昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

自分を少年に戻してくれた人。

2008-01-31 21:37:51 | 輝いて生きる
還暦を過ぎ
敬老会メンバーに
組み込まれ

そのことに
抵抗していた自分を
心身?ともに少年に戻してくれた
恩人に久しぶりに会ってきた

木村政雄さんだ!

自分の人生はまだ まだ・・・
このままで終わりたくないと
木村さんの大人の小学校に入って
いろいろ教えていただいた

ただ一人、ランドセル通学をしていたので
ランドセル少年という名前までもらった。
(昨日の日記の通り)

年齢的にいえば
人生の終盤にさしかかっていた自分に
その時から
脱年齢
広く大きく生きていく
明るい発想と
勇気と元気をいただいている。

自分にとって
いま身近に感ずる
心から尊敬できる
すばらしい人だ。


なによりも
そばで感ずる
雰囲気が気に入っている。

今週の土曜日
その小学校時代?の同期で
年間目標をパフォーマンス発表する新年会に
出張でお出でいただけないので
メンバーに励ましのメッセージをお願いしたら
なんとわれわれが作成した
「自分との約束シート」に
同じようにご自分の昨年の反省と
今年の目標を記入してくださった。

同じ目線で

いつも
謙虚に
真摯に
そして
真剣に!

接していただくのがうれしい。

また教えられた。

さあ
七歳のランドセル少年に戻る日は二日後だ。

★大人の小学校に関心のある人はお尋ねください。

7歳の少年に戻る日。

2008-01-30 23:26:26 | 輝いて生きる
今朝、クリーニング店に
学生服を出してきた。

受付の女性が
けげんそうな顔して
裏表をみながら

こことここに穴があいていますが・・?

ああ、そうです!
時々しかきませんから・・
そのまま洗ってもらって結構です!

?隣で待っていた女性も不思議そうな
顔していた・・・ほんまに古くて・・

その学生服
18年も前に息子が
使い終えた
古くて
時間の匂いが染みついたものだ。

その役を終えた学生服が
二年半ほど前に
現役に復活して
いまは親父の制服になっているのだから
面白い。


大人の小学校へ入学したとき
なにの間違いだったのか
その学生服を着て
古いランドセルを背負って
通ったのがやみつき。

卒業後も
行事のあるときは
いつも
その恰好で出席している。

みんなも期待しているし
自分もそうすることで
気持ちをリフレッシュできて
すっかり気に入っている。

この土曜日に
その学生服を着て
もちろんランドセル背負って

黒の半ズボンはいて
さっそうと
同期の新年会に行ってくる。

日程がずれて二月になるが
今年で三年、三回目の新年会

自分の今年の目標を
「自分との約束シート」に書いて
舞台に立って発表するのだ。
もちろん
前年の報告もしなければならない。


ただ酒を飲むだけの
新年会ならごめんだが
小学生はそんなことはしないで
自分と真剣勝負をする日にしている。

舞台に上がって
思いきり
パフォーマンス&プレゼンテーションをする。

その晴れの日を控えて
参加者は
今頃、秘策を練っているころだろう。


67歳から7歳の少年に戻る日が
近づいてきた!

わくわくしている。

うれしい昔の仲間と再会!

2008-01-29 23:36:28 | 交流
朝、九時半ころ
地下鉄の二つ目の駅で
乗り込んできた人が
どこか、だれかに
似ているような気がしたが
きのうのパソコンのことが
頭の中を支配していて
すぐ目を閉じて発車を待った

動き出してしばらくして
自分の名前を呼ぶ声に
目をあけると
あっ、Mさん!
思わず名前が出た!
さっきの人だった。

Mさん
昔、サラリーマン時代に務めていた
会社の元同僚だ。

こちらは病で早く退社
あちらは役員にまでなって
数年前に退職したという。

会社時代は
部門が違ったし
Mさんは営業のエリートで
全国展開の組織づくりで活躍していた。

タイプも違うし
話しかけたり
かけられたりしたことはなかった。

ところが
退社し、年月が立ち
お互いにそれなりの年齢になって

たまに
なにかの折りに
出会ったりすると
妙にいい感じで挨拶してくれるMさんに
好感をもっようになっていた。

今日は
多分、10年ぶりくらいだろうか
Mさんの落ち着いて風格のあるいでたちに
立派になっているなあ・・
自分との違いを感じた。

そのMさんが
なんとなんと(口癖だからご勘弁を)
第二の人生を会社経営していて
自分のビルの二つ隣のビルの八階に
オフィスがあるという。

一度、昼でも一緒にしましょう”
と、別れ際に言ってくれた。

その一言が
心から嬉しく
とても気持ちがよかった。

自分の企業人生活は
転職ありの二社で勤務。

それも体の問題で短くて
とくに最初の職場では
振り返るのも嫌なくらい暗く
いい思い出がなかったので

それだけに二つ目の職場では
死に物狂いで働いたし
認められたのか
経営者のそばで大半を務めるという
いい経験をさせてもらった。

いまの仕事の原点は
すべてそこにあると言って
差支えない。

Mさんとはその会社の同僚だった。

自分も頑張ったということもあるが
いまでも
昔の仲間との付き合いがあるし
いまなお大好きな会社だし
自分を育ててくれた恩義もある。

しかし
そんな中でもMさんとの接点はなかったが
そんなことは関係なし。

やっぱり、そういう会社だったんだ!
と、いまになって気がついた。

いろいろな出会いがあるが
晩年になって
もう、なにの役にも立たない自分に
電車に中を寄って来て
声をかけてくれて
誘ってくれる
うれしいじゃないか!

声をかけてもらってうれしかった!
と、Mさんに自然に口に出たのも
不思議な気がした。

パソコンの不調でいらいらした数日が
これで帳消し!

いつ、Mさんと昼を一緒するか
早いとこやろう!

ウイルスにやられた!

2008-01-28 22:28:18 | ひとりごと
やっとインターネットが
つながった!

先週金曜日の夕刻から
今日月曜日の19時過ぎまで
パソコンのインターネットは
不通状態が続いていた。

金曜日の午後
マイクロソフトからの
メルマガをなにげなく見ていたら
ウイルスバスター2008の
無料バーションアップのお知らせがあった。

毎度のことなので(といっても年一度)
いつものように
手順どおり作業していたら
二度ほどストップして
ハテ?
しかし、三度目でインストールが完了したので
中身の設定をしょうとしたら

なんとなんと(これ 口癖)
インターネットが切れている
何度、接続を試みてもつながらない。

設定をチェックしても
基本の配線もなにも問題なし

念のため一週間前の状態に
システムを修復しても
つながらない。

ない知恵と
ない技術を駆使?して
どうやらハードデイバイスとやらに
問題があるらしいことがわかったが
自分ができる精一杯の対応をしてみても
だめ!つながらない。

土曜日も半日はかかりきりで
あの手この手
猫の手・・・は借りなかったが
・・・・
どうしてもつながらない。

急ぎのメール
大事なメールがきていないか
それが心配でなんとかしないと
と焦るばかり。

昨日の日曜日は
ウォーキング倶楽部の来月例会の下見に
琵琶湖行きを予定していたが急きょ取りやめて

以前、自宅で使っていた
古いハードディスクを
地下鉄で運んで
接続したらチャンとつながったので
基本的なことは問題なしと確認ができた。

念のためその昔のディスクの
ウイルスバスターを2008に
バージョンアップしたら
これもちゃんとアップができた。

ところが
なんとなんと!(他に言い方はないんかいな口癖)
インターネットの接続が切れた!

ありゃー!(これ、一応、悲鳴)

ところがパスワードを再入力すると
ちゃんと接続できる
あれ?
どうなってるの?

三度同じことをやって
やっと接続が安定した。

ここのOSは「XP」

不通のほうは「VISTA」
ひょつとしてパスタークンとビスタちゃんの
仲が悪いのかも・・・

これは自分の手には負えないし
時間を無駄にしてはならない
お金はかかっても
助っ人にお願いしたほうがいいと判断。

事務所のビルで
IT関係の仕事をしている人に
SOSを発信したら夕方かけつけてくれ
あれこれやってもやはりだめ。

マイクロソフトに何度も電話をしてくれ
どうやら2007が完全に
アンインストールできていなくて
不都合が発生しているとのことで
指示通りに
2007も2008も削除して
もう一歩というところで
まだあかん!

明日、マイクロさんから
再度、電話をもらうことで
解決は、まだ、しばらくとなったが

やっぱりなんとかしたくて
何度もユーザー名とパスワードを
書き換えては接続を試みていたら

なんとなんと(これしか言うことないんかいな?)
つながった!

恐る恐る、一度切って
再・接・続

つながった!

バンザーイ!

まずメールを確認

次に
おそルえそるバスター2008を
インストールした!

ところが
なんとなんと(何度目や)
今度は
メールが作動しなくなった!

おいおい

ほんまに”怒るでー!”

それも修復作業で
なんとか復旧させたが
まだ安心はできない。

手伝ってくれた人も言っていた
2007から2008へアップしたとき
やっぱり不都合があったそうな。

とにかく解決できて
ほつとした。
熱意はウイルスをもやっつける!

それにしてもヘルプさんに行くと
詳しいことは、こちらに接続して
調べろという案内ばかり

アホー!
接続できていないから聞いてるのに
こんな対応があるか!

平気でこういう対応をしている
一見賢い頭脳集団だが
ごく基本的なことが
わかっていない。
・・・・これくらいにして

こんなアホ丸出しの日記を
よう辛抱してここまで読まれたお人さん

”気いつけなはれや”

わたしゃ、ウイルスにかかったような
三日間でしたわ。

多分
あれ、うるさいランドセルの姿が見えん
東海道のどこかで
地蔵さんにでもなっているのかと
思われていた人がいた・・・いないやろけど

そういう事情で
雲隠れさせられていた。

たかが
パソコンだが

こいつがウイルスにかかって寝込むと
その影響は以外に大きい。

それでも土日であったので
さしたる影響もなくて
ほっとしている。

思えば
携帯電話とパソコンに
すっかり自分の生活を
支配されているんだ。

山陰で勉強会&ウォーキング指導員デビュー?!

2008-01-24 22:08:14 | 輝いて生きる
二日間、凍てつく寒さの山陰で
20余名のみなさんと勉強をしてきた


今朝はホテルを出ると
いきなり歓迎?の吹雪
あれじゃカサは役立たず

参加者の中には某大学病院の管理職にある看護師さん
が8名も参加。

ウォーキングを教えてほしいとの要望で
急きょ、会議室はウオーキング教室に

本来のプログラムはそっちのけで
実演付きのウォーキング指導員になった。

その大学病院の看護師さん
なんと仕事場で1日に
1万歩も歩いているそうだ。

激務と聞いている職種たが
それにしてもすごい!

ゲゲゲの鬼太郎水木しげるさんの
境港で
いつかウォーキングをしょうと
約束してわかれてきた。

寒さにはまいったが
・・・膝が痛む・・
気持の触れあう二日間だった。


組織のそれなりの立場の人たちの
勉強会のプログラムに
ウォーキングを入れる構想を
持っているので
いいヒントにもなった。



ご褒美、ご褒美うれしいな!

2008-01-22 15:31:52 | ひとりごと
今年、はじめてご褒美が出た!

先日、買ったご褒美のウオーキングシューズは
去年の東海道の歩きに対してだが

今度は
二日前の新ウォーキング倶楽部の立ち上げに
対してだ。

年末から
ご褒美リスト?に入れていた
CD、しかも一気に三枚


モーツアルトの
「フルートとハープのための協奏曲」

もともと持っていたこの曲のCDが
どこに隠れたのか見つからなくて
一番にほしかった曲。

二枚目は
グリーグの
「ペールギュント」

この曲の出だし「朝」が大好き
持っているのだが傷が入ったのか
音が悪くなったので二代目として。

三枚目は完璧な衝動買い。
ベートーベンの
「田園」

仕事場にはCDはあるが
自宅に常駐させる二枚目として。

三枚も買えたのは
いわゆる安物のCDだからのこと。

コンサートではないのだから
それなりの音が聞こえて
それなりの期間
相手をしてくれたらそれで結構。

仕事場と自宅とで
持ってきたり持ち帰ったり
いつのまにか
なにが
どこへ
入り込んだのやら
わからなくなって

また

まさかのところから
ご無沙汰CDが出てくるかもしれないが。

さて
次のご褒美リストはなんだったか?

ひとりご褒美遊びも悪くない。

新ウォーキング倶楽部の立ち上げ!

2008-01-21 18:43:39 | ウォーキング

全国的な寒波に襲われた昨日
大阪はこの冬一番の寒さ
それにあいにくの雨模様

午後から雪になるという予報の中を
らくらく健康ウォーキング楽歩倶楽部の
第1回例会日

昨年12月まで6年間
例会を72回も開催してきた倶楽部を譲って
ずっと思い続けてきた
「健康」をテーマにした
新ウォーキング倶楽部を立ち上げた

正月にあわててHPに作成し
1月4日(半月前)に募集を宣言したばかり

はたして
どれだけの人が来てくれるのやら
楽しみと不安とで
集合場所の大阪市役所正面玄関へ急いだ


地下鉄から淀屋橋を急いで渡っていると
あっ、一人来ている!
かけよって握手!
待たせてごめんなさい!
yさんだった

そして
9時半の集合時間までに
なんと
まったく知らない
7つの顔が
大阪市役所の正面玄関前にそろった




この寒いのに
よく来てくださいました!と
まずお礼と自己紹介をした

続いて一人ずつ自己紹介をしてもらって
ウオーキング歴を聞いた

ウォーキング経験のない人から
ぼちぼち組
それなりに歩ける人・・・

半数は初心者に近い人で
倶楽部の目的に合った
メンバー構成だ

寒波の中を
記念すべき倶楽部の第一歩を
踏み出した

第1回目だから
大阪の顔、市役所から中之島公園を経て
大川沿いに上り
源八橋を渡って
今度は大川沿いに下り
もう一つの大阪の顔
大阪城を一周して
京阪電車天満橋駅に至る
約10キロのコース

まず
おなじみ赤レンガ中央公会堂前は
中之島を代表する近代建築。
大正七年(1918)


通称ライオン橋の渡辺橋
大阪生まれの大阪人が初めて来たと言っていた


天神橋を通過。ここで、ストレッチ

天満橋を遊歩道でくぐりぬけて

斜張橋の美しい川崎橋を通過
鳥達も寒そう




大川をひっきりなしに水上バスの
アクアライナーが上り下りしている
水都大阪の川めぐり周遊コースは大人気
ビジネスの足としても利用されている



川沿いは、ずっと冬の桜並木
ここは両岸ともに大阪有数の桜の名所だ
ウォーキングを楽しんでいる人が
多いのには驚く

土のコースなので
ウォーキングには最適!

桜の通り抜けでおなじみの
造幣局前を通過し
工事中の通称銀橋の桜宮橋をくぐり
大阪市内最古の洋風建築といわれている
重要文化財の泉布館
そしてとなりに
ギリシャ風建築の重要文化財
旧桜宮公会堂前を通過

あっ!なんだ?
ここで不思議な船が
川を上ってくるのを発見!




なんと最近話題の
水陸両用の車&船だ
人も乗っている。
向い岸に上陸するまでを
しっかり観察




さらに大川に沿って上り
源八橋をわたって反対側の
桜之宮公園へ。
今度は大川沿いに下って歩く

途中でミニウオーキング教室開催!?

「正しい歩き方」の実習

まず、よくない歩き方といい歩き方を実演

なぜ靴の片方が減るのか?
どんな靴がいいのが質問があった
まっすぐな道を正しい歩き方の実習

そうしながら歩いていると
寒さも感じなくなる
人の少ない大川沿いを
会話しながらのスローウォークで
あっという間に親しくなった

次に目指すは大阪城
寝屋川上の寝屋川橋から
京橋方面、OBPを望む。
ここも好きなカメラスポット




京橋口から西へ
外堀の乾櫓をみながらすすむ
ここも大好きなスポット
乾櫓は1620年に創建された城内最古の
建築物で重要文化財




大阪府庁前を歩いて
大阪城大手門から城内へ入る
正面が大手門。
重要文化財で
1628年に創建、その後落雷を受け
現在のものは
1848年に補修されたもの




多門櫓。大手門を入るとすぐ
わが国の多門様式の櫓の中では最大のもので
重要文化財
大手門と同じように
1628年に創建、その後落雷を受け
1848年に補修された。



昼時になったので食堂へ
雨を予想して弁当を持参しないように
連絡をしていたので
みんなでテーブルを囲んで
おいしい昼食
やっぱり麺類、丼に限る!

こんな寒い日でも
大阪城は観光客が多い
ただ、言葉の多くは
日本語ではない
外に出ると
とうとう雨が降ってきた
レインコートや傘で雨対策して

秀吉や秀頼、秀長を祀っている
豊国神社の横を通り
玉造口から1000本もあるという
梅林を通り
(このあたり大阪国際女子マラソンのコース)
大阪城の北門、青屋門前を歩いて
極楽橋前に
ここも撮影スポット
元旦にも来たので20日ぶりだ



夕日(西日)に大阪城が一番映えるスポット
ここも大好きな場所。
大阪城観光コースの中から外れているため
ここに来る人は少ない



大阪城をぐるり一周して再び大阪城京橋口へ
京阪天満橋駅をゴールにしていたが
時間も早いし
みんなの足の状態を確認したが
異常はなし
まだまだ
余力あり
歩いてもよい!という返事があったので

さらに今橋、北浜を通って
淀屋橋駅上まで
雨の中をウオーキング!

ゴールの淀屋橋角の店で
コーヒータイム
くつろいで話が弾む
すっかり仲間になっていた

倶楽部の趣旨もきちんと説明して
理解をしてもらったと思う

約19,000歩 13キロ。

2時過ぎに次回の再会を約束して
解散した

いいメンバーといいスタートになった

自分ひとりから
スタートすると宣言して
わずか15日、半月で
このようにきちんと
開催ができてほっとした

なにごとも
人を頼ることなく
まず
ひとりで始める

実は今回
数人の応援組がいたのだが
やっぱり一人にこだわりたくて
昨夜
失礼を省みず
急遽、お断りした

まず一歩
自分が踏み出さないと
前にすすまない
自分の人生ウオーキングが
実証できた

今年のキャッチフレーズ
”チャレンジするから面白い”

ほんまに面白くなった!

夜になって
yさんからメールがきた

一日のことを報告をしたら
家族が大変喜んでくれたという
メールだった

疲れが吹っ飛んだ
聞いた自分もうれしい
ありがとう!

次回がますます楽しみだ。

(写真の掲載は全員に了解済み)


久しぶりの再会、経営者の卵たち。

2008-01-20 19:08:04 | 輝いて生きる
金、土曜日の二日間
二カ月ぶりに
若い経営者の
卵たちと勉強をした。

スタートは
過ごしてきた
年末から年頭の報告を
現経営者のコメントとサインつきで
所定の様式にまとめ
あの手
この手をつかって
プレゼンテーション

仲間からの
するどいつっこみ
採点
最初から真剣勝負だ。

読んだ本15冊のうち
七冊をA4サイズに
まとめて配布するもの

早起き時間を表に
まとめてきたたもの

毎日記入している
四行日記を見せるもの

使っているむK式メソッド手帳を
見せるもの

設定した営業飛び込み件数が
達成できなくてたたかれるもの

年長先輩社員を指導していくことに
苦慮しながらミーティングを導入し
運営に努力している話

・・・・

ごく普通のサラリーマンなら
仕事外の楽しさをいっぱいに
味わえる年代なのに

これも宿命か
とても彼らに
遊んでいる時間はない。

いずれ後継していく彼らには
厳しい修行が続くが

「耐える」

と言い切る若者の顔に
意外と清々しいを感ずるのは
覚悟しているからか。


関西以外のメンバーなので
夜は、希望するミナミを法善寺から
道頓堀を案内し
テッチリで腹ごしらえをして
二次会へ。

最終の地下鉄でホテルへ。

二日目
今年にかける気持ちを
キャッチフレーズにして
三分間スピーチ。

これには
自分も参戦!

夕方五時まで
びっしりと勉強して

次回までの
実践目標を用紙にまとめ
お互いに約束して
ふるさとへ帰って行った。



わずかな期間なのに
どんどん変身をみせる
若き経営者の卵たちに
大いに刺激され
エネルギーをもらった。


そうそう、昼の休憩時間に歩き方を
外で指導してやった!

一歩早く
フットワークよく
軽快に歩く姿こそ
リーダーシップだ!

鎮魂の13年目、そしてわが家。

2008-01-17 16:19:54 | ひとりごと
もう、13年目になるのか・・・
阪神淡路大震災

今日のような寒い日だった
下から突き上げられるような揺れに
蒲団の中から動くことができなかった。

兵庫県に隣接する市のわが家(マンション)は
棚の物が落ちた程度ですんだが
あの恐怖の一瞬は忘れられない。

あの日の前日16日の夜
二日前のセンター試験に失敗した息子と
進路について深夜遅くまで話し合い
受験校を変更することにした。

翌17日に
学校の見学と願書取りに行く約束をして
寝たのはもう17日の二時か三時頃だったと思う。

願書は締切り数日前に
郵便で手にしたが
試験会場は大阪になり
近隣の大学なのに
一度も見たこともないままに受験。

受かったその学校も
高校で進学指導のベテランだった兄が
もったいないことをするなと反対したのに
もし・・・また?
という恐怖もあったりして

親子共々に考えたこともなかった
東京で学生生活を送ることになった息子は
そのまま東京にいついて13年目。

父さん子だった息子も
卒業したら戻ってくるということで
4年間が待ち遠しくて
親父から息子へのはがき通信を書き続けた。
(これが読売新聞から取材、掲載された)

もう、一緒に歩くことも
生活することも
かなわないことだが
毎年、鎮魂の日がくるたびに
わが家のあの日が
思い出されて
複雑な心境になる。

でも永遠に一緒に歩けなくなった
多くの親子さんたちに比べたら
幸せなものだ。

年末まで主宰していたウォーキングクラブでは
毎年、1月例会は「震災モニュメントウォーク」を
行ってきた。
随分と多くの慰霊碑を訪ねてきた。

3年前には、半年かけてメンバーが折り続けた
6433羽の折鶴を東遊園地の慰霊碑に持っていった。
(当時聞いた亡くなった人の人数分)
http://www.human-dy.com/shinsai.walk.17.1.16.html

すっかりおなじみになった
はるかのひまわりの活動も続けている。

あの日
隣の大阪におりながら
なにの役にもたたなかった
悔いがあったからだが

これは自分がヒロシマの高校時代に
やっていた活動につながっていること

ノーモア ヒロシマ!
ノーモウ コウベ!

今日は東京で
息子もあの日のこと

あの日から今日までのこと
思い出していることだろう。

震災さえなければ
いつも一緒に生活できたのに

息子の部屋は親父の部屋になっているが
本箱はあの年の息子の部屋のままだ。

その後も続く震災、自然災害・・・
どこかで、だれかが自分の身代りになって
いると思うと祈らずにはおられない。

極めて個人的な17日の話になったが・・

6434の御霊に祈りを捧げます!

東海道五十三次ウォーキング⑨(鳴海-知立)

2008-01-15 20:19:29 | ウォーキング
成人の日、東海道五十三次ウォークに行ってきた。
名古屋市緑区の鳴海宿(有松)から知立市の知立宿まで。

今回も青春18切符を利用して
先週と同じ新大阪駅7時21分の新快速で
米原乗り換え名古屋へ。

名鉄名古屋線に乗り換えて前回ゴールした
名古屋市緑区の鳴海宿の名鉄有松駅で下車。


駅頭に立って寒い!
快晴だがなにしろ風が強くて
有松絞りののぼりも舞っている。

買ったばかりのシューズのデビューと
ひざの回復状態を確認するという
重大な任務?を背負って・・・
10時30分、スタート!
予定は知立宿、駅は新安城駅まで。

先週に続いて有松の雰囲気のある街道は続く


有松絞りは今年で400年だそうだ。


古い屋並みを通り一号線に合流
しばらくすすむと最初の楽しみは
あの桶狭間の合戦跡を訪ねること。

跡地は国道1号線から少し入っただけの
きれいに整備された公園になっていた。

小さな公園だが、とても読めないほど古い
石碑が何本も立っていた。
訪ねてくる人も後を絶たない。


すぐ近くの高徳院には
今川義元の本陣跡もあった。


再び、一号線に戻り少しすすむと名鉄のガードをくぐると
ここは中京競馬場前駅の近く、こんな看板が立っていた。


途中、豊明市で
道路を挟んで左右に一里塚のある
阿野一里塚に出会った
これは徳川家康が命じて両側に
築かせたのだそうだ。


車のひっきりなしに通るそうぞうしい一号線から
左へ入るとコンクリート工場の間を足もとの悪い
歩道のないゆるやかな上り道が続く。
上りきると境川にかかる境橋に行き着く。
この境橋は、かって尾張と三河の境だったらしい。

食事のできそうな店は見当たらないので
境川の土手でおやつ用に名古屋駅で買ったメロンパンと
アンパンのうちメロンパンは遭難時の非常食用に残して
アンパンを食べようとリュックをさわっていると
強い風に地図が飛ばされて
なんとなんと!土手の下へ飛ばされてしまった。

しまった!

もし、川の中へ飛ばされたら万事窮す・・・
地図なしでは遭難する・・・
必死でこわごわ、土手を伝いおりしてなんとか
地図を取り戻した。

ふーっ!

寒いので立ち止まって食べる気にならなくて
橋の上を食べながら渡っていく

向こう側がこれからすすむ三河の国。昔は、真ん中より
西側が板橋、東側が土橋だったそうだ。


橋を渡り終えて前方をみると・・・
また、なんとなんと!
ラーメン屋、うどん屋が見えてきた!
しまった!といいながら
この寒さ、温かいものを食べたくて
ラーメン屋へ。

うま屋ラーメンという店で
チャーシューラーメン700円なり
あー、あんパン&ラーメンの豪華な昼食になった。


体も温まり元気も出てきた。
豊明市から刈谷市へと寒風の中を
ニューシューズを試しながらゆっくり歩き
なんとか足にフィットしてきた。

あっという間に刈谷市を通り越す。


小さな春が・・・


知立市に入って逢妻橋では
通行証明書代わりの写真を撮ってもらおうと
じっと人を待って夫婦づれのウォーカーに
無事に撮ってもらった。
気をつけて!とうれしい言葉をもらった。


了運寺の前の黒板に


知立の町に入って知立城跡によってみる。
桶狭間の戦いで落城したがその後再建されたが
元禄12年の大地震で倒壊したのだそうだ。


知立城跡の公園で休憩。
今日の最終コースの確認。
足も窮屈になり始めたので
松並木の残っている街道で切り上げることにした。
最寄駅は「名鉄牛田駅」

メロンパンをおやつにして
もう食料はなし。

ここらから知立宿の中心だったらしいが
いまはまったくその面影はない。
問屋場跡をすぎ商店街にある道標を撮っていると
お店の奥から男性が名刺をもって声をかけてきた。
この商店街の理事長さんというその方としばし話し込んだ。

本陣跡の整備ができていないのでなんとかしたいと
言っていたがほんとうになんとかしてほしい。
(本陣跡は貯水槽になっていてその横に石碑が立っている)
こちらでは、「チリュウ」を「知立」というより「池鯉鮒」と
書くらしい。
奥に明治天皇行在所聖蹟の碑がある。


午後から曇ってきて風も強く
気温も上がらない道をさらにすすんでいく・・・
あれこれと考えているうちに
大事なポイントを通り越してしまってがっかり。

しかし、前方に知立の松並木が見えてきたので
元気を盛り返す・・・


思わず
おーすごい!
見事な街道の松並木だった。

500メートルの間に
170本の松がほぼ等間隔に残っている。
その見事さに感動した。



なんでも伊勢湾台風でこのあたり松並木は
70%が倒されたという。

あの台風の爪め跡は、こんなところまで
あったのだとここでも驚く。

この街道の最後のところで、
少し、休憩していると向かいのコンビニから
大きな荷物を背負った人が出てきたので
渡って来るのを待って声をかけた。

鹿児島から青森の恐山まで三年かけて歩いて
郷里の富山へ帰る道中だという
75歳の元気なおじいさんだ。

お金を盗まれて70円しかなく
今朝から何も食べていなくて
明日(年金が入る)まで食べられないと言う。

今夜、どこに泊まられますか?と聞いたら、
橋の下で野宿すると言う。
慣れているとのことだがこの寒さ。

小銭入れにあった硬貨を全部あげた。
それなりの額があったので夕食は、なんとかなったと思うが・・

ただ、悔やまれていることは、その人が
今日は、何も食べていないと言いながら
コンビニから出てきたのを見ていたので
一瞬でも、疑いの心をもったことだ。

道中、お寺や神社、とくに道端のお地蔵さんには
お賽銭を心がけている。

熊野古道でもずっとそうしてきた。
こちらが気がつかないで前を通っていても
そっと自分の無事を祈ってくれているからだ。

去っていくおじいさんの後ろ姿みてあっお地蔵さん!

あの人は、自分を守ってくれる生きたお地蔵さんだった!

なぜ、心からのお賽銭を渡さなかったのか
ほんとうに恥かしかった。


今日、郵便局で年金を受け取って
自分が歩いてきた東海道を元気にふるさとの
富山をめざして歩いていることだろう。
ご無事で!

後ろ姿を撮った生きたお地蔵さんの写真は
大事にしよう。
また、ひとつ勉強をした。 

気を取り直して
早い暮れの雰囲気が迫ってきた街道を
すすんでいるといつのまにか
来迎寺の一里塚にきた。

予定の牛田駅を通り過ぎて
朝、予定していた新安城に向かっている

15時45分なのでこのまま新安城へ行くと
16時半くらいか・・・

曇っているし
写真がきれいに撮れないので
手前の牛田駅へ引返えすことにして
戻りかけたとき
大根の取り入れを終えたらしい
おばあさんと目があった。

よせばいいのに
また声をかけたら

そのおばあさん
なかなかの口達者な人で
帰り道に牛田駅を通るので
車で送るという。

車で?

おばあさんが?

そうですよ。
女が男を乗せるのはよくないかもしれませんが・・
という。

わずかな距離だからと
断ったが疲れているだろうと
熱心に言ってくれるので
生涯の思い出にすると言って乗せてもらった。

なんと昭和一桁生まれというおばあさん
なかなか運転もうまい!
あっという間の距離だが
楽しい出会いだった。

地下通路を通って
二つ目の階段を上がるようにと
言われたが
まさにその通りで無駄なく
ホームへ。


名古屋駅17時30分の新快速で米原へ
そこで乗り換えて新大阪へは
20時過ぎに戻ってきた。

いろいろな出会い、
まだ、ここには書いていない
どっきり話あり

いやー、疲れた。

ご褒美ウォーキングシューズとお初天神参り。

2008-01-13 18:17:27 | 健康
終日、木枯らしの吹きさらす休日だった

昼すぎ、淀屋橋のミズノ本店二階の
ウォーキング売り場に行ってきた。

今年は東海道五十三次も二年目に入る
そして今月
新しく発足させる
らくらくら健康ウォーキング楽歩倶楽部も
スタートする月。

事故のないように
いい歩きができるように
足にやさしく
歩きやすいシューズを
買うことにした。

これは、去年、東海道を予定通り歩いた
ご褒美、今年1号だ!

これまでのシューズもミズノ製で
とても歩きやすくて
しまなみ海道も熊野古道も
ここまで東海道も
ほとんどお伴をしてくれた
しかし
もう、そろそろ、出番回数を
減らしてやらないとかわいそう・・・

その後継者?後継くつも
ミズノ製にこだわってみた。

今のシューズはもう売られていないし
デザインもずいぶんと変わっているので
売場の人にいろいろ相談して

色も茶系にして
東海道を歩いてくれる新しい相棒の
シューズを買ってきた。

それにリュックも
五年も使っていて色焼けしたので
もう賞味期限切れ
新しいのを買った。

二つを大きな袋に入れて

今度は
次の日曜日の
らくらく健康ウォーキングクラブ
スタートの大阪市役所前へ。


そこから歩いて
今度はお初天神へ。

お初&徳兵衛の曽根崎心中の舞台になった
正式には「露天神」
しかし、お初天神というほうが有名だ。


近松門左衛門作「曽根崎心中」より

元禄十六年四月七日、堂島新地天満屋の
遊女「お初」と内本町平野屋の手代「徳兵衛」が
この「天神の森」で情死する事件が起こった。
これを近松門左衛門が「曽根崎心中」として劇化し
一躍有名になった。


以後、人々は「お初天神」と呼ぶようになった。
恋に殉じた二人を慰霊する「曽根崎心中 お初
徳兵衛 ゆかりの地」という石碑が立っている。


曽根崎商店街を歩いて大阪駅からJRで
新大阪へ戻ってきた。


明日は
東海道五十三次シリーズ9回目
前回ゴールの名古屋市緑区の鳴海宿(有松)から
知立市の知立宿まで
約10キロを

買ったばかりの
新しいシューズで初歩きしてくる。

うまくこのご主人さまになじんでくれたらいいが・・

明日も寒いらしい
名古屋は最低気温が-になるとか。
いい歩きをしてこよう。

世代が違うから自分の存在が見えてくる!

2008-01-12 21:58:04 | 交流
きのうの夜
大阪・曽根崎のY塾のメンバーが
経営している店の二階で
塾のOB・Y会の有志による
新年会が開催され
誘われて出席した。

20数名のY会の中でもとくに熱心で
会の活動にも積極的に参加している
顔なじみのメンバーが集まっていた。

経営者に自営者、ビジネスマンにOL、医師も歯科医、
教師も役人も、コンサル、料理、農業・・・
男女、年齢も仕事、立場もバラバラ。

こんな色とりどりの会は
ちょっと珍しい。

ただ、言えることは
自分の名前で堂々と
世の中を懸命に生きている
熱き人間ばかり。

目指す目標や
大きな志をもって
チャレンジしている者ばかりだから
勢いがある。

一人ひとり、順番に話し出すと
新年らしく今年にかける話もあるが
多くは
いまチャレンジしていることの
生の話。
内容を用紙に書き込んで配る者もいる。

だから真に迫って伝わってくる。
思わず拍手、拍手・・・の連続。

やっぱりチャレンジしている人間は
情報を持っている
人脈を持っている。

そりゃ、自分を高めるために
高い自己投資をして
Y塾で学んだた連中ばかりだから・・・

そんな中にいると
ついつい自分もしゃべってしまう
・・・・
すっかり元気をもらった。

Y会の人たちと接していて
いつも思うのは

自分がなぜ
ここに誘われたのか?
ここにいるのか?
ということ。

同じ世代の人は
みな引退して

幸か不幸か
普段、接することは皆無に等しい。

そういう意味では
自分にとって
この会は
自分を刺激してくれるところ。

そして
自分を必要としてくれているところ。

つまり、自分の居所があるところだ。

同じ世代の中にいると
安心で気楽なところはいいだろうが
刺激はないだろう。

違う世代の中に入って見ると
戸惑うことも多いが
違いがはっきりと見えてきて

自分の存在する意義とか
役割みたいなものがわかる。

その違いを
いかに価値にすることができるかどうか
それが問われているのかなあ
と思ったりする。

それに世代の違う人たちから
もらう様々な情報は
好奇心を沸きたててくれて
脳の活性化にもなる。


解散のあと
自分の隠れ家へ
同期の者を連れていった。

”顔だしてもらうだけでいい
それだけで自分たちは安心なんです”
と言われた。

へえー!?
顔だけでええのか!!

ことばじゃなくて
どんな生き方をしているか
その姿をみてもらえたら
それでいい
自分もいつもそう思っている。

30代から40代の頃
経営者やビジネスマンの協会で
ボランティア事務局長を10年やった。

その時、尊敬する年配の経営者に

”来ていただくだけで
皆さんが安心してくださるので
よろしくお願いいたします!”

といつも言っていたことを思い出す。

レベルはまるで違うが
自分がその立場に
なったということか・・・

順番なんだなあとつくづく思う。

まだ、賞味期限が
切れていないということかもしれないが
とどまることなく
常に新鮮に
常に前向きに

一歩一歩・・・人生ウォーキングを
楽しんで行こう。

きれいごとになったかもしれないが
まあ、いいじゃないか!

商売繁盛!十日戎。

2008-01-09 21:42:13 | 輝いて生きる
昨日のことだが
友人と忘年会の約束をしていたので
梅田へ出かけた。

・・忘年会?新年会の間違いでは?
間違ってはいない。自分の足の故障のために
年末にできなかったから、ちよっと遅れの忘年会。
新年会は春の頃になるか?

先に紀伊国屋書店に寄りたかったので
阪急三番街へ向かっていたら

”商売繁盛笹もってこい! ”

というかわゆい声が聞こえるではないか ?

人だかりのほうへ行ってみると
なんと二日早い
十日戎をしていた?

つくられた舞台の上に
阪急沿線の七戎神社の福娘さんが
勢ぞろいして
小さな笹をサービスしているではないか・・・

せっかくだからと
長い行列にならんで貰ったきた。

ことしはええことあるで!

ということで
今年は節約してもらった笹で我慢
十日戎には行かないことにした。


実はここだけの話だけど
生まれて67年
十日戎には行ったことがない。

関西では、1月10日、前日の9日と11日は
商売繁盛の「きらびやかな笹」をもった人の姿を
どこでも見かける。
電車の中も笹持つ人が目立つくらいだ。

そして店や会社に飾っている。

ちょっと調べてみると
毎年1月10日を十日戎といい
この日を本戎、前日を宵戎、
翌日を残り福と言うらしい。

「七福神」の一人で、
釣り竿と鯛を両手に持ってほほえんでいる戎さんは
漁業の神、商売繁盛の神、福の神として
親しまれている。

枝先に縁起物を飾った「笹」を売るのだが
その「笹」を売るときのかけ声が、
かの有名な「商売繁盛、笹もってこい」なのだ。

戎さんは全国的に有名だが
十日戎というのは東京の人には馴染みが薄いらしく
西日本の行事のようだ。

東京にはエビス神社が30社もないそうだが
兵庫県や京都府は200社以上
広島県に至っては400社を超えるそうだ。

へえー、私のふるさとにそんなにあったのか!?

最も賑やかなのが大阪の今宮神社の十日戎。
宵戎、戎、残り戎の3日間で訪れる人は100万人と言う。





年賀状の総決算。

2008-01-08 23:39:41 | ひとりごと
今年もたくさんの賀状をいただいた。
きょう、その整理をした。

1枚1枚を
整理しながら
よくぞ自分のことを忘れないで
くださったものだと感謝でいっぱい。

あの人からきていない・・・
どうしたんだろう???

お互いの消息を確かめる
1年に1度の定期便としての
賀状の役割もある。

60歳までは
無条件に年齢×10枚のはがきを買った。
さして、その枚数の賀状を書くことを
自分の務めとした。
60歳×10枚=600枚。

そして、それ相応の賀状をいただいた。

還暦を区切りにして
お付き合いや儀礼的な年賀はやめて
だんだんと少なくなり
ことしは300枚。
貰ったが賀状に返礼をして
結局は370余枚。

仕事関係は
虚礼廃止(勝手に不義理のすすめ)で
出さないことにしている。

いただいた賀状の中身にも興味があるが
なんといっても
どの層の年代の人から
どれだけの賀状をいただいたか
それが毎年の関心事だ。

人生の折り返し年齢の40歳
自分の子供の年齢に置き換えても40歳が
人生の折り返し地点に懸命に生きている
エネルギッシュな人たち世代。

それは時代の新しい流れをつくる
刺激をしてくれる年代だ。

正確な年齢がわかるわけでもないが
今年は
40歳までの人からいただいた賀状が
42%
それ以上が58%。

あー、いただいた賀状も高齢化だ!

それでも
42%の若き人に相手にしてもらえるのは
うれしいことだ。

もちろん
熟年の元気ある賀状も
たのもしくてうれしい。

若い時は、自分より年上の人から
どれだけの賀状がいただけるか
いつも関心があった。

今年
自分より年上の人からの賀状は
兄を除けば
東京の先輩からの一枚だけ

その年齢に自分が達していることを
しみじみと感ずる。

ちなみに、これまて
4種類の賀状を作成してきたが
今年から
手抜きをして3種類。



お届した人は
自分の賀状を
どう思って見てくださっているのだろうか・・

たった1枚の賀状から
さまざまな思いが通い合う

その整理には力が入る。


初詣、初ウォーク!東海道五十三次ウォーキング⑧(宮-鳴海)

2008-01-05 23:29:58 | 東海道五十三次
今年の初詣は
「熱田さん」で!
と決めていたので
元旦からどこの神社にも
初詣に行かなかった。

足の状態もよくなってきたので
足の復活の祈願と
東海道五十三次の再開とで
名古屋まで遠征してきた。


この時期
もちろん青春18切符
昨日金銭ショップで手配できたので
往復2500円の格安旅行。
(現地の私鉄プラス)

ただし、遠いぞ・・・

新大阪→京都→米原 JR西日本新快速
米原乗り換え 
米原→大垣→岐阜→名古屋 JR東海特別快速(この区間座れず)

名古屋から名鉄名古屋線で神宮前下車

初めての熱田神宮
大変な初詣の人、人、人・・・。
人の流れでちゃんと神宮へ連れていかれた。

ここでまず母のこと、家族のこと、自分のこと・・
賽銭の中身には厚かましいほどの祈願をして
母のお守りを買うのにまたひと苦労。


幸い、神社から
東海道五十三次のスタート「宮宿」が
近いところにあるので
そちらへ移動。

前回の桑名で
七里の渡し跡でゴールをしたが
昔の旅人は
桑名の七里の渡しと
こちら宮の渡しとの間を
七里の船旅をして
行き来したのだ。


その宮の渡し跡の公園で
気になる人がいたので声をかけて
撮影を頼んだことから
しばし楽しい会話が続いた。

1月4日となっているのは単純なミスで5日。

その人に
”物好きな人ですね”
と何度も言われて???

”自分でもそう思っていますが人から言われたのは初めてです”
というたら、自分もそうだと笑っていた。

物好きな人に物好きな人と言われたのだから
これ本物や!

映画会社の人で
かなりの人らしいということは
想像できたが時間がないので
失礼した。

戻ってきて
貰った名刺でインターネット検索をして
びっくりした。

いまは、名古屋のM座にきていると言っていたが。

この人のことは、また、別に日に。


宮の七里の渡しを11時ちょうどにスタート
今日は、足に無理をさせられないので
最短の区間だけにして
次の鳴海まで。

もし
状態がよければ
鳴海の少し先の有松まで。

時間かあれば
桶狭間の合戦跡までと
下調べは用意して歩いてみた。

歩いていなかったので
筋肉痛はずっとあったが
スローウォークを心がけたので
痛んだ膝の部分は大丈夫だった。

鳴海宿は町が開発されていて
みるべきものはほとんどなかったが

笠寺の一里塚、名古屋市に残っているたった一つの一里塚。

有松は
逆に
昔の面影が保存され
濃く残っていていい雰囲気だった。


桶狭間には自重して行かなかったが
満足の初ウォークができて
ほっとしている。

午後六時過ぎに事務所へ戻ってこられたので
さほどの疲れもなかった。

そうそう
昼食は
ずっと歩きながら探し続けた

「味噌煮込みうどん」
それもデラックスと豪華版!
980円、おいしくて身体も温まった。


今日のまとめは、少しずつしていこう。