13日、日帰りで東海道五十三次ウォークに行ってきた記録。
前回に静岡市の第19番目の府中宿まで進んでいたのでその続きの18番江尻宿、17番興津宿から16番の由比宿までを歩いた。
3年計画で70歳の誕生日にお江戸日本橋へゴールすると決めて京都三条大橋をスタートしてから、昨年の68歳の誕生日は愛知県の岡崎市で迎え、今年の誕生日も東海道のどこかで迎えたいと決めていた。
今回は、他県で深夜までの合宿をしていて睡眠不足に陥っていたので、前夜ぎりぎりまで決めかねていたが、睡眠時間3時間ながら目が覚めたので行くことにした。
早朝6時38分の新幹線で新大阪を経ち、静岡駅から在来線に乗り換え一つ目の東静岡がスタート最寄り駅。
朝の静岡市は快晴、日差しも暑いくらい、これなら今回の楽しみ、興津・由比間のさった峠から富士山を望む絶景に会えるだろうと心は早くもわくわくどきどき。
スタートの黄金橋から東海道線の下を通り、静岡護国神社前に寄り静岡鉄道にそって江尻宿に向かう。国道1号線を交差したり側道をすすんだり、いつものことだが交通事故だけには気をつけようと自分に言い聞かせながらすすむ。
東名高速の下を行くと旧清水市、いまの静岡市清水区に入る。草薙神社への大鳥居が道路わきにあるのにはびっくりした。
草薙一里塚を過ぎ、馬走1里山の信号を左へ入り小学校の横をすすんでいると正面に冨士山が見えてきた。すぐそこに見えている!多少は霞んでいるがそれでもはっきり見える。思わず、やった!
電柱や電線が邪魔なので写真はもう少し先に行って撮ろうと思って史跡さがしに夢中になっていて気がついたら、もう、冨士山の姿はなかった。
どれくらいたっていたのだろうか・・・狐に包まれたみたい。ありゃー、しまった! あとのまつり。
道端にいたおばさんに聞いたら、きのうはよく見えていたけど、きょうの天気では見えないかもしれませんね、とあっさり言われた、ショック!
追分踏切と表示された静岡鉄道の踏切を渡り、金谷橋をすすむと追分羊羹の看板が見えてきた、ウォーキングには必ず羊羹を持参するほどの羊羹党だからおやつに買っていこう。店の近くまで行くと様子がおかしい・・・なんと13-14日は改装のため臨時のお休み。工事中、ありゃー、ショック2! 後で知ったのだが有名な老舗だそうだ。
店の隣に「是より志みづ道」と彫られた清水道道標が立っていた。
さらに古い建物の連なる道をすすむと江尻宿木戸跡の石碑が道路わきにひっそりと立っていた。ここから江尻宿の東の入口か。江尻宿は駿府では府中宿に続く大きな規模の宿場だったが、いまその面影はまったくない。
さらにすすみ三叉路を左へ行くと稚児橋に出た。橋の手前に河童の腰掛け石がモニュメントになっていたので、ここは人間の腰掛け石にさせてもらってしばし休憩、コースの確認。
この稚児橋の欄干4カ所にはゆかいな4体の河童があって愉快だった。
このあたりがサッカーの発祥地だという。
稚児橋を渡って右へ、さらに左の伝馬通りをすすみ、信号四つ目の交差点を右へ行くとJR清水駅、12時を少し過ぎたところだったので駅前の商店街で昼食にした。完熟トマトとあさりのカレー、930円、あさりは大好きでおいしかった。
交差点のすぐ近くのしらすの店先に行列ができていた。しらすも大好き・・・でも買ってもこの暑さでは持ち歩きはできないだろうとあきらめた。
再び伝馬通りをすすむ、辻町の三叉路に行くとそこには一本の細い松が立っていて説明板があり、モニュメントになっていた。なんでもここに、かっては360メートルの松原で1106本の松があったそうだが、第二次大戦中に松根油の原料として伐採されたという。
次の興津宿までの道は見所も少なくて退屈な道、それに暑いので、コンビに寄って羊羹とのど飴を買う。レジの年配の男性が、なぜだか、これから、どちらまで行かれますか?と聞いてきたのでさった峠に行きます、冨士山見えますか?と聞くと、昨日はきれいに見えました、・・・今日は霞んでいるのでどうですかね・・・あーやっぱり駄目か!?
延命地蔵前から側道に入り古い屋並みを曲がりながらすすみバイパスをくぐると再び、さっきまで歩いていた道へ出る。
ここで不思議な光景に出会った、向かい側の道路にそった家々が少し斜めになって立っている、後から撮った写真で確認しても確かに斜めだ・・・なんでやろ?
さらにすすむと左手の高台に清見神社が見えてきた、国指定の史跡で家康や秀吉にもゆかりある寺だそうだ。ここに清見ケ関が設けられた時に守護として仏堂が建立されたのが始まりという。
寄っていきたいのだが、道路の反対側ですぐに渡れないし、早くさった峠の富士山に会いたいので我慢して通り過ごした。
また国道1号線に出てすすむ、磯の香りがしてきて興津の町だ。
ここには第17番目の興津宿があったところ。この宿は、東の由比宿との間に難所で知られたさった峠があり旅人には重要な宿だった。海岸はすぐ近くにあるのだが、寄り道をするわけにはいかない、興津西本陣跡、東本陣跡、道路脇に碑があるだけ、広々とした道路は興津の町をまっすぐに通っていて気持ち良く歩けた。
興津宿のモニュメントがある興津宿公園で一休憩。ここで資料の確認をしておく。
興津一里塚を過ぎるといよいよ由比宿へ向かうのみ、その間にあるさった峠が今日一番の楽しみだ、いい誕生日のプレゼントをしてくれるかどうか、とにかく急ぐ。
ここまでほぼ予定の時間通り、足にもまったく問題はないのでこのまますすむ。
興津川にかかる興津橋を渡るとさった峠への標識が目に付いた、左の道、JRの下をくぐってすすむように表示がはっきりとしてある。こちらの持っている資料はこのままJRに沿って直進だ、自転車を押してきた男性に聞くとJRの下をくぐれという、それにそっちからどんどん人が来る・・・はて?資料が古いので道が変わったのか???
でも、ここは、確認しておいたほうがいい、多分、峠へ上る道がいろいろあるのだろうと、資料通り直進する。こちらにもさった峠への標識があったので安心して急な登り坂を行く。だんだんと視界に太平洋が広がってきた。
風に吹かれて残り少なくなった桜の花びらが顔にまで舞ってきて疲れをいやしてくれる。ただ、あたりがうす暗くなってきて、太平洋の水平線と空との区別ができないくらいになった。それに曇って来た。ここで、もう、冨士山の出迎えはないものと覚悟した。
あっけないくらい簡単に峠の最初のビューポイントに着いた。やっぱり富士山の姿はなかった。それでも写真で目に焼き付いていた風景が広がっていた、イメージ通りだった。
しばらくすすむと二人ずれの男女に出会った。
今日が誕生日なので記念の写真を撮っておきたいと話すと“おめでとうございます”と言って親切に撮ってくれた。地元の夫婦でこの峠は散歩道にしているという、大阪から来たというと冨士山の見えないことをとても残念がってくれた。“お気を付けて”と言って自分が来た道をすすんで行った。
とても気持ちのいいご夫婦だった、ありがとう、お二人さん。
次のビューポイントの小さな展望台に行った、ここには何人かの人がきていた、同年配の二人に声をかけた、この人たちも地元の人で車で来たという。このあたりのこと、由比宿のことを説明してくれた。昨日は、向かいに伊豆が見えたという、また、ここからの伊豆の夜景もきれいだと言っていた。
峠の下りで夏みかんの収穫をしていたおじいさん・・・といってもこちらと変わらないかもしれない・・話かけたら夏みかんを一個とってくれた。たった一個だが、自宅まで持ち帰って食べた、みずみずしく甘くておいしかった。
ベンチで携帯電話をのぞいてみると誕生日祝いのメールが数通入っていた。ブログを読んで知ったという、とくに思いもしなかった人からのお祝いメールは余計にうれしい。
峠を降りるとそこは興津宿と由比宿の中間にあたる間の宿、間の宿西倉澤だ。
ここには昔の茶店の建物が保存され、宿場の雰囲気が漂っていた。一方が山、一方はJRと海。狭い一本道が曲がりながら町を貫いていた、旅人はここで一休みするか泊まってさった峠に向かったのだろう。
さくらエビ日本一という標識がいたるところに掲げられていた、ここはさくらエビの本場、今が旬なのだろうか。ゴールのJR由比駅にはほぼ予定通り午後4時半に着いた。約39,000歩。
さくらエビで早い夕食でもと駅前のさくらエビの大きな看板のある食堂に行ったら本日定休日、あー、がっかり。
4時57分の電車で静岡駅へ、新幹線こだまはすいていた、缶ビールでひとり乾杯!
思い切って69歳の誕生日にきて、楽しく歩くことができていいスタートになった。60代最後の1年、いい年にしたい!