去年の7月9日に高野山を訪れた際、根本大塔横に立つ一町
石をみて、必ず180町石からここまで歩くぞと心にきめて今年
後半の予定に入れていた。
(19年7月9日、高野山のブログ作成あり)
世界遺産の高野山には高野七口と呼ばれる入口が七つあるが
そのひとつ、九度山の慈尊院から高野山上西口の大門に至る
表参道には、大門前の1町石から上り口の慈尊院まで180町
石があり、今回はその道を二回に分け、慈尊院から笠木峠まで
を歩くことにした、お天気もよく思い出になるいい歩きをしたい。
この町石道は、弘法大師空海が高野山の開山時に人々が険し
い道に迷わないようにと木製の卒塔婆(そとば)を道しるべと
して立てたのが始まりだそうだ。木製のため朽ちてきたため
に鎌倉時代になって弘法大師の生誕地、讃岐産の花崗岩を使
って石塔に立て替えられたという。
6時50分に自宅を出て9時前に南海電車高野線九度山駅に
着いた。同じ電車から30人くらいのハイカーが下りたが、
同じ道をすすむ人は一人もいなくてやれやれ、のんびりと歩
けていいなあと思ったのだが大間違い、後で大変なことにな
ろうとは・・・。
駅からしばらく歩いて真田幸村が関ヶ原合戦後14年間も隠棲
したといわれる真田庵へ立ち寄る。
そこから古い静かな街並みを曲がりくねりしながら空海祈りの
道スタート180町石のある慈尊院へ。
慈尊院は、女高野ともいわれ、有吉佐和子の紀ノ川にも書か
れている。空海の母、玉依がこの地に住んだことから「女人
高野」と呼ばれたらしい。
慈尊院の入口の写真を撮ろうと立ち止まったらどこかから、
なにか大きな声が聞こえてきた。
二度、三度、よく聞いてみるとなにか持って行ってくれと言って
いるように聞こえる。
まわりにはだれもいない
声のするほうをみるとどうやら自分に言っているらしい
私ですか?と大きな声で尋ねると
”・・・を本堂の住職さんのとこへ持って行ってください”
とそこまでわかったのでそばへ行くと柿の皮をむいている
おばあさんがいた。
むいた柿の入った器を住職さんに届けるようにそっけない
言い方で言われた。
顔は、一切こちらをみておらず皮をむく手は休まない
しかも、ぼうしをかぶっていて顔は見えない。
けったいな人やなあ・・・と思いながら
わかりました、と持って行こうとすると
その中の柿をみっつ食べなさいという。
三つですか?
あんたに食べてほしい、と言う。
ほんまにおもろい人や!
わあー三つもですが、うれしいなあ、柿は大好きです!
というと今度は
柿を三つあげるから持って行けという
ほんまに変わっている人や?
これはありがたいとお礼を言って柿はリュックに入れて
おばさん、写真撮らせてもらっていいですか
そしたら、おばさんと会った思い出がずっと残りますから・・
これ、ランドセルの殺し文句。
こっちだって言われてばかりじゃたまらんからな!
皮をむいているところならいいとあっさり撮らせてもらえた
ほんまに不思議な人だった。
柿は、慈尊院を訪れる人に食べてもらう接待のお菓子代わり
なんだろう・・実にみずみずしくて甘くておいしい。
無事に住職さんに届けたらさっそく受付前に置かれた。
とうとう、このおばあさんの顔は見ることができなかった。
あとから気がついたのだが、ひょっとして弘法大師さんの
顔していたのかもしれない忘れられない数分の出会いだった。
ここでもらった三つの柿が道中の後半、水がなくなって困った
とき喉をおいしくうるおしてくれることになったのだから不思
議な話。
本堂
あの柿が・・・
また、四国堂とも呼ばれ、四国八十八か所めぐりの人たち
が訪れることでも知られている。
右手に数人の信者さんか、般若心経を唱えていたので
そっと後ろに行って勝手に一緒にとなえさせてもらった。
ランドセルさん、般若心経知ってるの?と聞かれると
思うが ”もちろん”
教本がなくてもちゃんと知ってるし、大きな声を出して
ちゃんと唱えられるよ!えへんです。
この慈尊院から丹生官省符神社への階段の途中に最初の町
石180町石が立っている。相当に古い石塔だ。
慈尊院を出ると1町(約106m)おきにある石塔を探して
空海の歩いた祈りの道歩きだ。
目標の笠木峠は86町石のはずだ。そこまで、どんな歩きが
できるか自分の「歩行」が始まった。
町石間が短いので油断していると通り過ごしてしまうし目に
つきやすいところばかりでもないだろう・・・
しばらく上り道を歩いていると大群のハイカーが押し寄せて
きてあっという間にその列に巻き込まれしまった。
後ろから次々と来るので、もう、一緒に歩いていく以外ない
と観念した。メンバーになったつもりで上り続けた。
(この大軍は某新聞社ハイキング&ウォーキング健脚ツアー)
元気を出して・・・こんなのへっちゃらや!
かなり上って展望台もまじか、わーいい景色!
おっ、紀ノ川が見えるぞ!
さらに上り続けたところで景色はいいし休憩がてら水分の
補給をしょうと脇道に腰をおろしていたらすぐ近くでバタ
ッと音がした。
振り向くと男性がコンクリート道に倒れている!
動かない
かけよって声をかけても反応しない
大丈夫ですか?
目をつむっている!
すぐ横を大群がのぼっていく
その行列の中から一人の男性が走ってきてくれた!
二人でリュックをはずし、服と帽子を頭の下に敷く
頭の左側から出血している
テイッシュをカバンから取り出し拭く。
やっと気がついて話に反応してきてほっとした
自分のズボンに血がべっとり
手にもいっぱいに血がついているのに気がついた。
その人の連れがやってきて79歳の男性とわかった
しばらくそのまま横になっていたが立つというので
その仲間の人と両側から肩を貸すが立てない。
とても歩ける状態ではないことが素人目にもわかった
ので
周りで見ている人に声をかけ手伝ってもらって草むら
に移動させた。どこにも日影がない上にかんかん照り
このまま放っていたらとんでもないことになるかもしれない
とてもこのままにして行くけにはいかないし
結構な人数が見ているだけで誰も動こうとしない。
・・こんな写真、不謹慎かと思うが自分がこんなことで迷惑
をかけないよう戒めるために)真ん中の人が救急へ電話してる
だれかこの団体の係りの人はいませんかと大声で叫んだが
いない
持っている地図に連絡先が書いてありませんかと叫ぶと
何人もの人がみていたがないらしい・・そんなはずないぞ
だれか緊急連絡してくれませんかというと若い人が携帯で
手際よく連絡してくれるて救急がきてくれることになった。
あーよかった。
日陰に移さないとだめだ!と一人が言ったので
日陰のないのはわかっているやろ!と口に出た。
言うことは言うけれども何も手を貸さないこういう連中には
腹がたつ。
こちらは、二人で顔と胸に日が当たらないように人影を
つくっているのがわからんか!
ご婦人が日傘を貸してくれた
30分ほどして救急車が近くの展望台まできて運ばれていった。
熱中症なのかどうかわからないけど
なにも出来ない自分を情けなく思った。
ウオーキング倶楽部のお世話をしているが
このようなことが常に心配事としてあったので
実際にその場に遭遇してほんとうに怖いと思った。
大丈夫ですよ、これで失礼しますと声をかけたら
”ありがとうございました”と言ってもらえたので
きっと元気を回復してくれたに違いないと思うが
その後どうだろう。
ここで大幅に予定時間を過ぎてしまったので遅れた分も
取り戻したかったが気持ちを落ち着かせるのに時間がかかった。
昼食をするまでおの男性のことが気になってデジカメ写真
を撮る気にもならなかったので、その間の町石は撮っていない。
手についた血を落とすために貴重な水を使ったのでペット
ボトルの水は少ししかなくなった。
そうだ、あの不思議なおばあさんにもらった柿を食べよう
こんなことで、あのおばあさんが助けてくれた。
補修されている町石
古い町石は途中から折れて、隣に新しい町石
昼食もその大群と同じ所ですませ午後のスタート。
通常の町石道を古峠まで行く予定でいたのだが
この団体さんは、町石道をいったんずれて大きく迂回して
やはり世界遺産登録の丹生郡比売神社へ行くと聞いたので
それもいいなあと一緒に紛れ込んで行くことにした。
今度は一気に下って下って天野里へ、里山の風景が開けて
すがすがしい眺めで気持も落ち着いた。
そして赤い鳥居と太鼓橋のきれいな丹生郡比売神社を参拝。
そこからまだ元の高いところにある二の鳥居をめざして上っ
ていく。
この上りはきつくて多くの人が喘ぐようにのろのろ上っていた。
石の鳥居が二つ並んだ珍しい光景。
丹生郡比売神社を遥拝する場所とされていたらしい。
この二つ鳥居で団体さんは下山していくので、そこで別れて
目標の笠木峠までひとりですすむことになった。
やっと自由にのびのびと歩きがてきることになり足もはずむ
やっぱり一人に限る。
途中のうっそうとした杉林、薄暗い峠道も熊野古道にとても
よく似ていてまるで熊野古道を歩いているような気分になった。
弘法大師さんの祈りが込められた町石のひとつひとつをたどり
手を合わせてながら歩いていると不思議と町石に手を当ててみ
たくなる・・・
ご苦労さま、ありがとうございます・・・と思わず口に出る
梵字で彫られている文字や数字も判別できないほどに朽ちた町
石に触れると弘法大師さんのぬくもりが伝わったくるみたいで
刻まれた文字を指で辿ってみる。
こうして高野の自然に包み込まれ、見守られて目的地の笠木峠
までたどり着いた、ここが町石68町目。
今日の目的地・笠木峠、ここから左へ下りて行く。
後半は、今年中に再びここに戻って来て1町石まで歩くことにして
最寄り駅へ下った。
実は、ここから最寄り駅まで急降下の80分が一番しんどい道だった。
だれひとりいない高野山の中腹にある駅の古いホームに座り込んで
下ってきた山に落ちていく夕日をながめながら一日の出会いを思ってみた
あの不思議な慈尊院のおばさんは
弘法大師の使いの人だったのだろう
あの倒れた老人の世話をするのが
自分の役目として与えられたのだろう
血のついたズボンを見ているとこれも
弘法大師さんのぬくもりなんだろう
なんだ、町石道をめぐる小さな巡礼者に
してもらい心の旅をさせてもらった
一日だったと気がついた。
(約35,000歩 高低差が大きくかなりきつい健脚コース)