昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

北の大地4日目。

2012-10-31 14:22:11 | 旅行
(10月29日の記録)

北の大地の旅、最終の四日目の予報は雨だったが
起床してホテルの窓から見ると雨の気配はない!
これなら小樽の一日を楽しむことができるぞ!


部屋から目の前に小樽観光インフォメーションの
運河プラザが見える、旧小樽倉庫


ホテルの朝食をまえにすぐ目の前にある運河へ
散策にでかけることにした


小樽運河
かっては荷を運ぶ水路として活用され小樽の街の
発展に大きく貢献してきたが今はその役を終えて
倉庫群とともに小樽を象徴する観光スポットとし
て人気を得ている


朝の7時半なのにすでに運河沿いの遊歩道を散策
している人があちこちに見られた、中央橋から


赤レンガの旧篠田倉庫


旧浪華倉庫、現在は小樽運河食堂-浅草橋から


ホテルのバイキングで朝食を済ませると9時半に
いったんJR小樽駅へ行き荷物を預けた


今日のコースは小樽駅からかって北のウォール街
といわれ、今なお当時の建物が残っているエリア
から観光・ショッピング通りが続くレトロタウン
をぶらぶら歩いて最終は港近くにある石原裕次郎
記念館までを往復するコースに決めた

昼食は家内の要望で小樽の美味しい寿司にする

時間は十分あるので家内の体調に合わせて小樽に
たくさん残っているレトロビル巡りからスタート!

小樽駅と運河の間に線路跡のレールが残っている
のが旧手宮線跡、この線に沿ってすすむ


ここは北海道最古の鉄道でかっては義経号、静号、
弁慶号が走っていたそうだ
いまは廃線、観光に一役をかっているらしいい


日銀通りを運河方向に下がって行くとすぐ右手に
日本銀行旧小樽支店の建物があるが今は改装中の
ようで囲われていて見ることができなかった

ここから色内大通り辺りをかって北のウオール街
と呼び多くの銀行の本支店が集まっていたらしい


旧北海道銀行本店、現在は小樽パイン


いまもその当時の重厚な建物が現存していて当時
の面影がはっきりとうかがえる

旧三菱銀行小樽支店、現在小樽運河ターミナル


旧第一銀行小樽支店、現トップジェントファッション


旧北海道拓殖銀行小樽支店、現在ホテルブィブラント


どの建物もまだ現役として様々な形態で活用され
レトロビルの中はレストランや観光やオフィスと
して働いているようだ

運河にかかる浅草橋の手前まで下りて右折すると
ここは小樽でもっとも賑わっているという本通り
の観光商店街だ

旧名取高三郎商店、現在は大正硝子館


旧百十三銀行小樽支店、現在は小樽浪漫館




石造りの倉庫や古い民家を利用した様々な店舗が
軒を連ねて観光客がぞろぞろ歩いている

旧金子元三郎商店、現在は多喜二




岩永時計店


旧第百十三国立銀行小樽支店、現在は花月堂


ガラス工芸の店が際立って多い

ここは男には・・・というより自分にはまったく
関心がない店ばかりでついついレトロビルに目を
奪われ通りを右に左にうろうろ悪いクセ!

家内はゆっくり見たいのだと思うが黙ってついてくる
のは見失ってしまうと病身には堪えるので命綱の亭主
についていく以外ないんだろう

面白い看板もあるねー


七日食べたら鏡をごらん

・・・これ昆布の店、もう手遅れ!

お父さん預かります

・・・そうや、自分を預けたらええのに!

このあたりが一番の観光客の多いところか
様々な店、レトロビルが続く


あっ、六花亭
ここでアイスクリームとコーヒーで休憩した


旧木村倉庫、現在は北一硝子3号館




さらに進みメルヘン交差点の小樽オルゴール堂
買い物 旧共成




店内はオルゴールばかり!




さあ、商店街はここまで、ここから石原記念館は
かなりの道のりがある、どうする?

ゆっくりなら歩くと家内が言うので30分程度と
見込んで歩いて行った

観光客にはまったく関係のないフェリー乗り場の
近くに石原裕次郎記念館はあった


まわりに観光施設はないと思われるエリアの一角
だが海を愛した石原裕次郎には潮の香りのする港
の近くがよかったのだろう




一階は俳優、歌手としての魅力を展示してあり
二階は愛車や住宅などプライベートな展示がして
あった、中学の通信簿まであったが・・・
成績は、すばらしい!

大好きなカラオケの持ち歌「俺の小樽」が館内に
流れてきた時は感動したね!


記念館を出たらもう13時10分になっていた
あー腹が減った!

タクシーの運転手が美味しいという一押しの寿司
屋まで運んでくれた

待ち時間がかかりすぎたが美味しかった!
なによりもネタが珍しく新鮮で文句なしだった!
それなりの料金だったけど満足したからいい


朝歩いた北のウォール街に再びきた

旧三井物産小樽支店、現在は松田ビル


旧越中屋ホテル、現在はホテル


元三井銀行小樽支店前を通り再び小樽運河へ出た


丁度、観光客が一番多い時間帯なのか大勢の人が
運河沿いを歩いていた

疲れているだろうと家内を運河プラザに預けて?
自分ひとりで周辺を歩くことにした


運河プラザ小樽のインフォメーションセンターで
向かいが昨夜泊まったホテルがある


1人になったので健脚?を活かして二度と来ること
はないと思う小樽運河の端から端までを歩いた






小樽運河は全長が1140m、大正7年に着工し
海岸の沖合を埋め立てて造られているのが特徴で
大正12年に完成している

昭和61年に現在の形に整備している


倉庫おれの小樽




遊歩道に「おれの小樽」の歌詞






この時間帯になると風が冷たくて早い初冬の陽が
傾き運河沿いの倉庫群が朝とは違った表情を見せ
てくれて散策も楽しい

運河にかかる中央橋(小樽駅から下る正面)から
運河を北にみるとかすかに次の竜宮橋がみえる


竜宮橋のかぐ右に旧北海製缶の古い倉庫があるが
同じ橋から撮った昭和初期の北海製缶の写真を見
るといまも同じ姿で残っていることがわかる




元大家倉庫




元渋澤倉庫、現在は小樽北運河


帰りの飛行機の時間から逆算してゆとりがあった
ので運河プラザで過去の小樽を紹介する映像を
見たりコーヒーを飲んだりして時間調整

最後に灯りが付き始めた運河にさようなら!




小樽17時半の電車で札幌空港へ移動した

19時45分の関空行きに搭乗
21時20分に関空着

ここからが遠い、自宅に戻ったら23時半だった

仕事1日(半日)+ 観光3日
なにをしに行った?
と聞かれると辛いのだが家内の慰労ということに
間違いはなかったのでよかったと思っている

なによりもブログから解放されてみて思うことも
あった

オーバーになるかもしれないが、リセットタイム
を得て雲隠れの旅も意味があるぞと感じた!

以上で4日間の北の大地の旅をこれで閉じる。

北の大地3日目。

2012-10-30 20:25:37 | 旅行
(10月28日の記録)

今日、明日と札幌の二日間は雨模様と予報が出ていた
通り朝から降り出しそうな気配、それに寒そう

午前10時に知人のYさんがホテルまできてくれた
午後3時過ぎまで時間がとれるので札幌を案内して
くれるという

リクエストの一番はクラーク博士に会いたい!

少年よ!・・・という年齢ではないが
老年よ、いや朗年よ、大志を抱け!
と気合を入れてもらいたい
この歳でもまだまだ夢があるんだから!


羊が丘は寒さと小雨模様で観光客も少なかった
天気が良ければ眺望がきくのだろうに残念!
をまるまる揚げたジャガイモがおいしかった


次は札幌冬季オリンピック70m級のジャンプ競技
が行われた宮の森ジャンプ競技場へ行った


次に札幌オリンピックの開催地で現在でも国際大会
が開かれている大倉山ジャンプ競技場へ


下から眺めるだけでもとてつもなく高いジャンプ台
でテレビで見るのとは大違い


小雨と風交じりの天気で展望台へのロープウエイは
ストップして上がれなかったのは残念だった

その変わり併設のスポーツミュージアムで冬季競技
の体験コーナーが面白かった
ジャンプの体験では子供に負けたなあ

ジャンプ体験、どうや、格好ええぞ!


田舎の兄に北海道の味覚を送りたくなって札幌場外
市場へ案内してもらった


すごい
毛ガニにタラバガニ・・・
どの店もカニカニカニ・・・

海産物もいっぱい、安い、安い
ガゴメがあったので荷物にならない程度買った

昼食時間になった
札幌と言えばラーメン!のはずだが
どっこいそうではなかった

Yさんが「スープカレー」のおいしい店に案内すると
いう、「スープカレー」?
はて、聞いたこともないスープカレーとは?

札幌ではご当地グルメとしてお馴染みらしい

興味津津、連れて行かれた店で人が食べているのを
見るとおよそカレーのイメージのものではない

Yさんの注文を聞いていると自分好みに中身も味も
トッピングして自分のメニューにしてしまう



自分だけのカレーにしてしまうようだ
札幌では歴史があるらしいが大阪にもあるのかな?

食べてみてスパイシーのせいもあるのか体が温まる
札幌にはたくさん店があるそうだ

食事の後は北大へ、ポプラ並木まで行きたかったが
なにしろ小雨の上に寒くて途中から引返してきた


すぐ近くの北海道庁旧庁舎に行ったあと
Yさんと別れて早かったが今夜泊まる小樽に向かった


小樽も28年ぶり、駅の構内


駅前に出ると札幌より寒い!


駅から中央通りを下がって行くと運河へ、手前に
今日のホテルがある


運河側から宿泊ホテル


まだ4時過ぎだったがそのまま8時の大河ドラマまで
ひと眠りした

外で食事をしようと出たら強風と寒さにびっくりした
大阪なら真冬の感覚、それでも前の運河沿いを歩いた

明日は最終日で小樽観光、雨予報が心配。

(10月29日の記録は31日にブログする)

北の大地2日目。

2012-10-30 16:48:57 | 旅行
(10月27日の記録)

昨夜、ホテルで家内と合流して今日からは北海道観光で
三日間を過ごす

朝7時0分、函館行きの特急スーパー北斗2号に乗った
3時間11分の函館日帰り列車の旅のスタート!

飛行機が早くていいのかもしれないが車窓からの景色を
楽しみたくてあえて列車にした

今回の旅は自宅改装が終われば家内の苦労に報いたくて
何かご褒美をと考えていたが

ラッキーにも仕事で札幌行きが決まったのでそれに便乗
することにした

ただし、家内が9月から治療中の身になったので医師と
相談しながら調整してやっと許可を得ることができた

今回ばかりは自分が面倒を見てやらないといけないので
こちらのペースとはいかない

函館は家内のリクエスト、「五稜郭」を訪ねたいという
自分も五稜郭には行ったことがないので丁度よかった

列車から色づいて景色と雄大な自然を眺めているだけで
心いやされる思いがした


線路は続くよ


どこまでも


昭和時代の夏に訪れたことがあった大沼公園はきれいに
紅葉していた


車窓から大沼湖


白樺と湖


函館の手前JR五稜郭駅で下車した


五稜郭駅前


空は雲一つない絶好の日和、それに暖かくてタクシーの
運転手さんがこんないい日は珍しいと言っていた

五稜郭、そもそも箱館(最初は箱だったらしい)を納める
ために幕府が設置した箱館奉行所であったが、外国からの
防備のためヨーロッパの要塞都市をモデルに設計したもの


防衛の拠点でもあった 幕末の動乱期と重なり旧幕府軍が
五稜郭を占拠、政府軍との間に箱館戦争が勃発、土方歳三
他旧幕府軍は降伏、幕末 の動乱が週末したという歴史の
流れの中で奉行所はわずか7年の命だった


こんな☆型らしい


その奉行所跡が2年前に当時の姿の一部が再建をされ公開
されていると聞いていたので期待して訪れた


想像していた以上に広大な敷地に立派な奉行所が再建され
ていて大勢の観光客も訪れていた
広すぎて☆の形を実感できない




6年前にできたという高さ108mの五稜郭タワー展望台
から五稜郭の星型の眺望を楽しむことができて大満足!




タワー展望台から


次はバスでトラピスト修道院へ向かった
この修道院は明治31年にフランスから派遣された8人の
修道女によって設立された日本で初の女子修道院だそうだ








次は坂の町とレンガ倉庫群へタクシーで移動
家内が上りが負担になるので下るコースをハリスト正教会
から下りていくことにした

ハリスト正教会




函館聖ヨハネ教会


旧函館区公会堂


坂道を下る、港が見える


旧イギリス領事館


元町公園から眼下に函館の街と海を見下ろす


赤レンガ倉庫群




遅い昼食を倉庫内のレストランでとった






そしてぶらぶら函館駅へ、さすがに夕方は寒かった

函館ビール






函館駅


17時11分のスーパー北斗で札幌へ


20時49分に札幌着、駅すぐのホテルで少し休憩
21時半にこのブログでもコメントでお馴染みのSさんが
ホテルを訪ねてきてくれたのでしばらく談笑した

さすがに函館往復の列車は疲れた

せつかくの旅行中だからブログは書かないことにした。

北の大地初日

2012-10-26 23:25:38 | 仕事
素晴らしい快晴の札幌に28年ぶりにきた

12時30分から18時30分まで6時間みっちり
勉強をした


勉強会のあとは出席者の皆さんとの食事会に招かれ
北海道の美味しい料理とお酒で堪能した



二次会までセットしてもらってすっかり札幌の夜を
楽しんだ

いささか酔い良い気分で家内と合流するホテルへ
送り届けてもらった

明日からは旅行に模様替えして北海道を楽しむ。

大阪 → 札幌間機内から富士山が見えた

北の大地へ遠征!

2012-10-25 17:37:04 | 仕事
明日から久し振りに北の大地へ遠征が始まる
といってもG軍のハムさん刈りについていく
わけではない

それならハムさんの応援のほうがいい

ま・じ・め・にお仕事の遠征だ!

ただし泊まるホテルは○○ドーム・・・
はて?
まさか同宿ではあるまいな!

北の大地への遠征は指折り数えてみるとなんと
28年ぶりになる

若い時はよく遠征したのに昭和60年代が最後
平成になってから初上陸になる

現地はもう寒いらしい
自宅の改装で冬物もほとんど処分してしまった
最低限しかないから選ぶまでもない

凍えることないやろと思うけど寒さには弱い!
それでも大通り公園をランニングしてみたい!

仕事の前に難敵は苦手な飛行機
それ思うとゆううつになるけれど
あるだけお守りを持って行くことにした

その前日の今夕はM管理組合の緊急臨時理事会
大問題をかかえて先週に続いて開催になるが
こんなのが一番のストレスで困ること

よりによってなにもこの日にと思うのだが
わざわざこっちのいる日に会わせられた
気分良く明日に備えたいのにな

リセットして明日からの楽しいイメージを浮かべて
今夜はよく寝ておこう

いま、現地の担当者から暖かいメッセージが届いた
そういう心配りがなによりうれしい

北の大地のみなさん
明日はよろしく!

(29日までブログは生きているコール程度)

今日のひとこと(2)

2012-10-24 20:48:08 | 輝いて生きる
     継 続

ほんとうに続ける必要があるのか

ただ惰性で続けてはいないか 

 必要なことなら力になり

 惰性なら時間の浪費になる

必要なことを継けるには努力がいるが

惰性で続けることには努力がいらない

得られるものと失うものとの差は大きい

1年前のメッセージ。

2012-10-22 20:37:17 | チャレンジ
昨日のランニングで足腰がどんな影響を受けたのか
心配していたが今朝、起きて少し重く感じた程度で
すぐなにもなかったように普段通りに戻った

それだけ足腰の鍛錬ができていたということなのか
よくはわからないがきっとそうだろうと思う

毎日、1年前のブログが配信されてくるようになり
あの時の自分が発信したメッセージが1年後の今日
どうなっているか・・・見直すいい機会になっている

たいしたことではないが、この1年の間に新しく挑戦
を創めた自分と約束したことが生活の一部として定着
していることがうれしい

1年前の今日22日は、翌日のマスターズ陸上練習会
に参加するためくつを購入していた
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20111022

そして1年前の明日23日はマスターズ陸上で走った!
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20111023

そして今はランニングでつながっている

1年前の21日、スポーツクラブへ体験に行った
そのスポーツクラブに入って月末で1年になる
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20111021

従来からのウォーキングに+ランニング+筋トレ
で体がすっかりシャープに変身した!

たった1年でも続けてみると様々な変化を通して
自分にも可能性が残されていることを証明できた
ことが一番の収穫かもしれない

今日のこのメッセージは1年後の25年10月22日
に届けられる
どんなに進化した自分が受け取ってくれるやら・・・。

再び淀川ウォーク&ラン。

2012-10-21 23:35:25 | チャレンジ
今日も朝から雲ひとつない快晴、予定していた
淀川堤防のウォーク&ランに出かけた

2週間前に初めて完走したコースを再び今日も
ウォーク&ランして大阪マラソン・チャレンジ
コースの距離8.8キロの感覚をつかみたい

前回8日より10分早い午後3時20分に淀川
にかかる長柄橋の10キロ地点をスタートした


(大阪湾淀川河口から10キロ地点)

上流18.8キロ地点を目指し行きはウォーク
帰りはランニング

ランニングからスタートしたほうが疲れていない
からいいに決まっているが何しろ日差しが暑い

ということで赤川鉄橋

城北大橋



豊里大橋



鳥飼大橋



鳥飼仁和寺大橋の手前18.8キロ地点までの
8.8キロを一気に歩いた



午後4時51分に18.8キロ地点まで完歩
8.8キロを1時間31分で歩いたことになる

せっかくなので19キロ地点まで行ってみた


(大阪湾淀川河口から19キロ地点)

座って休むこともしないまま無謀かと思ったが
午後5時5分、来た道を10キロ地点を目指し
今度はランニングでスタート

ちょうど太陽が西の空に沈むところだった



ランニングは最初から足が重かった
これは大丈夫かな?
心配になった

昨日、筋トレとナイトラン&ウォークをした
今日の前半のウォークで筋肉が疲労を起こした
のだろうか



前回よりはるかにきつかった
途中でウォーキングにしょうかと何度も思った

その度に、ここで歩くとクセになる
どんなにしんどくても
ゆっくりでもいいから
走れ、それ頑張れ!

おなじみの赤川鉄橋と大阪市内の灯りが見えた
時はほっとした
そこからはあと2キロ、暗いみちを頑張った



午後6時11分にゴール
1時間6分の完走だった
前回より4分短縮しただけ
まだ1キロ、8分



いまはこんなもんだろう
1キロ、7分内で走らないと話にならん!

ウォーキングでは追い越して歩いたが
ランニングはフリーパスで抜かれてばかり
でも走り終えたあとの爽快感はウォーク以上だ

舗装されたアスファルトを走ると足腰への負担
はウォーキングよりはるかに大きい

今日はお疲れさーん!

スタートの新大阪から淀川19キロ地点まで
往復ウォーク&ランの合計は
約3時間30分かけて
約22キロだった。

マスターズ陸上の観戦!

2012-10-20 22:14:15 | スポーツ-トレーニング
大阪マスターズ記録会の観戦のために午前9時前に
自宅を出て大阪市長居第二陸上競技場へ向かった

地下鉄を降りるとすぐ長居公園に入って行く
雲一つない快晴の公園内はランニングしている人で
いっぱいでこちらまで走りたくなった



競技場のスタンドへ入いると100メートル競争が
始まったばかり
関東から参加している選手がいたのには驚いた



今日の目的は「60メートル走」をみること

1年前の10月23日に服部競技場の練習会に参加
して惨めな結果に終わって以来、リベンジ?したくて
この記録会への参加を希望していた

うっかり参加申し込み期日を間違えてしまったので
今日はスタンドから応援してやろうと思った

その60メートルは午後2時からということなので
いったん仕事場へ戻って出直しすることにした

午後2時、地下鉄35分、310円、再び競技場へ
この時間帯でも公園内はランナーがどんどん走って
いるのにはほんとうにびっくりした

60メートル走は参加者が一番多い競技で年齢別に
走る

やっぱり注目は自分と同じ70歳代だ

驚いたねー
この中に83歳のランナーがひとりいた
それもかっこいい、早いよ!



レースを見て、いま一緒に走ったらダントツのビリ
だろうと思った
あれじゃ、とても、とても、自信がなくなったなあ

マスターズには小学生の部もあるらしい
初めてしったけれどスポーツクラブ単位できていて
スタンドには親たちが陣取って大声援を送っていた

小学生の低学年、1~3年生、かわいいね
それでも結構早いよ



低学年の子と走っても早い子にはとても勝てないぞ
女の子にも勝てないかもしれない

1500メートルの70歳以上の組には女性の出場
選手が少ないからだろう混合でスタート

最高齢者は男性が80歳、女性は77歳
スピードでは勝負にならないが80歳の男性選手は
下から4番目でゴール、77歳の女性選手は2番目
でゴール、最下位ではなかったのだから立派だった



こういうのを見ていると走りたくなるなあー
見てるもんじゃないよ
それにやっばりしまったいい体してる
ほんとうに今日も力をもらったよ!

その元気をひっさげてスポーツクラブへよってきた

おかけで「シニアの昼活」はどっかへ吹っ飛んだ!
まっ、これも昼活だな。

だれかが見守っている。

2012-10-19 17:55:20 | 輝いて生きる
昨夜の9時前、帰り道のスポーツクラブへ寄った
その時間でも会社帰りのスーツにかばんのままで
男性たちが急ぐようにクラブの入口を入っていた

ロッカーに行くとここも着替え中のビジネスマン
らしき人でいっぱいだった

男の下着など流行はないと思っていたが
いま時の男がはいているパンツのカラフルなこと
おじ(い抜き)さんのは恥ずかしい!

いつものように体重、血圧、心拍数を計って記録
あー、今日も血圧が高い・・・
しばらく休憩して下がったところでスタート

あいているマシンについたとたん
後ろから自分の名前を呼ぶ声に驚いて振り向いたら
ベテランの女性スタッフTさんが小走りできた

?????


”○○さん、お元気でしたか?

しばらくお見えになっていないので心配していました!

○○さんが来られたと聞いてあわててきました!”

”大丈夫ですか?”


スタッフに自分のことを気にして聞いてくれていたらしい
ここ二週間、血圧が高かったので少し自重していたのと
来ても簡単なトレだけして帰っていたことがTさんの
耳にはいっていたらしい

顔をのぞきこむように話しかけてくれるので
こちらもたじたじ・・・

”大丈夫ですよ”

と、体調のこと、血圧が高い時はウォーキングと軽い
トレして帰っていることを伝えたら安心してくれた

トレ中のまわりの人は2人のやりとりを聞いている
なんだか恥ずかしい

その時間帯にはこんな年齢の者はひとりもいないから
それは目立つ、いつも目立っているはずだ

ベテランのTさんは入会当初からよく声をかけてくれ
アドバイスもしてくれる

他の会員に対してもそうだが自分には「特に」そんな
気がしている
たくさんいる他のスタッフもよく声をかけてくれる

その場が自分と同じような年齢の者ばかりだったら
多分、そうはいかないだろうと思う

こういう時は若い人達の中にいると72歳が気になる
存在なのだと思う
だから高齢者は積極的に若い人の中にいくべきだ

もちろん甘えているつもりは毛頭ない

こちらだって若い人の中にいたら
あんなお年寄りでも頑張っているじゃないかという
「きらきら72」をみてもらうことだと思う
うちのお父さんより元気だ!と言われたこともある

だらだらしないように
メリハリよく
テキパキと動いて
いるつもりだ

果たして、どう、映っているかはしらないけれど。

通りすがりに寄る所。

2012-10-18 20:15:55 | ひとりごと
夕方の5時過ぎ用事を済ませての戻り道にコーヒー
が飲みたくて駅の改札前にあるRテリアへ入った

ここは仕事場への行き帰りいつも通るなじみの店で
おやつ代わりに食べるエビバーガーがお気に入り!

いつか知り合いに言われたことがある
”あんな店によく行きますなあ”
多分、その歳で!と言いたかったのだと思う

ついでに言えば

コーヒーのDトールやSターバックスも利用する
近くにはないがとくに好きなのはMドーナツだ

こういう話をすると不思議がられる

若い人が多いあの種の店には
空気にメリハリがあって
気持ちがリフレッシュできる

確かに中年以降の人の姿はあまり見かけない
でも別に年齢制限があるわけではないので
平気な顔して利用している

通路に面したガラス張りの席に座って前を行く人を
ボーッとみているだけで気持ちが落ち着くのだから
不思議、自分にもなにがなんだかわからない

正面に改札があるのでひっきりなしに人は行き来する
向こうからはエビさんにかぶりついている自分の姿も
丸見えのはずだ

ウォーキングを趣味としているからかもしれないが
ついつい通行する人の姿勢と歩き方に目が行く

それなりの年齢の人は男女総じて姿勢が悪い
とくに女性はすり足でS字形タイプが多い

そのうち、躓いて、骨折って、寝た切りコースへ
人の振り見てわが振り・・
自分も、もしかしたら同じかもしれない

下半身の筋肉が衰えてくると上半身の体重を支え
切れなくなって体型が崩れて行く

自宅の玄関に大型の姿見をつけたので朝晩、横姿を
写してみるようにしているが猫背はなおらないね
きっと自分の後姿は、おじ(い抜き)さんだろう

背中は無防備、歳は隠せない
腹はへっ込んだのに一番気になる猫背・・・

パソコン相手にしている限り姿勢は正せないのか
ジムでもマシンで矯正しているんだけれど

外は雨、今夜も寒くなってきた
このまま帰ってもナイトラン&ウォークはできない
1時間でもジムに寄って気合を入れてくるのもいい!

夜のジムは若者ばかりだから
その中に入ってキラキラ72歳してくるか!

勉強机は食卓。

2012-10-17 20:58:50 | 輝いて生きる
大学教授とは思えないファッションでマスコミにも
登場し人気講演者としても知られている京都大学の
蒲田浩毅先生の著書がずっと読まれている

 「一生モノの勉強法」 東洋経済新報社



火山学者の先生が火山の話を聞いてもらうためには
専門的な知識だけでなく人間的な魅力の根源の教養
がなければわかりやすく伝えることができない・・

そのためには戦略が必要だと実行してきた勉強法を
書かれた書でとくにビジネスマンには参考にできる
部分が随所にあると思う
大変興味深く読んだ

その中で”あれ、自分と一緒や!”
と思わず口にした内容がいくつかあって驚いた

例えば「食卓テーブルの方が勉強がはかどる」
内容は省略するが

自分も7月の自宅改装以降、部屋の机椅子は処分し
必要なことは専ら「食卓テーブル」ですませている
家内が早く寝るのできれいな食卓テーブルは自由に
使えていい

部屋に専用机があるとついついPCのおもりをして
遅くまで時間を浪費する悪習慣があった

その点、食卓テーブルの上には余計な物がないから
用事が終わればそれまで

いま自宅では仕事はしないことにしているし読書を
する程度、それより週3回、ナイトラン&ウォーク
をして、さっさと寝てしまう

本にはこんなにもあった
「不得意な分野は児童書を見よ」
これも内容は省略するが・・・

改装で壁の一面を特注した本棚に息子が小学生の時
に読んでいた本、中、高校で読んでいた小説や受験
参考書の中から一部を無断で並べた

伝記物や受験歴史書などはわかりやすくて面白い
不得意分野ではなくて興味があることなので意味は
違うが児童書から学べることはたくさんある

子供の使った書物で親が勉強するのも楽しい!

最後に「勉強仲間を作ろう」とあった
長く仕事場で勉強会はやってきたがウォーキングを
始めた2000年以降は全廃した

いま一番やりたいことはこの「勉強会仲間作り」
その下地はあるので必ず復活させて
いまの自分から飛び出したい

勉強は場当たり的にするものではない
戦略をたてて生活の中のシステムの一部として勉強
を続けて行くことが自分を高めて人生を変えていく
とまとめられている。

時は巡って・・・

2012-10-16 20:48:14 | 交流
また、忘れられないあの日がやってきた
あれは2年前の今日10月16日
突然Gさんからメールがきた

久し振りに何事だろうと開いたメールを見て
びっくりした


・・○○癌で入院治療に専念して参りました。
完治するのは困難な見通しで現在、○○ケア
病院で最後の時を迎えています。
大変お世話になった御礼を申し上げます。
ありがとうございました。


別れのメールだった
ところが2年前の今日のブログにそのことが
書かれていない

なぜだったのか?

動転して、書けなかったこともある
それより半信半疑、信じたくなかった!

ブログにすれば特定な人ならわかってしまう
○秘ごと、そんなことを考えたのだと思う

もう面会はできないということだったが一目
でも会って励ましてあげたい!と病院に電話
をしては面会のチャンスを待った

10月22日にやっと会えた

別れ際に流したGさんの大粒の涙を今も鮮明
に覚えている
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20101022

11月8日に定年まで2年を残して亡くなった
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20101108

年末に面識のなかった奥様から丁重なはがき
をいただいた

Gさんが人前で流したたった一度の涙だった
ことを生前に奥様に話していたらしい

あのGさんの涙は人に見せた最後の「命の涙」
だったのかもしれない

そう思うとGさんの涙の分まで一生懸命に生き
ていかないと申し訳ない

今日も彼はどこかから自分を見守ってくれている
に違いない

Gさんからの命のメールはずっと大事にしたい

一回り年下で自分をいつも慕ってくれていた彼
定年になったら弟子入りしたいと言っていたのに

本当なら今月がGさんの定年だったはずだ
一緒に仕事がしたかった

自分の命なのに自分の自由にできない命
もしかしたら預かりものなのかもしれない

それなら大事に活かして生きて行かないと!

定期検査。

2012-10-15 20:18:49 | 健康
定期的に受けている血液検査の結果を聞くために
かかりつけの診療所へ行ってきた

主治医からは
”心配することはありません、いい結果ですよ” と
言われてほっとした

春先の検査で*印がついていた項目も改善されて
残った*印は白血球数、赤血球数、ヘモグロビン
のみとなった(貧血気味)

2000年以降の血液検査報告書を保管している
が、貧血関連以外の項目で*印がなくなったのは
今回が初めて、数値を比較してはっきりわかる

ウォーキングにプラスしてこの一年、ランニングや
筋トレにチャレンジしてきたことも体質の改善には
プラスしたのだろうと思う

いまのところ体調はきわめてよい
昨日のウォーキングも気分良く歩けた
不思議なくらい体が軽く感じられる
(そりゃ5㎏も減だもん)

ただし、油断は禁物!
明日はだれも保証されていないのだから
ご指名が後回しになることを願うのみだ

唯一気がかりなことは、つきあいの長い高血圧だけ
がどうしても改善できないことだ
このまま生涯つきあうことになるのかもしれない。