午後からぽっかり穴があいたので来週に訪ねるつもりだった
禅宗の名刹、京都の相国寺と大徳寺の特別公開に行くことに
した。
京都駅に着いたのが12時半、駅前の烏丸通りをまっすぐに
上がっていくと相国寺に行くが時間を節約して地下鉄で五つ
目の今出川で下車した
駅上の同志社大学の一角にある旧薩摩藩邸跡の石碑を訪
ねた後大学の北側にある相国寺へ向かった。
相国寺を訪ねるのはほんとうに久しぶり、平成になってからは
初めてかもしれない、境内を散策してなつかしさがこみ上げた。
西門から入るとすぐ左手に水上勉の「雁の寺」の舞台になった
塔頭の一つ、拝観は中止していたが紅葉が壁越しにきれいに
見えた。
相国寺は京都五山第二位の名刹、鎌倉五山で言えば二位は
円覚寺か
観光寺ではなく関西意外ではあまり知られていないかもしれ
ないが格式の高いお寺で広い境内はいたるところに紅葉が
すすみ静かで人影もあまりない静寂の中をのんびりと散策を
した。
相国寺といえば「鳴き龍」が有名、法堂内の天井に描かれた狩野
光信による鳴き龍の絵は、下で手を叩いてみると反響音が返って
くる
久しぶりに手を叩いてみたらちゃんと返ってきた
1605年に豊臣秀頼によって再建されたこの法堂は日本最古と
言われている壮大な建造物でそばに行くと圧倒されてしまう。
続いて普段は非公開、いま特別公開中の開山塔に向かった
ここ前庭は10数個の山石を配した枯山水、それに見事な紅葉
が白砂と白壁にマッチして一段と鮮やかの見えた。
法堂では拝観者は自分だけ、案内の人を独占し、開山塔でも暫く
はたった一人で案内役の人を一人占めして贅沢な時間を過ごした。
次は「上御霊神社」を目指して行く
上御霊神社の門前右側に「応仁の乱勃発地」の石碑が建って
おり、ここは歴史上で知られている応仁の乱が起きたところ
8代将軍の足利義政の跡目争いに、東西の有力な守護大名で
あった山名宗全と細川勝元がそれぞれを支援し対立、その乱
が勃発したのがこの地で京の町は戦火に焼かれ、やがて戦い
は全国に広がり10年も続いた
将軍の権力争いから始まり室町幕府の権威を著しく失墜させ
のきっかけとなった応仁の乱が勃発したのがこの神社の一角
であった
ここから大徳寺へ、14時50分、少し距離があるがウォーキング
で行くことにしてここは速歩で歩いた。
途中、偶然に「紫式部」の墓所の前を通りかかりお参りしていたら
高校生くらいの男の子二人がお参りにきたのに驚いた・・・?
隣に並んで小野篁の墓。
15時25分大徳寺に着いた、この時間では拝観個所は限られる
こちらは7-8年振りか、大徳寺と言えば「一休さん」、応仁の
乱で被害を受け荒廃していた大徳寺を再興させたのが一休さん
だった。
おなじみの壮大な三門に「金毛閣」の扁額がかかっているが、
三門の二階にかかっている金毛閣に利休が自分の像をおいた
ことから秀吉の怒りをかい死に追いやられたことで知られている。
大徳寺は広い境内に22の塔頭寺院があり、いくつかが特別
公開中だが時間が限られていたので国宝の本坊方丈を訪ねた
ここには国宝の唐門、枯山水の庭園があり案内の人の説明を
聞きながら観光客の人達とひとめぐりした。撮影は禁止。
あたりは暗くなっていたがせっかく来たのだからと16時半まで
拝観できる大仙院の特別公開に行ってみた、これが素敵な出会
いを生むとは!
いきなり入口に
”いま頑張らずにいつ頑張る”と大きく書かれた書が迎えてくれた
おっ、すごい、ありがとう! ついついひとりごとで応えた。
ここのお坊さん、尾関宗園さんのことばだ
超有名なお坊さんで本を沢山書かれておりテレビでもおなじみ、
帰りに買って帰ろうと暮れゆく空に紅葉が映える枯山水の庭園
をしばらく眺めていた
ここには狩野派の人達の襖絵をみることができた。
帰り際に本を求めていくとなんとそこに尾関住職が坐っていた
声をかけたらきさくに、しかも、熱っぽく語りかけてもらい17時ぎり
ぎりまで書籍コーナーで話をさせてもらった
ほしかった本を二冊買ったらサインもしていただいた上におまけに
一緒に写真に写っていただきほんとにラッキー、大変な得をしたと
思った
このお礼は「徳を積む」ことでおかえしをしないと・・・。
お礼を言って失礼して、ここからウォーキング1時間、元の地下鉄
今出川駅まで歩いて京都駅経由、新大阪へ戻ってきたら19時に
なっていた。
約23,900歩、楽しい一日だった。
さあ、明日は買ったばかりの本と今日の話をみんなに聞かせよう。