昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

ねんきん特別便・その2

2008-05-26 23:42:27 | ひとりごと
先日も書いた「年金特別便」の件で
家内の年金記録が2年近く記載漏れしているために
この2年間いろいろ調査を頼んだが結局はわからないという返事

このまま年金特別便でそのことを記載しても同じことの
繰り返しになるので、総務省から発表されている第三者機関
「年金記録確認第3者委員会」に申請することにして
社会保険事務所へ行った。

10時に着くともう待っている人は廊下まであふれていた
うまくいっても1時間待ちという。

学校の教室程度の広さの地下会議室は暑さでむんむん
部屋の壁際を背にした6人の相談員が順番に相談を受けているが
その話は聞きたくなくてもよこで完全に聞こえるのだ。

相談に来ている人は高齢者ばかり
まるで老人クラブの様相

相談員からいろいろ尋ねられてうまく答えられない人
うまく説明できない人
意味がよく理解できない人

さまざまだ、気の毒になる

今回の「ねんきん特別便」で全国、相当数の相談者は
出てくるだろうがどう対応していくつもりか・・・

やっと順番がきたので過去からの流れを説明するとまた調査を
するとかとんちんかんなことを言うので一喝するとやっと
課長という人が出てきて、申請書の書き方を教えてくれたが
作成するのに1時間あまりもかかってどうにかできた。

これはお年寄りが一人でできるものではない
申請手続き用紙の書き方が実に面倒でわかりづらい

たとえば、年金に加入した動機は?
その時の納付書の大きさは?
納付の方法は、どこで、だれが、どんなにして納めたか
銀行なら支店名まで

かなりの枚数を一つ一つ読んで書く
これは高齢者にはとても書けるものではない。

恐らく何十万という申請が出るに違いない
どうして処理するつもりなんだろう。

いつになったら回答があるのやらわからない
おいおい、こっちは死んでるかもしれんぞ。

多くは転職者や自営で国民年金の納付者だろう
待っている人たちの顔ぶれをみていると
どこまできちんと相談ができるのやら

担当者の相談ぶりもさまざまだ

あきらめている人、あきらめる人も増えるだろう

このまま受給者に泣き寝入りさせるというのなら
その任に当たった人たちの責任が問われないとおさまらない。


スタンドは赤で一色!

2008-05-25 13:53:19 | ひとりごと
雨の土曜日、ドーム球場だけは別天地
プロ野球セパ交流試合でカープが大阪ドームに
きているので久しぶりに応援に行った。


カープとオリックス戦
試合開始丁度に内野スタンドへ
びっくりした三塁側の自由席は満員だ

カープのユニフォームや応援グッズで
レフトスタンドまで赤一色


しまった、鯉のぼりを忘れた!

試合はカープ、ルイスの好投でにこにこ観戦
終盤九回うら、一打逆転されるピンチもあったが
なんとか切り抜けて勝利

隣の席の夫婦と思わず勝利のタッチ

おなじみの

宮島さんの神主が
おみくじひいて申すなら・・・

の合唱が心地よかった

それにしてもカープファンは多い
どこからそんなに集まってくるのかしらないが
若者も多い

観客は、一塁側のオリックスよりも多かった。

捨てたもんやないで!

広島では新球場の建設が進んでいる

がんばれカープ。

「ねんきん特別便」

2008-05-21 22:46:20 | ひとりごと
「必ずご確認・ご回答をお願いします」という
「ねんきん特別便」が厚生労働大臣名できている。



中には「年金加入記録」があり、それを確認の上
「年金加入記録回答票」を記入し提出するようにと
書かれている。

そして年金加入記録の内容に「もれ」や「間違い」
がある場合は、近くの社会保険事務所、または年金
相談センターで手続きをせよと書かれている。

つまり、「もれ」や「間違い」があるかもしれないという
自分たちの仕事の無責任さ、自信のなさの証明だし
加入者で調べろという加入者を馬鹿にした要求だ。

これまでかかわってきた人間が、すべての時間をなげ
うっても過去の無責任な仕事のつぐないに立ち上がるのが
本来の姿勢だと思う。

このことは、すでに、日記でも書いたことがあるし
社会的な問題として知らない人はいないことで
もはや言うことばもない。

わが家では、夫婦で加入しているのに家内の納付記録が
一年以上も遅れていることが判明。
自分の記録も途中でわずかだか、3ヶ月が漏れている。

領収書かなにか記録したものはないかという。
35年も前の領収書を持っていることが奇跡に近い

払ったのなら証明せよというこの姿勢がそもそもおかしい。

もちろん手続きはとるが、問題は、それが、認められる
保証はない。問題はここなのだ。

面倒な手続きをし、申請をして、いつまでに、どうして
くれるのかまったく見えてこない。










幼な友達からの郵便物。

2008-05-20 23:04:01 | 輝いて生きる
ふるさとに住んでいる幼な友達から郵便物が届いた

いまは自分の実家から電車で1時間もするところに住んでいる彼とは
高校を卒業するまではほんの近所で兄弟のように仲良く過ごした幼な友達だ。

大学から西と東に遠く離れてしまい
社会人になってからは関西を拠点にした自分と
大手企業で全国を転勤族として過ごした彼とが
会う機会は滅多になく
もっぱら郵便でお互いの消息を確認する程度が続いたが
それでもいつも身近な存在であり続けたのは
ふるさとでなにもかも供にしたことがベースにあったからだろう。

定年後に再就職、それも終えて自由の身になってから
同窓会も含めて連絡が復活してきたが
いつも彼からで自分からということはない。

4-5年前まではパソコンはまったくだめ、もちろんメールもやらない
お互いに家族同士の面識がないので電話は遠慮があり
彼からたまにくる手紙が唯一の音信だった。

ところが二年前だったか
65歳になった彼が「俳句自分史」という小冊子を送ってきた
なんとパソコンで編集し、自分で製本にした立派なものだった。

それを見て驚いた!

彼は俳号をもつ俳句好きであることは知っていたが
なんと学生時代から定年までの長い年月の職場、仕事、家庭、転勤先で
読んだ俳句が、その時々の自分の記録にそって整理されたもので
単なる俳句集ではなく、まさに自分史になっていたのだ。

ここが、歩いてきた道を時系列につづった
どこにでもある自分史と決定的に違うところだ

その時々の自分の心境・・・
仕事で苦難の時
迷ったり悩んだりした時の心境が読まれた一句一句は
まさに心の変化、心境が読まれたものだ。

定年からは
自分の日々の生活時間をきちんと定めて
家庭での自分の役割まできちと書かれていたのには驚いた。

その彼が昨日送ってきたのが「方言集」
育った広島県西部の方言をひとつひとつ拾い集め
参考文献、資料を求め、人に聞き、あつめ整理し
解説を加えた立派なものだ。


高校からふるさとを離れた自分には
すっかり忘れていたものもたくさんある
なつかしい言葉ばかり。

実は、昨年末に送られてきたその小冊子を兄にみせたら
元高校教師の兄が大変に興味を持って
積極的に助言、それを参考にした「改訂版」として
再編集したものが送られてきたのだ。

兄におせわになったことも書かれている。


ふるさとの言葉を並べるだけで胸が痛くなるような郷愁を覚え
幼い頃のこと、亡き父母のことを思い出すと書かれている。

十数年前から方言を集め始めたと書いてあるので定年前からなのだろう
第三者からみればなにの興味も関心をひくものでもないが
そこに住み、その土地と自然と生活したものにとっては
ふるさとそのもの、自分のルーツを証明するものとしてなつかしい。

ただ、平平凡凡と好々爺でおられる立場にありながら
いまなお、こうして情熱を傾けるものをもち
努力をしている幼な友達を見ていると
人生終盤の生き方にこそそれまで重ねてきたものを
生かして前向きに生きることこそ価値ある生き方だと思う。


なお、彼は、学生時代からの尺八は「師範」
これもさまざまなところで講師、指導を続けている
たいした男だ。

東海道五十三次ウォーキング(赤坂-御油-吉田-二川-白須賀-新居)

2008-05-19 23:25:07 | 東海道五十三次
予定通り17日、18日にお泊り東海道五十三次ひとり歩きを楽しんできた。

初めてのお泊り東海道、トラブルもなくご期待の珍道中もなく無事に
生還できてほっとしている。

コースは、初日が
 「赤坂宿」→「御油宿」(愛知県豊川市)→「吉田宿」(豊橋市)
二日目
 「吉田宿」→「二川宿」(豊橋市)→静岡県「白須賀宿」(湖西市)→「新居宿」(新居町)

初日17日は、6時前に自宅を出て新大阪6時39分の東海道線で
米原、大垣を経由して名古屋へ、名鉄に乗り換えて名電赤坂に着
いたのが11時12分4時間33分の電車の旅。名鉄にはお世話
になったが今回で最終回となった。

前回ゴールの赤坂宿紅里交差点を11時25分にスタート。
ここ赤坂と次の御油は「遊女」の多かった宿場で有名で旅籠の客
引きが激しかったところらしい。広重の絵にもその場面が描かれている。

お互いに旅人の宿泊客争いをしていたらしい。
それを楽しみにした旅人と、たぶらかされないように女たちを「赤狐」
と呼んで用心をした旅人がいたそうだ。なんでも弥次喜多さんも狐に
たぶらかされたとか・・・。

後油は、天然記念物に指定されている旧東海道随一といわれている
松並木が続いているがこれは見事なものだ。359本、一本一本に
番号札がつけられている。
これまでの藤川、知立の松並木も立派だったが、御油はうっそうとし
た松並木の雰囲気が街道そのもの、昼食も並木のそばで食べた。


後油から豊橋市へ向かう。

この道中は、そんなに見どころはないが、途中で「姫街道」という東海道の回り道として浜松あたりまで浜名湖を迂回する街道があったが、その入り口にも行ってみた。
姫街道には、いろいろ説があるが、新居宿での女性の調べがきつかったので遠回りをした女性が多かったらしく姫街道と言ったとか・・・。


弥生時代の遺跡、瓜郷遺跡や親子の悲哀物語の子だか橋を渡り聖眼寺前では、年配の男性から"定年後のお楽しみですか"と話しかけられた。
一番いやな話だが、とても気さくな人で豊橋の話をしてくれた。
写真も気安く撮ってくれた。

豊橋の真ん中を流れる豊川が見えるところでベンチに腰かけてのん
びりと休憩時間は、計画してきた通りで、ずっと、うまくすすんで
楽な歩きができた余裕。それにしても豊川は大きな川だ。

あとから、その豊川にかかる豊橋を渡るのだが
「豊川→とよがわ」、「豊橋→とよばし」と濁って読むことが橋に
かかれたかなでわかった。それならなんで「とよばし市」にしない
んだろう?

豊川を渡り豊橋市の吉田宿に入ると、道標がしっかりとあって歩き
やすい豊橋市が旧東海道の保存に熱心であることがとてもわかる。
道も広くてきれいで迷うこともなく吉田本陣跡にもすぐに発見できた。
有名な鰻やさんの店先に碑がたてられていたのですぐわかった。


オプションで訪れた吉田城跡公園は規模と言い、雰囲気と言いすば
らしい公園。それに路面電車が走っており電車ファンにとってはこ
れは楽しい豊橋時間も予定通りで初日は文句なしのいい一日だった。

そして、待ちに待ったマイフレンドのヒデさんとの対面となった。
ホテルにわざわざ訪ねて下さった。ご婦人が同伴だったので驚いた
が静岡県のウォーキング仲間だと紹介されて二度びっくり。
食事も一緒にさせていただいた。

ヒデさん、やさしい、会話も上手、お仕事は難しい内容だ
自営だそうで、熱気が感じられる現役バリバリだ。

ぜひ、案内したいとヒデさんに連れられていかれた店にまた驚いた。
豊橋でひとりで食事するなら"ここだ"と決めてヒデさんに会う前に
ちゃんと写真まで撮っていた店だったからだ。

店の名は「きく宗」、東海道名物の「菜飯田楽」を食べさせてくれる
店だが実は、滋賀県の日川でも菜飯田楽が旅の人の名物と聞いて
いたので吉田宿でそれを食べることになったのだからラッキーという
他ない。

菜っぱ(大根の葉)で炊いたご飯と豆腐の田楽だけのシンプルな料
理だが、これが人気メニュー、この店も老舗らしい。

食事をしながら話が三人で弾んだ。いい出会いだった。

ホテルに戻って、休憩がてらテレビドラマをみて
二日目の資料の下調べとコースと時間配分をしていたら深夜1時半
あわてて床につく。

二日目、ねむい、7時のスタート予定を40分おくらせて7時40分に
ホテルを出てコースに入る。
今日のスタートは「吉田本陣跡」、あの鰻やさんの店前からだ。
通りには人影はない。
食事は途中のマクドナルドと決めたのでしばらくは、腹ぺこ・・・
と言ってもほしくはない。

この日の楽しみ三大目標(楽しみ)は

①二川宿本陣資料館
②白須賀宿潮見峠からの遠州灘の眺め
③新居宿資料館

コースとしてはかなりハード、標準は20キロだが、事前の下調べで
コースの近辺にある史跡名所、神社仏閣は見ておきたいのでその分
も含めて26-28キロくらいと予測、迷えばその分が増える。
初めての一日三宿巡りだから道標さがしに写真撮りでフルに動くことになりそう。

昨日の足の疲れはなし。大丈夫だ。
空はくもり、かぜかるので蒸し暑さは感じないが気温は上がるという。

二日目の一番の問題は新居宿資料館の見学時間に間に合うかどう
かだが無理と決めつけるとそういう歩きをするので、間に合わせ
てやろうと思ってそのための歩き方で1時間ごとの時間を地図上
の目的地に書きこんだがすでに40分遅れのスタートで算数がや
やこしい。

帰りの電車は、18時6分のJR新居発大垣行きに乗り、乗りつい
で22時過ぎに新大阪へ戻ってくると最終案の変更はしない。

吉田宿から二川宿までが長い。
早朝はまだ身体が十分に起きていないし無理は禁物とぺースダウ
ンだがついつい40分遅れが気になってしまう。マクドナルドシ
ョップに行くまでにデニーズがあったのでコーヒートーストの軽
食ですませた。

二川に行く前にやや高いコースの上りに差し掛かったので道端で
心拍数のチェック。そして自販機で水の買出し?

お金を入れると

 "まいど!”

 そして

 "おおきに!"

 なに???

 ここは三河・・・

 ”おい、自販機君、あんた、大阪から転勤してきたんか?”

  ???

 "しっかり働くんやで!"
  
  と言うたら

 "おっちゃんも、しっかり歩きや!""

  と言われたような気がした。
  まさか・・・

気をとりなおして歩道のない車道が続く下り道をおりきると二川宿へ
JR二川駅前のベンチに腰かけていると
おばあちゃんにつれられた女の子が、”あっ鯉のぼり”と背中を指差
したので顔見てにっこり笑ってやったら笑ってこたえてくれた。
かわゆいなあ。

おっちやんと行こうか!

おいおい、危ない!

このあたりはJRと新幹線が並行して走っている。
ひっきりなしに新幹線が通る。JRはこないなあ。

期待の二川宿本陣資料館は、予想していた以上の充実した内容と
規模とで通りすがりの見学ではもったいなかった。
旧東海道のことを知りたかったらここがいい、できることなら、一日
ノート書きして帰りたいくらいだ。


この二川宿にもっとも多く泊まった大名はだれか宿帳があった。

黒田藩の大名だ、確か56回だったか・・・
その次が、島津藩の28回、まさか篤姫は?いや、もしかして。

自分のこの東海道五十三次歩きが多分34日くらいになると思われ
るがあの人たちは何日で歩いたのか、その何倍かの距離を何千人と
いう人間を従いて参勤交代を続けたのか、いまでも信じられない。
いろいろなことを思いつつ40分ほどで次のコースへ急ぐ。

東海道五十三次に関することを学ぶならここは推薦したい。
当時の本陣と旅籠内部の一部が再現されている。

二川の通りは、いまなお、古い格子窓の家が多く連なっているいい
雰囲気だ。

二川から白須賀宿へは一号線を約4キロ、周囲は畑、道路は車
午後の気温の高いかんかん照りの炎天下をただひたすらに歩くのみ。

その道に入るとき、向こうから来る男性に声をかけたら
やっぱり東京からの五十三次歩きの男性、気さくな人で
今日は、新居から吉田までという。
自分とまったく逆だ、情報交換して別れた。
具からメモ帳と鉛筆をぶらさげて・・・・うーん、勉強方の人だ
歳は同じくらい、膝を痛めて一年ぶりに歩いていると言っていた。

二川で買っていた弁当を一号線の信号横の畑に座り込んで食べて
いると車が止まるたびにこっちを見られている。

こんな時は、パフォーマンス!

大きな口をあけて、おいしそうに、食べるんだ! 

どうだ、ほしいか「手鍋親子重」だ。うまい!

でも、玉ねぎ畑のにおいがきついなあ。
このあたりは、たまねぎとじやがいも畑が続く。

途中の小さな境川が、愛知県と静岡県の県境、豊橋市から湖西市へ

とうとう、あこがれの遠江の国だ。

いきなり標識の地名が静岡県になった。あたりまえやけど。
落ち着いた白須賀宿だ。

白須賀宿は、落ち着いた静かな町だ
宿場の跡を残すたたずまいはすくないので碑ばかりを探す
行きすぎてもどったり、ここは、意外と苦戦した。

もともと海べりにあった宿だが、何度もの地震や大津波で壊滅的な
被害を受けたためにいまの高台に移転したという。

その宿から潮見坂へ、ここの展望台から遠州灘が見えた
打ち寄せる波が白く見えるのがわかる・・・感動だ!

二年前に熊野古道で、和歌山県海南市の藤白峠から初めて太平洋
をみたときの感動がよみがえった

海・・・・夢が広がる。いいなあ。

京都からスタートして1年1ケ月、13日目でやっと海の見える
ところへ来た。

狭い展望台にいた先客の男性にあいさつしたが
声が返ってこなかったのでそれ以上はやめた。

ここで心拍数のチェック。水の補給。
着替えをしたかったが近くに男女の乗った車が止まっていたので
足の軽いマッサージをしてスタート。

14時40分。
ずっと40分スタート遅れの時間を取り戻そうと歩いてきたが
ほとんど差は縮まっていない。
展望台の案内板に示されていた時間で新居宿には16時にとても
行けそうにないのでどうするか。

足の疲れはさほどなし。新居宿までコース外の見どころへは寄ら
ないことにしてスピードアップしてみることにした。

ここから一気に急な坂道をふもとの元の白須賀宿へ下りて行く。

途中で自転車を押して上がってきた2人の中学生が
こんにちは、と挨拶をしてくれた。気持ちがいい。

下におりて白須賀の松並木、ここは気に入った。
道の片面だけの松並木なのだが、周辺が明るくて視界が広くて
風もよく通って歩きやすく、どんどんも遅れた時間が取り戻せ
てきた。

ここでも向こうから来た男性に声をかけたら東京から
日帰りという、二川まで行くといっていたが、きついなあ・・
写真を頼んだら心安く引き受けてもらった

お互いに気をつけて!で別れた
二度と会うことはない人と二度と来ることはない場所で
わずかな気持ちの共有がなぜかうれしい。
ヤンキースの帽子をかぶった東の人 お元気で、!

左側は山、右側が畑、その向こうに防風林が続いている。
その向こうは海だ。でも、松で見えない。

新居に入り古い街道を本宿跡、一里塚・・・等を探して
16時15分、予定より15分の遅れで新居関所跡に着く。
受付終了15分前だ。


あー、間に合った!

300円、もう、見学者はだれもいない。


その時の受付の人が後から話しかけて来てくれることになるのだが。

この関所を通過しないことには、お江戸行きはここで終わる。

200円で「通行手形」を買い、「証明書」に印を押して無事通過!


万歳! ばんざい!バンザーイ!


鉄砲がある弓もある、脅しの槍もある
ここの取り調べはことのほか、厳しかったらしい。

とくに女性の出をチェックするための調べはきつかったそうだ
それと鉄砲の入りを阻止するための調べも重要な任務だった。

5時で閉館、外に出てベンチに座っていると
受付のおじさんが、話しかけてきてしばらく話をした

この人も定年退職組、ボランティアガイドをしているという。
東海道も半分ほど歩いているということだった。

短い時間だったが、とても、いい話ができた。

JR新居駅に17時20分、予定の6時8分まで時間があるので
ご褒美の缶ビール、キリンさんの一番さんを人のいない駅の
ベンチで飲みながら、しばし二日間の楽しかった余韻に浸った。

そして、ここからが長い帰り道が始まった。

新居→大垣・乗り換え  大垣→米原・乗り換え  米原→新大阪 
22時18分新大阪着。4時間10分。やっぱりつかれた。

今回で53番からスタートして31番の新居宿まで来た。まだ30宿ある。
距離も全コースの半分まで23キロある。遠い。これからだ。

今回も、いろいろな人のお世話になった。
後半は海岸に近いところだったからか風が強くて背中の鯉のぼりも
元気よく泳いで励ましてくれた。
そして足も、くつもしっかり歩いてくれた。感謝だ。
また、道中、励ましメールも二本もらった。

みんなに励ましてもらって歩ける楽しさ、喜びは格別だ。

次回は、新居宿から浜名湖を渡って舞坂、浜松まで。

元気ですよ!

2008-05-16 21:33:31 | 健康
うっかり体調のことを書いてしまって
お見舞いやら激励やら忠告やら
いろいろとご心配メールや電話を
いただいてお礼とお詫びをしておきたい。

もう、普段通りにしているので大丈夫。
ご心配をおかけしたことをお詫びしたい。

それにしても思わぬ人に(というと叱られるが)
まさか、こんなところまできてこのブログを
読んでもらっているとは思いもしなかった人がいたり
感想を聞かせてもらったり
決してマイナスばかりではなかった。

人はいろいろだが
だまってじっくりと読んでくれている人ほど
ありがたくて怖いものはない

火急の時、適切な意見を聞かせてくれる。

ストレスは人から受けるものが一番始末が悪いが
最近の不調の原因はそこにあることはわかっている

少なくとも人にストレスだけは与えないようにと思うが
どうなんだろう。




おじさんとおばさんの話。

2008-05-14 22:46:54 | ひとりごと
きのうのことはきれいに忘れて
今日は気分もすっきりいこうと
朝、一番、おいしいコーヒーが飲みたくと
最寄駅のコーヒーショップによった。

席につくといきなりななめ向かいの席から
大きな話し声が耳に入ってきた。

目をやると
自分より少し若いと思われるおじさんと
同じくらいのおばさんが向いあって話している。

"あんたな、前向きに考えなアカンで
じっとしていてもなんにもすすまんやろ!

弱気になったらアカン!

下向いたらアカン!

決め手は

あんたも男やろ、しっかりしいや!

どきっ、ドキ、ドキ!

どうやら、おじさんにはっぱをかけているらしい
夫婦ではなさそうだが・・・

なにか、事情でもあったのだろう

そこまで真剣に言うてくれるのは
よほどの親しさがないといえないやろう
ええなあ・・・(うらやましがってはいけないが)

その元気おばさん、レジに向かいかけてまた戻ってきた。

あんた、下向いてたらアカンで
元気だしーや!と言うと
なんと後ろから両肩をどんとたたいた。

おー、猛烈!

おばちゃん、俺の肩もたたいてえなあ・・・
と心の中でつぶやいた。

恐るべき元気おばちゃん。

しっかりしてるわ!

一人になったおじさんのところへウェイトレスが

ご夫婦どすか?と話しかけた。

いや、わしは独身や、あの人は知り合いやけどな・・・

奥さんを亡くして励まされていたのかなあ・・・

朝から、自分も気合いを入れられたみたいで
なんだかすっきりした。(男は単純?)

でも、ええこと言うてた、その通りや。

後ろから引っ張られたらアカン
そんなもん、ほっとけ!

うしろ向くな、前え、前え!

肝を冷やした話。あってはならないこと。

2008-05-13 23:49:55 | 健康
あってはならないこと
去年もそんな記事を書いたことがあるが
ほんとうにあってはならないことをしてしまった。

朝10時半から○務局の課長さんの勉強会を
すっぽかしてしまったのだ

朝、寝ざめの気分が悪くて
いつものように血圧を測ると異常に高い
そうこうするうちにきつい目まいがして
思わず座り込んでしまった。

家内は実家の母親の介護でおらず
あわててかかりつけの病院へ

両親が心臓系を病んだので
その前触れかと

もしものことを考え動転してしまって
仕事のことは完全に忘れていた
大したことではなかったが
相手さんは公式の勉強会

結局、午後に時間変更をしてもらって
それも三分の二の時間に短縮
平身低頭の誤りでなんとか
切り抜けたが自分の危機管理ができずに
恥をかくことになった。

流れを変える!と宣言したばかりなのに
これじゃいけない

あれこれと引きずるものを
捨て切れていないことによる
睡眠不足
ストレス

だらしないぞ。

それにしても肝を冷やした一日だった。

命の大切さ!

2008-05-08 23:02:18 | ひとりごと
数日前、東京の中学校の先生から突然のメールがきた。

何年も前から活動に参加している阪神淡路大震災の
「はるかのひまわり」の種を譲ってほしいとのことだ。

どうやらインターネットで検索して、当方で以前から
作成してきたHPにたどりついたらしい。

こういう内容だった

道徳の時間に「はるかのひまわり」の話を震災当時の
神戸の街と大輪のひまわりの拡大コピーした写真を並
べて話を進めていくと、普段は無邪気でのんきな生徒
達も真剣な表情に変わり

「今を大切に生きようと思った」

と感想を述べてくれた。そこで、生徒会が中心になって
学校の庭に「はるかのひまわり」の種を蒔き、この活動
の意味を全校生徒に知らせ、希望の花を咲かせられたら
と考えているので「はるかのひまわり」の種を分けてい
ただけないか・・・ということだ。
この本を読ませたらしい。


さっそく、その活動を行っているNPOの理事長(実は友人)
に連絡をとり直送してもらうことで、学校とも了解がとれ
先生からもお礼のメールがきた。

子供たちのいたましいいじめや自殺のニュースのたびに
「いのちの大切さを教えよう」と大人たちはよく言うが
それをどうして教えているのか教育の現場はわからない。

この先生のように震災で亡くなった五年生のはるかちゃん
の家の跡に咲いたひまわりをはるかちゃんの命の身代りと
して育てることで「命の尊さ」をみんなで学んでいこうと
いう試みをすすめていかれることをすばらしいと思う。

夏休み前には、きっと、この中学の花壇には、いっぱいの
「はるかの命のひまわり」が咲くことだろう。

去年は鳥取の小学校におくった。病院も施設も自治会も
送った。ことしもそれぞれの土地で次の命に継がれること
だろう。

ひさびさに心温まるメール、うれしかった。

教え導かれて歩く・・・歩行!

2008-05-07 23:22:24 | ひとりごと
ウォーキングをしていて楽しみの一つが
お寺や神社や学校の掲示板に書かれている言葉に
出会うことだ。

いつのころからか
目につけば必ず写真に撮っているが
なかなか味わい深い言葉なので

なにの抵抗も疑問を覚えることもなく
すっと心に浸み込むように受け取れるのは
まだ学ぼうとする気持ちが自分にあるのか

また

自分が何か問題をかかえているからなのか

どちらにしても「道」を歩きながら「道」を
導かれてような気がして大事にしている。

一昨日の大阪・上町台地の坂めぐりの道中でも
いろんな教えに出会ってきた。








最後にコース外だが
何度も寄ったことのある森ノ宮神社で
いまの自分に一番必要な導きと思った言葉があった。


なんだか自分に言われているみたいで
いや、自分の来るのを待たれていたのだ
と思うと

自分にとってウォーキング、歩くとは

「歩行・ほこう」ではなくて「歩行・ほぎょう」なり。

一歩、一歩が自分を高める「行」だと思えば、歩き方も
違ってくるだろう。


流れを変えよう!

2008-05-06 22:32:31 | 輝いて生きる
連休の最終日、朝から快晴、見事な五月晴れだった。

ウォーキング倶楽部の今月例会の下見を兼ねて
大阪市内、上町台地を歩いてきた。

大阪城をスーと&ゴールとして、上町台地に広がる坂めぐりをしながら
大阪の成り立ちを地形と歴史で学ぼうとコースの設定を試みた。

六年前に一度歩いたことがあるので記憶をたどりながら
初心者にも歩けるコースにするにはどこを歩くのがいいか
初夏の思わぬ暑さと戦いながら6時間、23,000歩も歩いた。

見どころはスタートの難波宮跡


細川ガラシャ夫人の「越中井」跡




おなじみの高津神社に


生国魂神社に


大阪夏の陣で戦死した真田幸村の安居神社を
多くの坂を経由しながらめぐっていく

ここまで歩いて坂の上り下りが意外に堪える
初心者にはきついだろうからここはカットしないといけないだろう。






そしてわが国最初の官宮の四天王寺は絶対に外せない。


近松門左衛門や井原西鶴の墓を訪ねる文学コースも入れて
盛りだくさんの見どころをどう組み入れるか

それに途中で三年前に歩いた熊野古道の一部もコースに入れて
みたいので細部の詰めが難しい。

それに見合う資料作りにはメンバーの協力を得たいが
今の積極的なメンバーからすれば大丈夫だろう。

いまから楽しみな五月例会だ。

ブログ開二年目、ブログにも新しい流れをつくるためにも
これまでのことは一区切りにしてチャレンジしていこう。

流れを変えよう、新しい流れをつくろう!
振り向かなくていい、前をしっかりし見て!

親子で思い出の斑鳩へ。

2008-05-05 19:06:44 | ウォーキング
一年ぶりに帰省してきた息子となつかしの斑鳩へ
親子ウォーキングを楽しんできた。

勝手に名付けてハーティーウォーキング
斑鳩は大使の里、大使の道、ゆかりの名刹めぐりへスタート。

斑鳩には何度きても変わらぬお目当てがある。
ひとつは「斑鳩三塔」として有名な三つの塔を訪ねること。
斑鳩三塔とは、法隆寺の五重塔、法輪寺と法起寺の三重の塔だ。
二つ目は「中宮寺の美女如意輪観音像」を拝観すること。
三つ目は「法隆寺の八頭身百済観音像」に会うことだ。

コースは、藤の木古墳→法隆寺→中宮寺→法輪寺→法起寺。
JR大和路線の法隆寺駅から徒歩で30分の藤の木古墳から始まる。
天気はよし、ただし、斑鳩の界隈は大変な観光客だ。

藤の木古墳は六世紀後半の建造と言われる円墳。
出土した石棺にあった二体の人物は特定できていない。
その石棺のレプリカが外にある。
ちょうど特別公開期間で石棺の中を見ることはできるが
予約制になっていたためぐるりと周囲を散策することで次の法隆寺へ。


土塀や古い家々の続く小道を通り法隆寺西大門から入る。


いったん、中門に出て、五重の塔とツーショット。
この風景が好きだから・・・



コースは西伽藍から、見学者が多いためにコース順路が
設定してあって列に入って進まないと大事なポイントに入れない。
これがまたなかなかすすまないのだ。
大講堂でご本尊の薬師三尊像をみて

玉虫の厨子をはじめとする法隆寺の大遺産が展示してある
大宝蔵院へ

ここは、宝物庫、仏教美術を代表するという世界的に有名な
百済観音像をじっくりと見ることができた。
いつ見ても、とにかく、美しい像だ。昔で言う八頭身美人!

夢殿はさらに待ち時間が長くて久世観音像にお目にかるのは
断念して次の中宮寺へ。


あれだけ大勢の観光客であふれていた法隆寺から
となりにたたずむ中宮寺へすすむ人はほんのわずかな数だ。

それだけに中宮寺の事前学習をした人かファンに違いない
ここは圧倒的な女性が多いのはいつ来ても同じだ。

ここで見られるものは「たった二つ」だけ。
建物も写真のとおりの濠に囲まれた寝殿風の本堂が一つだけ。


詰め込んでも30人くらいしか入れない本堂の畳の間
ここに座って、ただ、美しくて優雅な如意輪観音象をみるだけだ。
それが楽しみでくる人が多いのかもしれない。

聖徳太子の母、穴穂部間人皇后の宮所を寺にしたものらしい
もう一つの見どころ、死後の世界を表した天寿国繍帳も見ることができる。

中宮寺から次は法輪寺へ

古い小道を右へ左へまがりながらすすむと田園風景に出る
石仏の池のほとりに出て遅い弁当にする。


おにぎりだけだが、斑鳩のさわやかな風が味付けしてくれるのかおいしい。

法輪寺への道ではほとんど人に会わないままにすすむと
森かげから法輪寺の三重の塔が見えてきた。
斑鳩三塔の二つ目の塔だ。


ここの風景がまた大好きだ。
入口横にバイクをとめて腰をおろしたサングラスの若者が
じっと寺のたたずまいに目をやっている光景が
妙に絵になっていて不思議に思えた。

法輪寺は、聖徳太子の長子、山背大兄皇子が、太子の病気回復を
祈願して創建(662)したと伝わっている。


陽も傾いてきた、四時前だ。

最後の法起寺へ
また、田園と低い山々の間を10分すすむと法起寺につく。


斑鳩三つ目の塔だ。

寺そのものは小さくて、気がつかなければ素通りしてしまうかもしれない。
ここの三重塔は、わが国最古のもので世界遺産に登録をされている。


法起寺は、606年に聖徳太子が法華経を講高説したという岡本宮を寺に改めた
と言われ、聖徳太子が建立した七カ寺のひとつに数えられている。

さあ、帰ろう。

あとは、バスにはのらないでJR法隆寺を目指してウォーキング。

途中、コーヒーショップによってはじめて息子と話し合う。

仕事のこと、今後のこと、親父と息子の会話から男同志の話につきない。
願わくば、いい人に巡り合ってほしい。

上京して以来13年
滅多に戻ってこないが、戻ってくると奈良や京都にぶらりと出かける
こちらも時間があれば一緒にだ。

やっぱり関西がゆっくりできるところがあっていいという。
歴史の厚みのことを言っているのだと思う。

たった一日の元親子ウォーカー再現の日を過ごして帰京してしまった。


母を訪ねてふるさとへ。

2008-05-04 02:39:41 | 家族
東京にいる息子と広島駅で落ち合って
母のいる病院へ見舞いに行ってきた。

ここ1年、何度も危機を乗り越え驚異的な
生命力を見せている母だが
いつ、なにがあってもおかしくないと
兄から常々連絡を受けているので

かわいがってもらった息子(母には孫)を早く
会わせておきたいと思ったし
息子もそれを望んでいたので

広島まで東京、大阪から同じ新幹線に乗って
移動し、駅であって母の待つ病院へかけつけた。

兄の話では、今日は珍しく母の気分がよかったらしく
わずか10分ほどだったがこちらの存在を認識してくれた
最近は、相手の認識も記憶も定かでないことが多いという。

自分がいつも右腕にしているお守りを母の左手にいれて
薬師寺で買ったお守りはベッドの手すりにかけたおいた。

94まで生きてきた母の人生はどんなものだったのか
どうすることもできない母の苦しみをみるたびに
やるせなく、子どもとしてつらいことだ。

手を握り、顔をなでていると泣けてきた
涙をみせるわけにはいかないので
かける言葉もないままに部屋を出てきた。

先日、TBS系(関西はMBS)の筑紫哲也のニュース23番組に
東京で長く大学の教授をしている弟が
後期高齢者医療制度の件でコメントしていた

母の楽しみといえば
この末の息子が度々テレビ出演する番組やニュースを
見るのが楽しみだったが
いまはそれもかなわないことだ。


10年前に亡くなった父の墓に寄って
兄宅で早い食事をして帰阪してきた。

ブログを開設して2年目の日を
故郷で母と過ごして
かすかな母の手のぬくもりを感じて
しっかり生きないと母に申し訳ないと
強く感じた
しっかり生きないと!

母の病室から見える宮島と朱の大鳥居



昨日より今日を、今日より明日を・・・

2008-05-01 23:25:41 | 輝いて生きる
早いものでこのブログを開設して3日で1年になる。

1年前にブログのタイトルをなんとしょうと随分と考えて
「昨日より今日を 今日より明日を・・・」にしたことを
この間のことのように覚えている。

いつの頃からか、はっきりとは記憶していないが
ずっと以前からこの言葉が好きでよく使ってきたからだ。

ただ、現実の生活の中で、その思いをどこまで貫き通して
きたかは、はなはだ疑問に思ったので
お飾りのキャッチフレーズで終わらないように
多く残っているとは言えない人生を充実したものに
していくためにもブログの開設をきっかけに
チャレンジする意味でタイトルに選んでみた。

・・・去年の五月三日のブログ開設の日の日記から・・

当面、3年後の70歳までを一区切りに

「ひとりプロジェクト・自分力を高める3ケ年計画」をたて
トライしてみることにしました。

いくつになっても弱い自分
だれかに見てもらって
怠けないように

少しでもいいから
前進するようにブログで記録してみることにしました。

ブログも初挑戦、どんなことになりますやら・・・楽しみです。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

あれから、一年たったが、振り返ってみてどうだったのか?

自分がたてた目標を目指してそれなりの成果もあったろうが
まだまだ思い半ば、停滞している自分
燃焼していない自分がいる。

ただ、やって、やれなかったというより
やらずしてできていないことの方が多いのは
まだまだ、見込みがあるということだから

3ヶ年計画の2年目半ば
やれるうちにやっておかないと
やれなくなってやっておけばよかったと
悔いが残らないようにしないと
一日一日、確実に命の時間は減少している。

毎年、毎年、オウム返しのように
同じことを繰り返て言っているような気もするが
いつ、何があってもおかしくない年齢だから
ウォーキングの教訓
一歩ずつ踏み出すことで目指す自分に近づくことができる
あきらめないように。

ここのブログの常連として
のぞいてくれている仕事で出会った人たち
前向き集団のY会の仲間たちに少しでも"やってるな”と
感じてもらえるような過ごし方をすることが
自分の使命と思っているし

まだ会ったこともないこのブログに
書き込みをしていただいた方にも
またのぞいていただけるようなブログにしたい

書き込みをしない日でも
いつもそれなりのアクセス数をいただいているということは
期待を込めて訪問してくださっている方がいるということ。

まずは、一年間のお礼を申し上げたい。

意味のないことで時間を浪費しないように
いつも新鮮で、アクティブなランドセル少年を
見せてあげられるように・・・・。

木村さんから期待されているたまり場も
やや沈滞しているので復活だ。
語り合え、学びあえる機会をこれからも
どんどん作っていきたい。