11日の大震災以降、暗い、重い、何もできない苛立ち
さえ覚えながら、新聞記事の張り合わせをすることに
とどまって一歩を踏み出せない日々を送ってきた
新聞をめくっても大震災の悲惨な記事のオンパレード
が続いてきたが、そんな中で唯一待ち遠しい思いで
読んでいた記事がひとつあった
今月3日にも書いているが、建築家の安藤忠雄さんの
「私の履歴書」、日経新聞を定期購読をして30数年
になるが、こんなに感動的に読んだ履歴書は少ない
こんなに勇気をもらった履歴書はない
ほんとうに読み応えのある内容だった
学歴も背景もなかった安藤さんが東大やアメリカの大学
で教授をし、文化勲章まで受章されるに至ったのはなぜ
だろうかと、そんな思いで読み始めたが、期待を遥かに
こえるものだった、おそらく、安藤さんは設計に向かう
時と同じような強い意志と熱意で打ち込まれた内容だと
感じた
驚いたのは毎日の連載記事の原稿が用意されていたもの
ではなかったこと、それは途中で起きた今回の大震災の
ことにも触れる記事がかなりあったからわかった
何がよかったのか、とてもまとめきれないので割愛する
が最終回の本日号に次のようなことが書かれていた・・
・・・・・
今回の震災も含めて日本人が過去にこういう時こそ一人
ひとりが自分に何ができるかを自らに問わねばならない。
日本人は歴史上二度の軌跡を起こした。
(明治維新で幕藩体制から一気に国家をつくった、戦後の
軌跡の復興を指している)
そして今再び軌跡を起こし、何としても日本を復活させな
ければならない。・・・
それには「人間性を育む教育を行い、自分なりの価値観を
もつ自立した個人をつくり、家族や地域への愛情をもった
日本人の国民性を回復しなければ、未来は見えてこない。
・・・・・・
安藤さんは、もしかしたら東北の被災地の復興にすでに
プランを持っているに違いないと思った
今日で被災地は21回目の夜を迎えている
あれだけの東北の被災地も日々に変化している
あれだけの想像を絶する地獄絵図となった被災地も日々に
テレビの画面から変化が見えてくる
避難所の子どもたちが
自分たちができることを考え
自分たちで進んで動いている
いつのまにか笑顔が包んでいる
何もかも無くして
明日がまったく見えないのに
生きていること喜んでいるように
避難所での卒業式
架設住宅も建ってきた
たった21日目なのにもう立ちあがって歩き始めている
人の善意にばかりすがっていては先が見えない
悲しんでいるひまがないんだろう
卒業生がランドセルを母校に寄贈、陸前高田市米崎小学校 菅原優樹さん
自分に置き換えてみるとあの日から何が変化したか
どんな一歩を踏み出したか
周囲も何もかわっていないなあ
安藤さんと比較しては失礼だが
ブログを書き続けて四年近くになるが
だれかのためになっているのか
どんな意味があるのか
誰か待っている人がいると感じたことがあるか
やっぱり甘いなあ
昨日、悲しい連絡があった
避難地から被災した地域の様子を把握するため帰った
知り合いからの信じられないメールを送ってきた
親しくしていた市のウォーキング団体の会長夫妻が
行方不明になっていたという
奥さんには昨年10月の奈良国際スリーデーウォーク
で会話を交わしながら楽しく歩いたことがあるだけに
なんとも痛ましい知らせだった
いつ、なにがあるかわからないと言いながら「明日」
が約束されているかのように錯覚していることを気付
かされた
今日で3月が終わる
明日から4月、新社会人の一歩が始まる
あさってはその人たちと出会いがある。
天皇、皇后さまが東京武道館の避難所へ
手作り壁新聞「号外」を発行 石巻日日 近江さん