昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

京都・詩仙堂から曼殊院を紅葉ウォーク。

2009-11-30 21:43:58 | ウォーキング
紅葉の見納めと心身のいやしにしょうと、お天気にも恵まれて京都・洛北のお気に入りを訪ねた。大阪淀屋橋から京阪電車で京都出町柳駅へ着いたのが11時35分


鴨川にかかる加茂大橋に出て見ると色づいた比叡山がきれいに見えた。


今出川通りを銀閣寺道をめざしてすすむ、最初に法然上人を開祖にした浄土宗大本山のひとつ、百万遍知恩寺を訪ねた。このお寺に入ったのは初めて、総門からまっすぐに続く参道をすすむと正面に立派な御影堂がありそこの入れてもらってしばらく座らせてもらった。ご朱印をもらって最近始まった「数珠巡礼」のことを聞いた。京都・滋賀県のお寺が始めた社寺を巡って社寺の刻印が入った玉を集めて数珠にする「一念、一玉思いを込めて」ということらしい。さっそく一玉求めた、いくつ集まるか・・・普通、数珠の数は108個、自分がいつも右手にしているのは27個、初めて聞いたが54個、36個もあるそうだ。




少しすすむと百万遍交差点を出る、ここから銀閣寺道、白川通りへとすすむが、この道は年末の全国高校駅伝のコースでおなじみのところ。(行き3区、戻り4区)交差点を渡ると通りの両側には京大のキャンパスが続く。


時間は12時半、キャンパス前で弁当を売っていたのでさっそく買ってキャンパスの中で食べた、物理学、化学・・・なんだか難しい名前の標識が続く、大勢の学生と出会う、ここがノーベル賞受賞者を排出しているところか・・・みんな賢こそうに見えるなあ・・・


湯川秀樹博士の像がたっている基礎物理学研究所の前も通った。まさかこの歳で息子も入れなかった京大へ入る?とは思わなかった。


緩やかな坂道を上っていくと正面に大文字の大という字がくっきりと浮かび上がった大文字山が迫ってきた。銀閣寺道交差点をそのまますすむと銀閣寺、手前を右に行くと哲学の道へすすむが、今日は交差点を左折、駅伝コースをそのまま白川通りへとすすむ。



色づいたイチョウとケヤキの街路樹の下を一路、比叡山のふもとを目指す。行先は金福寺、詩仙堂、曼殊院方面のお気に入りコース。


一乗寺下り松町バス停で白川通りから右の坂道へ入ると宮本武蔵と吉岡一門との決闘の場と伝わるところへ、ここには四代目の松と大きな記念碑がたっている。


詩仙堂に行く前に小さな路地を右へしばらく行くと金福寺へ、ここは松尾芭蕉ゆかりの寺で、のちに芭蕉を慕う与謝野蕪村が荒れ果てていた蕪村庵を再興し、以来、芭蕉ゆかりのこの寺で句会などを催し俳諧の聖地となったところ。




江戸時代の三俳人といえば、芭蕉、一茶、蕪村だが、芭蕉が亡くなったのが大阪、蕪村は大阪生まれ、その二人が時代を少し異にしてつながったのが金福寺であるというのも驚き。蕪村は俳人としてだけでなく画人としても知られ絵入りの「芭蕉庵再興期」も展示されている。庭園の紅葉もきれいでとくに芭蕉庵を包むように紅葉がとてもきれいだった。





この金福寺には、もうひとつ歴史の事実が残されている。安政の大獄を断行した井伊直弼の懐刀であった永野主膳の愛人で密偵をつとめた村上たかは、のちに勤皇派の武士にとらえられ、三条河原で生きざらしにされた後、尼となって明治9年に亡くなるまでこの寺で過ごしたが、この寺の入り口手前左にたかが建立した弁天堂がある。たかを慰めるように紅葉が屋根を覆っていた。


詩仙堂への道、右手の長い階段の上に本願寺北別院へ寄ってみた、ここの紅葉は見事だった。


詩仙堂へ行くと門前の駐車場には観光バスが4台停車していて大勢の団体客が詩仙堂の小さな入口に列をつくっていた、この入口がカメラスポット、人が少なくなる時を待つ、おかげで?二組の女性グループからシャッターをたのまれた。



詩仙堂は何度きたことか、昭和の時代に座禅で来てから洛北でもとくになじみの深いところ。しかし、いつ来ても観光客が多い。有名なお寺ではないし、知られた仏像があるわけでも、大きな規模でもなく、お寺の雰囲気があるわけでもないのになぜか。詩仙堂という響きがひきつけるのかもしれないが、ここはもともと石川丈山が建てた山荘だったらしい。



徳川家康に仕え功績をあげた丈山が、大坂夏の陣で先陣をきったことを抜け駆けの軍紀違反に問われて武士を捨て、ここに山荘を建てて住んだのが詩仙堂の始まりらしい。寛永18年(1641)。曹洞宗のお寺になったのが昭和41年。せまい建物の中に大勢とすわって庭園を眺めていた。




詩仙堂からすぐ隣にある宮本武蔵ゆかりの八大神社へ寄ってみた。宮本武蔵が吉岡一門との一乗下り松の決闘前に、この神社で祈ろうとしたが、普段神仏に頼っていたい自分を思いだして「われ神仏を尊んで神仏を怯まず」と悟ったという。人影はほとんどない、ここには歴代の宮本武蔵映画シーンのポスターなど、たくさん展示してあってなつかしい俳優さんにも会えた。



最後は曼殊院へ、途中に円光寺へ寄って、ふたたび、まがりくねった道を約20分ほどしっかりウオーキング。ここはバスが入れないのでひんばんにタクシーが行き交う。


しばらく歩いて紅葉の坂道をのぼっていくと勅使門が見えてきたが、ここは普段、入れないので左へまわって曼殊院へ。ここにも大勢の観光客が訪れていた。




曼殊院は洛北を代表する門跡寺院で、延暦年間に最澄が比叡山に一堂を建立したことに始まったらしい。いまは青蓮院、妙法院、三千院とともに天台宗の門跡寺院になっている。
このお寺の見どころは、重要文化財の大書院、小書院、そして、そこから眺める枯山水の庭園がお見事、とくに秋は庭園を囲むように紅葉が彩りを豊かにする、今日も遅い紅葉が見事な演出をしていた。





ご朱印をもらって、さっそく数珠巡礼の一玉も求めた。これで二玉、108までには道は遠い。参加社寺もまだそんなにないのだから・・。


ここまで足を運ぶにはタクシーか自転車以外にない、電車、バス停は遠くて道が複雑なために地図ではおぼつかない。歩いて帰る人影は自分ひとりだったが知ったる道をしっかりウオーキング、鷺宮神社へ寄って修学院道バス停から京都駅へ、これが1時間かかった。紅葉の盛りには少し遅かったが、いいウォーキングになった。

三代目(三台目)携帯電話。

2009-11-29 22:52:56 | ひとりごと
天気もよく紅葉スポットは見頃らしいが
二日間の仕事で疲れたので休養日にして
一日をのんびりと過ごした

新入り三代目(三台目)の
携帯電話のことだが
これがなかなかうまく使えない

説明書は500ページもあり
おまけに小さな文字の羅列で
とても面倒で読んではおられない

適当に触りながら覚えようとしても
なかなか思うようにいかない
いらいらしてしまう

早く思い通りに使いたいのに
今日もしっかり遊ばれた
どっちが主人かわからない

スポーツ携帯なんだから
それだけでも早くと思うが
いつのことになるやら・・・。

二日間の勉強会を終了。

2009-11-28 21:06:24 | 仕事
二日間連続の勉強会を無事に終えて
18時過ぎに仕事場へ戻ってきて
ホッとしていたら椅子で眠っていた

昨夜、懇親会で遅くまで交流があり
自宅へ戻って深夜2時まで下調べをして
今朝は7時起床、9時から二日目の開始

若手の優秀なメンバーが体調を崩して
別室のソファーで布団をかぶり休養
気にしながらスケジュール通りすすめる

参加者が持ち寄ってきた最近読んだ本を
紹介させたら出てくる出てくる
・・・その一部



会議室にこもりきりだがおなかは減るもの
楽しみはやっぱり昼食、おいして食事を
庭園の見えるくつろいだ部屋でいただいた


体調を崩したメンバーも午後から復帰して
みっちりと学びあってそれぞれのテーマを持って
予定通り17時過ぎに終了した

二日間、詰めてやるとさすがに疲れる
それでも疲れを上回る楽しさがあるので
モティベーションは健在

体調を崩したメンバーも無事に長崎の自宅へ
帰ったとメールがはいった
これでひとまずほっとした。

面白かった懇親会。

2009-11-27 23:26:11 | 仕事
二日間の勉強会の初日を終えて参加者と
初日を18時30分に終え一息ついて
19時30分からの夕食会にでかけた

担当者が予約してくれた会場が
全国の有名な焼酎と日本酒を集めた酒どころ
おーおー、名前の知れた焼酎がずらり

金額によってコースが設定してあり

第一ステップが

10種類ほどテーブルに置かれた有名な焼酎が飲み放題

第二ステップは

有名日本酒ワングラスが飲める

第三ステップが

日本酒か焼酎のワングラスが飲める

それに何種類かの料理がついていて格安
ついつい目の前の焼酎に誘惑されて
飲みすぎたかな?

こういう飲み方は初めてで2時間半楽しかった
明日の準備もあるので皆とは別れて戻ってきたが
泊まり込みの参加者は二次会に行ったことだろう。



ぽかぽか小春日和、心晴れ晴れ!

2009-11-26 13:47:43 | 輝いて生きる
昨日に続いて今日もほかぽか陽気で暖かい
仕事場の窓を開けていても寒くはない
もう11月も終わりの晩秋なのに

こんな日を小春日和というのか
のんびりと紅葉ウォークに出かけられたら
どんなに気持ちがいいことだろう

今年行きたいと思っているのは
京都から奈良方面の浄瑠璃寺
京都の大好きコース詩仙堂から曼殊院

果たして行くことができるやら
去年もそこへ行かれなかった
だからイメージの中で歩いておこう


こんな日に東海道を歩くことができたら
どんなに楽しいことだろう
富士山もきれいに見えているかもしれない


こんちくしょう
悔しいなあ
これも人生さぼってきたツケか

こういう時は
じっと自分の世界に入って
うらやましい世界は覗かないこと

それより明日、明後日の二日間の仕事
ぬかりのないようにしっかりと準備して
いい仕事をしているイメージに浸ろう。

休憩に新幹線さんと

700系・・・仕事場から

レールスター・・・仕事場から

N700系・・・仕事場廊下から

謎の肺がん急増中!

2009-11-25 23:01:53 | 健康
昼食に駅の地下街にあるレストランに行った
あいにく15人くらい座れる大きなテーブルしか
空いていないために仕方なくかけたら

すぐ後から30代くらいの男性が8人やってきて
なんとそのうち7人がタバコを吸い始めた
注文していたので出ていくわけにもいかず

先に食べ終えたのはそのグループだが
食後にまたタバコを吸い始めた
食事をしたのなら外に行って吸え!

せっかくの食事も台無し
なぜ食事をしているところでタバコを吸う
周囲に迷惑をかけていることは知っているはず

生まれてこの歳まで
タバコを吸ったことがないので
あのタバコの臭いはがまんができない


なにげなく新聞のテレビ欄を見ていたら
今夜のNHKのためしてガッテンで
吸ってなくても謎の肺がん急増中!

女性要注意・・・
という番組があったらしい
どんな内容だったかわからないが

吸わない人がというのであれば
吸っている人の煙に影響を受けるということか
女性に要注意とは?影響を受けやすいのかな?

三年前肺がんで亡くなったKさんを思い出した
この人は絶対に人の目にふれるところでは
タバコをすわない人だった

愛煙家にもマナーを心得た人は多い
隣の迷惑などおかまいなしの人も多い
そういう人に肺がんの原因をつくられたら困る

ここにも愛煙家がいるかもしれないが
くれぐれも急増しているという
肺がんにはきをつけていただきたい

余計なお節介といわれる・・・かな。

三代目に後継。

2009-11-24 21:02:35 | ひとりごと
昨日携帯が使えなくなったので
ドコモさんで見てもらった
ところがやっぱり具合が悪い

10日から2週間ほど入院が必要という
無料修理期間が過ぎているので
修理代5200円ほどがかかるとのこと

1年前も入院しているので
また再発するかもしれない
そろそろ機種変更したほうがいいかも

思い切って切り替えることにした
新機種はNECのスポーツケイタイ
ウォーキングの記録ができる機種

珍しいうちは使うかもしれないが・・
まあコンパクトで携帯に便利だからそれに決めた
携帯は携帯用に開発されたんじゃなかったか?


(左が二代目、右が三代目)

これで三代目(三台目)
これまで二台がシャープ製だったので
なれるまで時間がかかるかもしれない

さっそく某社のメンバーにメールを入れたら
他社の担当者へ送っていた
なぜだかわからない

もらったほうは驚いているだろう
パソコンのメールでお詫びをした
メールもやっぱり携帯?ではだめか

携帯とは名ばかりでカバンに入れたまま
いつかけても通じないので
なんのための携帯かと冷やかされる

不携帯電話といってもいいほど
電話に使うことはあまりない
かけてくる人もあまりいない

それでも歳が歳だから
いざという時のために困らないように
ようやく三代目に後継することにした

四代目に後継するのは何年後か
携帯の寿命と自分の寿命との競争
それを楽しみに生きていこうか

なんだか夢も希望のないこと
ブログのタイトルが笑っている
使ってやれよ。

死亡率が高いのは?BMI研究報告。

2009-11-23 16:51:23 | 健康
BMIが25を少し超えたぐらいの人のほうが長生きする
という研究報告の記事が読売新聞に載っていた。

日本肥満学会が決めた肥満の定義は「BMI-25以上」

厚労省の研究班が40~69歳の男女約96,000人を約10年間
追跡した結果がんや心臓病にもっともなりにくい男性は
たばこを吸わず、酒を時々飲むBMI25~27の人だったそうだ。


ふーん、自分は、たばこは吸わないし、酒も時々飲む程度
それで22~23くらいが平均だから、もう少し体重があった
ほうがいいのかな?
痩せればいいというわけではないようだ!


東海大学医学部大櫛教授が、神奈川県伊勢原市の男女約2万人を平均7年追跡した結果をデータに死亡率を割り出したら死亡率が最も高いのが男女ともBM18.5未満の人でそこからBMIが25~27ぐらいに上がるまで死亡率は低下し続けた。

BM18.5未満の痩せすぎは問題、30前後の人は体重の増加に気をつけたほうがいいと言っている。

男性は22~27、女性は20~27程度であれば
体重そのものには、それほど気にしなくていいそうだ。

厚労省研究班の国立がんセンターの津金さんは中高年で小太りの人はそれほど気にしなくていいと言っている。

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21日の「宇治の紅葉を訪ねて」を写真入り編集更新しました。

ウォーキング倶楽部月例会。

2009-11-22 22:20:29 | ウォーキング
お世話をしているウォーキング倶楽部の月例会の日
本来は熊野古道を予定していたがメンバーの多くが三連休の予定で参加できないためにこれない人のためにシリーズ熊野古道は延期して

急遽、大阪駅から銀杏並木の色づいた御堂筋を市役所、淀屋橋、本町、心斎橋からなんば、なんばパークスから道具屋筋、吉本新喜劇、法善寺、道頓堀、薬の町道修町の神農祭、そして淀屋橋からスタートの大阪駅へ戻るコースに変更して

午後から予想される雨をさけて大阪駅前を9時にスタートした、駅の北側には伊勢丹三越の新築工事中

駅前も大丸が工事、後ろには阪急が工事中、デパート戦争

ビルの谷間から曇天の空、午後から雨予報



御堂筋を大阪市役所前から淀屋橋へすすむ


きれいに色づいた御堂筋を北御堂(本願寺派)から南御堂(大谷派)によって


大阪のメインストリート、御堂筋をまっすぐにナンパへ向かった





元大阪球場の跡地に開発された一大ショッピングセンターのなんばパークスによって広い施設の中をウォーキング

ミナミの道具屋筋へ、ここで思わぬハプニング、吉本新喜劇の吉本会館と道具屋筋の接点の場所で某メーカーが移動販売者によるカレービジネス開業のデモンストレーションをしていてカレーを無料で食べさせてくれるという

実においしくて全員で昼食の代わりにしてラッキー、その代わりビデオつきのインタビューにきちんと答えた

隣ではテレビ8ちゃんねるの公開料理教室が開かれていたがここでテレビに指名手配の顔が載るとやばいので試食は断念して次へ


お笑いの吉本会館前を通って・・・


もっとも大阪的な法善寺から道頓堀のごった返す通りを楽しんで・・・くいだおれ太郎も復活していた

水かけ不動さんに願かけて・

道頓堀へ・・・わー人が多いなあ

カニ様だ、俺を食べてみろ!怖いぞ!

くいだおれ太郎も復帰、ここは人気カメラスポット!




心斎橋通り商店街から人通りをさけて堺筋をまわり最終の見学地、神農祭へよって淀屋橋でお茶タイムにした、ここでみんなとは別れて仕事場へ戻ってきた

明日から東海道へ行くために予定していた原稿書きを今日中に終えておきたかったが、結局原稿が出来上がらず明日からの東海道は中止した<、残念。

宇治の紅葉を訪ねて。

2009-11-21 22:47:01 | ウォーキング
久しぶりに京都・宇治の紅葉めぐりに行った、4年ぶりに降りたJR宇治駅から、まず宇治川にかかる宇治橋へ、琵琶湖から瀬田川、京都に入ると宇治川となり、川幅は広く、水量も多く、流れの早い清流と、上流に広がる宇治の景観を一望できるのはその宇治橋以外にない、そこから今日のウォーキングは始まった。



宇治橋の西詰には、「源氏物語・宇治十帖」の「夢の浮橋」(10)の碑があり、隣に「紫式部」の像が立っていて、女性たちがさかんに宇治橋を背景に写真を撮っていた。



お茶の香りが漂う参道を歩いて平等院へ向かう、参道は紅葉シーズンの三連休でたくさんの観光客が訪れていて大変な人、人、人・・・、そのまま進むと「平等院」へ



おなじみの赤い門を入りまっすぐすすむと「鳳凰堂」が見えてくるが、ここに入るのに待ち時間が1時間半と聞いて諦めて境内をのんびりと散策することにした。




「平等院」は、源融の別荘跡が平安後期の関白藤原道長の別荘となり、永承7年(1052)その子頼通が寺に改めた、極楽浄土を表すという国宝の鳳凰堂(阿弥陀堂)は創建当初のまま残る唯一の建物として知られている、鳳凰が羽を広げたような優美な姿は10円硬貨でおなじみ。あたりの紅葉は色づき始めたばかりで残念だったが、境内をゆっくりと散策して過ごした。



鳳凰堂(阿弥陀堂)に安置されているのが国宝の阿弥陀如来座像。


橘橋から宇治川の真中に浮かぶ塔の島(橘島)へ渡った。



ここは源平の宇治川合戦にちなむ宇治川先陣之碑が立っている。寿永3年(1184)に京都を守る木曽義仲軍と西へ進撃する源頼朝軍とが宇治川を舞台にして対陣した宇治川合戦の碑。歴史上、幾多の合戦でも重要な地であった。


島から眺める宇治川両岸の色づき始めた景色を楽しんだ。
写真・朝霧橋、左手の鳥居が宇治神社。



喜撰橋を渡って宇治川の西側へ。ここから宇治川上流にある「天ケ瀬ダム」を目指して宇治川ラインウオーキング、このコースは渓谷の景色がすばらしくてハイキングコースとしてよく知られているところ、緩やかな上り道をすすみ、渓谷にかかる天ケ瀬吊り橋を往復。



さらに急な坂道を上りきると天ケ瀬ダムの上に出た、ここに来るのは2度目、6年前に琵琶湖から大阪湾へ歩いた時に寄って以来のこと、時期も同じ11月であたりの景色を見てその時のことをなつかしく思いだした。


宇治川はそのまま行くと瀬田川になり琵琶湖へ通ずる。下ると淀川になり大阪湾へ流れる。


ダムを折り返しに、今度は宇治川の反対側を歩くことにして一気ウォーキングで下っていく、その気になって歩くとどんどん足がすすむ、気持ちがいい。


鎌倉前期に創建された「曹洞宗興聖寺」へ、曹洞宗の開祖道元が京都深草に開き、慶安2年(1649)ここに再興された名刹。日本最初の曹洞宗の修行の場があったお寺だが、楽しみにしていた200メートルにわたる参道(琴坂)の紅葉は、ほんの一部だけ、大半はまだ青いまま、それでも大勢の人が訪れていたのには驚いた。





さらに宇治川の東側を下り、朝潮橋のふもとを右に入ると「宇治神社」へ。



境内を左へ抜けて少しすすむと「源氏物語・宇治十帖」(4)の「早蕨」の古蹟前を通る。


そこからすぐ世界遺産に登録されている宇治上神社へ行った。



「宇治上神社」の国宝の本殿は、平安時代に建てられた現存する神社建築物では日本最古で、本殿の前にある国宝の拝殿は鎌倉時代に建てられたもの。世界遺産をイメージするような規模の神社ではなく、こじんまりとした神社だが、不思議な風格のある神社で訪れる人も多い。




あじろぎの道をのぼって「源氏物語・宇治十帖」の「総角」(3)の古蹟を通り「源氏物語ミュージアム」に行ってみた。このあたりは「源氏物語」「宇治十帖」の古蹟を訪ねるのも楽しいところ、女性が何人か地図をみながら歩いていたので多分十帖めぐりをしていたのだろう。何年か前に十帖めぐりをしたことを思い出した。


今回は時間がないのでミュージアムへは入らなかったが、寝殿造りの建物の中は、「源氏物語」一色で、宇治を舞台にした「宇治十帖」の世界が紹介されている博物館。見学をするには時間がたっぷりかかる。ここの周辺だけは見事に紅葉していた。



最後に推古天皇12年(604)聖徳太子の発願で建立されたという宇治橋の守り寺の「橘寺放生院」へ寄った。



帰りを急いで宇治橋を渡っているとちょうど日没前で西の空が茜色に染まっていた。半日足らずの宇治ウオーキングだったがのんびりと楽しめて京都駅経由で戻ってきた。

20年を経て親子と勉強!

2009-11-20 16:52:44 | 交流
昨日、お手伝いをしてきた某社若手後継者勉強会の
総まとめで父兄参加の合同勉強会が開催された

この勉強会の最終プログラムが「てんびんの詩」
のビデオ学習だが、これまで何度も見ているので
ストーリーはすっかり覚えている

盛り上がり部分になると必死にこらえても
やっぱり涙が出てきてしまうのは
単なる涙もろさとか歳のせいでもない

「なべぶた売り」から始まる「近江商人」の
「跡継ぎ」への物語だが、時代は変わっても
後継する者の商売への原点は同じだ

講義では居眠り常習犯もこの時ばかりは真剣に
みていたので通じているのだろう

終了のお祝いを兼ねた合同夕食会が開催されたが
一人の(父兄)経営者から

”私も平成元年にこの講座を受けています、
○○さんのこと覚えています”
とあいさつをされてびっくりした
(○○さんとはこちらのこと)

つまり親子の勉強を担当したということだ
50代と思われるその方の記憶は定かでないが
ご本人が覚えているというのだからそうだろう

業界では定評のあるその勉強会は
年1回、8ケ月間の長期講座だが
自分は節目の時を担当しており
平成元年からだから21回になった

よくも飽きもせず
断られもせず
続いたものだと思う

一緒に学んだ人たちは相当数になる
経営者として活躍している人も多い

46年目になる来年も依頼されているので
自分の記録は22年目に伸びる

ついついうれしくなって
ひとり夜の街をぶらぶら雲隠れして
余韻を楽しんだのでブログは一日遅れ。

・・・・・・・・・・・・・・・・・
   2009.11.08
「京都東山エリアの展覧会と古寺ウォーク」
は写真を使って編集を更新しています。

ぜいたくな趣味?ウオーキング!

2009-11-18 23:09:02 | ウォーキング
3年計画で京都三条大橋からお江戸日本橋を
めざして旧東海道五十三次を歩いていることは
こちらのブログでも記録を書き込んでいる

ゴールは来年の春、70才の誕生日だが
箱根越えをして小田原まで進んでおり
3年前にたてた計画のとおりだ

その計画では今月11月中に一泊二日で
小田原から藤沢まで歩かねばならない

ところが毎週、土日のどちらかに先約があり
いまだに歩く日が決まらなくて落ち着かない

日に日に日照時間が短くなっているので
このままだと平日に歩く以外ないかなあ
と思っているところ

そんなときある人に真顔で
ウォーキングってぜいたくな趣味ですね
といわれた

現地まで遠くなったので新幹線を使うと
話したことへのことばだったが

いつも心のどこかにあったことなので
人もそういう見方をしているのかなと
あまり大きな声ではいえないと思った

これが四国88ケ所霊場巡りなら
また別のような気もするのだが
なんでやろ?

よく年金生活でいいですね
と道中でいわれたことがあるが
どうも旧東海道歩きは
そういうふうにみられるのかもしれない

気にすることもないが
こういう時勢だから
歩き方には気をつけて
いい見本になれるようにしたい。

「現役の鏡」魁皇関と工藤選手。

2009-11-17 21:08:23 | スポーツ-トレーニング
大相撲の魁皇が得意技の小手投げで把瑠都に
土をつけて幕内通算800勝を達成した。

元横綱北の湖の807勝、千代の富士の804勝に
続き史上3人目のすごい大記録。

今場所、まだ12日あるので8勝すればトップになる
さらに今場所で幕内在位98場所は歴代1位だ。

37才、同期がはるか前に引退した元横綱の貴乃花、
若乃花、曙だから魁皇の頑張りがわかる。

優勝5回は横綱に昇進していない力士では最多という
めずらしい記録ももつ魁皇を昔から応援してきた。

「記録は特に意識しない。今は相撲のことだけを考えて
いつも通り、1日、1日精いっぱいやるだけ」と魁皇。

ご当地福岡での大記録に地元ファンは喜んでいるだろう。


昨日は横浜ベイスターズを戦力外になった
工藤公康投手が古巣の西武ライオンズへ復帰した。

11回も日本一になったチームで
中心となって投げてきた大投手が
二流選手以下の年俸で契約をしたのは

必要としてくれるチームがあるかぎり
どんな場面でも投げ続ける

”自分からやめるとはいわない”

とインタビューで答えていた。


「生涯現役」と
簡単に言うけれど

魁皇関や工藤選手のように
あの年齢まで
現役を続けているのは

若い人と同じように
体を鍛え技を磨き
鍛錬を続けているからだろう。

現役だと言っても
声がかからなくなれば
意志に関係なく
引退をする以外ない

それに比べれば
こちらの言っていること
やっていることが
いかに生ぬるいことか。

恥ずかしい暴走老人!

2009-11-16 20:22:09 | ひとりごと
母の一周忌の話の続編・・・・
恥ずかしいので書くのはやめておこうと
思ったがこれも戒めにするために

実家から広島駅までの電車内で
暴走老人に変身してしまった

一緒に乗っていた弟が電車の急な揺れで
座っていた座席から落ちて通路向かいへ
倒れてしまった
(浅くかけていたのか落ちたのもおかしい)

向かいに座っていた男性の足に触れたらしい
自分は少し離れて座っていたので瞬間は
見ていないがすぐ起きてそれでなにも
なくすんだと思っていた

しばらくして・・・駅に近づいてきたら
前の席の男性が弟のそばに行って何やら
きつくいっているのに気がついた

かわいい(?)弟に何事かと
急いでそばにいったら
足に当たったので「骨の異常」があるかも
しれないので名刺をくれと言っていた

温厚な弟も嫁も困惑している
大○○授の名刺など渡して何か因縁でも
つけられてはかなわん

ここは兄貴の出番

一喝して腕をとり止まりかけた
電車のドアへ引っ張って行こうとしたら

今度はこっちにホームへ降りろという

また一喝してこちらの腕を取っていた
手をほどいてホームへおろした

混んではいなかったが社内の人の目が
こっちを見つめていた

あー、やってしまった、暴走老人!

丸坊主にしたばかりの頭で一喝すれば
完全な暴走老人・・・あーまずかった

顔はやさしいが・・・といつも言われるが
また証明してしまった。