昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

2008年のブログ最終ぺーシー!

2008-12-31 19:17:24 | ひとりごと
いま、2008年12月31日19時16分
まもなく2008年が暮れていく

なんとあわただしく、なんと気ぜわしく
あれもこれも、消化不良のままに暮れていく

母の死で年賀状を書けない時間だけ
余裕があると思っていたのにそうではなかった

まだメールができていない大事なこと
とうとうお礼も言わないままに失礼する人

メモに残った少しずつのやるべきことを
とうとうボツにして2008年が行ってしまう
自分の人生もそうしていくのだろうか

今年ほどパソコンの前に座り
パソコンを使う年末を過ごしたのは初めて
それも仕事ではなく対人のこと
パソコンを通して見えないものに動かされて
いるとしたら
あるいは他を動かしているとしたら

ここはきちんと構造改革をしておくところ

このブログも一年間よく続けたと思う
後半はかなり意識をつぎ込んで書いてみた
ひとりよがりの自己満足であっては進歩しない
ひとつは見えない反応を少しは見たく思ったから

でも声は見えなかった
残念だった!

しかしどんなことに反応があるか
数字は見えた!

そういうことも想定して
タイトルは確定していないが2009年から
まったく別のブログに挑戦することにした

プロバイダー、H・ネーム、タイトルも一新して
なんとか双方向性のあるものにしてみたい

いずれ行動力がなくなってくるだろう
その時でもネットを通してハートワークさえ
しっかりと訓練しておけば自分の居場所は確保できよう

その時のためにも発信力を磨き
受信力のセンスを高めておきたいからだ
遊びのつもりではない

一年前と比べてこのブログへ訪問して下さる方は三倍になった
そのうち固定訪問者が約40%、検索訪問者が60%

いつも訪ねてくださっている方にはとくにお礼申し上げたい。

(故郷へ夢を乗せて今日の新幹線)











ご苦労さま、ほんとうにご苦労さま!

2008-12-30 22:28:01 | 交流
昨夜、これまで勉強会に参加してくれたて経営の現場にいるメンバーに
きわめて厳しくなっている経営環境の中で年末も奔走しているだろうと
共有の掲示板へ励ましのメッセージを書き込み、個々にもメールで
年末のあいさつ代わりに励ましのメッセージを送った

それに対して北のほうからこんなメールが返ってきた

・・・・・・・・・・・・・・・

今年も残すところあと1日ですね!!!
○○支店は、明日の午前中まで営業します。
先週は、雪が降り、道が凍り、耳がちぎれそうでした。
お客様に励まされながらお仕事していました。

本当に年末は気持がセカセカしてイライラして・・・
事務所で”話しかけないでオーラ”を出していたかもしれません。
これではダメです。

明日は笑顔を忘れないで仕事します!!!

・・・・・・・・・・・・・・・

Kさん、これ読んでるかな? 負けるなよ!

テレビでは楽しそうな帰省風景や海外旅行に出かける人たちが
報じられているが、一方では、こうして年末のぎりぎりまで
営業活動をしながら厳しさに耐えている人も多い

新年を迎えても状況は変わらないだろう
掲示板やメールで個別にも励ましメッセージを送ってあげることなら
いつでもできる、もっともっとやらないと

掲示板に書かれている歯を食いしばるような現場の報告を聞いていると

こんな時、趣味とはいえ、ウォーキングの話題を取り上げる前に
まず、彼らに声をかけることが自分の役割だ

自分ものん気なことは言っておられない
とても他人ごとではない
今年の自分を振り返ってみても
仕事環境は一気にマイナスに転じた

古希の2009年をいかに越えていくことができるか
これまでと同じ日々を送っているとこちらもリストラされてしまう

友人が年賀の代わりにやまだとしおさんの笑顔詩カレンダー
を送ってきてくれた

その中から一枚を使わせていただきたい
そしてこのブログを訪ねてくれた人に贈りたい

一年間、こんな一方的なブログにつきあっていただきありがとうございました。
果たして何か役にたっているのやら・・・
ほんとうは、あなたのひとことが欲しかった。


一日一日、今を生きる!

2008-12-29 20:23:20 | 輝いて生きる
夕べ、ふと、東海道五十三次ひとり歩きに行きたくなって
早く起きて駅まで来たのだが、応援をしてくれている人と
一月に一緒に歩く約束をしていることが思いとどまらせた

その代わりのんびりと本でも読もうかと書店の開店を待って
今日の一冊を求めた

求めていけばちゃんと待ってくれている
久しぶりY先生の新刊書が目に飛び込んできた
Y先生は昭和の時代にずいぶんとご指導いただいた

心の書ではよく知られ、講演家としても著名な方だ
あえてここにお名前も書名もかかないことにした

書店横の喫茶店で読み始めたが
涙がポロポロ、とどまらない
あわてて仕事場へ移動して続けた

分厚い本の中に自分の人生のお師匠さんのことが
11ページにわたって書かれていた

お師匠さんとは自分が現場で下働きをしていた時
指名して社長室というところへ引き取ってくれた経営者で
数年、そばにおいてもらい全国へお供をした

何もかも新鮮で、何もかも驚くことばかり
多くのことを学び、自分の人生に大きな影響を与えてもらった
そのことがいまの自分の原型になっていると断言してよい

すでに亡くなっている著名な経営者だったが
書かれた本のどれもが人間経営についた書かれたものばかり
仕事場の本棚にいつでも見られるようにおいてある

そのお師匠さんのことを書かれているY先生の文章を読んで
お師匠さんがまるで自分に語りかけているような気がして
たまらなくなり涙になってしまった


身体を壊し休職して、規則正しい勤務体制で働くのは無理と
思うようになり、自分の身体に合わせてできる仕事でやり直そうと
見通しもなにもないのに自分の思いを相談したら

 ”あなたは金儲けは下手だが
  人が集まってくる強みがあるから
  人の仕事をしたらいい”

  私が役にたつことなら、いつでも言ってくるようにと
  社長が東京で常泊していた東京プリンスホテルで

そう言って送り出してもらった

その時、覚悟した

こんな人には二度とお目にはかからない
こんないい会社にも出会わないだろう

だから

苦しくなると必ず過去を振り返りたくなるはずだ

どんなことがあっても過去は振り返らない
どんなことがあっても過去は語らない
どんなことがあっても過去に引きずられないように

いつも明日をみて
今を一生懸命にがんばろう
なるようにしかならない

過去は思い出(足あと)
明日は自由(夢と希望)

そう覚悟した。

以来、68歳のここまで、よく生きてこられたと思うが
毎年、毎年の年賀状には
その覚悟のことばを書き続けている

新年には母の喪中で年賀状が書けないのでここにそのさわり
を書いてみよう

「初心生涯」と貫いてきた道も○○年
お役にたてる限り生涯現役
一日一日、一歩ずつでも前進ができるように
今年も歩き続けます・・

お師匠さんの還暦のプライベートなお祝いの会で司会をさせて
もらった時のツーショット写真は宝物

お師匠さんの道は遠い、でも、諦めないで歩いて行くだけだ

わが人生、明日はわからない
わからないから面白い
そう覚悟しているから怖くはない
なるようにしかならないのだから


★このブログを読んでくれている勉強仲間にも初めて自分の過去に触れ
た、もう、そろそろ過去を語ってもいいのかなあと思ったりするのだが・・。
★紹介した本を一緒に勉強をしている人、これから学ぶ人の推薦図書にしたい。

驚いた、息子からのメール!

2008-12-28 18:11:23 | ひとりごと
息子から珍しくメールがきた
それも深夜にだ!

旅行に行くから正月には帰らない
一月の中頃、彼女を連れて帰るから
会ってやってほしい

ただそれだけ。

家内にも同じ文面のメールがきていた
コピーしたのだろう。

大事に育てた一人息子が江戸へ行って13年
それでも戻ってきてくれると楽しみにしていたが
相手が関東軍なら・・・・。

いきなりの通告に家内のご機嫌はよくないが
本人が決めているのならあれこれ言うてもいかん
了解したとただそれだけ、メールで返信しておいた。

落ち着かない一日、これからも続くのか?

洗面所の鏡に何度も自分の顔を映して
年があければ古希を迎えるくたびれた顔に
もっと若い時に会わせてほしいと思った。








輝いている人、うれしい知らせ。

2008-12-27 22:38:07 | 輝いて生きる
またまた、かってのメンバーからうれしいメールが届いた
これもアドレス変更への返事だが久しぶりでなつかしい

・・・・・・・・・・・・・・

10月に背泳ぎ25Mでやっと念願のメダル(銅)が取れました。
5月は札幌大会、9月は一人で高知まで遠征してきました。

今年は少し頑張りました。そして少し自信がつきました。
そのほかは友人の住む埼玉・東京・横浜と再び札幌と旭川へ。

来年も清く正しく美しく(?)心身共にフットワーク軽く過ご
したいと思います。

・・・・・・・・・・・・・・

来月で7年目になるウォーキンググループのかってのメンバー
の一人、○○士として活躍している優秀な女性だ。

3年前に始めた水泳が楽しくなって、去年はマスターズの大会
で確か4位だったが(大阪)、今年はとうとう3位に入賞した
らしい、すごいことだ。

新しいことに果敢にチャレンジをする自立した人だが、それに
してもわずか3年で全国の大会へ参加できるレベルになったの
だから驚いている。

これも一歩(水泳だから一かき)踏み出した積み重ねでここま
できただけのこと、マスターズの陸上をするといいながら、言
っただけで行動を起こさないでいる自分と大きな差がついた。

最初の一歩を踏み出す勇気、歩き始めたら困難があっても歩き
続けるという覚悟をして臨まないと物事はすすまない
また、教えられた。




遅すぎることはない、高畠導宏さんの遺言。

2008-12-26 23:56:55 | 輝いて生きる
23日の続き、元プロ野球コーチから59歳で
高校教師になった高畠導宏さんのことが書かれた

「甲子園への遺言」
 伝説の打撃コーチ 高畠導宏の生涯



を買って読んだ、最近、この本を書店で見かけていて
手に取ったことはあるが買った読もうとは思わなかった
これもテレビ放映を通して高畠さんに出会えたからこそで
ラッキーだったと思う。

なぜ高畠さんがプロ野球チームからコーチのオファーが
ありながら高校教師の道を選んだか、そこにも興味があった。

高畠さんは何事にも好奇心と探究心が旺盛で平成10年から
日本大学通信教育部へ通っていたそうだ
選手の指導に生かすために青年心理を学ぼうとしたのが
スタートだったらしい。

いくら技術を習得しても土壇場でその力が発揮できる選手と
できない選手がいる

それはなぜか

それは「ハートの強さ」で決まるというのだ。

では、ハートの強さをどう身につけさせればいいか
そこから高畠さんは心理学に行き着いたらしい。

コーチの他に大学の勉強とで大変だったらしいが苦労のすえ
単位は教育実習のみとなり行った実習先で教師の道を進む
ことを固めたのだ。

多くのプロ選手を育ててきているが、どの選手も高畠さんの
人間愛あふれる指導にひかれ尊敬していることがこの本から
よく伝わってくる。

その選手の中からソフトバンクホークスの小久保選手が
高畠さんの生涯から学んだこととして

「やろうとすることに遅すぎることはない」

と言っている。このことば、自分の目を覚まさせた。


実は、自分も一年半前にメンタルヘルスの勉強がしたくて
某大学通信教育の資料を取り寄せていたのだ
いまも手を伸ばせば届くところにおいてある
まだ、捨て切れない、思いきれない、忘れきれないからだ。

自分の場合は仕事の中に生かしたいと具体的な必要性が
あったが、二年という期間と相当な費用がかかるという
ことでやりたいという気持ちを断念させていた。

しかし、この一年、それに代わる何にチャレンジをして
なにを学んだかと自分に問えば、自信ある言葉はない。

後半になって、なんとなく物足らなさと虚しさを感ずる
日々に、このままではいけない、身近なところから構造
改革に着手しないといけないと思っていたところだった。

「やろうとすることに遅すぎることはない」

少し高いところにハードル(バー)を設定してみると
いかにいまのバーが低くて妥協の産物であるかがよくみえる

目線も意識も上げて挑まないことには自分は変わらない
変わらなければ自分の賞味期限がきれて
いずれリストラが待っているだけだぞ!

もう一度、いまの自分でもできるハードル(バー)を探して
いまの自分から脱出することだ

「いまからでも遅くない」

そう決めた。

高畠さんに感謝する。

志を同じくする人とのネットワークで!

2008-12-25 23:47:56 | 輝いて生きる
先日のメールアドレス変更の連絡にKさんからこんなメールがきた

大阪から○○へ転勤時にお目にかかったときのこと昨日のことの
ように覚えております。以来、〇○、▽△、□□、そして××と転
勤、定年を間近に控え残された時間を全力で走っております。
私も若い、若いと思っている内に第四コーナーに入ってまいりまし
た。☆☆(自分の名前)様との出会いから、人生の過ごし方を少し
でも学び、そして実践したいと思い毎日を過ごしております。


大手企業の管理職にあったKさんは、2002年まで自分の仕事場
のわずかなスペースを公開して管理職メンバーの交流会を開いて
いた時、とくに熱心に参加していた人だったが、その後は転勤を重
ねて大阪の本社に戻ることなくまもなく定年を迎えるらしい。

当時から自分の生き方に関心を持ってくれて、退職後のひとつの
生き方として描いてくれていたことは知っていた。

この会「ヒューマンネット倶楽部・通称HNC」は、「志を同じくする者
で高めあう」ことを目的に構成した人間力の向上にチャレンジする学
習グルーブで実力派がそろっていた。

2002年にいったん中断、そこから生まれたウォーキング倶楽部が
メンバーは一新したものの「志を同じくする者で高め合う」という精神
はいまなお続いている。

たまたま昨日、母の法事で往復した新幹線で読んだ竹中平蔵さん
の「竹中式マトリクス勉強法」に同じようなことが書かれていて意を
強くした


・・・これから勉強して成長したいと思う人は「高め合いのネットワー
ク」を持ってほしい、「高め合いのネットワーク」とは、「志」で繋がっ
た仲間が意見を交換し、切磋琢磨する「場」であること。

こういうネットワークを持つと、仲間同士がいい意味のライバル意識
を持ち刺激になる一方で、励まし、勇気づけ合う「心の支え」にもな
る、ただし「高め合いのネットワーク」は、まず、一人一人が自立して
いることが条件、自立していない者同士が集まるのは、ただの「群
れ」にすぎないとのこと。

仲間は選べということなのだろう

生意気なことを言うが、向上心のない人、現状維持派の人は、遠慮する
ことにしている、やっぱり刺激してくれる人、魅力のある人との出会い
に貴重な時間を共有したいから。

いくつになっても今より一歩でも成長したいという気持ちは変らない
そのためには、成長意識の高い人の中にいたい、漫然と日々を過
ごすのは退屈で面白くない。

母の四十九日法事を終えて。

2008-12-24 23:51:36 | 家族
母の四十九日の法事で実家へ帰った
本来なら新年に入ったからなのだが
大学で授業を持つ弟とお寺さんとの日程調整で
早めの法事となった。

主(母)が病院に入って以来、主のいなくなっていた
実家に兄弟家族が集まり滞りなく済ませることができた。

自分が育った古い古い実家の隅々を見渡して見て
どこにも母と過ごした子供のころのなつかしい思い出が
詰まっていて涙がこぼれて仕方がなかった。

弟もそうだったんだろう
引き出しやら箪笥やら子供の頃使っていた机や本箱を
なつかしそうに触っていた。

台所の壁には手紙やら孫の写真などが貼ってあって
ここだけは母がいまにも現われてきそうな錯覚を覚えた。

自分が書いた母親へのはがき通信もちゃんと貼ってあった
もっともっと送ればよかったなあ・・・いまはむなしい。

外に出て家をあちこちからデジカメに収めた
なにの目的があるわけでもないのに撮りたくなった。

ご近所では目立つかなり古い家
ほとんどが子供のころと同じだから文化財?並みの家。

両親が家よりも子供の学問にと
われわれ子供の教育にすべてを賭けたので
家のことには手が回らなかった。

母がいなくなれば実家がなくなったも同然
もう自分が帰るところはない。

母の生死ばかりを考えてきたが
今度は自分の生死と向かい合うときがきた。

「フルスイング」

2008-12-23 21:59:43 | 輝いて生きる
普段見ることのないテレビをなにげなくつけて再放送番組
「もう一つのフルスイング」という元プロ野球コーチで
59歳になって高校教師になった高畠導宏さんの番組をみた。

高畠さんのことは、野村監督と同じ時期に南海ホークスで
活躍し、その後、打撃コーチとして手腕を発揮していたので
よく知っていたし、高校教師になったことも何かで聞いて
知っていた。

いま書店で「甲子園への遺言」という高畠さんのことを書いた
本が売られていることも知っている。

59歳になって夢をなくしたら残りの人生は「消化試合」の
ようなもの、生徒からもらった「先生」というピカピカの夢
を追って行きたいという高畠先生。

このブログのタイトルにも「夢と希望」とつけているが
まったく同感、思わず”そうや!”と言ってしまった
これぞ高齢化社会に生きる人には、お宝言葉だ。

二週間の教育実習を通して生徒達に夢を語り、夢を問いかけ、
夢へ導いていく熱意に応えていくようになる生徒達との物語
にはを熱くさせられた。

この高畠先生、わずか1年でがんに倒れ、志半ばで亡くなった
残念だったろう。もっと夢先生をさせてあげたかった。

自分も教育実習を経験しているのであの頃を思い出してなつか
しくなった。

人生フルスイング、夢あればこそ、そんな命かがやく日々を
送りたい。

番組は10時から続編がある・・・見てみよう。


これしかない!→これだけはある!

2008-12-22 23:35:45 | 輝いて生きる
なつかしいMさんから電話がかかってきた
メールアドレスの変更を知らせたことからだ

自分が主催をしていた管理職交流会メンバーの
一人だったが、定年前から足が遠のいたままで
その後、連絡をし合うこともなく過ぎていた。

65歳の今、定年まで勤めた会社は退いたが
関連会社から請われて再就職しほぼ同じ仕事で
フルタイム働いているという。

営業以外にできる仕事はないと言いきるくらい
営業が好き、顧客開拓力があるので実績をあげて
いるのだろう、好きなようにさせてもらっている
と言っていた。

三年前に心筋梗塞の寸前で予兆に気がついて病院に
駆け込み大事には至らないで、その後は定期的に
受診しながら仕事を続けているという。

この人には教えられることが多かった
年齢がかさんでくると外回りの営業活動は辛くて避け
たがるものだが、彼は「自分にはこれしかない」と
言って努力を惜しまず、また、よく勉強をしていた。

「これしかない」という自分の好きな分野で腕を磨き
人脈を築いてきたことが、今なおも息の長い現役生活
を支えているのだと思う。

「これしかない」とは「これだけはある」ということ。

久しぶりのMさんの電話にこちらも元気をもらった

彼が、自分の電話の声に

”声が相変わらず若いですね”

と言ってくれたお世辞に今日一日、ご機嫌だった
自分にとって声は、現役を続けていく絶対条件だから。

果たすべき役割(天命)とは、篤姫に思う。

2008-12-21 18:06:47 | ひとりごと
大河ドラマ「篤姫」が終わった
先週の最終回がウォーキング倶楽部の納会(懇親)のため
見ることができなかったのできのう京都にでかける前に
再放送をみた

篤姫を薩摩から訪ねてきた母の

”よく頑張りましたね”ということばに

”母上に教えられた果たすべき役割を果たしただけ”と篤姫が答えたシーンに

思わず、そうだ!と口に出してしまった。


いつも仕事で一緒に学ぶ人に自分が言うセリフで
その役割をしっかりとつかむことができるかどうか
つかむ人は結果を出していく

いつでも、どこでも、そのことをまず自分に問うことにしている

20代後半から30代にかけて組織に属して社長に仕える身で
あったときに自分なりに会得したことだ

組織を離れ、さまざまなところで、さまざまな人と接してきたが
やはり、そのことを大事な物差しにしてきたつもり

ある程度、年齢と経験を重ねてきて
あれやこれと公私ともにお役をいただいてきたが
自分の役割が見えるかどうかは成果に影響することなので
いつも紙に書き出してはっきりさせてきたものだ

ただ、大事なことは、自分が思っている役割と
相手から期待されている役割が必ずしも一致しない
そこをどうするか、それも大事なこと

これまでもサークルや研究会等の交流会をたくさん作ってきたし
いまもウオーキング倶楽部を持っているが
なにしろいろいろな人が集まってくる

任意の会を進めていく上で大事なことは役割を与えてあげること
そうすれば、責任を持って積極的に応えてくれる
参加すればなんとかしてもらえるというお客様意識のメンバーは
はっきりとやめてもらうことにしている

篤姫が人気ドラマであった背景はどこにあったか

「徳川家を守る」という一本道にぶれることなく
それをすべての物差しにした篤姫の生きざまに
あったような気がしてならない。

すす払いの本願寺参り。

2008-12-20 23:26:08 | ひとりごと
先月20日に亡くなった母にせめて1年間は毎月20日前後に
本願寺参りをすることを決めていたので今日がその日だったが

あいにく今日は東西本願寺の年末恒例すす払いの日、テレビの
ニュースでも報じていたので遅めの午後3時にお参りした

快晴で師走とはとても思えない暖かさの中を今月になって三度
目の西本願寺、きれいに掃除をされたあとの阿弥陀堂の阿弥陀
さまの前にしばらく座らせてもらった



母に会えるわけではないのだが、少しの間でも、母の思い出に
浸っていたい、ただ、それだけのこと

売店で数珠とお香と本をかった、読んでみたい本が沢山あった
ので毎月、お参りするごとに一冊買って読むことにした

こんな標語が貼られていた、自分のブログのタイトルに同じ表
現があるので心に響いた



国宝の唐門へ、伏見城から移築されたそうだが、繊細で鮮や
かな色彩で華美な彫刻が施された門、日が暮れるまで眺めて
いても飽きないと「日暮門」とも言われている


本願寺からJR、新幹線を超えて東寺を目指してへウォーキング
東寺は新幹線から五重塔がよく見えることでも知られているが平安
京遷都2年後(延暦15年-796)に平安京の守り寺として東西
に二つの東西寺が設けられたそのひとつ、西寺は戦乱等で荒廃し現
存していない

のちに弘法大師が真言宗の根本道場として秀吉や家康の援助も受け
今日の名刹となっている世界遺産のひとつになっている

東寺に着いたのが夕闇のせまる16時20分で拝観はできず、東大
門から南大門前へ、五重塔を右にみながらのんびりと歩いてみた

高さが57メートルもある日本一高い五重塔は、新幹線からよく見
えるが近くから見るとさすがに高い
毎月21日が弘法の日として有名だが明日がその日になる


重要文化財の南大門前



南大門のすぐ西交差点が国道口交差点まで行ってみた

ここは忘れられないところ、昭和53年の夏頃だったか京都の市電
(路面電車)が廃止になる日、息子を連れて交差点にかかる歩道橋
の上から東寺の五重塔と市電を背景に入れて息子の写真を撮った
ところ、その場所から今日16時36分に撮った一枚がこれだ


京都駅までウォーキング、お散歩程度だったがそれもよし


「すす払い」の西本願寺を訪れて思った
多くの信者さんがきれいに清掃したお堂に
すす払いもしていない
自分が座っていていいのか?

毎年、仏様さえすす払いをされているのに・・・

仏様はちゃんと見てござる
とても恥ずかしい思いがした

自分のすす払いこそ、大事な年末の行いであることを
宿題にして戻ってきた。

買ってきたお香を久しぶりに焚いた、音もいいが香りはなおいい
気持も安らぐ、とてもいい日だった。




チャンスの足あとを残しておきたくて。

2008-12-19 02:36:31 | チャレンジ
先々月、高野山の入口、町石道が始まる和歌山県九度山町
の慈尊院に行ったとき団体でお参りに来ている白装束のお
遍路さんがお堂の前で般若心経を唱えているのに出会った

その姿に誘われるように近くまで行って自分も般若心経を
唱えていた

(10月13日慈尊院太子堂前)

先月ふたたび太子の歩いた町石道を歩き大門から高野山の
総本山金剛峯寺を訪れると大勢のお遍路さんが参っていた
四国霊場88ケ所を結願した報告なんだろうか

そして弘法大師の眠る奥の院のご廟に続く道にはお遍路さ
んが列をなしてすすんでいた

あの時のお遍路さんの姿が脳裏に焼き付いたまま、どうし
ても離れられないでいた
霊場88ケ所巡りを終えて弘法大師さんの眠る高野山に戻
ってきて結願のお参りができることをうらやましく思った

(11月9日)

あの人たちにとって霊場めぐりのお遍路とは・・
何を見たのか、つかんだのか、思ったのか・・・

あのお遍路さん達の清々しい姿をみていると興味がわいて
きたものだ

自分も体験してきたい
何かを見つけてきたい

もし、できることならその姿を自分もやってみたいと真剣に
思うようになっていた

書店で「四国88ケ所」わたしの遍路旅

というポケットサイズの小さな本が目についたので買った 


著者は石川文洋さん・・・どこかで聞いた名前だと思ったら
そうそう日本縦断を書いていた人だった

この石川文洋さんはカメラマンだが、ベトナム、カンボジャ戦線で
亡くなったカメラマンの霊を慰めるために四国霊場88ケ所巡りを
思い立ち2006年2月に始めた

ところが心筋梗塞に襲われ心臓停止、運よく一命は取り止めたもの
のそこから霊場歩きに復帰するまでには、一歩を歩くことから地道
なリハビリを続け、再び霊場巡りに復帰、そして、とうとう二年が
かりで結願。

自分なら命が惜しくて、こわくて、とても再び歩くことはしなかっ
ただろう・・・そこまでさせたのは戦場で散った友の命に自分の命
をかけたのだろうが・・・

一歩一歩

命をかけて歩く
命を刻んで歩く

大地と自分の命がひとつになるような
歩きをしてみたい

お遍路さんはきっとそんな歩きに導かれていくのだろう

いい本に、いやいい人に会った

1,100キロ、東海道五十三次の往復より長く、不便な現地
を歩くには日数も経費もかかる

正直なところ自分にはできそうもない、いや、できない
歩くことはできると思うがその他の条件がそろわない

でもチャンスだけは残しておきたくなった
そしてお遍路さんの気持も知りたくて

霊場巡り一番札所に行ってくることにした
そして、自分の足あとを残しておくことにした

もしかして、もしかして・・・の時のためにも

決めた、必ず行ってくる。


ここまで0系人気!

2008-12-17 11:57:02 | ひとりごと
シューズメーカーが開設しているSNSに登録してブログを
書いているが(ウォーキングに関する記事はこのブログのコピー)
そのブログに11月3日に書いた

「引退します、初代新幹線0系」が

人気ランキング1位になっていることに気がついた


期間を区切ってアクセス数で順位がつけられているものと思うが
それにしても0系新幹線の人気のすごさに改めて驚いた

自分にしか書けない内容であればうれしいランキング1位だが
0系の人気に煽られてのヒットだから自慢にはならない

ただしシューズメーカーの宣伝に少しは役立ったかもしれないので
それはそれでよしとしておこう。

ひとりごとがひとりごとでなくなる

2008-12-16 21:56:22 | ひとりごと
12月1日に書いた「朝の座禅、新しい試み」という内容
について大阪のTさんという方から次のようなコメントを
7日にいただいた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

はじめまして、おはようございます。座禅で捜してますと
ヒットしました。ぼくも読んでみます。大阪在住なのでち
ょくちょく覗かせていただきます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

そして今朝、その続きのコメントが別の項に書き込まれ
ていた。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・


おはようございます。僕も朝座ってます。そして30分ジョ
ギングしてます。1から100数えて。身も心すっきりし
て仕事に向かいます。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

たったこれだけのことだが、なんともいえない清々しい気
持ちになった。

何時ころ座っているのだろうか?
座った後にジョギングをして出勤するとしたら早い時間に
違いない、でも、同じ朝、座っていることには違いない
明日から姿は見えないけれど一緒に座っている同士がい
ると思うとうれしい。

何気なく書いた「ひとりごと」が
ひとりごとではなくなった

ネット社会になって、こうして日記をブログでオープンに
することによって、ひとりごとから思わぬ広がりになって
いく。

それなら大いに「ひとりごと」を言うのもよい
一味ちがった「ひとりごと」が言えるようにしたい。

どこかで、だれかが聞いているに違いない・・・。