昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

母のように思える人だった!

2007-11-30 21:58:02 | 交流
ここまで生きてきて、ご指導をいただき、
大きな影響を受けた人のおひとり
大塚全教先生が亡くなられた。
昨日、ご家族から喪中のお葉書をいただいて知った。

大塚全教さんは、あの大石順教尼のお弟子さんだった。
4歳の時に両手の自由を失い、途方にくれて広島の福山から
京都の大石さんのもとに行かれ、厳しい指導を受けられ
順京さん亡き後、その志を継いで、障害者の自立のために
尽くしてこられた方だ。

ご縁をいただいて25年くらいになるが
もう、長く、お会いしたこともなく
ただ、毎年毎年、欠かさず、年賀状をいただくのが
楽しみで、母に似た笑顔がとても好きだった。

両手が不自由で、わずかに使える左手先と足で
なんでもされていた。
絵も書も立派なものを書かれていた。
子供と近鉄の書家展に行った時
優しく子供に声をかけていただいたことを思い出す。

いただいた「この花」という本も
よく仕事で活用していたが、誰かに貸したまま不明だ。

山科の観修寺の境内にある無心庵で障害者の自立施設を
ずっとやっておられ二度ほど伺ったことがある。

夏に福山へ転居したとハガキをいただいたので
ふるさとで静かに暮されるのかと思っていたが
多分、悪かったんだろう。

もう、素敵な年賀状がいただけないと思うとさびしい。
いまでも優しい笑顔が忘れられない。

ご冥福をお祈り致します。

母の遺言状。

2007-11-28 17:22:23 | 家族
母の遺言状が届いた。
郷里にいる兄が代筆したものに
判別も難しいほどの弱々しい文字で
母の署名がされ印鑑が押されているものだ。

いま92歳
もう8年にもなろうか
脳梗塞で倒れて以来
あれやこれと病気を併発して
ずっと病院のたらいまわし暮らしが続いている。

8月末に見舞ったときは
もう、がんばりたくないとこぼしていたが
医療の進歩か、本人の生命力か
ここ2年、何度もの危機を乗り越えてきた身体も
もはや燃え尽きかけたローソクみたいなもんだろう。

心臓が弱っており
胸にたまる水を抜くのは毎度のこと

先々週に右足のつけ根部分を骨折したが
ぼろぼろになった骨はどうすることもできないそうで
毎日、痛みを訴えているという。

その母が、兄に遺言状を書かせた。

86歳で亡くなった父は
わずか1年ほど、自宅で伏せただけで
胃がんで亡くなった。
その時も、亡くなる半月前に子供を招集し
遺言状を示し説明したものだ。

母も父のもとへ旅立つ日が近づいて来たと
思ったのだろうか、なんともいたましい。

父より6歳も長生きをしているのに
それ以上の年月を苦しみ続けて生きている。

「健康寿命」はとっくに過ぎて
「介護寿命」→「延命寿命」で生きることが
果たして幸せな人生の仕上げなのだろうか?
と思ってしまう。

熊野古道でも、東海道でも、普段のウォーキングでも
道中にあるお寺や神社やお地蔵さんをみかけると
立ち寄っては、母の安らかな日々を祈願してきたが
もう父に早く迎えにきてほしい!と
言うことにしたい。

子どもとしては複雑な心境だ。

てんびんの詩。

2007-11-27 19:43:36 | チャレンジ
昨日は、うれしかった一日。
自分もかかわったきた後継者のたまご達が
長い訓練期間を無事に終えて最終の研修日。

最終日のプログラムは
全国から集まってきたそれぞれの両親(現経営者夫婦)と
終日、机を並べて学習をするのが慣例だ。

自分の出番はないが、上席に飾ってもらって?
親離れ子離れ、お互いの巣立ちをする姿を見続けた。

そして、最終日の最終プログラムが
例年通り「てんびんの詩」のビデオ学習だ。

「てんびんの詩」、何度みたことやら・・・
ストーリーや場面は、しっかりと焼き付いているのだが
やっぱり涙がこぼれてくる。
スタッフも異口同音にそう言う。

てんびんの詩、ビジネスマンなら
大抵の人が一度は見ているほど
よく知られたビデオだ。

近江の商家の子供が、商人として巣立ちを始める時の物語。

小学校を卒業したばかりの13歳の近藤大作少年が
卒業祝いとして父親からもらった物が
風呂敷に包まれた「鍋蓋」
その「鍋蓋」を明日から売って来いというところから始まる。

売れなければ近藤家の商売は継がせないという
いま風でいう後継者教育だ。

たかが「鍋蓋」も簡単には売れない
苦労に苦労を重ねて3か月が過ぎてやっと売れた!

「売り手」と「買い手」の心が一つにならないと物は売れない
という商人道を自ら体得することで商人としての第一歩が始まった。

これはまた、可愛い子の苦労を親が一切手助けすることなく
突き離し続ける親の自立を促す親業でもある。

90分、会場は、静まり返っていたが
後の懇親会ではこの話でもちきりだった。

その懇親会、N○急ホテルで催された。
こういう席が大の苦手
目立つ席に陣取らされて?
マナーもしらない者には、おめでたい席なのに窮屈さがたまらない。

でも、お世辞にでも、親子して、お礼の言葉を言われるとやっぱりうれしい。
今度会うときは、どんなに成長した姿を見せてくれるやら
やっぱりうれしい一日だった。

車で自宅まで送られたので
事務所へは寄らずブログも書けなかった。

今日は、父兄も同伴で彼らの卒業式。
トップから卒業証をもらいいま頃は
ふるさとへ帰る道中だろう。

ここもメーカーと販売店との気持ちが一つになって
とてもいい研修をしている企業として知られている。

秋の昼下がり、大阪さんぼ。

2007-11-25 19:23:44 | 健康
今日は、ウォーキングクラブで秋の比叡山を
訪ねる例会だったが、昨日の東海道ウォークで
足に違和感があるので急遽、ウォーキングは欠席して

少しだけの散歩ということで
中之島から御堂筋を一時間半ほど歩いてきた。

大阪市役所と土佐堀川




中之島図書館


中央公会堂




適塾と緒方洪庵の像



御堂筋-淀屋橋付近







東海道五十三次ウォーキング⑦(四日市-桑名)

2007-11-25 18:12:15 | ウォーキング
三連休の初日、好天に恵まれた伊勢路を歩いてきた。

東海道五十三次ウォークシリーズ第七回四日市から桑名
までが今回のコース。

家を出たのが6時20分、近鉄難波7時7分発の快速急行
で伊勢中川へ、名古屋線急行に乗り換え四日市に着いた
のが9時57分。2時間50分。新大阪から東京より遠い?。


駅前に出るといい天気。しかし寒い!風も吹いている。
駅前から中央通りを前回のゴール地点の道標へ。
ここが今日のスタート地。


表参道通り商店街を通って最初に寄ったのが諏訪神社。
国道一号線へ出て、しばらくすすみ右へ入っていくと
古い道標の前に出る。文化七年と記されている道標には
「すぐ江戸道」「すぐ京いせ道」
この「すぐ」というのはどういう意味か・・・



道標を左に道路を越えてしばらく進むと有名ななが餅の
笹井屋本店が見えてきたので覗いてみる。400年の伝
統があるという老舗だ。七本入り小さなパックを買った。


かって、このあたりに、黒川本陣跡や帯や脇本陣問屋場、
高札場跡や旅籠があったらしいが、いまはその面影はま
ったくない。

笹井屋本店を過ぎるとすぐ三重川にかかる三滝橋へ、そ
こから下流に四日市のコンビナートの煙突が見える。上
流を眺めるとはるか山並みの頂上あたりに雪が見える。


蒲の川を越え、海蔵川を渡り堤防を少し入ると桜の木に
囲まれて三つ谷一里塚の碑がある。堤防の桜並木が赤く
染まってきれいだ。


通行量の多い国道一号線のガソリンスタンドの角に道標
が   右 桑名 
    左 四日市
ここも気をつけないとパスしてしまう場所にある。


国道一号線に沿ってしばらく歩み道路向い側の延命地蔵
に寄ってふるさとで苦しんでいる母のために痛みが和らぐ
ようにお願いした。母に似た優しい顔の地蔵さん。


一号線から左へ入ってしばらく進むと前方に松の木が一
本見えてきた。樹齢二百年あまりの「かわらず」の松。昭
和13年、国道1号線ができるまで松並木の続く東海道と
して賑わっていたそうだ。いま四日市で残っている松はこ
の「かわらずの松」と前回のコースで見た「名残り松」の
二本だけという。


米洗川の向こうに大きな常夜灯が見えてくる。
そばに行くとその大きさに驚いた。


御在所山系の山々はもう冬だ。近鉄名古屋線の電車が
ひっきりなしに通過していく。
ちょうど12時になった。予定より少し遅れている。


大きな工場が並ぶ道をさらにすすみ高速道路の下を通り
ぬけ、前川橋を渡ると道角に小さな道標が植込みの中か
ら顔を出している思わずラッキー!!
  右・いかるが
  左・四日市
「いかるが」とは奈良の斑鳩のことか・・・?

少しすすみ右へ入ると最初の角に「力石」がある。近くの
御堂を再建するさいに近隣の奉仕する人たちが土台にな
る石から力比べを競ったものという。120キロもある。


川沿い見事な桜並木が続く十四橋を渡ってしばらく行くと
富田小学校の正門前に行く。門の横に「明治天皇御小休
所の跡碑」が立っている。門内には今は珍しい二の宮金
次郎の銅像も立っている。12時35分、お腹が減った!


運よく公園が見つかったので弁当、トイレ、しばしの休
憩をして13時ジャスト、午後の部?へスタート。

富田の一里塚へ。ここで二人ずれのウォーカーと遭遇
する。いつものように声をかけると横浜の人だ。春から
歩き始めて今日は桑名からここまで来たという。
京都まですぐですネ!というとうれしそう。相手をしてく
れるのは奥さんのほう。ここでも会話力は女性だ。
”まだ4分の1ですネ”と言われたのは、うーん、悔しい
さわやかな2人ずれ。こんな出会いが道中の楽しみだ!


富田の一里塚からJR関西線と三岐鉄道を二度交差しな
がらすすむ。ここは道路が複雑でわかりにくくかなり時間
をロスした。
しばらくすすみ13時49分に四日市市から朝日町に入る。


朝明川にかかる朝明橋をわたり高速道路を超えると左手
に大きな常夜灯が立っているが車が多くてなかなか近付
けない。ここから桜並木の続く東海道をすすむ。



古い街並みの続く道をすすみ近鉄名古屋線伊勢朝日町
駅に着いた。14時19分。予定より30分遅れている。
駐車場いた男性に聞いてみると桑名駅まで1時間半は
かかるという。複雑な東海道を七里ケ浜跡まで行くには
2時間あまりかかるだろうから七里ケ浜ゴールを16時3
0分と想定。桑名駅へ直行17時1分の急行に乗れそう。


おっと忘れていた、今日の記念撮影をしておかないと・・
駅前のベンチで「なが餅」を食べながら写してくれそうな人
を探していると赤ちゃん連れの若い夫婦がきたのでお願い
をしたら気安く応じてくれた。ありがとう!


古い民家の続く街道添いにある一理塚。


町屋橋の上、一号線日本橋から384,8キロ。


橋を渡り、すぐ左へ降りて行くと伊勢両宮常夜燈がある。
町屋川の船運や東海道筋の通行客相手の茶店で賑わっ
たところらしい。15時1分。


ここからこれから進む道沿いには屋並みが続き伊勢湾台
風までは松並木もあったらしい。ここから伊勢の海が見ら
れたという。「江場松原跡」を過ぎると火の見櫓が見えて
きた。「矢田立場跡と火の見櫓」だ。ここらには茶店や宿
屋が多くあったところ。


矢田立場跡を右にすすむ、このあたりから通りが複雑に
折れて行くので迷わないように緊張、緊張の連続!
古い街道の雰囲気のする通りを10分ほどいくと道の角
に古い道標が立っている。

道標には 左・東海道渡船場
       右・西京 伊せ



「梅花佛塔」「天武天皇社」「広瀬鋳物工場跡」のある通
りをすすみ、左折して日新小学校横にある「七曲見付跡」
を見て・・・ここもなかなかわからなかった。
七曲とは、七里の渡しから七番目の曲がり角だったこと
から。側道へ入りしばらく進むと文字の判明できない古
い道標があった。以下のように彫ってあったらしい。
     右・きやう道
     左・ふなば道 

「鍛冶町常夜灯」「吉津屋見付跡」・・・このあたりはめま
ぐるしく曲がりながら進むのでややこしい。16時になりあ
たりは夕暮れの風景になって、少々あせってくる。
仏壇屋の多いよつや通りのつきあたりに「京町見付跡」が
あり、ここを右折して桑名市立博物館の前に行く。建物の
横に道標がある。この道標は移転してここに立てたらしい。


博物館、石取会館前をすすむと南大手橋に行く。これを
渡ると桑名城跡の九華公園に行くがここはパス。
堀にそって東海道を模した公園の中を通り抜ける。


すぐ近くに青銅の鳥居が珍しい春日大社にお参りをして
今日のゴール七里の渡跡急ぐ。


鳥居の横に大きな道標。


そして堤防の横に「七里の渡し跡」の碑。
やっとゴール! 16時37分。



揖斐川(河口は長柄川)と満月がくっきり。


上流は、長良川洗堰。


すぐ近くに「脇本陣駿河屋」と「大塚本陣跡」がある。


いまは大塚本陣跡は、料亭の船津屋になっている。


近鉄桑名駅到着が17時5分。1分には間に合わず18時
4分まで待つことにして、名物の焼き蛤を食べようと探す
がなくて、名古屋の煮込みうどんとビールで乾杯!
そして大阪難波まで3時間あまりの旅が始まった。

事件だ!!

2007-11-22 17:09:14 | ひとりごと
昨夜のできごと。

9時半過ぎ、事務所のあるビルの隣りのコンビニで
用事をすませて店を出ると
警察官が足早にビルの一角へ終結しているのに遭遇!

あっという間にパトカーも数台が停まった。

何事や!?
と思う間もなく
ビルも道路も黄色い綱が貼られて通行禁止
道路も閉鎖された。

見事な早業?



ビルの外から地階へ通ずる階段が狙い目だとわかった
あそこは地階に洋風居酒屋がある。

警察官の話を小耳にしたのでは
店で刃物をもった人間がなにやらしているらしい。

よくある誰かを人質にした立てこもりか・・・

実は、うちのビルの地下2階からあの店に通ずる
非常通路があるのを知っている
それを言うていいものかどうか・・・

聞かれもしないことを下手に言って何かが
あったら大変、黙っておくことにした。

その通路は、管理組合に深くかかわった者以外は
だれもしらない通路だ。

万一、うちのビル内になにか波及することが
あってはならないのでしばらく遠巻きに様子を
(ここは去年までビル管理組合の理事長の血が流れている)
見ていたがその心配はなさそうだったので
事務所へ上がってきた。

事務所の廊下と部屋を行ったりきたりして
7階から地上の動きを眺めていたが
11時過ぎ、やっと解決したのか警察官やパトカーや
救急車の姿がなくなった。

最後の場面をみていなかったので気になっていたが
今日、わかったことでは、人が被害を受けることは
なかったそうだ。
刃物を振り回していたのは女性だったとか。

あー、怖わ!

年末にかけて物騒な事件がよく発生するが
まさか自分の足元でそんなことがあろうとは

あー、怖わ!

困った、困った!!

2007-11-21 22:44:19 | ひとりごと
昨日の夕方から携帯さんの機嫌が悪くて
一夜明けた今朝も働いてくれない

ひょっとして通話料かなと思って
・・・でも払っているのになあ
D関西に電話したら

電源を落として、再度つないでみるように言われた

その通りにしたら
接続中が続くばかりで一向に接続できない

Dショップへ持ち込んだら
なんと入院と診断された。

退院まで長ければ一週間

その間は、変わりの携帯を貸すというが
しかし、いま、代替機待ちの人が四人いるという。

おいおい

さらに

データは全部吹っ飛んで消えてしまうという

おいおい

何年もかかって完全に電話・メール手帳代わりに蓄積してきた
データが、ぜーーーんぶ、なくなる。

そんな
ばかな
あほな

ひどい
なんとかならんもんか

ショップのカウンターに
データの保存をしっかりと
かいてあった。

そんなこと
いま頃
遅いやろ!

保存してなかったのはこっちのせい
だーーれにも文句言えない。

しかし
まさかのこと

携帯のデータの保存なんか
考えたこともなかった。

知っている人が
果たしてどれだけいるのやら。

それにしても、携帯が大事な名簿になっていたことに
今頃になって気がついた。

遅い!と笑われそう。


プロの凄さ、上田正樹コンサートに行って・・・

2007-11-20 15:12:48 | 輝いて生きる
ゆうべ、友人のTさんに連れられて
上田正樹 コンサート 2007「キ-坊久しぶり!」
に行ってきた。


木枯らし一号が吹いて大阪も日が暮れると寒い。
会場の大阪厚生年金会館は久しぶり、一足早かった
Tさんと合流してコンサートモードへ!

(会館前の小さなイルミネーション)

外の寒さはどこへやら、コンサート会場は次第に熱気に
つつまれて終了予定時間を40分もオーバー。

自分より少し若いはずの上田正樹さん(敬意を表してさんづけ)
の歌と随所に挟むトークにすっかり魅了された。

上田さんの名前も顔も、ヒット曲のいくつかは知っていたが
これまで、さほど関心があったわけでもないし
レコードもCDも持っていない・・・そんな程度だった。

それが、わずか2時間半で、すっかり上田正樹さんに
心も身体もゆり動かされたのだから不思議。

正直なところ、アンコール後の彼の熱唱する姿とファンを
大事にする姿勢に涙がとまらなかった。
プロの魂を魅せられた思いがした。


あの独特の歌い方、とくに横文字の歌はわからない。

でも、そんなことはどうでもよかった。

こちらに伝わってくるかどうか
そういう意味では凄いプロだと感じた。

流行に乗って行く安易な道を選ばず
歌にかける自分の信念を貫き通してきて
日本の○○と評されても
自分は上田正樹だと言い切ったところなんか
思わず”そうや”と口に出かかった。

自分の名前と顔で、いつも、堂々と自分を生きて行く
現実の姿は、比較できないほど開きはあるが
まさに、自分の生き方と一緒だ。

合間のトークで軽妙に、真剣に、そして熱く語りかけてくる
上田さんの道一筋に賭けてきた男の生き方に共感、きょうかん!

ああなると歌とは、積み重ねてきた人間力だ!
と思った。

ヒットがあろうとなかろうと
例え忘れられようと
ただ自分の道を歩き続けることに
その人の真髄あり。

あのプロの凄味を見せつけられて
感心をしているのは今日だけにして
少しでも、自分のプロに磨きをかけないと・・・
また、刺激をお土産にもらった。


(帰り道のレストランの前にもう小さなサンタさんが来ていた)

感動の灯を消さないとやけどするので
帰りに友人のTさんと梅田でちょいと冷たいもので消火
・・・するつもりが、また、そこで燃え上がった。

とても素敵なひと時だった。

ありがとうTさん!
そして上田正樹さん!

晩秋の公園-ナイトウォークのコース。

2007-11-18 17:50:29 | 健康
あわただしい一週間を過ごしたので今日は完全休養日。

お天気につられてデジカメ散策・・・
昼間は久しぶりの服部緑地へ散策にでかけた。
この時期の服部緑地は色づく木々と咲き乱れる花々で一段
ときれいなところ、大勢の人が訪れてくる。

【公園案内・大阪府公園協会の説明文から 】
「日本の都市公園100選」にも選ばれている服部緑地は、甲
子園球場の約33倍という府内でも有数の規模を誇ります。
千里丘陵の西側に位置し、ゆるやかな起伏に富んだ園内に
は竹やぶや松林のほか、10数個の池が点在。
日本民家集落博物館、野外音楽堂、陸上競技場、乗馬セン
ター、テニスコート、ウォーターランドなど多彩な施設がそろい
北大阪地域のスポーツ・レクリエーションの拠点となっていま
す。
・・・・・・・・・・・・・・
わが家は、公園の入口まで5分の至近距離にあり、夜はここ
がナイトウォーキングコース。

電車の駅からまっすぐに公園の入口にのびる緑道を下りて行
く。ナイトウォークはここからスタート&ゴールだ。


横にもう一本の道がついている。散策はこちらがいい。


徐々に色ずいている木々から落場がひらひらと落ちてくる。


公園の入り口にある広場。


公園のメイン、円形花壇の周辺を散策する花の道。


コスモスが咲き乱れている。ここはカメラマンが
いっぱいいるので人のいないところを探して・・・



色づいているのは桜、ここから写す四季の移り変わりが
大好きだ。



山ゲ池にかかる白鳥橋からの眺め。






ぐるり一周してうづわ池へ。正面に乗馬センターがある。
子どもが小学生の時、よくあひるにパンを食べさせた池。


戻ってきてスタートした道を上がっていく。
ここはナイトウォークの最終コース、一気に上って
いくことにしている。正面に見えるのが駅ビル。
左側に駿台予備校がある。
気候がいい時期の昼間は予備校生が木陰やベンチで
弁当を食べたり、勉強をしている姿もみかける。


穏やかな秋の日差しをいっぱいに浴びて、のんびりと
公園を散策したが、午後から急に曇ってきた。

全力で、悔いのない二日間だった!!

2007-11-17 22:27:25 | 仕事
昨日から二日間、4回シリーズの若手後継者の
定例セミナー第二講を実施した。

少数だが、福島県、長野県からもメンバーが
出席してくれて、みっちりと勉強ができた。

前回から今回までの2ケ月間を通して
現場で実践してきた期間目標の結果について
それぞれが発表し、お互いが評価を行ったが
想像していた以上の取り組みをしており
初日からいい雰囲気で進められた。

これまで読書らしいことをしていなかったA君が
2ヶ月間で主にビジネス関連の本を8冊も読み
A4サイズにまとめて参加者全員に配布してくれた
のには驚いた。

就職先から父親の会社に戻ってきたB君は
毎日、一台ずつ、営業車の洗車を実行し
33分かかっていた洗車時間が18分でできるまでになった
克明な記録を見せてくれた。

C君は、誰も出社してこない早朝に出社して
営業所のトイレ掃除を続けている。

後継者には、周囲の目が厳しい
仕事はできて当たり前
それに耐えて、答えていけるだけの
度量と行動力が必要だ。

決してこちらが強制した目標ではないが
彼らが、自らに課して踏み出した一歩が
どこまで続くか、それが周囲にどう映るのか
しばらくは、共通の「掲示板」で応援を
続けていきたい。


昨日の終了後は、食事会と二次会とで11時まで
アルコールが入っても真剣な話はつきなかった。

こういう課外懇親の場は、深夜、遅くならない限り
付き合って一緒に過ごすことにしている。


いま頃は、どこまで帰っているやら・・・
次は、新年の1月、どんな土産話をもってきてくれるか
今から楽しみだ。

自分も彼らを刺激できるだけのことをしないと
口先じじいで終わるわけにはいかない。

また、刺激をもらってきた!

成長した若者とうれしかった再会!

2007-11-15 15:50:11 | 仕事
今年の春、新任職員として採用された大学の職員研修に
携わった。

あれから7カ月が過ぎ、ふたたび、そのメンバーに再会
する機会がおとずれて、二日間、山陰に行ってきた。

そして、「半年後のフォローアップ研修」で再会をした
男女職員の成長ぶりには目を見張るものがあった。


大学側の試みで、一人ひとりを人材として育成するために
春から続けてきた定期的な勉強の実施が仲間意識とライバル
意識を育ててきたこともあろうが、二日間、ほとんどマイナス的
な話もなく、くいつくように迫ってくる学習意欲の高さに驚いた。


初日、会議室へ入ったら

まず、大きな声で、メッセージ付きのあいさつをされて
びっくり・・・
春に指導したお辞儀の仕方をきちんと身につけていた。

夜の懇親会のあと、ホテルへ向かうタクシーのそばまできて
一斉に挨拶をしてくれた。

最終日を終え
全員からもらったメッセージ付きのあいさつのあと
待たせていたタクシーの横まで見送りに来て
見えなくなるまで手をふってくれた若者達の
心温まるメッセージはなによりのお土産になった。


最初の火付けをし、現場で経験してきたことを振り返り
今後への方向付けをするのが今回のねらいだったが
大事な節目を担当させてもらい
おいしい場面を食べさせてもらったこちらこそ感謝だ。

もともと、この半年間の「フォローアップ研修」の導入を
すすめ、過去二年間、実施してきたが
担当部門だけでなく学校側の熱意も本物になったきた。

国立大学が独立法人化され、
徐々に一般の企業並みの経営が求められ
その優劣がデータとして公開されつつあるいま
制度や手法は替えられるが
働く人達の意識改革は簡単にはすすまない。

新しい体制になって入ってくる次代を背負う若手は
宝もの、その育成に必死なのはどこも同じだろう。

少子化時代、どの大学もいい学生集めに必至だ。
ことに地方大学は、危機感をもって臨んでいる。

あの若者たちもよく認識をしていて真剣だった。
いい仕事をしてほしい。


キャッチフレーズの

「人間力はどうだ!」鳥取大学

のポスターが学内の至るところに貼られている

「鳥取大学」は真剣だ。


自分の母校でもない山陰の一大学だが
落ち着いたキャンパス風景と
地域に根差して作りあげた知的財産と研究実績
情報の発信と交流に熱心に取り組んでいることが
熱心な学風が伝わってくる。
そして
職員さんの温かな礼儀作法もすばらしくて
何度もうかがっているうちにすっかり気に入ってしまった。


冬の早い鳥取は、もう晩秋の風情だった
少しだけだかキャンパスでさわやか二日を
若者達と過ごせたことはとても楽しかった。

67歳、また、若いエネルギーを仕入れてきた
これでしばらくはポンコツ車も動くだろう!

事務所に出てきたら、ちゃんとお礼のメールが
自分より先にきていた。

ありがとう!

明日から山陰へ出張。

2007-11-12 21:59:50 | 仕事
今日は、終日、風の強い日だった。

11月も半ば、これが普通なんだろうが
これまで暖か過ぎたのだろう・・・
なんだか、冬一番の到来かと思った。

北海道の中標津に転勤している知り合いから
今朝の気温は零下だったが初雪はまだとか
この時期に雪がないのが不自然とメールがきた
昼間はぽかぽかしているという。


あしたから山陰へ二日間の出張だ
もう5年になる恒例のくに立大の仕事だ。

あちらも大阪と比べると寒いところなので
ひきしめていかないと。

今回は、若い人達との密着二日間
みっちり勉強をしてくる。

久しぶりの顔合わせになるが
成長している姿を見るのが楽しみだ。








じっと我慢の一日を過ごした!

2007-11-11 17:59:15 | ひとりごと
楽しみにしてきた日本ウォーキング協会の
加古川ツーデーウォークの二日目の今日

参加するつもりでいたので早く起きたが
昨日から気になっていた膝の違和感が
残っていて、どうもしっくりしないので
ここは無理をしたらあかんと
我慢して加古川行きを中止した。

その代わり、どこか近場でもと思ったが
がまん、我慢と言い聞かせて
今日も仕事場へ出てきた。

明後日からの出張と週後半と
二つの泊まり込みの仕事が控えているので
その準備に充てて過ごした。

ウォーキングを始めて二年目のこの時期
琵琶湖から大阪湾をめざして歩いていた時
無理をして膝を痛めてしまった。
まる四か月間を治療に専念し
復活した経験があるので
膝には格別、神経質になっている。

今日のがまんの分は
次週に計画しているコースで楽しんでこよう。

外はもう暗い、我慢の一日が暮れて行く。

三日間、なんとか、責任は果たせてきた!

2007-11-10 17:38:36 | 仕事
過去18年間もつとめてきたこの時期恒例の
三日間の勉強会をきのう無事につとめてきた。

19年間、同じコースを担当してきたので
やることになにの心配もなかったが
事前に担当者よりもらっていた情報が
気になっていた。

数名の落伍者が出るかもしれないとのこと。

春から続いてきた長い、厳しいトレーニングのために
途中で挫折する者が出ても不思議ではないが
これまでは担当部門やスタッフの手厚い支援で卒業させてきた。

しかし、今年は三、四人が落伍するかも・・・
すでに欠席が続いていて来るかどうかわからないという。

自分になにの責任があるわけでもないが
やっぱり卒業させてやりたいし
会ってよく聞いてやりたいし
言って聞かせてやりたい
それも自分の役割と心得て臨んだ。

初日にそのうちの二人が
昨日の三日日に一人が出てきた。
結局、一人だけを残して
卒業の見込みがついた。

いまの若い人には接して戸惑うことが多い
とくに、指導するということについては
少なくとも昭和の時代を物差しにすると
とてもじゃないが、通用しないことが多い。

ある部分、こちらを捨てる勇気を持たないと
とても対応ができない。

そう思って接してみると
意外に通じあうものだし
こちらも学ぶことがある。

彼らにとっても
化石みたいなじいさんが相手では
やりにくかっただろう。

エネルギーは使い切ったが
逆に彼らからエネルギーを引き出された気もする。

とにかく、ほっとした。

六時から担当者より慰労の席を用意していただき
八時からは、お返しに隠れ家へ案内して
久々に痛飲
気分がよくて三曲も歌った。

遊びの酒の翌日は
あー飲み過ぎた!

反省と
疲れしか残らないが

仕事でお役にたって飲む酒は
いくら飲んでも
よかった、よかったである。

同じ飲むならよかった酒がいい
それには、やっぱり

やってよかった!
そんな機会をたくさん持つことだ。

さあ、明日から三日連続の出番だ!

2007-11-06 17:37:26 | 仕事
昨日、今日と雨模様の肌寒い日が続く。
明日から3日間、楽しみにしている仕事が待ち構えている。

春からかかわっている某メーカー販売代理店の
後継者勉強会の終盤を担当することになっている。

準備はしているものの明日を目前にして
その内容や資料の確認をしていると
また、手を入れたくなって
結局は、1日、追われてしまった。

少しでもいい内容にと
毎年のように少しずつ手を加えながら
どこまでいっても、これでよし!
と納得できないのは
未熟なのか、こだわりすぎるのか・・・

年に一期、7ヶ月間にわたる長丁場の勉強会に
平成元年からお世話になってきて19年
春の開講と夏の中間と閉講前のこの時期を
担当させてもらっている。

送り出した後継者のたまご達は200人を越え
すでにかなりの社長が誕生していることを
誇りに思っている。

自分がかかわってきた仕事では、最長のもので
企業とこちらの思いが同じところにあるのだが
こんなに続くとは・・・驚いている。

担当者のだれよりも長くかかわっているので
過去のことは一番よくしっているというわけだ。


そんな愛着のある先の仕事なのだから
自分の会社のことのように
こちらも力が入る。

とにかく明日から3日間
春からの7ケ月もの長い厳しい訓練を受けてきた若者と
真正面から向かい合って時間を共にするのだから
エネルギーを使う。

こちらもくたびれじじいで会っては申し訳ないのでと
昼食を兼ねてデパートへネクタイを求めに行ってきた。

今月は、まだ、仕事が続くのでこれからの季節用に
思い切って4本も買った。

一番お気に入りで、明日は、対面してやろう。

67歳の誕生日だった4月13日に開講した彼らの勉強会を
担当したのも不思議なつながり。

(2007.4.13日)

翌日、京都三条大橋から瀬田唐橋まで東海道ウォークを
スタートしたが、そのゴールの瀬田唐橋近くの会館で
勉強していた彼らの会議室へリュックでゴールしたときの
彼らの驚いた顔は忘れられない。

いま、四日市まで歩いていることを話してやろう
こっちも約束通り、ちゃんと歩いているぞ!

あせらず、一歩ずつ、踏み出せば
目指す所へ、一歩ずつ、近づいている
そのことを話してやりたい!