仏、幡蓋(はたきぬがさ)幾つか、經論何巻かを献上した」と記されているのを根拠に建てられたものです。



ここからは伊勢本街道、別名初瀬街道は、コースの大半を車の往来の激しい道をすすむ、これまで街道歩きをしてきて、一番神経を使うのが車、端に寄って歩くのだが向こうに寄ってこられてはどうしょうもないから、スピードアップして逃げるようにすすむ、山と山とが迫る間の165号線と古い街道を交互にすすむ、南側の山の間をひんぱんに行く近鉄名古屋線の電車が鉄道ファンには楽しい。



道中の有名な白山神社や十二柱神社も今回はみんなパス、14時36分に西国三十三か所の長谷寺へ通ずる長谷門前町に入った。
ここに来たのは5年ぶり、門前町の通りも不思議なくらい人影が少ない、長谷寺は参拝しないので「いせ辻」の石碑があるところから峠に向かう。たまたま石碑のたつお店のおばさんと目があったのでしばらく話し込んだ、すぐ峠道に入るが初めての道なのでいろいろ教えてもらった。







きびしい「化粧坂」という急坂を呼吸を整えながら上りきると今度は下り、再び165号線へ下り車の騒音の激しい道をゴールの榛原をめざす。ゴール予定の16時をオーバーするかもしれないが、あわてずに、安全に、安全に、歩こうと言い聞かせて。





それでも西峠までずっと緩やかな上りが続き、最後はさすがに疲れてしまった。





榛原の町に入るとここも昔の街道の面影を残していた。間違えないようにスローウォーク、道端のベンチに座っていたおじいさんに話しかけたら面白い人、82歳、愛媛県出身、なかなか歴史に詳しいおじいさんに脱帽! “気をつけて”と声をかけてくれた。“ありがとう”






近鉄榛原駅にゴールしたのが16時28分、58分の大阪上本町行きの急行に乗ることにして駅前のミスタードーナツショップへ寄った、今日はスタート、ゴールをミスタードーナツショップで、カードを一日に二度も使ったのは初めて。駅で大勢のハイカーたちと一緒になった。






 約41,900歩。道探ししながらこの歩数、よく歩いた。



次回はいよいよ奈良県から三重県に入る、真冬になるが一歩一歩自分の歩きで行きたい。


第二回目お伊勢さん参りウォーク、南生駒から天理まで。

2010-12-01 23:11:11 | 伊勢本街道歩き
不覚にも風邪をひいて長引いたために11月の予定が延び延びになっていた
お伊勢さん参りウォークに出かけてきた




7時すぎに家を出て地下鉄、近鉄を乗り継いで前回ゴールの南生駒駅へ
8時50分に駅前から前回のコースの続き、竜田川に沿って近鉄線を渡る
と古い町、新興住宅街が続く、緩やかな坂道がだんだんと急な坂道になった

しばらく上っていくと楽しみにしていた足湯の建物が見えてきが準備中
もう湯気が上がったいたがオープンは10時、あと30分も待たないと入湯?入足?
できないので残念だがあきらめてすすむことにした



しかし、そこからの眺めは絶景、四方の山々の燃えるような見事な彩りに
うっとり、坂道からカメラを構える人が何人もいたのでカメラスポットなのか
前回、峠越え(暗峠)した大阪と奈良の境、生駒山もテレビ塔もきれいに見えた




ここからきつい坂道が延々と続く、それでも紅葉した木々に囲まれた峠越
えはむしろ日陰になって歩きやすくて落ち葉を踏みながら一人歩きも楽しい



突然、頭上から
”このあたりにごみを捨てると罰せられます”と聞こえてきた

えっ?
上を見ると鉄柱の先に放送?機が装置されていて下を歩くと反応するのだろう

”ごみなんか持ってへんよ!” と言い返したら

”あんたがごみや!” ・・・?


と、どこかから聞こえてきたような気がしてやばい!
ほっとけばいいのにこのじじい、すぐ反応してしまうからしっぺ返しをもらう

「みざる  いわざる  きかざる」!



峠越えをして下りにさしかかると古い建物が続く集落に出た
大阪方面と大和小売山方面への分かれ道、追分にやってきた
すばらしい眺め、この追分の角に古い大きな建物が保存されていた



奈良市指定の文化財「追分本陣村井家住宅」として保存してある
周辺にはいろいろな道標が立っているがもう文字が崩れて読めない



坂を下ると田園地帯と住宅街が交互に広がる・・・快晴の穏やかな収穫の
終えた田園の中を歩くのは気持がいい、空が青い、広い、そして高い・・・



途中、一か所で道を間違えたが通りがかった若い男性が丁寧に教えてく
れた説明の仕方、100点、ビジネスマンなら仕事ができる人だろう
自分のドジさは棚に上げて他人を評価的に見てしまう、反省!

奈良市内に入りしばらくすすむと前方はるかに霞んだ若草山が見えてきた
しばらくすると見覚えのある古墳、第11代天皇垂仁天皇陵が現れた
今年は5月と9月の2度も訪れているので今日で3度目になる



前半のゴールは興福寺・南円堂下で12時半の到着予定
今日のゴール近鉄天理駅で16時と決めているが
ほぼ予定通りの歩きでるんるん・・・

近鉄線を渡って三条通りを進んでいくとあっ朱雀門!
そう、平常宮跡のおなじみの朱雀門が見えてきた

奈良公園で弁当を食べるつもりにしていたレストランが
やたらと目に入り我慢ができなくて11時半、市役所近くの
うどん店に入り欲張りにもかつ天丼とうどんセット、食後の
コーヒーですっかり時間をとってしまった
それでも12時15分に猿沢池に着いた




ぐるり一周して興福寺境内にある三重塔、南円堂、北円堂を巡って





いつも来ているのだからよせばいいのに五重塔と東金堂を撮ろうと
して工事中横の中金堂跡の舞台に上がろうとして階段を一段飛ばした
ばかりにつまずいて思い切り前に手をついて倒れてしまった
その瞬間デジカメのカバーがとれ両手の指をすりむいてしまった

それでも執念、左手に持っていた買ったばかりのよもぎ餅は無事
右手のデジカメも直接コンクリに当たらないように両手の甲で
カバーしていた、でも二度目のドジ

そばにいた神戸から来たという紳士が心配して寄ってきてデジカメ
をなおしてくれた
70歳が78歳に助けてもらうとは、こちらが若いのに情けない
それにしてもあの人、品のいい人やなあ・・・
あんな雰囲気で歳を重ねていきたい、後ろ姿見ながらそう思った
”神戸のあこがれさん、ありがとう!”

左右の小指、薬指4本をすりむき血が流れたが別に後半の歩きに
影響はなかった



猿沢の池のベンチで買ったばかりのよもぎ餅を食べた
粒あんがあまくておいしい!




いつのまにか予定オーバーの13時30分、あわてて午後のスタートをした
伊勢街道はここから天理、桜井まで奈良県の中央部へ南下していく
ここからしばらくはおなじみの奈良町を伊勢街道は直進している



お天気はよし、寒くもなく、おばさんたちのグループがあちこちに目につく
奈良町はおばさん達が一番よく似合う町、一日でも退屈しないのでは・・・



お店や民家の軒先は赤い「身代わり猿」がつりさげてあってほほえましい
庚申堂へお参りして伊勢までの無事をお願いした
「みざる いわざる きかざる」さんにも、このじいさんの欠点なおしておくれ!



さあ、ここからは一気に天理まで歩こう!

一本道の伊勢街道の両側を古い屋並みの街道と田園風景が交互に続く
細い道なのに車の往来が激しい、その都度、道端によけなずらすすむ



右手にはるか生駒の連山が見える、手前にはJR奈良線が並行して走る
道をやわらかな師走のお天道さまのぬくもりがほかほかしてうれしい

学校帰りの小学生の一段とすれ違った、こんにちは!
背中のランドセルをずっと見送った、たくさん夢を詰めておくんだよ!
じいさんだってリュックサックにたくさん夢が入っているんだからな!

有名な安産祈願の帯解寺に寄った、うっかり朱印貼を持ってくるのを忘れてた
それで何をお祈りしたの? 



同じような景色の続く街道が天理市に入るまで続いた
やたらとお地蔵さんが目についた、それに常夜灯も多くみかけた

お伊勢さん参りの人達のために地元の人達がつくったものなのだろう
旅の安全を昼夜問わず手を合わせて祈ってくださるお地蔵さんありがとう
旅の人の足元を照らし続けた常夜灯さんありがとう!



熊野古道を歩いていた時に道端や山道でお地蔵さんの多さに驚いた
そのとき初めて自分が守られて歩いていることに気がついた
天下の公道ではない、先人が命を賭けて歩いた魂の足跡を歩かせてもらう
伊勢街道も同じこと、人々は観光で歩いたのではないことを教えられた



天理市内に入ると街頭の木々の下で落ち葉をほうきではいている人の姿
が目に付いた、天理教の人達なのだろう、落ち葉の時期、毎日大変だ

天理の町はいつ来ても気持がいいほどきれい、雰囲気も素敵で大好きだ
子供の頃、田舎の自宅周辺をほうきで掃除していたことを思い出した
亡き父や母、祖父母がはき掃除をしていたので自然にやっていたのだが
そんなことを思い出させる優しさのある天理に次回、再びくるのが楽しみだ

ゴールの近鉄天理駅に着いたら16時9分、予定を9分だけオーバー
駅で帰りの京都行急行を待つ間、おなかがすいたのでベンチでうっかり
にもリュックに入れていた友人に買ったよもぎ餅二個を食べてしまった
まあいいか、だれも見ていないんだから・・・

車窓から生駒山に落ちていく夕陽を撮っていたら二十歳くらいの女の子と
目が合った、うまく撮れました?と声をかけてきた

うん、撮れたよ!きれいだね!

女の子の顔に夕陽が染まっているようでかわいかった
あー、とてもいい師走の一日だった

西大寺で三宮行き急行に乗り換えて戻ったきた。



お伊勢さん参りに出発!

2010-10-16 22:49:38 | 伊勢本街道歩き


いよいよお伊勢さん参りに出発した
午前9時半、伊勢街道の西の出発点
大阪市の玉造稲荷神社にお参りして

ご朱印を書いてもらい



通行手形の伊勢参宮札をそろえて
記念写真を撮ってもらった



いざ、スタート

ゴールは2011年4月13日
71歳の誕生日に伊勢神宮に到着!
これを8日で完歩する予定をたてた

初日は大阪市中央区の玉造稲荷神社から
奈良県生駒市の南生駒まで
後半に大阪と奈良の境、暗峠越えがある

スタートしてしばらくは先週10日の
大阪ウォーク2010で歩いたコースと同じ
天気はいいしよいスタートになった

コースは市街地になっているので道は複雑
詳細な街道の地図はないので簡単ではない
集められるだけの資料を参考にしてすすむ

大阪市から後半に控える生駒山を追うように
東大阪市に入り右往左往しながら歩いたが
予定していた時間をだんだんとオーバーする

それでも道々、秋祭りのダンジリに遭遇して
まつり気分を満喫して気分転換になった



コースからは離れるが梅で有名な枚岡神社まで足を
のばして遅い弁当を食べた

後半の難コース、生駒山超えする暗峠の上り道は
そこまですでにかなり歩いていたのできつかった
途中で休憩したとき、頼りにしていた地図を忘れた




大阪と奈良の境、暗峠は何度も行っているので
地図がなくても困ることはなかった
茶店でコーヒー飲んで20分のんびりした

下りは楽だった
日が山に隠れ曇ってきたのでうす暗くなった坂道を
近鉄南生駒駅へ無事に歩いた



ゴール予定は16時だったが17時15分になった
デジカメのバッテリーが切れて電気屋を探したり
道探しに意外と時間がかかったり休憩も多く取った
のでこんなもんだろう

歩数 約41,000歩 2,172カロリー

それにしても初回で地図を忘れるとは
熊野古道の最初とまったく同じ展開になって
ほんまにアホや!