予定通り17日、18日にお泊り東海道五十三次ひとり歩きを楽しんできた。
初めてのお泊り東海道、トラブルもなくご期待の珍道中もなく無事に
生還できてほっとしている。
コースは、初日が
「赤坂宿」→「御油宿」(愛知県豊川市)→「吉田宿」(豊橋市)
二日目
「吉田宿」→「二川宿」(豊橋市)→静岡県「白須賀宿」(湖西市)→「新居宿」(新居町)
初日17日は、6時前に自宅を出て新大阪6時39分の東海道線で
米原、大垣を経由して名古屋へ、名鉄に乗り換えて名電赤坂に着
いたのが11時12分4時間33分の電車の旅。名鉄にはお世話
になったが今回で最終回となった。
前回ゴールの赤坂宿紅里交差点を11時25分にスタート。
ここ赤坂と次の御油は「遊女」の多かった宿場で有名で旅籠の客
引きが激しかったところらしい。広重の絵にもその場面が描かれている。
お互いに旅人の宿泊客争いをしていたらしい。
それを楽しみにした旅人と、たぶらかされないように女たちを「赤狐」
と呼んで用心をした旅人がいたそうだ。なんでも弥次喜多さんも狐に
たぶらかされたとか・・・。
後油は、天然記念物に指定されている旧東海道随一といわれている
松並木が続いているがこれは見事なものだ。359本、一本一本に
番号札がつけられている。
これまでの藤川、知立の松並木も立派だったが、御油はうっそうとし
た松並木の雰囲気が街道そのもの、昼食も並木のそばで食べた。
後油から豊橋市へ向かう。
この道中は、そんなに見どころはないが、途中で「姫街道」という東海道の回り道として浜松あたりまで浜名湖を迂回する街道があったが、その入り口にも行ってみた。
姫街道には、いろいろ説があるが、新居宿での女性の調べがきつかったので遠回りをした女性が多かったらしく姫街道と言ったとか・・・。
弥生時代の遺跡、瓜郷遺跡や親子の悲哀物語の子だか橋を渡り聖眼寺前では、年配の男性から"定年後のお楽しみですか"と話しかけられた。
一番いやな話だが、とても気さくな人で豊橋の話をしてくれた。
写真も気安く撮ってくれた。
豊橋の真ん中を流れる豊川が見えるところでベンチに腰かけてのん
びりと休憩時間は、計画してきた通りで、ずっと、うまくすすんで
楽な歩きができた余裕。それにしても豊川は大きな川だ。
あとから、その豊川にかかる豊橋を渡るのだが
「豊川→とよがわ」、「豊橋→とよばし」と濁って読むことが橋に
かかれたかなでわかった。それならなんで「とよばし市」にしない
んだろう?
豊川を渡り豊橋市の吉田宿に入ると、道標がしっかりとあって歩き
やすい豊橋市が旧東海道の保存に熱心であることがとてもわかる。
道も広くてきれいで迷うこともなく吉田本陣跡にもすぐに発見できた。
有名な鰻やさんの店先に碑がたてられていたのですぐわかった。
オプションで訪れた吉田城跡公園は規模と言い、雰囲気と言いすば
らしい公園。それに路面電車が走っており電車ファンにとってはこ
れは楽しい豊橋時間も予定通りで初日は文句なしのいい一日だった。
そして、待ちに待ったマイフレンドのヒデさんとの対面となった。
ホテルにわざわざ訪ねて下さった。ご婦人が同伴だったので驚いた
が静岡県のウォーキング仲間だと紹介されて二度びっくり。
食事も一緒にさせていただいた。
ヒデさん、やさしい、会話も上手、お仕事は難しい内容だ
自営だそうで、熱気が感じられる現役バリバリだ。
ぜひ、案内したいとヒデさんに連れられていかれた店にまた驚いた。
豊橋でひとりで食事するなら"ここだ"と決めてヒデさんに会う前に
ちゃんと写真まで撮っていた店だったからだ。
店の名は「きく宗」、東海道名物の「菜飯田楽」を食べさせてくれる
店だが実は、滋賀県の日川でも菜飯田楽が旅の人の名物と聞いて
いたので吉田宿でそれを食べることになったのだからラッキーという
他ない。
菜っぱ(大根の葉)で炊いたご飯と豆腐の田楽だけのシンプルな料
理だが、これが人気メニュー、この店も老舗らしい。
食事をしながら話が三人で弾んだ。いい出会いだった。
ホテルに戻って、休憩がてらテレビドラマをみて
二日目の資料の下調べとコースと時間配分をしていたら深夜1時半
あわてて床につく。
二日目、ねむい、7時のスタート予定を40分おくらせて7時40分に
ホテルを出てコースに入る。
今日のスタートは「吉田本陣跡」、あの鰻やさんの店前からだ。
通りには人影はない。
食事は途中のマクドナルドと決めたのでしばらくは、腹ぺこ・・・
と言ってもほしくはない。
この日の楽しみ三大目標(楽しみ)は
①二川宿本陣資料館
②白須賀宿潮見峠からの遠州灘の眺め
③新居宿資料館
コースとしてはかなりハード、標準は20キロだが、事前の下調べで
コースの近辺にある史跡名所、神社仏閣は見ておきたいのでその分
も含めて26-28キロくらいと予測、迷えばその分が増える。
初めての一日三宿巡りだから道標さがしに写真撮りでフルに動くことになりそう。
昨日の足の疲れはなし。大丈夫だ。
空はくもり、かぜかるので蒸し暑さは感じないが気温は上がるという。
二日目の一番の問題は新居宿資料館の見学時間に間に合うかどう
かだが無理と決めつけるとそういう歩きをするので、間に合わせ
てやろうと思ってそのための歩き方で1時間ごとの時間を地図上
の目的地に書きこんだがすでに40分遅れのスタートで算数がや
やこしい。
帰りの電車は、18時6分のJR新居発大垣行きに乗り、乗りつい
で22時過ぎに新大阪へ戻ってくると最終案の変更はしない。
吉田宿から二川宿までが長い。
早朝はまだ身体が十分に起きていないし無理は禁物とぺースダウ
ンだがついつい40分遅れが気になってしまう。マクドナルドシ
ョップに行くまでにデニーズがあったのでコーヒートーストの軽
食ですませた。
二川に行く前にやや高いコースの上りに差し掛かったので道端で
心拍数のチェック。そして自販機で水の買出し?
お金を入れると
"まいど!”
そして
"おおきに!"
なに???
ここは三河・・・
”おい、自販機君、あんた、大阪から転勤してきたんか?”
???
"しっかり働くんやで!"
と言うたら
"おっちゃんも、しっかり歩きや!""
と言われたような気がした。
まさか・・・
気をとりなおして歩道のない車道が続く下り道をおりきると二川宿へ
JR二川駅前のベンチに腰かけていると
おばあちゃんにつれられた女の子が、”あっ鯉のぼり”と背中を指差
したので顔見てにっこり笑ってやったら笑ってこたえてくれた。
かわゆいなあ。
おっちやんと行こうか!
おいおい、危ない!
このあたりはJRと新幹線が並行して走っている。
ひっきりなしに新幹線が通る。JRはこないなあ。
期待の二川宿本陣資料館は、予想していた以上の充実した内容と
規模とで通りすがりの見学ではもったいなかった。
旧東海道のことを知りたかったらここがいい、できることなら、一日
ノート書きして帰りたいくらいだ。
この二川宿にもっとも多く泊まった大名はだれか宿帳があった。
黒田藩の大名だ、確か56回だったか・・・
その次が、島津藩の28回、まさか篤姫は?いや、もしかして。
自分のこの東海道五十三次歩きが多分34日くらいになると思われ
るがあの人たちは何日で歩いたのか、その何倍かの距離を何千人と
いう人間を従いて参勤交代を続けたのか、いまでも信じられない。
いろいろなことを思いつつ40分ほどで次のコースへ急ぐ。
東海道五十三次に関することを学ぶならここは推薦したい。
当時の本陣と旅籠内部の一部が再現されている。
二川の通りは、いまなお、古い格子窓の家が多く連なっているいい
雰囲気だ。
二川から白須賀宿へは一号線を約4キロ、周囲は畑、道路は車
午後の気温の高いかんかん照りの炎天下をただひたすらに歩くのみ。
その道に入るとき、向こうから来る男性に声をかけたら
やっぱり東京からの五十三次歩きの男性、気さくな人で
今日は、新居から吉田までという。
自分とまったく逆だ、情報交換して別れた。
具からメモ帳と鉛筆をぶらさげて・・・・うーん、勉強方の人だ
歳は同じくらい、膝を痛めて一年ぶりに歩いていると言っていた。
二川で買っていた弁当を一号線の信号横の畑に座り込んで食べて
いると車が止まるたびにこっちを見られている。
こんな時は、パフォーマンス!
大きな口をあけて、おいしそうに、食べるんだ!
どうだ、ほしいか「手鍋親子重」だ。うまい!
でも、玉ねぎ畑のにおいがきついなあ。
このあたりは、たまねぎとじやがいも畑が続く。
途中の小さな境川が、愛知県と静岡県の県境、豊橋市から湖西市へ
とうとう、あこがれの遠江の国だ。
いきなり標識の地名が静岡県になった。あたりまえやけど。
落ち着いた白須賀宿だ。
白須賀宿は、落ち着いた静かな町だ
宿場の跡を残すたたずまいはすくないので碑ばかりを探す
行きすぎてもどったり、ここは、意外と苦戦した。
もともと海べりにあった宿だが、何度もの地震や大津波で壊滅的な
被害を受けたためにいまの高台に移転したという。
その宿から潮見坂へ、ここの展望台から遠州灘が見えた
打ち寄せる波が白く見えるのがわかる・・・感動だ!
二年前に熊野古道で、和歌山県海南市の藤白峠から初めて太平洋
をみたときの感動がよみがえった
海・・・・夢が広がる。いいなあ。
京都からスタートして1年1ケ月、13日目でやっと海の見える
ところへ来た。
狭い展望台にいた先客の男性にあいさつしたが
声が返ってこなかったのでそれ以上はやめた。
ここで心拍数のチェック。水の補給。
着替えをしたかったが近くに男女の乗った車が止まっていたので
足の軽いマッサージをしてスタート。
14時40分。
ずっと40分スタート遅れの時間を取り戻そうと歩いてきたが
ほとんど差は縮まっていない。
展望台の案内板に示されていた時間で新居宿には16時にとても
行けそうにないのでどうするか。
足の疲れはさほどなし。新居宿までコース外の見どころへは寄ら
ないことにしてスピードアップしてみることにした。
ここから一気に急な坂道をふもとの元の白須賀宿へ下りて行く。
途中で自転車を押して上がってきた2人の中学生が
こんにちは、と挨拶をしてくれた。気持ちがいい。
下におりて白須賀の松並木、ここは気に入った。
道の片面だけの松並木なのだが、周辺が明るくて視界が広くて
風もよく通って歩きやすく、どんどんも遅れた時間が取り戻せ
てきた。
ここでも向こうから来た男性に声をかけたら東京から
日帰りという、二川まで行くといっていたが、きついなあ・・
写真を頼んだら心安く引き受けてもらった
お互いに気をつけて!で別れた
二度と会うことはない人と二度と来ることはない場所で
わずかな気持ちの共有がなぜかうれしい。
ヤンキースの帽子をかぶった東の人 お元気で、!
左側は山、右側が畑、その向こうに防風林が続いている。
その向こうは海だ。でも、松で見えない。
新居に入り古い街道を本宿跡、一里塚・・・等を探して
16時15分、予定より15分の遅れで新居関所跡に着く。
受付終了15分前だ。
あー、間に合った!
300円、もう、見学者はだれもいない。
その時の受付の人が後から話しかけて来てくれることになるのだが。
この関所を通過しないことには、お江戸行きはここで終わる。
200円で「通行手形」を買い、「証明書」に印を押して無事通過!
万歳! ばんざい!バンザーイ!
鉄砲がある弓もある、脅しの槍もある
ここの取り調べはことのほか、厳しかったらしい。
とくに女性の出をチェックするための調べはきつかったそうだ
それと鉄砲の入りを阻止するための調べも重要な任務だった。
5時で閉館、外に出てベンチに座っていると
受付のおじさんが、話しかけてきてしばらく話をした
この人も定年退職組、ボランティアガイドをしているという。
東海道も半分ほど歩いているということだった。
短い時間だったが、とても、いい話ができた。
JR新居駅に17時20分、予定の6時8分まで時間があるので
ご褒美の缶ビール、キリンさんの一番さんを人のいない駅の
ベンチで飲みながら、しばし二日間の楽しかった余韻に浸った。
そして、ここからが長い帰り道が始まった。
新居→大垣・乗り換え 大垣→米原・乗り換え 米原→新大阪
22時18分新大阪着。4時間10分。やっぱりつかれた。
今回で53番からスタートして31番の新居宿まで来た。まだ30宿ある。
距離も全コースの半分まで23キロある。遠い。これからだ。
今回も、いろいろな人のお世話になった。
後半は海岸に近いところだったからか風が強くて背中の鯉のぼりも
元気よく泳いで励ましてくれた。
そして足も、くつもしっかり歩いてくれた。感謝だ。
また、道中、励ましメールも二本もらった。
みんなに励ましてもらって歩ける楽しさ、喜びは格別だ。
次回は、新居宿から浜名湖を渡って舞坂、浜松まで。