親鸞聖人の750回大遠忌法要の行われている京都・西本願
寺に参拝に行ってきた。毎年、この時期に訪れているが今年
は50年に1度の大遠忌法要の年だから、浄土真宗本願寺派
の門徒としても特別なこと、早くから予定していたので朝の
お勤めに参列できるように出かけた。
観光客で混雑する京都駅から歩いて西本願寺前へ向かう、す
でに本願寺前は観光バスがずらりと並んで法要に参列する門
徒さんたちがパスから続々と降りていた、パスも全国さまざ
ま、春からこうした光景が続いているのだろうと思った。
世界遺産に登録されている西本願寺は、親鸞聖人像をまつる
御影堂が左に、阿弥陀如来像を安置する本堂の阿弥陀堂が右
にある。(東本願寺はその逆になっている)
阿弥陀堂で大勢の参拝者と畳の間に座ってお勤めに参列、そ
のあと、テレビ画面を通じて門主様のお話も聞くことができ
たラッキーだった。東日本の震災に遭った人たちへのお言葉
があり、堂内のいたるところに義捐金箱がおかれていた。
御影堂前の逆さイチョウはまだ色づいていなかったがたくさ
んの菊が展示してあって菊花展と錯覚するくらい目を楽しま
せてもらった。
西本願寺には国宝がたくさんあるが、その中でも特に有名な
「書院」、「唐門」、「飛雲閣」まで見ることができた。
「書院」は、法王が門徒や貴賓客と会うところ、ここの庭園と
障壁画は見事で、「唐門」は、豪華な彫刻と飾り金具で施され
たまさに芸術作品、丹念に見ていると日が暮れるのを忘れると
いう例えから日暮門といわれている。普段は外の一般道からも
みることができる。
「飛雲閣」は、滴翠園に建つ三層の楼閣で金閣、銀閣と並ぶ
京都三閣のひとつ、大勢の人が列をなして見学していた。
本願寺を出て正面の門前町をぶらぶら散策したが、団体さん
が迷わないようにか、それぞれの衣装や持ち物でどこからき
ているかわかわかった、まるで大人の修学旅行みたいだった。
小さな公園のベンチで弁当を食べた隣の幼児連れの夫婦は
長野県からと言っていた。
午後からは、その親鸞さんの生誕地を訪ねることにして京都駅へ
JR奈良線と市営地下鉄を乗り継いで京都市の南部、伏見区の
日野へ急いだ。ここにある法界寺と日野誕生院が親鸞聖人ゆかり
の寺として知られているがこれまで訪ねてきたことがなかった。
たまたま、去年の京都検定で勉強して、どうしても訪ねたいと
思っていたのでやっと実現することができた。
法界寺は、お薬師さんと親しまれ、授乳祈願の参拝者が多いよう
で、境内の右奥にある薬師堂には、たくさんの幼児用のエプロン
がかけてあるのには驚いた。
手前の左にある正方形の古い建物が国宝の阿弥陀堂、中に佇む
阿弥陀如来座像も国宝、こんなひなびた国宝の建物の中に穏やかで
優しい笑みを浮かべているような阿弥陀様に会えるとは、阿弥陀
如来像のまわりと天井には天女の壁画があり説明してくれた住職
さん(だと思う)のライトに照らされてきれいに見ることができた、
さすがに国宝、宇治の平等院の阿弥陀如来像に似ていると思った。
(国宝の阿弥陀堂、中に国宝の阿弥陀如来座像、親鸞さんは
9歳までここで過ごしたという)
この法界寺は日野家が建てたもので、親鸞聖人はこの日野家に生
まれ9歳で出家するまでここで過ごしたが、阿弥陀如来座像との
出会いが親鸞さんの信仰への目覚めになったらしい。
続いてすぐ隣の日野誕生院を訪ねた。こちらは広い駐車場に観光
バスが10台、もっと多かったか?駐車していた。親鸞聖人750
回忌で東西本願寺を参拝した人たちが、誕生地を訪ねてきていたの
だろう、それにしても大変な人だった。
ここが親鸞聖人の誕生地として、隣の法界寺から江戸時代後期に
土地を譲り受け誕生地としてお堂を建てたのが始まりでのちに
「日野誕生院」といわれるようになったらしい。
境内には、親鸞さんが使ったという産湯の井戸や胞衣塚(えなづか)
童形の立像、得度に当たって読んだ歌碑などがある。
(歌碑の文は末尾で紹介)
胞衣塚(えなづか-へその緒がおさめられているそうだ)
産湯の井戸
発心の像
せっかく日野誕生院まで来たのに、本堂前では大勢の団体参拝客
がテント張りの中で椅子に座って説明役のお寺の人の話を聞いて
いたので残念だが拝観は断念して来た道を戻ってきた。
また、いつか訪ねたい。約16,000歩。
晩秋の一日、親鸞聖人の750回大遠忌法要のさなか、親鸞さん
の御心に触れながらひとり静かに歩けたことを幸せに思った。
思えば、奈良時代から貴族社会の平安時代まで、仏教は貴族や国
によって庇護、運営され一部の支配者層のものであったが、武家
社会になり寺院が力をつけ、鎌倉時代後期からは一般民衆を救済
する新仏教が次々と出現して現在の形になったと思う。その中で
親鸞さんが果たしてきた役割は大きくいまなお生きていると思う。
「明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」
(9歳の親鸞さまがお坊さんになる直前に詠まれたといわれる和歌)