敬老の日、「敬老の集い」のはがきは来ていたが、高齢化時代で70歳はまだまだ「はなたれ年齢」、そんな集いに行く気持などさらさらなくて予定していた神戸へ出かけた。
10時に自宅を出て前日まで二日間神戸ツーデーマーチが開催されていた神戸三宮へ、大勢で素通り歩きをするより自分の歩きがしたいのでマーチを避けて連休三日目を選んだのはわけがあった。
一つは神戸博物館で開催中の「ボストン美術館浮世絵名品展」を見ること。もう一つは次の日曜日に行われる「神戸学」の検定試験を受けるのでモティベーションを高めるために、旧居留地、港、中華街にしぼって歩いておきたかった。
10時40分にJR三宮に着くと必ず立ち寄る市役所南側にある東遊園地の阪神淡路大震災の慰霊碑、希望の灯りへ立ち寄ってスタート。
(日本で最初の花時計-神戸市役所横)
(希望の灯り)
この公園は1月17日の震災のイベントやルミナリエでもおなじみで何十回もきているが、ただの遊園地と思っていた、検定試験のために教科書や参考図書等で勉強をしてみて単なる遊園地ではなく神戸や後に日本に広まった数多くの外国スポーツ発祥の地であることがわかった。
幕末の安政五カ国条約で神奈川(横浜)、長崎、函館、新潟が開港したが、残された一つを平清盛が福原の近くに開いた兵庫港にするか神戸浜にするか、最終的に神戸浜ときまり1868年(慶応3年)に神戸港が開港され1864年勝海舟が神戸海軍操練所を設立していたことも神戸に開港の力になった。
開港された神戸に多くの外国人が住むために居留地がつくられ、住みきれなくなった人たちが山手の北野に家を建てて住むようになった、それらが時を経て、いまでは旧居留地のレトロ建物として、また、異人館としてすっかり神戸の名所、観光スポットとして親しまれている。
東公園をスタートしレトロ調の建物が残る神戸税関ビル前に行き、海岸通りを京橋交差点へ行くと、交差点の南側の一角には最近、写真などでよく紹介されている錨の形をした海軍操練所跡の碑を訪ねた。そこに何人もの人が地図を片手にやってくるのに驚いた、これまで何度も訪ねたことがあるが人影をみた記憶はないのでこれも龍馬伝ブームなのだろう。
この海岸通りから北側一帯が旧居留地だ。順番は京町筋のボストン展が開催されている神戸市立博物館、御影石を使ったまるでギリシャ神殿のような重厚な建物は元横浜正金銀行神戸支店の建物で国の登録文化財、古地図のコレクションでは質量ともに全国一のレベルあるという。
展覧会見学は午後の最後にするので次は神戸らんぷミュージアム、とんぼ玉ミュージアムに立ち寄り、続いて旧居留地15番館へ。
明治14年アメリカ領事館として作られたコロニアルスタイルの居留地最古の異人館、震災で全壊したが平成10年に再建して、いまはレストランとして公開されている。建物は小さいが中に入ることができるので誰にも親しまれている15番館、今日は外から見るだけでバス。
分厚い教科書と参考図書とパンフレットを両手に持って内容を確認しデジカメで写真を撮りながら歩くのだから忙しい。旧居留地の建物はほとんどがあの大震災で大きな被害を受けてしまった。
久しぶりに宮城道雄生誕の地へ行ってみた。春の海でおなじみの宮城道雄さんはこの58番館で生まれている。碑に近づくと春の海のメロディが流れてきて優雅な気持ちになった。
このあたりの店はオシャレの神戸そのもの、多分、女性やおしゃれ心のある人なら大変魅力的な場所なんだろうと思う。ファッションやグルメや洋菓子等、神戸ブランドのイメージは高いがそれらにまったく関心のない男が一人で歩くのは場違いな気がしてピンクシャツ(プロフィールの写真のまま)のわが身を恥ずかしく思った。
ふたたび海岸通りに出て9番館、チャータードビルに華やかな女性が入っていくのでどうやら婚礼会場やレストランとして使われているらしい。
東隣が神鋼ビル
玄関の丸く円形なところが船の舳先を想像させる優雅な商船三井ビル
隣の海岸ビル
一つひとつ、パンフレットと教科書で確認しながら歩く、同じように地図を見ながら歩いている若者の姿を多く見たが観光客だろうと思った。
一通り居留地のビルを見て歩いたあとはこれも久しぶり、大丸神戸店のさし向いにある三宮神社へ行ってみた。
いわゆる三宮事件の舞台になった神社、神戸港が開港したばかりの時、神社の前を進んでいた備前藩の前を横切った外国人水兵に藩士が手槍で傷を負わせてしまったことから外国人と砲火を交える騒動になり外国軍が神戸を占領下に置くまでに発展してしまった、この騒動を解決するのに奔走したのがあの伊藤博文、後に初代の兵庫県知事になっている。神社には神戸事件の碑と境内には砲台が置かれている。
大丸神戸店、震災で傷んだが復活、20代の時、仕事でよく来ていた懐かしい店
大丸の前を通り元町通りから中華街の南京町へ、ランチは南京町と決めていたので、12時40分、大勢の人でにぎわう中華街のレストランはどこも満席、相席でやっと確保、ところが相客が出た後に三人のご婦人が相席さんになった。
さあ、困った!気の弱い男なので緊張して食べているランチ、といってもラーメン(白ネギの細きり・・)の味などわからない、とにかく早く解放されたくて必死で食べた。
さあ、ランチ(にこだわる)は食べた、ご婦人からの緊張も解かれた、のびのびと歩いて午後はまず神戸の港めぐり・・・メリケン波止場を目指した。
今年二度目の震災メモリアルパークには見物客がたくさんきていた、ちょうど神戸港めぐりの観光船、ルミナス2号が入港してきたので潮風に吹かれながらのんびりと眺めていた、オリエンタルホテルとルミナスの白は白いカモメのイメージなのかなあ・・・と勝手に思った。
メリケンパークにはいくつかの記念碑があるが、その中の一つが神戸移民船乗船記念碑、希望をもってブラジルに移民が始まった港で最初の船が笠戸丸、1908年4月28日に新天地を目指して出航した。
となりにはメリケンシアターの記念碑、明治29年に神戸に初めて外国映画が上陸した第一歩としるされている、港町神戸だから日本「初もの」がたくさんあるが映画もその一つ、ちょうど記念碑のそばで撮影が行われていた。
メリケン波止場と中央突堤の間には白い網目模様が特徴の海洋博物館と港神戸のシンボル、真っ赤なポートタワーのそばを通り湾内の観光船が発着するかめりあ前を通りショッピング街やレストランの続くモザイクへ行ったが、ここも自分には不似合いところでうろうろしただけ、あわてて山手へ移動することにした。
午後3時まで歩き、その時点で博物館のボストン展へ移動することにしているのでできるだけ近くまでウォーキングに集中。めざすのは花隈城跡、城跡がJRのガード下からのぞいている交差点まで来て信号待ちをしていたら、目の前で二台の車が接触事故、追突された車がビルの角のレンガの壁に突っ込んだ、これは大変!しばらくしたら運転手が下りてきて怪我もなく無事、あーよかった、現場写真の一号は自分だろう・・・
そこで野次馬しても時間の無駄、花隈城跡からまたしばらくウォーキング、坂道を上ってレトロビルの兵庫県公館へ行った、元兵庫県庁。向かいが現兵庫県庁、ここで3時になったので、JR元町駅を経由、市立博物館まで最後のウォーク、博物館3階の喫茶室で休憩を兼ねてコーヒータイムにした。
4時前に展覧会場へ入った、見学時間は1時間、想像以上に作品が多くて後半は急いでみることになったが、さすがに評判通りすばらしかった。
明治時代にアメリカに渡った鳥居清長、喜多川歌麿、東洲斎写楽の秘蔵の作品が140点、ボストン美術館の一代コレクションになっているという。それにしてもあれだけの作品をどうしてボストン美術館が持っていたのだろうかと不思議に思った。
浮世絵の知識はまったくないが繊細な筆が温かな人間模様を描き出していると思った。二度と見ることはできない数々の日本の作品を目の当たりにして幸せな気分になった。昨日まで5万人の入館があったと日経新聞の記事にあった。
5時閉館、また、東遊園地へ回り道してJR三ノ宮駅までたそがれウォークをして楽しい一日を神戸で過ごせて70歳の朗人の日のいい思い出になった。
知っていたつもりの神戸に対する知識は表面的なことだった、検定に挑戦する気がなければ、ただ、ウォーキング感覚で歩いていたに違いない、合格するかどうかは別として学んで得た知識や情報は神戸への関心と親近感を深め、楽しいウォーキングコースのイメージもますますわいてきて学ぶことのプラスを改めて実感した。