昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

美術展。

2014-06-07 22:57:29 | 古寺巡礼

天気が回復したので午後から相棒と京都へ出かけた

行先は京都国立博物館で開催中の美術展

「南山城の古寺巡礼」

 

この美術展には特別の思いがあった

南山城は平城京と平安京を結ぶ地域でそれぞれの

影響を受けた文化が残る寺院や貴重な仏教美術や

仏像に普段はなかなか接する機会がなく

そのうちに・・・と思いながら時が過ぎた

 

もう10年前になるが木津川に沿って一休さんで

おなじみの一休寺や蟹伝説の残る蟹満寺を訪ねて

不思議な魅力に取りつかれた

有名な浄瑠璃寺や岩船寺もこの地域にあるんだ

 

交通網から離れて点在しているお寺ばかりだが

実際に訪ねて今日の感動に再会したいと思った

仏像や展示物の秘宝はあまり見られないんだ

 

身体を動かしてしっかり汗をかくランニングや

ウォーキングも楽しい

はるか古の文化や秘宝と向かい合う癒しの時間も

また大事だと思っている

その機会に恵まれている関西に住む人間として

恩恵はしっかりいただきたい

 

さいわい相棒も美術展が好きでこれなら会話は

必要なく出口集合であとは自由、これがいい

次は神戸だ。


寒ボタンの石光寺を訪ねて。

2013-01-15 17:32:40 | 古寺巡礼
13日の奈良検定を受けた後、午後から寒ボタンで
有名な石光寺を訪ねた

近鉄高の原駅から橿原線で橿原神宮前に行き乗換え
南大阪線の準急で二上神社口に向かう

しばらくすると車窓の左手に二上山が見えてきた
なつかしい、右が雄岳、左が雌岳だ


この雄岳の頂には謀反の疑いをかけられて自決した
悲運の大津皇子の墓はかって登山した時に見ている
ので知っている

このあたりは中将姫の伝説とともに秘話の残る地域で
万葉集にも大津皇子の姉・大伯皇女の歌がある

 うつそみの 人なる我や
 明日よりは二上山を
 弟と我が見む

二上神社口駅で下車、駅前から二上山の麓をめざして
ゆるやかな坂道を登っていく




ここは昭和の時代、まだ小学生だった息子と二度ほど
きて二上山に登ったことがある

急な山道を息子に追いつけなくて振り返る子の姿が
いまでも鮮明に浮かんでくる

駅からまっすぐに石光寺への道を行かないで二上山
ふるさと公園あたりをぐるりと散策ウォーキング!

もう目の前が二上山、下山してきたのかおじさん達の
グループとすれ違った


当麻寺の道の駅・ふたかみパーク当麻へ寄ってみた
ここの名物「こんにゃく」とコーヒーで休憩した

うろうろ歩いていると田んぼでトンドの用意をして
いるのに遭遇した
子供の頃、田舎でよくみかけた光景でなつかしい!


バイパスに沿って歩いて中将姫の石光寺の看板から
古い道を入ると石光寺の正面へ着いた


ほんとうに久しぶりだが昔のイメージのままだった
出入りする人が多いのは寒ボタンの時期だからか・・

ボタンで有名だが、春のボタンだけでなく寒に咲く
寒ボタンとしてとくに有名、それが楽しみで今日は
試験会場から遠く離れたこちらまでやってきた


ここは関西花の寺霊場20番としても知られている


石光寺とは・・・パンフレットから


天地天皇の時(670年ごろ)に、この地に光を放つ
三大石があり、掘ると弥勒三尊の石像が現われた。
勅願により堂宇を建立し「石光寺」の名を賜り役の
小角が開山となり弥勒如来を本尊としてまつったの
がはじまり。

聖武天皇の時(750年ごろ)に、蓮糸曼陀羅を織った
中将姫が、この寺の井戸で蓮糸を洗い五色に染めて
桜の木にかけて乾かしたというので、この桜を「糸
かけ桜」、井戸を「染の井」、またこの寺を「染寺」
ともいい、二上山頂まで「しめ」という。

・・・・・・・・・・・・・・・・・

中将姫の秘話はよく知られているが・・・
生まれは奈良町にある誕生寺、幼いころ母を亡くし
継母に育てられるが虐待を受けて当麻寺に入った。
そこで阿弥陀如来の法力を得て蓮糸で曼荼羅を織り
あげることで救済されたことで知られている。

石光寺の門をくぐると庭園に藁でつくられた藁帽子
が点在するなつかしい光景が広がっていた



まず「中将姫の像」と「染め井」に向かった


左手にあるのが五色に染めた曼陀羅をかけ乾かした
という「糸かけ桜」


ひっそりと藁帽子の中にたたずんでいる寒ボタンを
見てまわった
















なぜ藁帽子をかぶっているのか?
実は寒ボタンには葉っぱがない、茎と可憐な花だけ、
風や雨や雪の重さから守られているのだと思う

与謝野鉄幹、晶子の歌碑もある

鉄幹
 時雨ふる日はおもひいづ
 当麻の里の染寺に
 ひともと枯れし柳の木
 京の禁裡の広前に
 ぬれて踏みける銀杏の葉


晶子
 初春や当麻の寺へ文かけば
 奈良の都に住むここちする

弥勒堂、ここは今月のみ秘宝が開帳されている






気がついたら午後も3時半になっていた
夜には大阪駅近くで新年会があるので早く帰りたい
あわてて今度は当麻寺駅をめざしてウォーキング!


当麻寺は春ボタンの5月に来ることにしているので
今日は表を素通り
古い静かな通りは昔のままだった


当麻寺東大門


当麻寺の参道


うまく15時59分の準急に間に合った

天王寺経由で地下鉄に乗り継ぎ仕事場へ戻ってきた

少し休憩をして本日の第3部、新年会へ

これは後日に。


遅い萩を訪ねて奈良へ。

2012-10-04 22:55:30 | 古寺巡礼
朝からあいにくの雨になったが予定していた
萩の名所を訪ねて奈良へ行った

彼岸明けに行くつもりが都合がつかず延びて
もう萩も終わっているだろうなあと思いながら

それでも、もしや・・・
とかすかな期待を頼りに近鉄奈良駅に降りた

すでに奈良公園はかなりの雨が降っていた
それでもおなじみの鹿が観光客や修学旅行生
にせんべい欲しさに集まっていた



飛火野を通って雨の浮御堂により道して
白壁の続く静かな高畑を歩いた



ここはかって文人が散策したコース
志賀直哉が暗夜行路を書いたという旧居前を
通り最初に目指す新薬師寺へ急いだ

途中で迷っていた愛知県の小学生4人を拾って
雨の新薬師寺に入った



ここは去年の10月に来てから1年ぶり
正面に佇む国宝の本堂のみという新薬師寺の境内
にある萩はほとんど散っていた

それでも少し残った花が冷たい雨に濡れていた



新薬師寺には、ほぼ、毎年のように訪れている
なんといってもあの凛々しくて力強い十二神将立像に
会うのが楽しい

どの像も目線が合う
なにかを語りかけてくれる
エネルギーを与えてくれる

そして大きな目とふくよかな表情がやさしい
ご本尊の薬師如来座像は母のぬくもりを感ずる

天平時代、聖武天皇の病気平癒を祈願して光明皇后に
よって創建された新薬師寺にはファンが多い

雨の歴史の道をつぎの萩の名所の白毫寺へ向かった
去年、新薬師寺へ来た時に時間がなく諦めた白毫寺

石段を上って行くと両側に咲き乱れる萩のイメージが
残っているが果たして待ってくれているだろうか?



かすかな期待をして行ったがやはり散り終えていた
あー残念!

リュックには以前来た時に買ったお守りが入っている
だからいつも身近に感じている白毫寺は天然記念物の
五色椿でもよく知られている



萩は御影堂前に少しのこっていた



その代わりはキキョウがたくさんきれいに咲いていた



それに可憐なシュウメイ菊も雨に打たれながら
微笑んでいた



境内で雨宿りしながら弁当を食べた

また来た道を引き返して次の萩の名所に向かう
ようやく雨が上がり傘をたたんでウォーキング!

途中、入江泰吉記念館・奈良市写真美術館前を通った
大和路の写真を撮り続けた写真家の入江さんの写真が
保存されている美術館

ここにも去年訪れているが今日はパス

最後のコース、奈良町へ向かった

まだ萩は諦めていない・・・
きっと、次の奈良町の元興寺で見られる
急げ、急げ!
ここはウォーキング

国の名勝に指定されている旧大乗院の庭園を外から
ちょいとのぞいた



地蔵大仏といわれ大きな地蔵菩薩坐像で知られている
福智院へ寄った



奈良町へはいって書院造の今西家前あたりから観光客
の姿が目立ってきた





中国語も聞かれる、日本は平和なもんだ

庚申堂へ寄って身代わり庚申を買った
先代の身代わり庚申は東海道53次を日本橋にゴール
するまでずっと守ってくれた
今日買った庚申さんは2代目だ





萩に会いたくて訪ね歩いて最後の元興寺についた
祈りが通じた
なんと萩がいっぱい咲いていた







それに彼岸花もききょうも咲いていた



おまけにすっかり天気が回復して青空が見えてきた



猿沢の池のほとりを歩いておなじみの中谷商店で
よもぎ餅を3個買った



近鉄奈良駅改札横のコーヒーショップでコーヒーと
よもぎ餅、あーおいしかった

新薬師寺までデジカメの設定ミスで画像の色が赤く
変質してせつかくの写真が使い物にならなかった。

ふるさとの神社がテレビに。

2012-06-24 23:32:16 | 古寺巡礼
今夜の大河ドラマ、平清盛が終了したあとのドラマに
まつわる場所として地御前神社(じごぜんじんじゃ)が
紹介されていた

実はこの地御前神社は小学生の時、毎日通学で本殿
前を通った思い出の多い神社で大変懐かしく見とれた

もともと厳島神社の外宮として同じ時期に建立されたと
聞いているが、平清盛によって厳島神社が改修された時
この神社も一緒に修築されたらしい(厳島神社が本宮)

厳島神社のある宮島は島全体が聖地とされて人が住む
ことを禁じられていたので、その対岸に参拝のために
地御前神社は建てられた

海辺にあった地御前神社から船で宮島を目指して行き
海中の大鳥居から厳島神社を参拝したのだろうと思う

神社の鳥居には「厳島外宮社」とかかっていることは
よく覚えており厳島神社と祭神も同じ

夏に催される海の祭典「管弦祭」は厳島神社と対岸の
地御前神社との間を優雅な雅楽のみこし渡御が日没後
の海上で繰り広げられる

子供の頃は、その管弦祭が楽しみで海岸からよく見た
ものだが、あれから何十年も見る機会はないが、あの
頃の思い出はしっかりと蘇ってくる

せめて、もう一度でいいから、見ておきたいと思うが
多くの人が見物に来ていた管弦祭もかっての華美さは
なくなり寂しいとよく兄が話していた

それでもNHKのニュースで報じられるのだから伝統
のある特別な祭なのだろう

今年は大河ドラマにあやかって、きっと、厳島神社も
管弦祭にも、多くの人が訪れるに違いないと思う
地御前神社も知られることになるかもしれない

幼き頃の思い出の神社を映像で見て懐かしく思った。

巡礼の道。

2012-06-16 22:04:12 | 古寺巡礼


終日の雨でずっと予定にいれていた城北公園までの
ラン&ウォークと花菖蒲観賞は断念した

雨に花菖蒲もそれはそれとして雰囲気があっていい
と思ったがそれよりもラン&ウォークがしたかった

その代わりに自宅の荷物の整理、なかなか捗らない
着工日が決まっているのに一向にすすまなくて焦る

今日の日経新聞に「社寺と自然楽しむ巡礼の道」と
いう特集記事があった
その筋の専門家によるアンケート結果が10位まで
掲載されていたが

1位 熊野古道

2位 四国八十八カ所

3位 お伊勢参り

4位 西国三十三カ所

5位 出雲国神仏霊場

10カ所のうち近畿地方が4ケ所で
東日本は鎌倉五山と秩父三十四カ所だけ

そのうち自分が歩いたのは

1位 熊野古道

3位 お伊勢参り(まだ途中まで)

7位 山の辺の道 

9位 鎌倉五山



いま寺社を歩いて巡る「巡礼の道」がブームらしい
観光バスで巡るツアー式や車で回る人も多いそうだ

6年前に熊野古道を歩いたとき、かって熊野の本宮
大社を目指した多くの巡礼者達が熊野の奥深き道で
目的を達することなく息絶えていった跡を見た

苦悩から救われようと命を賭してまで歩き続けた人
と理屈はつけても所詮ウォーキング気分でHP作成
で終わってしまった自分の軽き心を同じように巡礼
者気取りで言うへきことではないと後から気づいた

もちろん無駄なことをしたとは思っていない
かけがえのない貴重な体験をしたと思っている
それが自分の生き方の中でどう息づいているか
他人からもそこを見られているに違いないと思う



熊野古道がトップにあるのは世界遺産に登録をされ
てから注目をされ訪れる人が急に増えたと前の知事
に会ったときに聞いた

よく知られている四国八十八カ所は人数からすれば
多くの人が歩いているのではないかと思う

身近にいる人の中にも4人ほどがこの2年内に歩い
ているし、これからも続く人は絶えないと思う

しかし、過去から現在まで圧倒的に多くの巡礼者を
集めているのはお伊勢さん参りに違いない

自分も途中まで歩きながら東北大震災で足止めして
からそのまま中断状態にある
もちろんいずれ歩くのだから気にもしていない
お伊勢さんがなくなるわけでもないから気が向いた
時にのんびりと歩こうと達観をしている

巡礼の道は全国津々浦々にあるそうだ
出羽三山のような修験の道は東北に多いらしい

旅行ブームが健康ブームにのっかって巡礼の道巡り
につながっているのかもしれない

神仏など信じないという人は別にして多くの日本人
は軽き信仰心で気軽に寺社へ行き「祈り」「拝む」
ことで心の平安を得てきた

最近は「パワースポット」とか「癒し」など便利な
言葉で寺社を訪れる若者の姿をよく見かける

救われるとか、救われたいとか、そういう切実さは
なくても素直な気持ちで多くの命が刻んだ道を訪ね
歩くことはいいことだと思う

以前、身近な集まりをお寺の施設を借りてできない
か、計画をたてかけた立ち消えたことがある

よくいうオフ会という種類のものだったがいまでも
そのアイディアは温めている
飲んで、食って、しゃべって・・も楽しくていいが
それなら若者と一緒でなにか物足りないと思った

2月にあった大阪検定合格者のオフ会は有名なお寺
の会館で開催されたが数人の住職さんの参加があり
心温まる持て成しがとてもよかった

そういえば昔は夜の街巡りをよくしたなあ
その反省と体力がなくなったことで寺社巡りに方針?
を変えたのか、元気であればなに巡りもいいだろう。


遅い紅葉に癒されて京都。

2011-12-07 22:37:08 | 古寺巡礼
遅い紅葉を求めて京都の洛北を訪ねてきた
10時半、淀屋橋から京阪特急で京都出町柳へ
鉄道ファンにはどの電車を利用するかも楽しみ
特急の先頭車両、先頭座席に座って運転手気分

おっ特急がきた!

淀川を渡って京都へ、この堤防歩いたなあ・・


出町柳で叡電に乗り換え岩倉に着いたら12時が過ぎて
いた・・・もっと早く出たらよかったな


今日は全国的には知られていないかもしれないが関西で
は紅葉の名所として知られている洛北の実相院、蓮花寺、
赤山禅院を歩いて訪ねることにした

まず岩倉にある実相院から・・・
鞍馬や貴船に行く時には素通りばかりしてきた岩倉駅に
降りたのは何十年ぶりだろうか?
そして毎年秋になると紅葉を訪ねたいと思いながらは
後回しにしてきた実相院も何十年ぶりか?


駅から昔の面影はどこにもない道を歩いて20分
さすがの紅葉もかなり散っていたがそれはそれで美しく
て紅葉探訪客も大勢が訪ねていた

長くて緩やかな坂道を上りつめて石段を上がると古い
四脚門の向こうに鮮やかな紅葉が飛び込んできた、
あっ、まだ、紅葉が残っている!


白壁に残り紅葉が映える


実相院は「岩倉門跡」とも言われ天皇家とゆかりの深い
宮門跡寺院としてしられている天台宗寺院


拝観者の足が止まる、しーんとした静寂の中で何をみてる?


実相院は枯山水庭園と池泉回遊式庭園の二つがあり紅葉
の時期には特にその美しさを発揮する
こちら池泉回遊式庭園は散り紅葉になっていた


あざやかな紅葉と白砂の枯山水庭園


残念ながら時間帯のせいだったのか「床紅葉」はみられ
なかったのが残念だった


堂内にはふんだんに狩野派の襖絵があってそれも十分に
楽しむことができる
本尊の不動明王像もまじかで見ることができた


赤と黄色・・・紅葉も順番なのか


実相院を出てすぐ近くにある岩倉具視の幽棲宅跡に回り
道して表を通るだけだが場所は確認した
岩倉具視については学校の歴史でも学んでおり説明する
までもないが、幕末に公武合体をすすめ皇女和宮の徳川
家降嫁に尽力したが倒幕派に攻められこの地に蟄居した

しかし、この地でも維新の影となって活躍し後に明治新
政府の右大臣にまでなった
大河ドラマの篤姫では片岡鶴太郎さんが具視役を演じて
いたし、昨年の龍馬伝でも岩倉具視は何度か登場した


幽棲宅跡は大きな塀にかこまれて外から背伸びして写し
たら・・・ここに5年いたそうだ


いったん岩倉駅前通りにもどり遅い昼食はパン屋のオー
プンカフェ?ですませた
このBremenというパン屋さん、買ったパンを外のベンチ
で食べられるしポットに入ったコーヒーは無料、どうや
ら人気店らしい、奥さんが気配り満点の素敵な人だった!


ここから次の三宅八幡宮へ向けてウォーキング
左手に初冬の比叡山がくっきり、飛行機雲かな?


三宅八幡宮は子供の守り神、「虫八幡」とよばれ子供の
疳の虫よけで知られている


面白いのは狛犬に変わってここではハトが一対で狛犬の
代りをしている、ここの名物は「鳩餅」



三宅八幡宮から歩いて10分ほど、比叡山のふもとに
ある紅葉の名刹の蓮華寺へ向かった
ここも何十年振りか・・・


蓮華寺は天台宗のお寺、道路から奥まった住宅地の奥に
ひっそりとたたずんでいてひとり静かに過ごしたい人に
は最適な雰囲気をもっている
中学生の修学旅行生はお断りと書かれていたが納得!
池泉回遊式の庭園には鶴島と亀島が配置されている


門から一歩中へ入るとそこは散り紅葉の絨毯、人の顔まで
赤く染まってみえた!


縁に座りしばらく遅い紅葉に見とれた


じっと散りゆく紅葉を惜しむように庭を眺めている人の
姿が印象的だった



あー比叡山が燃えている!


次は紅葉の目的地の赤山禅院へ向かった
峠越えをして行くのに地図も持たず行けるだろうと思った
のが間違って開発された住宅地に迷い込み時間を無駄にした


道に迷いながらそれでも紅葉はしっかりと見届けて歩いた


途中で宝撞寺の前を通ったので休憩がてら寄ってみた


かわいいね、なでなで地蔵


峠越えの紅葉


予定時間より遅くなって丁度16時に赤山禅院へ着いた
すでに陽は西にに没し薄暗くなっていた


坂道をのぼり左の階段を上がると正面に拝殿があるが屋根
をよくみるとてっぺんに猿がかこいの中に入れられている

右手に御幣、左手に鈴をもっている、猿は鬼門を守る動物で
御所の鬼門が東北に当たるためにここで鬼門封じをしている
ということらしい・・・京都検定でした勉強から
屋根に猿がいる拝殿は「皇城表鬼門」と表示がしてある


屋根の上で鬼門封じの猿



修学院バス停まで戻りバスで市内へ出て、三条で空いたお腹に
補給をして夕闇の京の街をぶらぶら・・・
そこで楽しい?面白い?いや、とてもいい光景にあった!

ここは京都一の繁華街、河原町通り
去年は龍馬伝で人だかりが堪えなかった
「坂本龍馬 中岡慎太郎遭難の地」の前を通りかかったので
ついついクセで写真を撮っていたところ若い二人ずれのうち
女の子のほうが寄ってきて説明板を覗き込んだ


男性は少し行ったところで立ち止まって女の子を待っている

どうするやろうなあ・・・
興味津々とみていると女の子、いや、女性が小走りで男性の
ところへ行き、なんと碑の前に連れてきた!

おっ、すごい、そして説明を始めた
男性も熱心に説明板を見ている
たった、それだけ

でも、なんとも、ほのぼのとしたいいシーンだった!

阪急河原町から急行で戻ってきた

目的にした三つのお寺とも、すでに遅い紅葉だったが、その分
ゆっくりと心行くまでくつろげて2011年の紅葉の見納めに
はいい一日になった。


東西本願寺、知恩院を訪ねて!

2011-11-24 19:39:44 | 古寺巡礼
昨日23日の祭日の午後、京都にでかけてきた

週末に東京から姉妹でやってくるSNSの古い知人に
京都観光のコースを紹介していたが、紅葉の進み具合
によっては行き先の変更も必要と東山方面へ下見に

たまたま京都文化博物館で開催中の「京の小袖」展の
チケットを譲ってもらったのでおじ(い抜き)さんの
センスアップに

そして親鸞聖人750回忌、法然聖人の800回忌の
50年に一度法要が行われている東西本願寺と知恩院
をウォーキングで訪ねてみようと思った

紅葉の下見はライトアップの寺院を対象にしていた
午後1時半、雨が降り出した大阪から京都へ向かった
幸いに京都駅についたら降っていなくて傘は杖代わり

まず向かったのが「東本願寺」、わが家はお西さんだ
が、そんなことは関係なし、東西両本願寺は親鸞聖人
の750回忌法要中で、いつもは門前を素通りしてば
かりの東本願寺へ寄らせてもらった



東本願寺の御遠忌のテーマが

 「今、いのちがあなたを生きている」


といたるところにこの言葉が書かれている
去年から東本願寺前を通るたびにこの言葉を見てきた

以前、このブログで紹介したことがあるが、すっかり
気に入ったこのことば、覚えてしまっている

”いま、いのちがあなたを生きている”とは
どう理解したらいいのやら・・・?

せっかくお東さんに来たのだから先日にお参りにきた
お西さんへも寄ってみたくなって西本願寺へ寄った




西本願寺の大遠忌テーマは
「世のなか 安穏なれ」


名物の銀杏の紅葉はまだすすんでおらず残念だった!


(鐘楼 ここに新撰組の頓所が一時あった)

西本願寺から三条通りにある京都文化博物館まで歩いて
いくことにした、15時41分スタート、到着を16時
にして堀川通りを北へ、五条通り、四条通りを横切って
ウォーキング、博物館に着いたのが15時55分だった



小袖展会場の95%は女性、しかも着物姿の女性が目立
って、どうもおじ(い抜き)さんには似つかわしくない
気がしたが、気にするほど混んでいなくて、それなりに
見せてもらった




「着物」と呼んでいるいる衣服の原型は、かって「小袖」
と呼ばれて桃山時代から江戸時代にかけて、二本の服飾
文化の中心的な役割を担ってきた・・と資料から抜粋

小袖とか着物とかいわれても正直なところまったく関心
がなかったが、目の前でよく見ていると女性を引き付け
る美の才を結集した芸術作品と言っていいかもしれない

別の会場の京都の歴史展にのぞいてみた
こちらのほうが自分には興味があつた、京都検定で勉強
したことが生きていて京都の歴史の再学習になった

ここから三条大橋を渡って紅葉のライトアップの下見に
知恩院へ向かった
ここは法然聖人の800回忌大遠忌中・・・
ところがあのえ大きな山門の下に着いた頃から降ってきた



ライトアップはパスして高台寺、清水寺に向かった雨が
気になって八坂神社まで行ったところで雨にぬれた石畳
の道が滑るのでそれ以上すすむことは断念した

四条河原町まで、途中、もしかして出勤中の舞妓さんでも
会えるかなあと祇園花見小路へ行ったら夜の観光を楽しむ
大変な人ひと人・・・雨も降るし舞妓さんは諦めて南座の前を
通り四条大橋を渡って腹ぺこのお腹に栄養を!
木屋町の居酒屋へ誘い込まれて・・・ごちそうさま!

これじゃ、まったく下見にはならなかった
それでも、親鸞さん、法然さんをしのんで法要巡りの真似
ごとだったかもしれないが楽しく歩くことができた。


親鸞さん訪ねてひとり歩き。

2011-11-13 23:29:15 | 古寺巡礼
親鸞聖人の750回大遠忌法要の行われている京都・西本願
寺に参拝に行ってきた。毎年、この時期に訪れているが今年
は50年に1度の大遠忌法要の年だから、浄土真宗本願寺派
の門徒としても特別なこと、早くから予定していたので朝の
お勤めに参列できるように出かけた。

観光客で混雑する京都駅から歩いて西本願寺前へ向かう、す
でに本願寺前は観光バスがずらりと並んで法要に参列する門
徒さんたちがパスから続々と降りていた、パスも全国さまざ
ま、春からこうした光景が続いているのだろうと思った。


世界遺産に登録されている西本願寺は、親鸞聖人像をまつる
御影堂が左に、阿弥陀如来像を安置する本堂の阿弥陀堂が右
にある。(東本願寺はその逆になっている)



阿弥陀堂で大勢の参拝者と畳の間に座ってお勤めに参列、そ
のあと、テレビ画面を通じて門主様のお話も聞くことができ
たラッキーだった。東日本の震災に遭った人たちへのお言葉
があり、堂内のいたるところに義捐金箱がおかれていた。


御影堂前の逆さイチョウはまだ色づいていなかったがたくさ
んの菊が展示してあって菊花展と錯覚するくらい目を楽しま
せてもらった。





西本願寺には国宝がたくさんあるが、その中でも特に有名な
「書院」、「唐門」、「飛雲閣」まで見ることができた。
「書院」は、法王が門徒や貴賓客と会うところ、ここの庭園と
障壁画は見事で、「唐門」は、豪華な彫刻と飾り金具で施され
たまさに芸術作品、丹念に見ていると日が暮れるのを忘れると
いう例えから日暮門といわれている。普段は外の一般道からも
みることができる。


「飛雲閣」は、滴翠園に建つ三層の楼閣で金閣、銀閣と並ぶ
京都三閣のひとつ、大勢の人が列をなして見学していた。

本願寺を出て正面の門前町をぶらぶら散策したが、団体さん
が迷わないようにか、それぞれの衣装や持ち物でどこからき
ているかわかわかった、まるで大人の修学旅行みたいだった。
小さな公園のベンチで弁当を食べた隣の幼児連れの夫婦は
長野県からと言っていた。

午後からは、その親鸞さんの生誕地を訪ねることにして京都駅へ
JR奈良線と市営地下鉄を乗り継いで京都市の南部、伏見区の
日野へ急いだ。ここにある法界寺と日野誕生院が親鸞聖人ゆかり
の寺として知られているがこれまで訪ねてきたことがなかった。
たまたま、去年の京都検定で勉強して、どうしても訪ねたいと
思っていたのでやっと実現することができた。



法界寺は、お薬師さんと親しまれ、授乳祈願の参拝者が多いよう
で、境内の右奥にある薬師堂には、たくさんの幼児用のエプロン
がかけてあるのには驚いた。




手前の左にある正方形の古い建物が国宝の阿弥陀堂、中に佇む
阿弥陀如来座像も国宝、こんなひなびた国宝の建物の中に穏やかで
優しい笑みを浮かべているような阿弥陀様に会えるとは、阿弥陀
如来像のまわりと天井には天女の壁画があり説明してくれた住職
さん(だと思う)のライトに照らされてきれいに見ることができた、
さすがに国宝、宇治の平等院の阿弥陀如来像に似ていると思った。

(国宝の阿弥陀堂、中に国宝の阿弥陀如来座像、親鸞さんは
9歳までここで過ごしたという)


この法界寺は日野家が建てたもので、親鸞聖人はこの日野家に生
まれ9歳で出家するまでここで過ごしたが、阿弥陀如来座像との
出会いが親鸞さんの信仰への目覚めになったらしい。

続いてすぐ隣の日野誕生院を訪ねた。こちらは広い駐車場に観光
バスが10台、もっと多かったか?駐車していた。親鸞聖人750
回忌で東西本願寺を参拝した人たちが、誕生地を訪ねてきていたの
だろう、それにしても大変な人だった。
ここが親鸞聖人の誕生地として、隣の法界寺から江戸時代後期に
土地を譲り受け誕生地としてお堂を建てたのが始まりでのちに
「日野誕生院」といわれるようになったらしい。




境内には、親鸞さんが使ったという産湯の井戸や胞衣塚(えなづか)
童形の立像、得度に当たって読んだ歌碑などがある。
(歌碑の文は末尾で紹介)

胞衣塚(えなづか-へその緒がおさめられているそうだ)

産湯の井戸

発心の像


せっかく日野誕生院まで来たのに、本堂前では大勢の団体参拝客
がテント張りの中で椅子に座って説明役のお寺の人の話を聞いて
いたので残念だが拝観は断念して来た道を戻ってきた。
また、いつか訪ねたい。約16,000歩。

晩秋の一日、親鸞聖人の750回大遠忌法要のさなか、親鸞さん
の御心に触れながらひとり静かに歩けたことを幸せに思った。

思えば、奈良時代から貴族社会の平安時代まで、仏教は貴族や国
によって庇護、運営され一部の支配者層のものであったが、武家
社会になり寺院が力をつけ、鎌倉時代後期からは一般民衆を救済
する新仏教が次々と出現して現在の形になったと思う。その中で
親鸞さんが果たしてきた役割は大きくいまなお生きていると思う。

「明日ありと 思ふ心の あだ桜 夜半に嵐の 吹かぬものかは」

(9歳の親鸞さまがお坊さんになる直前に詠まれたといわれる和歌)


再び奈良へ、斑鳩から奈良公園歩き。

2011-11-02 21:23:13 | 古寺巡礼
きのう、関東からウォーキング仲間のKさんが関西へ
来たので一日、奈良を一緒に歩いてきた

修学旅行以来の奈良というのでそれならいい思い出を
つくってあげたいと大人の修学旅行コースをつくって
スタートを斑鳩の法隆寺から回ることにした

JR大和路線の法隆寺駅から法隆寺までウォーキング
雲ひとつない秋空の下、ここちよい風が気持ちいい

法隆寺へ着くと、おーおー、修学旅行の小学生がどん
どん観光バスから降りてくる


黄色い帽子、白い帽子、無帽・・・何校来ているのやら
まあ、賑やか、でも懐かしいなああの姿

おなじみのわが国最古の五重塔、何度ここを訪れたやら


金堂、法隆寺のご本尊を安置する聖なる堂


大講堂、仏教の学問を研鑽したり法要を行う施設として建立
されましたがここにはご本尊の薬師三尊像が安置されている


大宝蔵院、ここには、あの有名な玉虫厨子と国宝中の国宝
といわれる八頭身美人の百済観音像に出会えるところ
観音像の魅力はいつ訪れても変わらない


夢殿、八角形の建物に聖徳太子の等身像と言われる救世観音像
が安置されている


広い境内をひと通り訪ね歩いて次は隣にある中宮寺へ



このお寺を有名にしているのは国宝の如意輪観音像だ
この像に逢いたくて訪ねてくる人が多いと聞いているが
それは対面するとよくわかる


そして国宝の天寿国曼荼羅繍帳、聖徳太子の亡きあと、大使が
往生した天寿国と言う理想の浄土を刺繍にして作られたもの


中宮寺を辞して斑鳩三塔の二つ目、法輪寺へ向かう
白壁の道からお地蔵さんの並ぶ散策道をのんびりとすすむ
たわわに実った柿が秋の日差しを浴びて光っている
”柿食えば 鐘が鳴るなり 法隆寺”


法輪寺の三重塔


そして三つ目の塔を訪ねて世界遺産の法起寺へ


三重塔ではわが国最古といわれている



秋のカメラスポットのコスモス畑から法起寺の三重の塔



ここで予定の時間をかなりオーバーしたので法隆寺駅まで
本気?でウォーキング、日差しが暑い!木陰で水分補給!
ついでに食料も補給、暑いので店に入って昼食、積もる話・・

奈良までJRで出て午後は奈良公園の散策ウォーキングへ
修学旅行以来というKさんは奈良でまず鹿の歓迎を受ける


商店街を歩いて猿沢の池へ、水面に興福寺の五重塔がきれい



興福寺の周辺をひととおり歩いて二日前に訪れた正倉院展を
開催中の奈良国立博物館前を素通りして東大寺へ行った

Nさんはやっぱり大仏さんを見たいという
ここも修学旅行生でいっぱいだった



驚いたのは高校生たちがデジカメで大仏殿を撮っていたこと
もう、そんな時代なんだ
そういえば法隆寺で出会った小学生もデジカメで撮っていた



そろそろ色づき始めた木々が鏡池を彩ってきれいだった



陽も傾きかけてきたのでKさんが今夜も泊まる大阪へ戻る
ことも考えたが、天気もいいので二月堂から生駒山に沈む
夕陽を見せたくなって時間調整も含めてぶらぶそして5時前
いつもの二月堂へ行った



雲がかかっていたがそれでも夕陽の沈む瞬間を見ることが
できた、ラッキー


二月堂から東大寺の裏道、大仏道を通って帰路へ


そのまま帰ればいいのに、また、夕暮れ時の奈良町を見せ
たくなってとうとう奈良町まで歩き続けた

奈良町からJR奈良駅に着いたのが18時15分
天王寺へ戻り食事、カラオケの好きなKさんとBOXへ行き
しばらく歌って解放感に浸った

本日の歩数は約3万歩、二人の歩数計の数字がほとんど一緒
だったので間違いなし、それにしてもびっくりした

まさか、そんなに歩いていたとは・・・
Kさんの健脚に案内人が乗せられたのかな?
いい思い出になってくれたらいいのだが。

相国寺・大徳寺・禅宗の名刹を訪ねて。

2010-11-25 23:13:25 | 古寺巡礼
午後からぽっかり穴があいたので来週に訪ねるつもりだった
禅宗の名刹、京都の相国寺と大徳寺の特別公開に行くことに
した。

京都駅に着いたのが12時半、駅前の烏丸通りをまっすぐに
上がっていくと相国寺に行くが時間を節約して地下鉄で五つ
目の今出川で下車した

駅上の同志社大学の一角にある旧薩摩藩邸跡の石碑を訪
ねた後大学の北側にある相国寺へ向かった。



相国寺を訪ねるのはほんとうに久しぶり、平成になってからは
初めてかもしれない、境内を散策してなつかしさがこみ上げた。

西門から入るとすぐ左手に水上勉の「雁の寺」の舞台になった
塔頭の一つ、拝観は中止していたが紅葉が壁越しにきれいに
見えた。



相国寺は京都五山第二位の名刹、鎌倉五山で言えば二位は
円覚寺か
観光寺ではなく関西意外ではあまり知られていないかもしれ
ないが格式の高いお寺で広い境内はいたるところに紅葉が
すすみ静かで人影もあまりない静寂の中をのんびりと散策を
した。




相国寺といえば「鳴き龍」が有名、法堂内の天井に描かれた狩野
光信による鳴き龍の絵は、下で手を叩いてみると反響音が返って
くる
久しぶりに手を叩いてみたらちゃんと返ってきた

1605年に豊臣秀頼によって再建されたこの法堂は日本最古と
言われている壮大な建造物でそばに行くと圧倒されてしまう。



続いて普段は非公開、いま特別公開中の開山塔に向かった
ここ前庭は10数個の山石を配した枯山水、それに見事な紅葉
が白砂と白壁にマッチして一段と鮮やかの見えた。




法堂では拝観者は自分だけ、案内の人を独占し、開山塔でも暫く
はたった一人で案内役の人を一人占めして贅沢な時間を過ごした。



次は「上御霊神社」を目指して行く
上御霊神社の門前右側に「応仁の乱勃発地」の石碑が建って
おり、ここは歴史上で知られている応仁の乱が起きたところ





8代将軍の足利義政の跡目争いに、東西の有力な守護大名で
あった山名宗全と細川勝元がそれぞれを支援し対立、その乱
が勃発したのがこの地で京の町は戦火に焼かれ、やがて戦い
は全国に広がり10年も続いた

将軍の権力争いから始まり室町幕府の権威を著しく失墜させ
のきっかけとなった応仁の乱が勃発したのがこの神社の一角
であった



ここから大徳寺へ、14時50分、少し距離があるがウォーキング
で行くことにしてここは速歩で歩いた。

途中、偶然に「紫式部」の墓所の前を通りかかりお参りしていたら
高校生くらいの男の子二人がお参りにきたのに驚いた・・・?



隣に並んで小野篁の墓。



15時25分大徳寺に着いた、この時間では拝観個所は限られる
こちらは7-8年振りか、大徳寺と言えば「一休さん」、応仁の
乱で被害を受け荒廃していた大徳寺を再興させたのが一休さん
だった。

おなじみの壮大な三門に「金毛閣」の扁額がかかっているが、
三門の二階にかかっている金毛閣に利休が自分の像をおいた
ことから秀吉の怒りをかい死に追いやられたことで知られている。




大徳寺は広い境内に22の塔頭寺院があり、いくつかが特別
公開中だが時間が限られていたので国宝の本坊方丈を訪ねた
ここには国宝の唐門、枯山水の庭園があり案内の人の説明を
聞きながら観光客の人達とひとめぐりした。撮影は禁止。



あたりは暗くなっていたがせっかく来たのだからと16時半まで
拝観できる大仙院の特別公開に行ってみた、これが素敵な出会
いを生むとは!



いきなり入口に

”いま頑張らずにいつ頑張る”と大きく書かれた書が迎えてくれた
おっ、すごい、ありがとう! ついついひとりごとで応えた。



ここのお坊さん、尾関宗園さんのことばだ
超有名なお坊さんで本を沢山書かれておりテレビでもおなじみ、
帰りに買って帰ろうと暮れゆく空に紅葉が映える枯山水の庭園
をしばらく眺めていた
ここには狩野派の人達の襖絵をみることができた。

帰り際に本を求めていくとなんとそこに尾関住職が坐っていた
声をかけたらきさくに、しかも、熱っぽく語りかけてもらい17時ぎり
ぎりまで書籍コーナーで話をさせてもらった



ほしかった本を二冊買ったらサインもしていただいた上におまけに
一緒に写真に写っていただきほんとにラッキー、大変な得をしたと
思った
このお礼は「徳を積む」ことでおかえしをしないと・・・。




お礼を言って失礼して、ここからウォーキング1時間、元の地下鉄
今出川駅まで歩いて京都駅経由、新大阪へ戻ってきたら19時に
なっていた。
約23,900歩、楽しい一日だった。

さあ、明日は買ったばかりの本と今日の話をみんなに聞かせよう。

今年初めて紅葉訪ねて京都まで。

2010-11-20 23:28:51 | 古寺巡礼
ゆっくり寝過ぎてあわてて病院に行ったら
受付時間はぎりぎり間に合ったものの
廊下まで待つ人でいっぱいでとても待てない

おまけに暖かくて快晴とくりゃ紅葉が頭をよぎる
まだ咳が残りマスクをしたままなのだが行こう!
頭や顔や足や気力が風邪ひいてるわけじゃないから
ということで想定外のことだったが京都へ向かった

午後だけだから京都駅近くの紅葉のお気に入りへ行こう
そうだ洛南(京都駅の南方面)の泉涌寺と東福寺がいい!
京都駅経由の奈良線東福寺駅で降りたら13時50分過ぎで
駅も駅前も大変な人出、右東福寺方面への道は人、人、人・・・
こちらは行く人の少ない左の泉涌寺へ向かった

総門から大門へ向かう上りの参道の左右に泉涌寺の塔頭が続く
泉涌寺は御寺と尊称される皇室ゆかりの菩提所で雰囲気も違う



塔頭のうち三ケ所だけ立ち寄ったが一つ一つが立派なお寺だから
ゆっくり過ごすとそれだけで時間が(拝観料も)かかってしまう
そのうち1ケ所、西国三十三カ所霊場第15番札所の今熊野観音寺に
初めて寄ってみた、ここは弘法大師が建立したお寺だが熊野詣でを
繰り返した後白河天皇が信仰の山として大事にしていたらしい





ご朱印をもらって再び参道を上りつめるとやがて泉涌寺の大門へ
泉涌寺も弘法大師が庵を結んだのが起源、後に月輪大師が再興し
境内に湧いた泉にちなんで泉涌寺と改称した



他の寺院と違うのが入口の大門から伽藍が坂下に配置されていること
そして背景の東山三十六峰の一峰、月輪山の麓に包まれるように佇む
品格のある景観が泉涌寺の何よりの魅力でとくに好きなところ



伽藍は仏殿、舎利殿と続くが仏殿は内部を公開中で運慶作の如来様と
狩野探幽の筆竜の図を描いた天井も見ることができた



本坊からお目当ての御座所庭園へ、ここが泉涌寺へきた一番の目的だ
写真の通りすでに紅葉は見ごろで見事という他に言葉がなかった





帰り際に忘れてはならない泉涌寺の拝観所・・・とくに女性にとっては
寄りたいところだろうと思うあこがれの場所・・・それは大門のすぐ横に
絶世の美人さんがいらっしゃるのだ・・・・
楊貴妃観音堂の重要文化財楊貴妃観音さま!



パンフレットから・・・楊貴妃は糖の玄宗皇帝の妃として、また絶世の
美女として知られている。寺伝では玄宗は亡き楊貴妃を偲んで等身
座像にかたどった聖観音菩薩像を彫らせたという。
この像は建長7年(1255)湛海律師によって当寺に請来された。
その威容の美しさ、尊さは人々の心をとらえて離さない。・・・

確かに美しい楊貴妃さんの観音像だが、中に入ってお参りしているのは
若い女性ばかりで・・・どうも、どうも 、爺ですみません・・・

あっ、あの子、美人願いのお守り買ってる! 
見たらあかん!
じいさんが来たらあかんところや!

15時半を過ぎていたのであわてて次の東福寺へ急ぐ
途中の道は人であふれてさすがに紅葉の名所東福寺は違うなあ



東福寺は京都五山・第四位の臨済宗東福寺派総本山、東大寺の「東」
と興福寺の「福」から東福寺と名付けられたとか、すべての伽藍が古くて
とにかく規模が大きい

渓谷に架けられた橋廊(通天橋)を渡りながら渓谷の紅葉を楽しむのが
東福寺なのだが時間的なこともあってあきらめて通天橋の見える臥雲橋
から紅葉を眺めただけにした、それでも渓谷いっぱいの紅葉は見事だった



それから日本最古の巨大な禅宗三門、その北にあるこれまた巨大な本堂、
それに禅堂も大きい、公開中の方丈庭園も見たかったが・・・




・・・帰り途は東福寺の塔頭、芬陀院(雪舟寺)の画家・雪舟が築造
した雪舟庭園がみたくなって慌てて急いで向かい拝観には間に会った
もののすでにうす暗くなりかけていた

それでも大勢の人が来ていて、うす暗い白砂の海に鶴石と亀石を配置した
枯山水庭園を、ただじっと坐って眺めている坐女達、何が見えているのか?
何を感じているのか?何を思っているのやら・・・大事な大事な対話の時間
人々の心も晩秋仕様に染まっているのかなあと思った





同じ歩くなら素敵な出会いをしたい、その気になればいたるところで仏様
が待ってくれている、ご尊顔を眺めているだけで心が暖かくなるような気
がしてこれも歩けるからこそ叶うこと、もしかしたら仏様が歩かせて下さって
いるのかもしれない、今日も3ケ寺で書いていただいたご朱印の言葉は
ご本尊の命の教えだから大事にしたい

わずか数時間だったが、暖かかったので風邪も気にならず、今年初めての
紅葉と心のお土産をもらって楽しんできた。

奈良の美と風景を守った人々。

2010-11-05 21:47:54 | 古寺巡礼

 

今夜8時からNHKの関西特集(NHK大阪局)で

「あなたの知らない奈良・・・美と風景と生き方の再発見」という

番組を興味深く見た

 

今年の奈良は「平城遷都1300年」のイベントで予想をはるかに

超えるで人でにぎわっていると報じられている

若い時から半世紀近くも折に触れふらりと訪れてきた奈良の魅力は

寺社、仏像、道、風景がつねに身近で迎えてくれるところだと思う

 

しかしここまでに至る奈良の寺社、仏像、風景は幾多の困難な状況を

乗り越え貴重な文化財を後世に残していくために立ち上がった人達が

いたこと、その人生を番組が教えてくれた

 

手首を失い放置されたままの阿修羅様や多くの仏像を憂い補修と保存

に心血を注いだ岡倉天心

 

荒廃した薬師寺の伽藍を復興することに半生を捧げた高田好胤さんと

伽藍を再建した宮大工の西岡常一棟梁

 

明日香の開発にストップをかけ田園風景を守った万葉学者の犬養孝さん

荒れ地と化していた平城宮跡を保存することに命を賭けた棚田嘉十郎さん

 

その努力が引き継がれ遷都1300年を迎えたまほろばの奈良を明日は

南生駒から興福寺、そして天理まで奈良・伊勢街道を歩く予定。

 


京都・大原・三千院を訪ねて!

2010-06-24 23:07:30 | 古寺巡礼
24日、新緑を求めて久しぶりに京都・大原の里にでかけてきた
京都駅からバスで若狭街道を高野川にそって比叡山のふもとまで約1時間15分、新緑につつまれた終点の大原へ着いた



昼前になっていたので贅沢だが湯豆腐で腹ごしらえしてスタート、めざすは三千院、新緑がいっぱいの呂川にそってなだらかな坂道を上っていく、平日なのに観光客が多いのに驚いた




[三千院]の創建は最澄が (782-806)比叡山延歴寺建立の際に草庵を結んだのが始まりといわれて別名を梶井門跡といい天台宗の京都三大門跡寺院のひとつとして知られている



また三千院といえば紅葉の美しさで知られているが雨のこの時期に来たことがあり境内に広がる苔の美しさが強く印象に残っているので梅雨時の苔の庭も見たいと思った

最初は客殿へ、その前に広がる聚碧園は小堀遠州作池に遊ぶ蛙の声や小鳥の声が絶えることなく聞こえてくる、なんとものどかで豊かな自然からのすばらしい贈り物


庭を眺めながら観光客も縁に座ったまま動かない
何を見ているのやら
何を思っているのやら


時計がとまっているようなそんなひとときを過ごした後は宸殿に回る、ここから杉の木立の中に青々とした杉苔が広がる
正面に往生極楽院が見えるがここが三千院の一番の景色だと思う
">




しばらくは誰もこなくてこの景色をひとり占めしていた
青苔のじゅうたんの広がる有清園を極楽往生院へすすむ、決して大きな建物ではない


三千院を象徴する国宝の阿弥陀三尊像がある極楽往生院はまるで極楽浄土の世界に招き入れてくれるようにたったひとりに国宝の阿弥陀三尊像を目の前で拝顔させてくれた

ご朱印をもらっていると観光客が訪ねてきて院内はいっぱいになった。ご朱印を書いてくれた恰幅のいい僧が説明をしてくれるというので座ると


“そこのお父さん、パネルをもってください”といわれた


説明のアシスタント?までさせてもらった
“このお父さんは極楽へ行けますよ!みんなでお礼を言ってください!”
と言ってもらった、ああうれしい、極楽へ行ける!



楽しみにしていた苔の庭にひっそりとたたずむわらべ地蔵たち(けっこうな数)にも会うことができた




あじさいの園を通り金色不動堂から観音堂へ




ひろい境内をぐるりすると14時前になっていたので坂道をのぼり来迎院まで足を伸ばした



来た道を戻る途中でカフェにより冷たいコーヒーをのんで休憩ついた




バス停に戻り大原のもうひとつの古刹、おなじみの寂光院へ向かった


寂光院のことは以前から気になって訪ねたいと思い続けていた、2000年5月の失火(放火と思われたが)によって本堂が焼失 当時、大きなニュースになったが、その後、再建されているのであの独特の庵のような本堂がどんな姿になっているのやら・・・


大原の里を東海自然道にそってのんびり歩いて寂光院に着いた
入口から境内へ通ずる長くて細い石段の参道を上っていくと目の前に再建されて本堂が昔の面影とあまりに違うのに驚いた





[寂光院]天台宗の尼寺で推古2年(594)に聖徳太子が父・用明天皇の菩提を弔うために建立した古刹で、本尊は六万体地蔵像だが火災で損傷してしまい新しく復元された本尊が本堂に安置されていた


寂光院は平家物語のヒロイン建礼門院ゆかりの尼寺としても知られている、平清盛の娘・徳子が壇ノ浦の戦いでわが子・安徳天皇と共に入水しながら源氏に助けられ、その後は、出家して建礼門院となり遠く壇ノ浦で滅亡した平家一門の菩提を弔いながら余生をここで過ごしたところ

のちに建礼門院を見舞った後白河天皇は「池水に汀の桜散りしきて波の花こそ盛りなりけれ」と、たとえ枝から散ったとしても桜花はいま池の水面で満開になっているではないかと慰めたという

本堂横の庭園には平家物語のまま、その心字池やご神木の千年の姫小松(火災で枯死、根元部分を保存)苔むした石、汀の桜、諸行無常の鐘楼もある


本堂右手の裏山にある建礼門院の御陵も訪ねてみた


再び東海自然道を歩いて大原バス停から17時半のバスで京都駅へ戻った
梅雨の束の間の一日をのんびりと古寺を訪ねていい日にすることができた。

京都東山エリアの展覧会と古寺ウォーク。

2009-11-08 23:39:03 | 古寺巡礼
絶好の天気に恵まれたので京都国立博物館で開催中の「日蓮と法華の名宝展」と博物館エリアの古寺巡礼ウォーキングに行った。10時50分、京都駅から博物館をめざしてスタート。


七条通を正面に少しずつ色づきはじめている東山をみながらウォーキング、汗ばむような暖かさにタオルハンカチを取り出して汗を拭きながら鴨川にかかる七条大橋まで行くと遠く比叡山が秋空にくっきりと見える、30分程で博物館へ到着した。


京都国立博物館にはすでに大勢の人たちが来ていた、先週の奈良国立博物館正倉院展の長蛇の行列はなくてスムースに入ることができた。

文応元年(1260)度重なる災難と国家の危機を憂えて『立正安国論』を著した日蓮が、時の鎌倉幕府前執権の北条時頼に献じて以来今年が750年になることを記念しての開催らしい。日蓮はこのことが原因となって後に佐渡へ流され、苦境の人生を送ることになった。

わが家が浄土真宗で京都には西本願寺があり親鸞さんや、知恩院の浄土宗の法然さんには身近さがあるが、どちらかといえば、日蓮さんは遠い存在でもあった。
ただ、東海道五十三次を歩いていて各地でお題目の石碑に会うことが多くて、少しは、知っておかないといけないという思いでこの展覧会にきてみた。


知らないことだらけだった。よく見かける「南無妙法蓮華経」の独特の力強いお題目の一端を感ずることができたし京都の町人文化に大きな影響を与えてきたこともわかった。なによりも著名な画家(狩野元信、長谷川等伯、本阿弥光悦、俵屋宗達、尾形光琳、尾形乾山)が法華信徒であったと知ってびっくりした。その絵画にまで影響を受けている作品を見ることができて、無知で過ごしてきた自分を恥ずかしく思った。

12時55分に博物館を出て、博物館エリアの古寺巡拝ウオークへ、訪れるところは七条通りと東大路通りの交差点、東山七条交差点の四角にある寺社に限定した。

まず大和大路通りの豊臣秀吉ゆかりの豊国神社へ、豊国さんの境内では恒例のおもしろ市をひやかして参拝、豊国神社は秀吉の死後、秀吉を祀るために秀頼が建てたものだが家康に取り壊されたという、家康にすれば、秀吉が神になることが許せなかったのだろう、幾多の変遷があっていまの姿はのんびりしたたたずまいになっている。



続いて豊国神社に隣接している方広寺へ、この寺は天正14年(1580)に豊臣秀吉の発願で建立されたが昭和48年に焼失し本堂と大黒天堂、大鐘楼しか残っていない。


その大鐘楼に「国家安康・君臣豊楽」と銘が彫られているが、それを「国家安康」と「家」と「康」とに別け、「君臣豊楽」は「豊臣」とそのままになっていると家康の怒りをかい、それを理由に、慶長19年(1614 )に大坂城を攻めることになり、豊臣滅亡のきっかけになった歴史的証拠になった鐘がいまも残っている。


このシーンが、8日のNHK大河ドラマ「天地人」で放映されていたのには驚いてしまった。思わず、家内に、さっき見てきたばかりや!と説明していた。豊臣滅亡のきっかけの歴史の場をテレビと同一日に見た人間は、もしかしたら全国で自分ひとりかもしれない。というのも、方広寺は人影もなく、個人的に興味でもなければ訪れる人がそんなにいるとは思わないからだ。

方広寺のとなりに方広寺大仏殿跡公園があるが、ここは、秀吉が奈良東大寺大仏を上回る大仏殿建立を秀吉が発願して天正13年に建設を始めたが震災で崩壊し、秀吉死後、工事は中断してしまったらしい。この話は初耳だった。


東大路通りの東側にある妙法院へ向かった、比叡山にあったものを後白河法皇がここに移した門跡寺院だが特別拝観の時期以外は非公開のため国宝ふくめて見ることができなかったのは残念。


続いて、修学旅行の定番、三十三間堂に向かった、実は、ここを訪れるのは何十年振りか、国立博物館の真向かいにあるために博物館に来るたびに横を通っていながら長く入ることはなかった。観光パスがどんどんと出入りし、修学旅行生もたくさん来ていた、さすがにこの地区では超有名寺院、外国人観光客も多かったが、できるだけゆっくりと楽しみたくて、休憩をとりながら堂の中、外を時間をかけて見せてもらった。


三十三間堂、正式には「蓮華王院」。長寛2年(1164 )に後白河法皇が平清盛に命じて建立したもの。いまは、先に寄った妙法院の院外塔頭になっているそうだ。
南北に125メートル、奥行22メートルの建物は、外から見るとけた外れに大きくて、その中に入ると、その長大な本堂にぎっしりと並んだ1001体の観音像は壮観。その一体一体の観音様の微妙に違う美しい表情の列が、国宝の十一面千手千眼観音坐像を真中にして並んでいる光景にはただただ圧倒された。





三十三間堂を出て堂の塀を南にすすむと大きな南大門があるがここは何度も通ったことがあるからおなじみの門だが、まったくオープンな通りをまたいでいる門が重要文化財であることを驚いてしまう。


その左手に後白河法皇凌があるがここは立ち入ることはできない。多分、宮内庁の管轄なのだろう。


その隣にあるのが養源院、秀吉の側室淀君が父浅井長政を供養するために文禄3年(1549)に創建したもの。ここはまだ色づいていない参道のもみじをみながら散策をしただけで時間がかかるために今回はパスした。淀君ゆかりということか女性の姿が多くみられた。


最後の訪問は「智積院」。ここの名庭園の夕刻の姿を見てみたくて最後に訪れた、智積院は、全国的には有名寺ではないかもしれないが、真言宗智山派の総本山。


関西ではよく知られた智積院は、僧玄宥が徳川家康の寄進を受けて慶長5年(1600)に再興した。もともとは、秀吉が長子の鶴松の菩提寺として建てた祥雲寺があったところ、近くには秀吉の墓地もある豊臣家の聖地に家康が建てたというのも時代の複雑さが感じとれる。



庭園もこの寺の有名な障壁画も大学生のボランティアガイドの説明を受けてゆっくりと見せてもらった。





広い境内をまわって一段と威容を誇る金堂から



最後に訪れたのが明王殿、ここに来ると若いぴかぴか坊主頭の僧がお堂の中へ入り座っていくのが見えた。
ははーん、これは夕べの勤行に違いない、どんな勤行をするのか興味がわいたので階段の下から伸びあがるようにして眺めていると、自分の姿をみたのだろう、どんどん拝観者が集まってきた。
お寺の人が近づいて、どうぞ入ってくださいと声をかけてきた。
しめた!中に入れていただいていいのですか!と聞くと、どうぞ!と言われてので、すぐにウォーキングシューズを脱いで階段を上がっていくと後からご婦人グループが続いて、とうとう薄暗いお堂の中は拝観者が30人くらいになっていた。
20分くらいだっただろうか、夜の勤行のすべてを見せていただいた。いろいろなお経があったが、ただひとつ般若心経だけは知っているので経本なしで自分も声を出して唱えた、となりのご婦人も続いた。あー気持ちいい、僧達の声の美しさにはおどろいた。大きな声が出なくて困っている自分にはうらやましかった。いい声は、はりがあって高い。自分の声はだんだんと低くなっている。老化は足腰だけではなく、声にくると実感しているので、やっぱり、大きな声ではっきりと発声をする機会を持たないと枯れてしまうと思った。


後でわかったことは、この僧たちは、智積院にある専修学校の生徒さんだった。勤行のあと、ひとりひとりが、こんにちは、と声をかけて帰っていったが、若い人だけでなく、年とった人も女性もいた。あー、老後の準備と時間があるなら、心底、自分も修行僧をしてみたいと思った。16時20分。日没が迫っていたのでその瞬間を待って智積院から京都の西山に没していく陽を拝むことができた。


ご朱印をいただいて京都駅まで日暮れの帰り道をウォーキング。


京都駅についたのが17時20分、駅前の京都タワーにも灯が灯っていた。


行楽日和の京を楽しんだ人たちでごったかえす京都駅から新大阪へ戻り、仕事場に寄って一息ついて自宅へ戻った。
少しはお勉強して賢くなった。歩いたのは京都東山のほんの一角だけだが、それでも楽しくいい秋を過ごしてきた。いい一日だった。

西の京(薬師寺・唐招提寺)ウォーク。

2009-06-08 19:32:45 | 古寺巡礼
日曜日、お天気に恵まれたのでこの日が最終日の唐招提寺の鑑真大和上像御影堂の一般公開と薬師寺の玄奘三蔵院の特別拝観をしたくて世界遺産の二ヶ寺をメインに西の京ウォークにでかけた。
自宅を10時半に出て電車を乗り継ぎ薬師寺に着いたのが12時10分。毎年、西の京には来ており薬師寺はおなじみのお寺だが、今回はとくに亡き母のお礼をしておきたくて訪れた。


去年のゴールデンウィークに訪れた時、母に手守りを買い、見舞いに帰ったとき、“薬師寺さんの仏様がお守りしてくれるからネ”と自分が手にかけた手守りを母は亡くなるまでずっと右手にしたまま、亡くなった時も右手にしてあったことを兄から聞いた。母をお守りいただいたご本尊の薬師如来様へお礼参りをしておきたかった。金堂ではその薬師如来と、去年の春に訪れたときは、東京国立博物館での薬師寺展に出張中だった日光菩薩、月光菩薩にも会うことができた。薬師三尊のある金堂。


薬師寺は、天武天皇が皇后(のちの持統天皇)の病気平癒を祈願して発願(680)、藤原京にに創建されたが、平城遷都(710)にともない現在地に移設された。その後、幾多の災害を受けて創建時の建物は国宝の東塔のみとなっている。
東塔、六重に見えるが実は三重塔。塔と塔の間に裳階(もこし)をつけている。
★裳階とは、仏堂・塔などで、本来の屋根の下につけた差しかけの屋根のこと。


薬師寺を訪れると楽しみがいくつかある。その一つが、若い僧が拝観者にしてくれる講話、修学旅行生や団体客の多い薬師寺は金堂、講堂、食堂で仏教をやさしく楽しく説明してくれる、それを聞くのが好きで今回も金堂と講堂で聞かせてもらった。
また、国宝の東院堂の国宝聖観音菩薩像には惹かれる、白鳳時代につくられたというが、肩まで下がる垂れ髪がなんともいえぬ気品があって気に入っている。

薬師寺のさらに楽しみは、売店で菅主さんや執事さんの書かれた書物を買うこと、松久保菅主が書かれた「生きる指針」を買った。ここでないと買えない書物が多いので買うことにしている。

玄奘三蔵院の平山郁夫画伯作「大唐聖域壁画」の特別展へ。



インドから中国へ仏典を運んだ玄奘三蔵の歩いた道を平山画伯が歩いて描かれたシルクロードやバーミヤンの大型壁画の迫力は何度見ても感動する。


弁当を食べていると2時を過ぎたのであわてて唐招提寺へ、薬師寺から唐招提寺へはまっすぐ一本道、突き当り右へすぐのところ、急ぐ。


西の京の代表的なお寺は薬師寺と唐招提寺。この両寺は、奈良公園の東大寺と斑鳩の法隆寺のちょうど真ん中に位置するところにあり、電車(近鉄橿原線)にも近く便利がいい。そのせいもあるのか、鑑真大和上像御影堂の一般公開5日目の最終日は大勢の人が訪れていた。南大門を入ると正面に金堂がある。


「唐招提寺は天平宝字3年(759)、唐の高僧鑑真大和上によって創建されました。鑑真大和上は聖武天皇の願いに応えて来朝を決意されました。井上靖の名作「天平の甍」にもあるように、五度の失敗にも屈することなく来日してわが国に戒律を伝え、大和上の称号を賜りました。その後、戒律を学ぶ道場として、当寺が創立されました。以来千二百有余年、律宗総本山としてその法灯を今に伝えています。金堂は代表的な天平建築です。」・・・拝観券の説明文のままに・・・

来年の奈良遷都1300年に合わせて今年の秋に落慶するという金堂が、10年がかりの大修理が進んでいるのだろう覆いがとられて金堂の姿が見えたのには驚いた。唐招提寺といえばこの金堂の姿、まだ金網の向こうだが、よく見える。


唐招提寺は、天平最大規模の金堂の他、天平様式の古い建物がずらり。隣の薬師寺が新しく再建されたものが多いのに比較すればよくわかる。緑の木々に囲まれて建物が配列され、どこにいても気持ちが落ち着く。

金堂の後ろにあるのが国宝の講堂で10年間、金堂に代わって唐招提寺を訪れる人の相手?をしてきたものと思う。弥勒菩薩坐像が真ん中に安置されている。長椅子に座ってしばらく時を過ごした。


芭蕉句碑のある坂道を上り突き当りを右へ、木漏れ日のそそぐ木立の道をすすむと左手に鑑真大和上御影堂へ。


3年ぶり大和上像にお目にかかった。小さな大和上像に会うには畳の間に座って移動しながら順番を待つ、この時間がなんとも言えぬ気持の安らぐ時間。大勢の人なのに話し声ひとつ聞こえないのも不思議な空間。お土産にもらったハガキから鑑真和上の像。


御影堂からさらに奥へ土壁にそって50メートルほどすすむと大和上の御廟があるのでそちらへも寄ってきた。去年きたときは、ケイカがきれいに咲いていたが、もう時期が過ぎていて見ることはできなかった。



お参りをしたあと社務所へ寄って御朱印をもらい次のコースへ。
唐招提寺金堂の本尊「盧舎那仏坐像」は落慶まで見られない。


ここからは近鉄西大寺駅まで歴史の道をウオーキング。


稲田の道をはるか向こうに若草山が見える。


西の京に来ると昼食の弁当場所にしている垂仁天皇陵へ、全長227メートルの前方後円墳。弁当は薬師寺で済ませたが残りのおにぎりをここで食べる。汗をかくほどの陽気なのに木陰にはいると御陵の堀から吹いてくる風がとても気持ちがよくてしばらく休憩にした。



古い街並みを曲りくねりながら菅原天満宮へ、ここは二度目、菅原道真が生まれたという伝承があり、入口の鳥居の横にその大きな石碑が立っている。


菅家発祥之地・道公御誕生所


そこからすぐ近くにある喜光寺へも寄った。ここに来るのは初めて、ある本で、このお寺の金堂が東大寺の大仏殿造営に試作として作られたものと書かれていたので行ってみたくなった。
古い、粗末な入口をはいると左手の木々の向こうに建物が見えたので前に回ってみた、ほんとうに東大寺の大仏殿にそっくりさん! いや驚いた!


行基が養老5年(721)に創建した古いお寺だが、訪れている人影はなかった。社務所の人とお話をして御朱印をいただいた。境内にはスイレンが咲き、まもなく200鉢のハスも今月から来月にかけて咲くという。きっとその頃はカメラマンが寄ってくるのだろう。


しばらく行くと新興住宅地になり西大寺の門前を通って近鉄西大寺駅へゴール、16時45分になっていた。
歩いた歩数は約14000歩。ウオーキングにすればわずかな歩数だが、心の歩数はその何倍かになっているはず。たくさん歩くこともいいが、日々を安定した気持で、心安らかに、過ごせるように、自分と向き合う時間をつくることはもっと大切なこと、この西の京コースは、自分がウオーキングを始めて最初に歩いた思い出のコース、気分がよかった。

古寺巡礼100寺目標、今回で13寺。まだこれから、それだけ楽しみも多いということ。