昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

まだ、いけるぞ、現役!

2007-09-30 16:46:19 | 輝いて生きる
二日間、中堅ビジネスマンと勉強をしてきた。

与えられた二日間、九時から五時まで
ほとんど立ちづめで通したが
今回は、体調にもまったく、問題なく
責任を果たすことができてほっとしている。

67歳と間もなく6ケ月
まだ、現役で舞台にたてることに感謝だ。



なによりも
じじいの部類に入る人間にチャンスを与えてくれた企業と
楽しく一緒に勉強してくれた若者たちにも感謝だ。

初日の夜、外で懇親会形式の食事をしたあと
帰ろうとした自分に、ぜひ、二次会へつきあってほしいと
誘ってくれた。

もちろん、大好きな二次会、はい喜んで!
洋酒BARで公式の時間ではできない
裸の話し合いができた。
こういう場で心の交流をしておくと
次の日がスムースに行くものだが
今回もその通りだった。

夢は夜開く・・・どっかで聞いたセリフだが

心は夜開く

あんなに他の参加者を心配させていた一人が
夜の延長戦に参加することで
すっかり心を開いて近づいてきた。

他の連中も”○○さんが二日間で一番変わった!”と
最後のひとことで話してくれた。

喜んで両手で握手をしてきた彼の手を
思い切り握り返してやった。

学びの心が、共有できれぱ
人は変わる。

また、いい経験の場をもらった。

自分の一番好きな仕事で

自分が一番輝ける幸せ

どこまでやれるか

まだまだ、やれるぞ!

また、勇気と自信をもらった。

「ウォーキング熱加速」

2007-09-27 13:03:59 | ウォーキング
昨日の朝日新聞大阪本社発行夕刊の一面トップ記事に
「ウォーキング熱加速」と大きく取り上げられていた。


まったくその通りだと思う、最近、とくに実感する。
休日には、ウォーキングで郊外に出かけることが多いが
利用する電車はリュックを背負った中高年の男女でいっぱいだ。

7年前にウォークーキングを始めた頃は
電車にリュック姿で乗るのが恥ずかしかったくらいで
自分のまわりでも関心を持っている人などいなかった。

内閣府の06年に実施した「体力・スポーツに関する世論調査」は
ウォーキングが「今後行ってみたい運動」の第一位(45%)という。

人気の秘密は、肥満や生活習慣病を防ぐ有酸素運動の中でも
負担が少ないことかららしい。

確かに、いつでも、どこでも、年齢に関係なく、簡単に始められる
手軽なスポーツであることは、間違いない。

日本ウォーキング協会が各地で主催しているウォークイベントにも
10年前の2.5倍、年間200万人も参加しているそうだ。

横ばいのスポーツ用品市場でも、ウォーキングシューズだけは
出荷数が前年比11.6%増にもなっているということだ。

今月末に開催されるウォーキングイベント尾道市から今治市をむすぶ
「瀬戸内しまなみ海道スリーデーマーチ」も年々参加者が増えていて
今回も事前申込者が2851人、前年より25%を上回っているという。

実は、このコース、2年前に一人で歩いたことがあるが
6つの島を7つの大橋で渡り歩きながら、瀬戸内の景観が楽しめる
安全で安心、快適ですばらしいコースだった。

最近は、テレビや雑誌の影響で
若い女性の間でも注目度が高まっているというから
中高年のウォーキングから若者世代にまで広がりそうでだ。

1年前まで数年間、厚労省関連の仕事に携わったことがあるが
そこでも「健康日本21」というテーマで、生活習慣病対策に
ウォーキングのすすめがプログラムの中にあった。


わが主宰しているウォーキングクラブのHPがウォーキングサイトに
リンクされて以来、アクセス数もどんどん増え参加申込もある。
http://www.human-dy.com/walking.club.html

ちなみにこのブログでも、ウォーキングの話題を書き込むと
アクセス数が多く、必ず、コメントもいただいている。

還暦になって始めたウォーキング歴も7年になるが
歩くという単純なことが、こんなに楽しくて、面白くて
元気をくれるものだとは、思いもしなかった。

やめておけばいいのに、やめられない!

2007-09-26 19:11:10 | ひとりごと
以前にも書いたマンション管理組合の
臨時総会での暴挙について
もう、忘れようとしてきたが
どうしても忘れられない
いや、見逃せない!

とうとう、今日、きちんと回答をもとめる文書を
理事長に提出した。

納得の行く回答がなければ、納得ができるまでやるぞと
宣戦布告をした。

一生懸命に積み立ててきた管理費が余っているからと
今後に予測される老朽化対策、耐震対策も無視して
昨日、区分所有者になったばかりの者と長く所有して管理費を
積み立ててきた者とが、一律計算で分配をするという。

バカをことを言うな、なぜ、その結論に至ったのか説明せよ!!

と総会で質問したが答えられず
採決に強行して賛成多数で可決されたのがひと月前。

結局は、みんな、お金がほしい、返してくれるなら
多少、納得ができなくても、返すと言っている間に返してもらおう・・
というのが、多くの本音。
多分、一律で得する区分所有者のほうが多い。
自分もそれでもいいと思う。

しかし、物事をあいまいにし、早く処理して
物件は売ってしまい、はいさようなら!
という理事が多いことも知っている。

この意図的なやり方には目をつむるわけにはいかない。
管理組合を乱用する一派に前任の理事長としては、黙っておれない。

一人で管理組合を相手にすることになるが、負けてたまるか!

儲かるからと業者の甘いことばにさそわれて
利殖用(賃貸)に買った物件が
儲からず困っている(客がつかず、家賃は下がるばかり)
小金持ちのオーナーが(定年退職者が多い)
理事の大半を占めているので
売ってしまえばそれまでよ
先のことなぞ知らんという考えだ。
建物に対する愛着なんてなんにもない。

今日は理事会。
さて、どんなことになっているやら・・・
嫌われ者にはなりたくないけど・・・

あー、こんなことやって何のプラスにもならんのに
ほっておけない、へんな正義感とやらで
ついつい首を突っ込んでしまう。
生涯なおらん病。

やっぱりアホや!。

柳生の里ウォーキング!

2007-09-24 18:57:22 | ウォーキング
連休の中日、奈良の柳生の里までひとりウォーキングをして
きた。
JR関西線の京都府下笠置駅を10時25分にスタート。通常
柳生の里へは奈良からのコースが一般的だが朝、ゆっくりし
たくて距離の短かい初めての京都側から歩くことにした。


電車を降りたハイカー風の何グループか、駅前からそれぞれ
の方向を目指して歩き始める。
予想に反して?快晴。暑くなるぞ !
午前中の目標は、ゴールを柳生藩家老屋敷、12時とする。
これならのんびりと歩けるだろう。
静かな笠置の古い街並みを走る県道を進む。


しばらく歩くと街並みの途中で県道から東海自然歩道へ進む
道があるが、打滝川に沿った県道を歩くことにする。
しかし、暑い。とにかく水分補給と心拍数をチェックしながら
進む。ずっと登り坂だが、この程度ならなにの問題もない。


歩道のない県道はこわいが、曲がりくねりながら上っていく
道は、意外と好きで、エクササイズウォーキングには格好の
道だ。速歩とスローウォークを交互にトレーニング。


上り続けてきた京都府笠置町はここまで・・振り返ると


ここから奈良県。


右側に石の道標、従是東奈良縣管・
従是東大和国と彫ってある。


奈良県に入るとすぐに柳生の里の大きな立て看板が見えて
きた。11時12分。上り道はここで終わる。


ここを過ぎると東海自然歩道と合流し、のどかな風景を楽し
みながらすすむ。夫婦づれらしい2人と年恰好の不釣り合い
な二人ずれを追い越して行く。花の写真が撮りたくて、つい
ついまわり道するのだが、後をつけてくる夫婦らしき二人ず
れにはまいった。
柳生の里は、すっかり秋景色あちこちに咲き乱れるコスモス
や少しずつだか彼岸花もきれいに咲いていた。
柳生の秋・・・みーつけた!







11時34分、十兵衛杉が真下から見えるところに着いた。
急な坂道を登っていくと十兵衛杉の下に行く。何度かの落雷
に次ぐ落雷で、昭和53年に枯れたという。樹齢350年。
いまは枯れ木のまま、柳生の里を見下ろすように立っている。


一本杉から向う正面に見えるのが古城山。元弘の乱(1331)、
柳生永珍がこの山にたてこもり、後醍醐天皇が潜幸していた
笠置山南部を守ったところという。


11時45、目標の柳生藩家老屋敷下に着いた。予定時間よ
り早いゴール。それにして、その大きさに驚く。



家老屋敷の玄関。当時の建物が残っている家老屋敷の規模
には驚いた。 柳生藩の家老、小山田主鈴の旧邸。主屋は、
ほぼ創建当時の姿をとどめ、奈良県では唯一の武家屋敷の
遺構らしい。縁側に女性のグループが幾組か坐りこんでいて
いい場所から庭の風景が撮れなかった。ぺちゃぺちゃおしや
べりばかり、静かにせんかいい!と心の中で叫んだ。
表門

表門から主屋がみえる

主屋の全景

主屋の玄関

籠、米、長持ち等のある土間、居間

別座敷、殿様が停まったところ、柳生焼の器

パンフレット


縁側がダメだったので家老屋敷を出て、前にある小さな休憩
所でしばらくゆっくりとする。これからのコースと時間の確認。

宮本武蔵や荒木又右エ門、柳生十兵衛が、歩いたのだろう
道をしばらく散策。

石畳の道を高台にある柳生家の菩提寺の芳徳寺を訪ねた。


柳生但馬守宗矩が亡父柳生石舟斎宗巌の菩提を弔うため、
沢庵禅師を開山として開いた寺で、 柳生家代々の菩提寺と
なっている。ここは、春の桜、秋の紅葉が美しいそうだ。


柳生本陣跡 柳生宗矩が芳徳寺を建てた後、引き続きこの
地に柳生本陣として三年の歳月をかけて建てたもの。


ここで遅めの弁当を食べる。

柳生の町並み・・・十兵衛という名の看板が目につく。
バス停は写真右側。突きあたりが柳生駐在所で左に曲がる
と春の坂道の蔵元がみえる。


寄ってみたかったのが春の坂道をつくっている造り酒屋蔵元
さん、あったあった!!300年の歴史の錦生醸造さん。


奥さんが冷やしてあった三種類の試飲をすすめてくれた。
後半のウォークが残っている、お酒は厳禁!のはずだが、み
たら、やめられない、とまらない・・つまみまでいただいて。
とうとう、柳生錦、柳生錦ゴールド、春の坂道、おちょこ二杯
ずつ!!奥さん、飲みすぎてごめんなさーい。
「柳生錦」は、柳生一族の御用酒として醸造されたのが始ま
りで「故郷に錦を飾れ」という思いから名づけられたという。


飲んで買わないわけにはいかない。わかってはいたが、仕入
れた背中のお酒「十兵衛」は、後半の東海自然歩道のアップ
ダウンの道、おもりを背負って歩いたみたいで、こりゃ効いた。

柳生の里の秋、おだやかなたたずまい


途中で着替え。
心拍数をきちんと測りながら自然歩道を楽しく進む。ブルーシ
ートが目立つあたりは笠置の遺跡発掘調査が行われている
らしい。



笠置寺、せっかくこの自然歩道を来たのだから、ここはみてお
きたくて、しばらく考えたが、時間がかかりそうなので今回は
パス、ちょつと思いを残すことになった。


東海自然歩道から、降りていくふもとの笠置の町、この急な
下りはきつかった。この道を歩くなら逆コースで登ってきたほ
うがいい。


15時35分、出発の笠置駅へゴール、いい一日だった。
歩数計で約15キロ。



今日のコース 9月23日(日)柳生の里ウォーキング
JR関西線京都笠置駅→阿比の石仏→十兵衛杉→旧柳生藩家老屋敷→芳徳寺→旧柳生藩陣屋跡→春の坂道蔵元→東海自然歩道→笠置寺→笠置駅 約24,000歩 15キロ

いつまでも声をかけてもらえる存在でいたい!

2007-09-22 19:47:16 | 輝いて生きる
夕べ、七時から、梅田のすし屋さんで
なつかしい面々とひとときを過ごした。

所属している塾のある期の会だが
ぜひと声がかかってきたので時間前、一番に入った。

なんと、その期以外にも有力なメンバーが勢ぞろい!

自分にとっても、親しい仲間ばかりで
心打ち解けて
心行くまで
楽しむことができた。

偶然とはいえ、春の統一地方選挙に
塾の一人が立候補したが
その時に、一緒に応援した者のほとんどが
きていたのには驚いた。

しかも、自分以外は、全員が30-40代だと思う
一人だけ、歳の離れた者に声をかけてもらったことが
なによりもうれしかった。

いま、世間で、自分の年代の者には
声をかけてくれる人は少ないだろうし
なかなか、声はかかってこない。

また、自分の年代が、参加できるところは
限られ、せいぜい、趣味の世界くらいだろう。

まして、一世代も二世代も下のバリバリの現役に
声をかけられ、交われることは、あまりないと思う。
こんな刺激的で、ありがたいことはない。

みんなが、それなりに気を使ってくれ
そして、対等にフランクに接してくれ
新鮮な情報がどんどん聞かせてもらえた。

二次会にも誘ってくれ
カラオケの気遣いもしてくれた。

そんな人達に、自分が、何で応えられるか?
メンバーの一員として、自分の使命はなんだろうか?

見本にはなれないが、自分の生き方で
示す以外はないんだろう。

そう思うと身の引き締まる思いがして
それが、心地よい緊張感になるのだから
こんないい若返り法はない。

外に飛び出せ、自分から飛び出せ!

まだ、生きていく力は失っていないことを
実感した一夜だった。


安宅コレクション特別展に行って!

2007-09-20 20:43:21 | ひとりごと

中の島の大阪市立東洋陶磁美術館開館25周年記念の特別
展「安宅英一の眼・安宅コレクション美の求道者」に午後から
行ってきた。



安宅コレクションは、かって商社安宅産業が事業の一環として
当時の経営者、安宅英一氏が中心となり収集した1000点に
およぶ東洋陶磁のコレクションを、母体の安宅産業が伊藤忠に
合併されたために、コレクションは住友グループを経て大阪市に
寄贈され、大阪市はこれを受けて東洋陶磁美術館を開館した。

今回は、かってない規模で2点の国宝と12の重要文化財をは
じめ 多くの初公開作品を公開して話題になっている。
今日も広島から来たというグループもいた。

約2時間半をかけてみてきたが

陶磁器のもつ独特の艶やかな光沢と
背景にある作者の深い思い
すばらしい技術

そして、その文化を遺産として集め、高める人がいて
後世のわれわれが、時代を超えて、その文化に触れ
価値を共有することができるんだなあ・・・
と、安宅英一氏の美の求道者としての芽と
コレクターとしての執念みたいなものを感じた。



この展覧会、今月末までやっている。

来月13日から12月16日まで東京で
来年1月から、福岡、金沢の順で開催されるそうだ。

いわしせんべい、とまらない!

2007-09-19 16:32:33 | 飲食
敬老の日に届けてもらった赤飯とビールの他に
小さな紙袋があった。

今日、開けてみたら「いわしせんべい」

「いわしせんべい」?
ビールのつまみにということだったのか
うっかりしていた。

初めて食べたいわしせんべい

うまい!

少し甘めに味付けされ、胡麻で風味もよく
香ばしくて歯ごたえがよくて、おやつがわりにもなる!

こりゃ、やめられない、とまらない・・・(どこかで聞いた?)

インターネットで検索してみると

自然派の健康スナックとして、ビールのつまみとして

商品化されて売られているという。

知らなかった。

なんとネコちゃん用の商品も売られているらしい。
そうか、わが食感はネコなみか!

カルシュームを摂取してボケ封じというくだりには納得。

食糧難の時代に「いわし」で育った者には
いくつになってもなつかしい「いわし」

どこで売られているのやら対面してこよう。

ビールの好きな人には、おすすめだな!

もう、食べてるよー!

と、誰かが言ってきそう・・・




あの歌とともに、音楽はこころの友!

2007-09-18 22:34:17 | ひとりごと
普段、事務所にいる時は、いつも音楽をかけている。

事務所が、にわかコンサート・スモールホールになる。
これは、昔から変わらない。
かける曲は、その時の気分次第。

なにしろ、CDからなつかしいFD、そしてMDに至るまで
その数は、どれだけあるかわからないほど集めている。

今日は、70年代のフォークソング集3巻と
nostalgia2巻を一日かけ続けた。



自分にとって70年代は、ちょうど30歳代。
人生の中でももっとも苦難の道が続いた時代だった。

病気、休職、退職、療養、無給・・・
・・・無職+貧乏+病気の三悪生活。
その後、自立への訓練、修業、事務所開設・・・長かった!

そんなとき、テレビやラジオから流れるフォークソングが
どんなに気持ちを鎮め、希望の灯をともしてくれたことか。

これまで、そのCDをどれだけ聞いてきたかわからないが
聴くたびに、あの時代に戻ってしまう。

思い出すのも嫌だった苦難の時代の曲なのに
なぜか
いまは、無性になつかしい。
なぜか
泣けてくる。

人生は、歌とともに!というが
その通りだと思う。

敬老の日、ここまでありがとう!

2007-09-16 18:59:08 | 輝いて生きる
今日は敬老の日。

総務省の発表では
80歳以上が700万人を突破したという
これじゃ、67歳なんて、はなたれ小僧の段階かもしれない。

周囲から、どう見えるかしらないが
本人が、まだまだ「敬老の日」なんて早いと思っているのだから
せっかくの敬老の日、集いへの案内も他人事で関心もない。

でも、そういうことが言えるのも
元気だからこそ
ここまで生きさせてもらってきたことは
やっぱり感謝、ありがたいことだ。

朝、集いの会場近くの散髪屋へ行って
また、すっきり○坊主に刈上げてもらった。
気持ちがいい。

来年も、この日を迎えられるように
自分のキャッチフレーズ

いつでも
どこでも

明るく
楽しく
元気よく
さわやかに

せいいっぱい
輝いて生きていきたい!

男は愛嬌、女は度胸!!

2007-09-15 22:38:00 | ひとりごと
久しぶりに勉強会&ウォーキング仲間のK嬢に会った。
社会保険労務士で活躍している40代の半ばの彼女、
山登り派からあっさりとスイマーに転換?して3年
すっかりスリムになっていた。
なんとマスターズ水泳大会で入賞寸前までに行ったという。

驚いたのは、その妹分のM嬢のこと
ウォーキング例会にこなくなって3年
その間に大阪市内のど真ん中に労務士事務所をかまえて
多忙を極めているという。

当時は、親元に居候してボランティアに芝居に打ち込み
何が本業かわからない状況だったのに
それに区切りをつけ、仕事に切り替えて
あっという間に、仕事を軌道に乗せたという。

女性は、決断が早い
こうと思ったら
とにかくやってみる・・・
始めたら、目の前のできることに夢中になる

男は、やる前に、あれやこれと形にこだわり
理屈を重ねて時間がかかる
そして、結局は、やらないことが多い
そして、やれない理由をつくって、納得させてる・・・

そういえば
男は「目標」という言葉が好き、「目標設定」にこだわる
女は、「目標」よりも「いまやること」に集中する。

小さなことかもしれないが、女は、日々の生活そのものが
常に意思決定の連続なんだ。
そこが、違うのだろう。

女は、度胸。
いらなくなったものは、さっさと捨て
必要なものだけ求めてどこへでも行く。

男は、捨てられない
捨てられることが一番怖い。
あちこち出かけ、愛嬌をふりまくだけで
ちっとも冒険をしない。


あー、これ、自分のことを言っていた!!

もっともっと、歩いて歩いて
身も心もダイエットして
フットワークをよくしないと!

山の辺ウォーキング-大和の秋

2007-09-12 21:35:31 | ウォーキング
残暑の厳しい日曜日、ウォーキングクラブの月例会で奈良の
山の辺を歩いた。

スタートは近鉄桜井駅。
担当のMさんから作成した16ページにわたる資料が各自に配布さ
れ、コースについて説明がある。
ここ桜井市は、三輪ソーメンの本場。昼食はそのソーメンを食
べるのが今回のお楽しみの一つ。

予想最高気温が32度。炎天下、それを上回ると思われるの
でしっかりとストレッチを!

それは、ウォーキング指導員の自分の担当だ。


さあ、楽しいウォーキングの出発、13名で10時45分スタート。


道路にはめ込まれた道標も道案内!




大和川と馬井手橋、この橋を渡ったすぐ左側に「仏教伝来
之地碑」がある。これからその橋を渡るところ。


馬井手橋の上から河川敷の公園をみると馬のモニュメントが
並んでいるのが見える。


橋を渡って左へ、「仏教伝来之地碑」が建っている。
大和朝廷にやってきた外国の使節は、難波からここ大和川
を船でやってきて、この港に到着。日本文化に大きな影響を
与えた仏教も百済からこのルートで伝来した。
推古天皇16年(608)、遣隋使の小野妹子が帰国した時、こ
の地で飾り馬75頭を仕立てて迎えたという。
河川敷公園の馬のモニュメントはそういうことなのだろう。


標識が物語る交通の要衝・・・左 いせへ


静かな街並みを少しすすむと海柘榴市跡・海柘榴市観音堂。
このあたりは海柘榴市(つばいち)のあったところ。古代には
海柘榴市は、東西南北の陸路や大阪難波への水路を利用。
船の便もあり、重要な交通の要衝で、市が立って大いに賑わ
っていたらしい。春や秋には若い男女が集まって互いに歌を
読み交わし遊んだ歌垣(うたがき)は有名。人々は歌を通じて
愛を交換したという。

 たらちねの母がよぶ名を申さめど
   道ゆく人を誰と知りてか

ここはまた、後に、伊勢・長谷寺詣での宿場町として栄えた。
「枕草子」「かげろう日記」「源氏物語」等にも登場する。

海柘榴市観音堂。


古い格子の屋並みの通りをすすむ、いつも東海道ウォークで
こういう風景には見なれているが、ほっとする日本の姿だ。
いまは静かなたたずまいだが、このあたりは、かって三輪神
社の門前町で賑わったのだろう。


古い屋並みにくると鬼瓦に目がいく。ここでおたふくの鬼瓦
を発見。






金谷の石仏の納まった鉄筋コンクリートの収蔵庫に辿りつく。 
平安時代のものといわれ釈迦と弥勒の二体の石仏が納めら
れている。日本でも指折りの名石仏とのこと。


格子越しに見える石仏は、高さが2.1メートル、幅が85センチ。
右が釈迦如来。左が弥勒如来。格子の隙間から撮影。


ここから平等寺までの小道は左右を大きな木々にかこまれ
てとても雰囲気がいい道が続く、小林秀雄の書という道標
がところどころに立っている。


平等寺は、聖徳太子創建といわれる古刹でもとは大神神社
の神宮寺。


大神神社、三輪明神といわれ親しまれている大和「一宮」。
背後の三輪山御神体とする式内社で日本で最も古い神社の
一つと言われている。だから本殿はない。
拝殿の奥に三輪三輪鳥居と呼ばれる三ツ鳥居が立っている。
また、大神神社は酒の神としても知られ造り酒屋のシンボル
である杉玉は三輪山の杉で作られているそうだ。
今日も大勢の人が訪れていた。
担当のMさんの説明にみんな納得!


拝殿前で記念撮影。


今日の楽しみは、三輪ソーメン。時間も11時45分、もう、みん
なの気持ちは、それひとつ。
そうめんの看板のかかったこぎれいな店の前をとおりながら

やっと小道の奥にある店に入る。上の写真とは関係ない。

おこわソーメン定食1000円を注文。
説明は省略、さすがに美味い。

にゅうめんを食べていたメンバーもいたが、そちらもおいしか
ったらしい。
これで午後のウォークも元気が出るぞ!

うっかり、早く食べたかったばかりに、せっかくのメニューの
写真を撮るのを忘れてしまったし、店の写真も忘れた。

時間は12時半を過ぎた、午後のスタート!
まだ、コースは5分の2くらいのところだ。

すぐ近くにある狭井神社へ。
ここには、薬の神、病気平癒の神。拝殿の横に御神水がわき
出しており、これを飲むと長生きができるとメンバーが一番
年上の自分にすすめる。
命の定年には順番はないぞと脅してやった。


昭和天皇と皇后陛下は、昭和45年3月15日にご親拝にな
ったそうだ。(大阪万博オープンの日じゃなかったかな?) 
皇后陛下の歌碑が鳥居の近くにあった。
    皇后陛下の御歌
 三輪の里 狭井のわたりに 今日もかも
   花鎮めすと 祭りてあらむ

この御歌は、昭和50年の「歌会始」においてお詠みになら
れたものだそうだ。
昭和天皇の皇后陛下の歌碑


ここから次の檜原神社までは、山道、たんば道を一列になっ
てすすむ。暑さがこたえる。汗が目に入り痛い。
タオルでひっきりなしに顔を拭く、水分の補給とおっかけ。

やがて木々の間から正面に白壁が見えてきた、玄賓庵だ。

謡曲「三輪」の舞台として有名、平安時代に玄賓僧都が隠棲
したと伝えられる庵だ。


次の目的地の檜原神社への登り道、杉木立の道をすすむ。


1時過ぎ、檜原神社に到着。ここは大神神社の摂社。
崇神天皇が天照大神を祀ったといわれる。
その後、天照大神が伊勢神宮に移されたためここは
元伊勢とも呼ばれている。ここも三輪山を御神体と
して境内には鳥居があるのみ、よーく探しても本殿も
拝殿もない。
担当のMさんが資料を遣っての説明に力がはいる。
境内が広くてベンチも適当にあったので休憩にする。
はるか正面に二上山が展望できるビューポイントだ。
心地よい風がとても気持ちよくて、それぞれが持ち
寄ってきたお菓子が回ってくる。いつからかウォーキン
グクラブの恒例になったおやつタイムだ。
13時20分にコースの後半へとすすむ。


神社を過ぎると眺望のいい道に出る、大和平野も見える 周
辺は果物畑。みんな元気いっぱいに足取りも軽くすすむが暑
さはピーク。前列の右が本人。





山の辺には、このような万葉歌碑が30基もあり、歌碑めぐり
も楽しめる。


大和朝廷の創始者とされる第十代崇神天皇陵、行燈山古墳
全長242mの前方後円墳。   


くし山古墳群・・・山の辺の道をはさんで行燈山古墳の向か
いにある。


学習中のメンバー、ここでも担当Mさんが資料をもとにして
読み合わせと説明、これがわがウォーキングクラブの伝統だ。


途中のトイレ休憩で上の2枚は着替え、長袖から半そでに。
これでずいぶんと気持ちよくなる。

天理市トレイルセンターの施設で最後の休憩。ここは、お茶
に冷たい水が自由に飲めてありがたかった。

すぐ向かいの空海が創建した長岳寺は素通りした。


行基が開基といわれる念仏寺、門前に地蔵菩薩が六体並ん
で立っている。


念仏寺の鬼瓦?ならぬ戎様。


最後の大和神社へ向かう。
疲れているはずなのに、みなの足は、どんどんすすむ。

最後の目的地大和神社へ。ここで最後の記念撮影。
大和神社は、太平洋戦争中は、戦艦大和に守護神として祀
られていた。


祖霊社は、戦艦大和、駆逐艦等の英霊が祀られている。




JR櫻井線長柄駅にゴール。15時20分。


想像していた以上に残暑は厳しかったが、トラブルもなくて、
全員、元気にゴールができて満足のウォークだった。

一日の文字数はこれが制限いっぱい。かなりカットした。

女の子のお父さんになれたら・・・

2007-09-07 22:55:36 | 交流
急ぎの資料を作成していると携帯に電話がかかってきた。

今日、会えなくてすまないなあ・・・と思っていた東京の○子からだった。

 ”お父さん!”と言うひと声に、ああ、会って励ましてやりたいと思ってしまう。

いつも”お父さん”と呼んでくて、慕ってくれている東京の○子が
大阪に来ていて、塾の同期生も集まって食事会をしているところから
だった。

三十も半ばの彼女、年齢的にも何か帰するものがあったのだろう
わざわざ東京から大阪まで、泊まり込みで塾にきていた。

大阪が大好きになったという彼女、なにかあれば来阪し
同期生も集まっては友情の絆を深めている。

今日は、原稿書きがあるのでいけないと断っていたので
電話をくれたのだろう。

血圧にいいというお茶を送ってくれたり、とても優しい女性で
お父さんと呼ばれるとほんまにうれしい。
うちには女の子はいないから・・・

ちょいとの間でも、お父さんにさせてくれる○子は隠れ娘?

ああ、ちょいといい気分になったなあ。

さあ、仕事、しごと!

ランドセル父さんニヤニヤの巻。

つながりはいつまでも・・・・

2007-09-05 19:46:15 | 交流
先日、一年前に休会した某ソーシャルネットワーク(sns)にいた時の
親しかったGさんからメールをいただいた。

余計なお節介かもしれないが、Vさんが、ランドセル少年さんのことを
書いているのでお知らせしますということだった。
忘れてしまっていたパスワードを調べて、そのコーナーを探してみた。


以下、アンケート形式の内容の一部・・・・・・・・・・・

3)お気に入りのフォーラムは?どんなところが楽しいですか?

今は休眠中ですが、ランドセル少年さんが主宰している
「***ランドセル夢***」です。
***に入り最初に声をかけてくださり、私がこうして今続いているのも
ランドセル少年さんのおかげです。
夢を語り合えるのが良いですね。

・・・・・・・・・・・・・・・・

長野県白馬でペンションを経営しているVさんが、入会してきた時
顔写真入りでオープンな自己紹介が気に入ったのでサークルに誘った。
とても気があって、V君、ラン君と呼び合う仲だった。
こちらが無期限休眠したためにわずか二ケ月ほどの交流で終わってしまった。

雑役が重なったため休眠し、そのまま今日に至っているが、いまなお
自分のことをそのように思ってもらっていることを知ってうれしかった。

知らせてくれたGさんの心配りもうれしかった。

V君のホームページをじっくりとみて、白馬のすばらしい自然に心が
動かされた。約束していた白馬行きの夢が、よみがえってきた。

実は、今年の夏、青春18切符で、のんびりゆっくりとV君の白馬を
訪ねて、ウォーキングを楽しもうと、時間まで調べていたが、こちら
の日程がとれず断念していた。
お互いに気持が通じていたことがよくわかった。

驚いたことは、お互いにブログを始めていたこと。
それも同じgooブログというのもなにかのつながりだ。

文章ばかりで無味乾燥な自分のブログに比べて、白馬の自然が満杯の
V君のブログは、とてもすばらしい。

V君、お元気で! 

必ず行くからネ!

あの頃の仲間のお姉さん三人も東海道53次ウォークで3年後のゴールを
日本橋で待っていると励ましてくれている。
きちんとした会話ができたあのサークル、仲間たちがなつかしい。


V君のペンション 「リゾートイン・ヴィヴァルディ」を紹介したい。
http://www.valley.ne.jp/~vivaldi/

自分の賞味期限と闘う!

2007-09-04 22:19:51 | 輝いて生きる
9月2日(日)、東海道五十三次ウォークで雨の中を
歩いていた頃、二人のプロの快挙があった。

世界陸上女子マラソンで銅メダルをとった土佐礼子選手と
2000本安打を達成した広島カープの前田智徳選手。

土佐選手のことは、別の機会に譲るとして
カープファンとしてドラフトの時から注目していた
前田選手の2000本安打達成には格別のうれしさがあった。

あのイチローが注目し、落合監督がその技術を絶賛している
前田選手をだれもが「天才打者」と言う。
彼は、そう言われることを嫌うそうだ。
「努力」してここまで来たという自負があるからだろう。

その前田選手が、あの夜、出演のためテレビ局まわりしながら
翌日は、いつものように早くグランドにきたという。

2001本目が打てなかったらと練習をすると言ったそうだ。

今シーズン中
”自分がだんだん必要とされなくなってきている”と感じてきたそうだ。

この話を聞いて思い出すのは、有名塾でお世話になった木村政雄さんの
「人間にも賞味期限がある」ということだ。

木村さんのこのタイトルの本を読んで、興味をもち塾に入って
木村さんに接していろいろ教えていただいた。

それ以来、いつも自分の頭にあるのが「自分の賞味期限」ということ。
そして、その賞味期限を少しでも先延ばしをするにはどうしたらいいか
ということだ。

例えば、自分の場合は、どこでも顔写真を貼りだしている。
HPを作成した時からだから、もう10年近くになるだろう。
いろいろ面白可笑しく言う人もいるが、あえて説明はしない。

なぜか? 自分の商品は「自分自身」だからだ。
一番先に目につく顔が商品だ。
自分の世界のプロとして賞味期限が切れていないかどうか
まず、目につくところから評価判断されると思っている。

店に陳列できなくなったらもうおしまい!

いまでは、人前に顔をさらす仕事が翌日にある場合は
前夜、おつきあいはせず、もちろん酒ものまない。
化粧をしない男は、それなりの年齢になると翌日、
もろに、顔に出る。

少しでも、長持ちするように、現役として、通用するように
いつも、考えるのはそのことばかりだ。

木村政雄さんの有名塾10期が来月開講する。

2年前にランドセルを背負って入塾し、以降、この7月まで
精一杯やってみて、多くのことを経験し、少しは、賞味期限
をのばしてきたつもり・・・。

しかし、前田選手のように、酒も煙草もやらず、
徹底して身体の手入れをし、徹底してプロとしての技術
を向上させる努力を毎日しているかと問えば、NO!。

東海道五十三次ウォーキング⑤(関-亀山-庄野)

2007-09-03 21:43:44 | 東海道五十三次
旧東海道五十三次ウォークのシリーズ第5回、三重県亀山市
関宿から鈴鹿市庄野宿までひとり歩きをしてきた。

三重県の降水確率が70%であることは承知の上で行ったが
さすがに終日の霧雨、小雨には疲れた。

かさもカッパもリュックの中にちゃんと用意していたが
ウォーキングに似つかわしくないと、かさは強い雨のときだけ
あとは、濡れながら終日歩き通した。

出発は午前7時21分にJR新大阪駅、2度の乗継で三重県
の関へ。途中、鈴鹿の山々が雨雲にかすんでみえるのを車
窓から見ながらせっかく来たのだから中止することなく少しで
も歩こうとスタートの関の駅頭に立った。午前9時14分。


関は霧雨、夏休み最後の日曜日、多くの人が訪れると思っ
ていたが、駅前に人はまったく人がいないのに驚いた。
歩き始めるとうろうろとあたりを見渡している二人連れが目
に入った。東京から東海道を関まで歩いてきたという中年の
カップル、夫婦だろう。

”私もこれから行きますのでそこまで一緒に行きましょう”と案
内した。
こちらは、西の追分へ、その人たちは東から西へだから東の
追分へ。


西の追分に至る新所の通りも誰も通っていない。早朝だった
からかもしれないが、映画のセットを見ているようだった。


西の追分からスタート、新所の通り、メインの中町の通りを
ゆっくりと歩き、東の追分へ木崎の通りへすすむ。

地蔵院(国重要文化財)天平13年-741-行基菩薩の開創。
本堂・鐘楼・愛染堂が重要文化財に指定されている。


旅館会津屋 関宿を代表する旅籠のひとつ、二階に洋風の
窓がついた洋風屋は珍しい建物だ。


橋爪家 江戸時代の初めから両替商を営んだ豪商、道に面
して三角形の屋根があるユニークな建物。


伊藤本陣跡 関宿には伊藤、川北の二本陣があった。現在
残っているこの建物は、本陣の店部分、川北本陣は、石碑
が残るのみ、本陣の門は、近くの延命寺の山門に移築され
ている。


鶴屋 会津屋、玉屋とともに関を代表する旅籠で江戸時代は
脇本陣もつとめた。


玉屋 関を代表する大旅籠のひとつ、江戸時代に建てられた
貴重な旅籠建築に当時の道具類や資料を展示、江戸時代の
旅籠を再現している。かごも展示してある。


東の追分へ。実は、前回、ここまで来ていた。

東の追分から次の亀山宿をめざしてちょうど10時30に歩き
始める。関で時間をとりすぎたが、12時半に亀山の中心に
行っていたい。これから2時間後だ。
雨もほとんど上がった。これならねむしろ道は歩きやすい。

しばらく歩くと大岡畷跡の桜並木、雨あがりの緑の道は気持
ちがいい。


さらに進むと向こうからおばさん達の一団がきたので黙って
通り過ぎることができない性分がここでも出てしまう。

”こんにちは!今日はどちらまで?” と声をかけると

愛想のいい反応が返ってきて、そこで一気に盛り上がる。

東京のおばちゃんたち、月2回、1年で完歩するというグル
ープだ。日本橋からここまで来たというのだからおそれ入る。

証拠写真を撮ってもらおうとお願いしたら一緒の記念撮影に
なった。このグループ、あとから続いて20名くらいいた。


やっぱり江戸弁は、歯切れがよくてあってええなあ・・

その後も、途中で男性グルーブにも会ったし、男女カップル
二組にもあった。東海道を歩いている人は多いんだ。

しばらく歩くと大きな木が前方に見えてきた。野村一里塚
だ。これまで見てきた一里塚では際立って大きい。


亀山に近づいてくるとまた雨が落ちてきた。
宿場の雰囲気が目の前に現れてきた。道が色分けされてい
るのが珍しい。


坂道を竜川にかかる京口坂橋をわたると左に亀山宿の西端
にある京口門跡。


古い町並みの一戸一戸に木の札がかけられ、そこに元の屋
号の名前が書き込まれている。


町並み保存分科会というプロジェクトができて宿場の賑わい
を復活させたいということだ。

この木札は、進んでいく道路沿いにずっとかけられていた。

雨がかなり降ってきたが、コースから離れた亀山城跡へ行く。
時間は予定通り。


ただし、ベンチは雨でぬれ、弁当を食べる場所がない。
ここだけ少し雨宿りしながら仕方なくカサも使って歩いた。


亀山の雰囲気が気に入った、先を急ぐので今回は、さらりと
歩くが、再度、訪れてみたい。

小ぶりだが雨に濡れながらどんどんすすむ。
ローソクでおなじみの亀山ローソクの前を通り和田の一里塚
を過ぎる頃から、すっかり郊外の雰囲気になった。

JR井田川駅前を14時43分に通過、雨もふり続く。
ここから歩道のない曲がり道が続き、往来する車に緊張の連
続。安楽川にかかる和泉橋を渡りきったところにある川俣神
社で雨宿りしやっと昼食の弁当を食べた。
時間は3時を過ぎた。ここで、今日は、石薬師まで行かないで
次の庄野宿で切り上げることにする。

亀山市から鈴鹿市の庄野へ。

庄野は、古い街並みに往時の面影はあるものの本陣跡の石
碑がある程度で、他の説明板もほとんど字が読み取れない
ほどに放置され意外な感じがした。


そう言えば、一週間前に庄野宿、石薬師宿への地図または
資料がほしくて鈴鹿市のホームページをたどると観光協会
へリンクされていたので電話したがつながらず、問い合わせ
先と記載されていたメールに依頼記事を送信しておいたが、
今日までなんの連絡もない。

鈴鹿市の姿勢がここに見えた。

熊野古道でも琵琶湖一周でも所属する自治体によって力の
入れ方が違うことはわかっているが、鈴鹿市にはがっかりし
た。次の石薬師はどうなんだろうか。

ただ、一か所、庄野宿資料館の女性担当の方は、訪問した
のが4時を過ぎたばかり、閉館だったらしいが、丁寧に応対
してくれた。




ここからは、帰りの最寄駅のJR関西線加佐登駅に急ぐだけ。
調べていた時間表を確認しょうとしたらその用紙がない。
忘れてきたことに気がついた。さあ大変!

かすかな記憶をたどって4時18分がうまく接続する時刻だろ
うと思って急いで加佐登駅に14分到着。

ところがなんと11分だった。

あー、出たばっかりや、また、置き去りにされた!

と大きな声で言うたら改札の外にいたいた人たちの視線が
????

そや、ここは、名古屋圏や、関西と違う。

「名古屋」行き電車、ここはJR東海。


次の電車は、5時3分。

ご褒美の缶ビールでもと思っても、駅前見渡してもどこにも
見当たらない。
ホームに出て、階段の陰で持ってきた着替えをした。
やっと、生き返った心境だった。 びっしょり濡れていた。

やっと5時3分の亀山行きに乗る。しかし、亀山駅で乗り継
ぎ時間が、なんと30分もある。
暗くなった駅の売店で缶ビールを買ってひとりでご褒美した。

やっときた電車は1両。そのすしずめ電車で柘植駅へ。
草津線に乗り換え、ダッシュしてやっと座席を確保した。
草津で新快速に乗り新大阪着が7時54分。

いったい、どれだけかかったのやら ・・・

ああー、ちかれたの1日になった。
万歩計は35000、たいして歩いてはいなかった。

前回も大雨にあった。
やっぱり、あの鈴鹿あたりは多雨なところなんだろう。

次回は、今回ゴールの加佐登駅がスタート、四日市宿まで
歩く予定。