昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

Gさんの奥様からのはがき。

2010-11-30 21:48:54 | 交流
仕事上のつながりがあった某社のG部長について
10月の22日に「また仕事を一緒にしたい!」と書き
11月8日に亡くなったことをここに書いた

今日、そのGさんの奥様から丁重なはがきをいただいた
一度も会ったこともない奥様だったので驚いた

「・・これまで人前で涙を流したのは(自分の名前)の
前の1回だけだった・・」とGさんが奥様に話していた
そうだ

少なくとも大人になって人前で涙を見せたことがなかった
というGさんの自分の前で流した涙とはなんだったのか?
いまとなっては想像はできても本当のことはわからない

あの日見舞いを終えて帰り際に「また仕事を一緒をしよう!」
とかけたことばにGさんがあふれるようにこぼした涙
強気の人で涙など見せる人ではないと思っていたので驚いた

Gさんが自分にだけ流して見せた涙を心のコップに納めて
いつまでも乾かさないように忘れないようにしていこう!

Gさん、天から見ていてくださいな!


ライバルを探せ!

2010-11-29 22:37:26 | 交流
「風邪」に苦しめられた二週間、やっと快方に向かった
ここに風邪のことを書くのは自分の甘さを証明するようなもの
実にだらしないこと・・・書かなければ!そうはいかない。

先週の金、土曜の二日間、一緒に勉強したメンバーが週明けの
今朝、新たな決意をメンバー限定の掲示板に力強く書き込んできた

次回の勉強会までに決めた目標に対していかに取り組むか・・・
その間、あわただしい年末があり、年頭を迎えるのだから計画的に
チャレンジしていかないと流されてしまう

毎週初め「励ましメッセージ」を掲示板を使って送り続けている
のだがメッセージが風邪をひいているとうつしてしまう!

そこで「励ましメッセージ」だけでなく「ライバル宣言」をした
たとえ立場が違えども自分も同じようにチャレンジしている姿を
見せないといけない

自分の周りを見渡しても「ライバル」として思える人はいない
むしろ若い彼らを「ライバル」に仲間にしてもらうほうがいい

父親をなくして待ったなしに継がなければならない者もいる
なにから手をつけたらいいのやら混乱の中でも進む以外ない

理屈は後で!

いま頑張らずにいつ頑張る!


龍馬伝と天からのささやき、朝が来るぜよ!

2010-11-28 23:58:05 | ひとりごと
”ブログ書いた?”

天からのささやき・・・・

目が覚めた!


秋田県から勉強会に参加していた人に

「ど辛」というお酒をいただいたので

それを飲みながら龍馬伝の最終回を見た


そのまま横になっていたら・・・

いつのまにか寝てしまっていた


”ブログ書いた?”

夢の中のそんなささやきに

あわてて起きた


そこまで「ブログ」を書くことが

大事な日課になっているのかなあ

改めて習慣の力、習慣力の凄さを確認した


きのう勉強会で「習慣」の持つ力について話した

いいクセ、いい習慣を身につけると

無意識に反応していい結果を生む


天国からの無意識のささやきに反応するのだろう

地獄からのささやきに無意識に反応するのは困るので


いい習慣の種を蒔こう!

いいささやきを聞こう!


それにしても龍馬伝は楽しませてくれた

”朝が来るぜよ”

このことば、大切にしよう。

無事に仕事完了、ほっとした!

2010-11-27 22:33:05 | 仕事
二日間の勉強会を無事に終えてほっとした

咳の残る状況で多くの時間をしゃべり続けるのは

かなりきつかったが参加者の熱心な学びの態度に

後押しされ、むしろ元気をもらって仕事に支障は

まったくなくてほっとしている。


明日は一日ゆっくり、のんびり休養をしたい。


長引く風邪にうんざり!

2010-11-26 23:25:00 | 健康
風邪は大方なおったと思っていたのに

今日は朝から夕方まで勉強会を開催して

咳が再発し集まってきたメンバーに

見苦しい場面を見せてしまった

健康管理、命の管理の甘さを言われても

言い訳にもならない

勉強会のあと、夕食会を開催したが

迷惑をかけないように端に坐って我慢した

心配までかけてしまって心苦しい

明日も一日、同じメンバーで勉強会がある

これ以上に心配かけないようにしないと。


相国寺・大徳寺・禅宗の名刹を訪ねて。

2010-11-25 23:13:25 | 古寺巡礼
午後からぽっかり穴があいたので来週に訪ねるつもりだった
禅宗の名刹、京都の相国寺と大徳寺の特別公開に行くことに
した。

京都駅に着いたのが12時半、駅前の烏丸通りをまっすぐに
上がっていくと相国寺に行くが時間を節約して地下鉄で五つ
目の今出川で下車した

駅上の同志社大学の一角にある旧薩摩藩邸跡の石碑を訪
ねた後大学の北側にある相国寺へ向かった。



相国寺を訪ねるのはほんとうに久しぶり、平成になってからは
初めてかもしれない、境内を散策してなつかしさがこみ上げた。

西門から入るとすぐ左手に水上勉の「雁の寺」の舞台になった
塔頭の一つ、拝観は中止していたが紅葉が壁越しにきれいに
見えた。



相国寺は京都五山第二位の名刹、鎌倉五山で言えば二位は
円覚寺か
観光寺ではなく関西意外ではあまり知られていないかもしれ
ないが格式の高いお寺で広い境内はいたるところに紅葉が
すすみ静かで人影もあまりない静寂の中をのんびりと散策を
した。




相国寺といえば「鳴き龍」が有名、法堂内の天井に描かれた狩野
光信による鳴き龍の絵は、下で手を叩いてみると反響音が返って
くる
久しぶりに手を叩いてみたらちゃんと返ってきた

1605年に豊臣秀頼によって再建されたこの法堂は日本最古と
言われている壮大な建造物でそばに行くと圧倒されてしまう。



続いて普段は非公開、いま特別公開中の開山塔に向かった
ここ前庭は10数個の山石を配した枯山水、それに見事な紅葉
が白砂と白壁にマッチして一段と鮮やかの見えた。




法堂では拝観者は自分だけ、案内の人を独占し、開山塔でも暫く
はたった一人で案内役の人を一人占めして贅沢な時間を過ごした。



次は「上御霊神社」を目指して行く
上御霊神社の門前右側に「応仁の乱勃発地」の石碑が建って
おり、ここは歴史上で知られている応仁の乱が起きたところ





8代将軍の足利義政の跡目争いに、東西の有力な守護大名で
あった山名宗全と細川勝元がそれぞれを支援し対立、その乱
が勃発したのがこの地で京の町は戦火に焼かれ、やがて戦い
は全国に広がり10年も続いた

将軍の権力争いから始まり室町幕府の権威を著しく失墜させ
のきっかけとなった応仁の乱が勃発したのがこの神社の一角
であった



ここから大徳寺へ、14時50分、少し距離があるがウォーキング
で行くことにしてここは速歩で歩いた。

途中、偶然に「紫式部」の墓所の前を通りかかりお参りしていたら
高校生くらいの男の子二人がお参りにきたのに驚いた・・・?



隣に並んで小野篁の墓。



15時25分大徳寺に着いた、この時間では拝観個所は限られる
こちらは7-8年振りか、大徳寺と言えば「一休さん」、応仁の
乱で被害を受け荒廃していた大徳寺を再興させたのが一休さん
だった。

おなじみの壮大な三門に「金毛閣」の扁額がかかっているが、
三門の二階にかかっている金毛閣に利休が自分の像をおいた
ことから秀吉の怒りをかい死に追いやられたことで知られている。




大徳寺は広い境内に22の塔頭寺院があり、いくつかが特別
公開中だが時間が限られていたので国宝の本坊方丈を訪ねた
ここには国宝の唐門、枯山水の庭園があり案内の人の説明を
聞きながら観光客の人達とひとめぐりした。撮影は禁止。



あたりは暗くなっていたがせっかく来たのだからと16時半まで
拝観できる大仙院の特別公開に行ってみた、これが素敵な出会
いを生むとは!



いきなり入口に

”いま頑張らずにいつ頑張る”と大きく書かれた書が迎えてくれた
おっ、すごい、ありがとう! ついついひとりごとで応えた。



ここのお坊さん、尾関宗園さんのことばだ
超有名なお坊さんで本を沢山書かれておりテレビでもおなじみ、
帰りに買って帰ろうと暮れゆく空に紅葉が映える枯山水の庭園
をしばらく眺めていた
ここには狩野派の人達の襖絵をみることができた。

帰り際に本を求めていくとなんとそこに尾関住職が坐っていた
声をかけたらきさくに、しかも、熱っぽく語りかけてもらい17時ぎり
ぎりまで書籍コーナーで話をさせてもらった



ほしかった本を二冊買ったらサインもしていただいた上におまけに
一緒に写真に写っていただきほんとにラッキー、大変な得をしたと
思った
このお礼は「徳を積む」ことでおかえしをしないと・・・。




お礼を言って失礼して、ここからウォーキング1時間、元の地下鉄
今出川駅まで歩いて京都駅経由、新大阪へ戻ってきたら19時に
なっていた。
約23,900歩、楽しい一日だった。

さあ、明日は買ったばかりの本と今日の話をみんなに聞かせよう。

お役にたちたいが・・・困った!

2010-11-24 22:14:38 | 交流
仕事場のビルの管理組合の総会が17時半から開かれた
かってここの管理組合で副、正の理事長を経験しているが
とにかくスムースに終わる総会は過去、数えるほどしかない

多くの入居者にいろいろな分野の専門家がいるために
難しい議案ほど簡単には賛成を得ることができないのだ

去年は収拾がつかなく4時間もかかる大混乱になった(その日は欠席)
今年は弁護士も出席して説明のフォローもしたが3時間かかっても結局
大事な議案は否決されてしまった

理事長の苦労は経験者だからよくわかるし協力してあげたいのだが
ビルのこと、使用者のことを考えると駄目なことはダメ

新理事の議案まで否決されて管理組合は船出もできない
明日の大事な仕事も完治しない風邪のことも気になり途中退席のつもりが
発言を続けたばかりに理事に復活せよと指名をされてしまった!

とんでもない!

近日中に他薦、自薦で理事の再募集をするということでとりあえず閉会

ほんとうに困った・・・

お役に立てることなら引き受けるべきと何事もそう対応しているが
ここだけはもう勘弁してほしい
時間のある人がやったらいいことで現役で細々と仕事をしている者が
貴重な時間をとられすぎては困る、もうこりごりしてるんだから



自分に残された時間は限られているのだから同じ役にたつなら
自分が生かせる分野でお役にたちたい

ついついなんでも引き受けてしまう時期はもう過ぎてしまっている
安易に、無責任に、義理で、自分でなくてもいいことに手は出すな!
と言い聞かせて。


かぐや姫と京都・西山の里を紅葉めぐり!

2010-11-23 22:36:20 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会で京都の
西山(洛西)へ行った

9時半にJR向日町駅に10名が集合、昨夜からの雨は
上がったが気温は低く風が冷たい
あわててマスクをしたが咳は相変わらず止まらない
メンバーにうつしてはいけない、大丈夫かなあ

リーダーを囲んで駅前ストレッチをして今日を担当する
女性のみやちゃんから資料を渡され下見した彼女を先導
に出発、今日は新入りのお試し参加者があり楽しみ

コースの前半はきれいに整備された竹林の道を上り下り
しながらフリーウォーク、この地は「かぐや姫」伝説の
発祥の地と言われるだけにきれいに整備された竹林の径
は土で足に優しくてとても歩きやすい



竹林の中に突然現れた古墳(寺戸大塚古墳)



桓武天皇皇后稜



元稲荷古墳公園で昼食、ビニールシートを敷いてみんなで
にぎやかな食事時間は楽しい、来月の例会、特別例会の
予定も決定して午後のコースへ向かった

午後からはかって日本の中心が一時期あった「長岡宮跡」
を訪ねる



いま奈良の遷都1300年祭は終盤だが、その平城京から
784年に桓武天皇によって遷都されたのが長岡京である
ことはよく知られている



ただその遺跡はほとんど残されておらず大極殿跡はわずか
公園として整備されいまは記念碑だけが建てられている



その長岡京は794年に平安京へ移されたのでわずか10
年間の都だった
それも桓武天皇と遷都に尽くした藤原種継が795年に暗殺
されたが、それに桓武天皇の弟、早良親王が加わっていたと
疑いがかけられ親王は乙訓寺(後ほど説明)に幽閉された後
流罪として淡路島へ護送中に亡くなった

その後、天皇の母、皇后の死、皇太子の重病、悪疫の流行等
が続き怨霊のたたりと都を恐怖に陥れたために長岡京から
平安京へ移ることになった

W倶楽部の9月例会で平城宮跡を訪ねていたので今日の長岡宮
跡の訪問は1300年前の歴史の流れを思うと感慨深いもの
があった

集落の小道をたどりながら聖徳太子が創建した乙訓寺へ急いだ
山門前に「弘法大師ゆかりの寺」と大きな石碑が建っているが
怨霊のたたり説が続くのを鎮めるために嵯峨天皇が弘法大師に
期待してここに任じたとつたえられている
また弘法大師と伝教大師(最澄)が出会い仏教を伝授しあった
お寺だというのだから驚いた



弘法大師と客殿


弘法大師が中国から持ち帰ってきたみかんの木を植えた


乙訓寺から歩いて35分、最後は紅葉で有名な光明寺へ、一番の
楽しみだったが期待していた以上に見事な紅葉で迎えてくれた
それにしても大変な人で広い境内は人並みが続いていた
説明より写真で!

法然さんに迎えられて







わが倶楽部の元お嬢様たちも紅葉に酔ったのか赤く染まっていた



帰り途に長岡天神へ寄って阪急向日町駅前の喫茶店でゆっくりと
ティータイム、そして阪急とJRに分かれて戻ってきた



お試しさんも元気に歩いてくれたのでほっとした。


人間活動。

2010-11-22 22:36:53 | ひとりごと
朝でかける前に天気予報を見ようとつけたテレビに

宇多田ヒカルという歌手(シンガーというのか?)が

「人間活動に専念する」とインタビューかなにかに

興味深い表現で応えているのが目にとまった


人間活動?

はて?


”このまま一人で何もできないオバさんになりたくない”

「アーティスト活動」を期限を設定しないでやめて

宇多田ヒカルから一人の人間として成長するために

新しいことを勉強したり自分と向き合う時間にしたい


27歳だそうだがシンガーとして自分の世界を築いて

多分、「旬」のまっただ中にいるはずなまに・・・・

アーティスト活動は中断しても人間として自分を磨きたい

ということなのだろう


芸能とかタレントの中には同じような立場、年齢の人が

たくさんいるはずだがこんな話を聞いたのは初めて

それだけにその謙虚さと勇気に新鮮な驚きを感じた

なかなか言えない、できないことだと思う


かっての演歌歌手、藤圭子さんの娘さんだということは

かろうじて知っていたが復活の日の言葉を聞きたい!

「人間活動」・・・すばらしいことば

自分もわすれてはならないこと。


本の整理(2)

2010-11-21 23:40:24 | 本・読書・音楽
3日前に「本の整理、どうすりゃいいの!?」と

書いたが、できることから整理することにした

しばらくは誰かにあげる本を選んでみたい


去年は不用と思う本を段ボールに詰めゴミにして

捨てたが大事にしてきた本を捨てるのは残念だし

かわいそうで気持ちがいいものではなかった


もし誰かが読んでくれるならそれが一番嬉しいし

新しい持ち主さんに活用してもらうなら安心する


さし当っては今週後半の勉強会に数冊を持っていって

スピーチコンテストや頑張った人にプレゼントしたい


赤線を引いて読むくせがあるのでそれらは別にして

きれいな本を選ぶのは面倒なことだが続けてみたい


それでも仕事に関する本を読んでくれる人はほとんど

心当たりがないので残念・・・・

もし、ほしい人がいたら仕事場へ来てほしい

もちろん譲れるものに限るが・・・。


今年初めて紅葉訪ねて京都まで。

2010-11-20 23:28:51 | 古寺巡礼
ゆっくり寝過ぎてあわてて病院に行ったら
受付時間はぎりぎり間に合ったものの
廊下まで待つ人でいっぱいでとても待てない

おまけに暖かくて快晴とくりゃ紅葉が頭をよぎる
まだ咳が残りマスクをしたままなのだが行こう!
頭や顔や足や気力が風邪ひいてるわけじゃないから
ということで想定外のことだったが京都へ向かった

午後だけだから京都駅近くの紅葉のお気に入りへ行こう
そうだ洛南(京都駅の南方面)の泉涌寺と東福寺がいい!
京都駅経由の奈良線東福寺駅で降りたら13時50分過ぎで
駅も駅前も大変な人出、右東福寺方面への道は人、人、人・・・
こちらは行く人の少ない左の泉涌寺へ向かった

総門から大門へ向かう上りの参道の左右に泉涌寺の塔頭が続く
泉涌寺は御寺と尊称される皇室ゆかりの菩提所で雰囲気も違う



塔頭のうち三ケ所だけ立ち寄ったが一つ一つが立派なお寺だから
ゆっくり過ごすとそれだけで時間が(拝観料も)かかってしまう
そのうち1ケ所、西国三十三カ所霊場第15番札所の今熊野観音寺に
初めて寄ってみた、ここは弘法大師が建立したお寺だが熊野詣でを
繰り返した後白河天皇が信仰の山として大事にしていたらしい





ご朱印をもらって再び参道を上りつめるとやがて泉涌寺の大門へ
泉涌寺も弘法大師が庵を結んだのが起源、後に月輪大師が再興し
境内に湧いた泉にちなんで泉涌寺と改称した



他の寺院と違うのが入口の大門から伽藍が坂下に配置されていること
そして背景の東山三十六峰の一峰、月輪山の麓に包まれるように佇む
品格のある景観が泉涌寺の何よりの魅力でとくに好きなところ



伽藍は仏殿、舎利殿と続くが仏殿は内部を公開中で運慶作の如来様と
狩野探幽の筆竜の図を描いた天井も見ることができた



本坊からお目当ての御座所庭園へ、ここが泉涌寺へきた一番の目的だ
写真の通りすでに紅葉は見ごろで見事という他に言葉がなかった





帰り際に忘れてはならない泉涌寺の拝観所・・・とくに女性にとっては
寄りたいところだろうと思うあこがれの場所・・・それは大門のすぐ横に
絶世の美人さんがいらっしゃるのだ・・・・
楊貴妃観音堂の重要文化財楊貴妃観音さま!



パンフレットから・・・楊貴妃は糖の玄宗皇帝の妃として、また絶世の
美女として知られている。寺伝では玄宗は亡き楊貴妃を偲んで等身
座像にかたどった聖観音菩薩像を彫らせたという。
この像は建長7年(1255)湛海律師によって当寺に請来された。
その威容の美しさ、尊さは人々の心をとらえて離さない。・・・

確かに美しい楊貴妃さんの観音像だが、中に入ってお参りしているのは
若い女性ばかりで・・・どうも、どうも 、爺ですみません・・・

あっ、あの子、美人願いのお守り買ってる! 
見たらあかん!
じいさんが来たらあかんところや!

15時半を過ぎていたのであわてて次の東福寺へ急ぐ
途中の道は人であふれてさすがに紅葉の名所東福寺は違うなあ



東福寺は京都五山・第四位の臨済宗東福寺派総本山、東大寺の「東」
と興福寺の「福」から東福寺と名付けられたとか、すべての伽藍が古くて
とにかく規模が大きい

渓谷に架けられた橋廊(通天橋)を渡りながら渓谷の紅葉を楽しむのが
東福寺なのだが時間的なこともあってあきらめて通天橋の見える臥雲橋
から紅葉を眺めただけにした、それでも渓谷いっぱいの紅葉は見事だった



それから日本最古の巨大な禅宗三門、その北にあるこれまた巨大な本堂、
それに禅堂も大きい、公開中の方丈庭園も見たかったが・・・




・・・帰り途は東福寺の塔頭、芬陀院(雪舟寺)の画家・雪舟が築造
した雪舟庭園がみたくなって慌てて急いで向かい拝観には間に会った
もののすでにうす暗くなりかけていた

それでも大勢の人が来ていて、うす暗い白砂の海に鶴石と亀石を配置した
枯山水庭園を、ただじっと坐って眺めている坐女達、何が見えているのか?
何を感じているのか?何を思っているのやら・・・大事な大事な対話の時間
人々の心も晩秋仕様に染まっているのかなあと思った





同じ歩くなら素敵な出会いをしたい、その気になればいたるところで仏様
が待ってくれている、ご尊顔を眺めているだけで心が暖かくなるような気
がしてこれも歩けるからこそ叶うこと、もしかしたら仏様が歩かせて下さって
いるのかもしれない、今日も3ケ寺で書いていただいたご朱印の言葉は
ご本尊の命の教えだから大事にしたい

わずか数時間だったが、暖かかったので風邪も気にならず、今年初めての
紅葉と心のお土産をもらって楽しんできた。

天国と地獄、ふるさとからみのニュース。

2010-11-19 23:18:04 | ひとりごと
”私が1位でいいの”とお母さんに電話で話したという

ジュネーブ国際音楽コンクールのピアノ部門で優勝した
萩原麻未さんのピックなニュースが飛び込んできた
広島市出身の23歳のお嬢さんという

弾き終わった後は疲れて控室で1時間ほど寝ていたら
「表彰式だから来て下さい」と言われ目覚めてボーッと
した状態で式に参加したという
テレビで表彰式を見てそんな雰囲気も伝わってきた

ピアノ部門で選ばれたのは8年振りとか、すごい!
ふるさとの広島出身ということだから格別にうれしい


午後1時から夕方までテレビの参院予算委員会を見ていたが
同じ広島出身の柳田法務大臣がふるさとで開いたパーティーで
国会を軽視するような軽率でお粗末な発言に対して
今日の参院予算委員会で野党から集中砲火を浴びていた

野党各党は柳田氏の辞任要求で問責決議案を提出するらしいが
野党が多数を占める参院だからおそらく可決するだろう

内閣の支持率が急降下しているさなか、管さんはまた身内に火種
をかかえてしまったねどうして消すつもりなのやら

同じふるさと広島出身の二人のニュースなのだが柳田さんは
恥ずかしいなあ・・・こうなったら潔くだな。

本の整理、どうすりゃいいの!?

2010-11-18 23:25:44 | 本・読書・音楽
風邪がまだ完治しないので仕事場でのんびりと一日をすごした

久しぶりに本の整理をしたくなったので書棚や部屋のあちこちに

積まれた本を入れ替えてみたくなった


とくに普段は目の届かない書棚の後列に隠れてしまっている本を

久しぶりに見るとなつかしくてついついページをめくってしまう

そして坐りこんで読み始めてしまう


これじゃだめだ、

整理の目的の一つはもう捨ててしまっていい本を選ぶことなのに

読んでばかりで整理はほとんど先にすすまなかった


それより引っ張り出した本が乱雑にあちこちに置いてしまって

結局は整理どころか散らかしたようなもの


捨てようと仕分けた中からこの二冊も元の後列の隠れ場所へおさまった




平成13年、昭和61年に買った本でかなり古いが内容は心に響く

だから何度かの仕分けを乗り越えてきたのだろうと思う

当分は安心して隠れ家でしたたかに生きていきそう・・・


しかしこれじゃ本の整理は進まないなあ

むしろ増え続けるばかり・・・

だれかに仕分け人をお願いしようか。



嬉しさと淋しさのお別れの日。

2010-11-17 23:00:30 | 仕事
三日前に「お祝いのメッセージ!」で書いたメンバーの

最後の勉強会が午後から参加者の親(経営者)を交え合同

勉強会として開催された


北は青森から西は広島まで、現役の経営者といずれ後継

する候補者の息子と親子が席を並べて学習をするという

これが長期に渡る研修の恒例の最終プログラム

自分に与えられた時間はわずか、しかし、まとめの話を

しなければならないので例年のことながら気も遣った


しかし風邪気味でかすれ声がなおっあらずきれいな声(?)

で最後の快心の話ができなかったことが残念

プロとして万全の体調管理ができなかったのは恥だ

それでも頭や心が風邪ひいていたわけではないので伝えて

おきたいことは話しておいた


7時前からは会場を某ホテルに移して研修生と両親と

スタッフが参加しお祝いの夕食会が開かれて別れを

惜しんで話がつきなかった


来週からはそれぞれの会社に戻りいよいよ本番が始まる

8ケ月間にわたる厳しい研修で逞しく成長した若者達よ

現実は厳しいが負けないで一歩ずつ確実に歩いてほしい。


思えばこの8ケ月に渡る年1回の勉強会をお手伝いして

平成元年から22年、22回目になった

送り出した後継者の人数は・・・

その中から後継している卒業生は・・

驚く人数になっている

まさかこんなに続くとは思いもしなかった

自分にとってはひそかな誇りごと。


危機感が自分を育てる。

2010-11-16 16:22:04 | チャレンジ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
 
 年齢に危機感を持たないといけない
  
 年齢を言い訳にしてはいけない

 努力に年齢は関係ないんだから
 
 危機感が自分を育てる

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

きょうも新大阪駅のコンコースを歩いていたら横から
自分の名前を呼ぶ声が聞こえた

声のほうを向くとYさんだった
7月に名古屋で古希祝いをしてもらった時に会ってから
4ケ月なのに一回り大きくなっているような気がした

もう6年も前になるか半年間一緒に勉強した時の一人だが
当時は弱々しく、頼りなくて果たして社業が継げるだろうか
案じたものだったがそれは今となってみれば危惧だった

セミナーに行くところだと言っていたので会話することは
できなかったが相変わらずよく勉強しているなあと思った

当時の同期生で卒業後も定期的に勉強会を重ねていることは
彼らの掲示板でよく知っているし相互学習の効果は大いに
あると思うが本人の仕事に対する熱心さと社業への責任感が
根底にありそのための努力を続けていることだと見ている

これなら社業を継ぐのも早いかもしれないと後ろ姿を見送り
ながらそう思った
自分の目にYさんはそう映ったのだが

果たして
Yさんの目に自分はどう映ったのだろうか・・・
ふとそんなことを思った

あれから6年、年を重ねた外観は仕方ないことだが

あの人も歳をとったなあ・・・と思われたか
あの人は歳をとったが・・・あの年齢なのに!
と何かで感じてもらえただろうか

そうでなければ生涯現役といくら言っていても
仕事の契約はもらえない

いまは毎日毎日が崖っぷちにいる自分なんだぞ。