昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

驚いた、79歳の大学一年生!

2008-06-30 18:23:45 | 輝いて生きる
なんと79歳の大学生が名古屋にいる
テレビで、その学生の1日の学生生活が放映されていた
いや、驚いた!

現役を終えた人が、再度、社会人入学をしている
大学生のことは珍しくなくなっているが

名古屋のこの人、Fさんの場合は事情が違う
4歳で父親をなくし高等小学校を卒業しただけ
勉強したくてもできずに旧国鉄で機関手一筋で退職

そこからやりたかった勉強を始めたという
夜間中学へ入り
夜間高校は、ほとんどの科目を5の優秀な成績と
無遅刻、無欠席で卒業。

奥さんの喜んでくれた姿がうれしくて
今春から愛知産業大学に入学したという。

大学の授業についていくために1日に5時間
自宅で学習をしているという
パソコンもマスター、英語もついていけるまでに
なっているらしい。

授業ごとに変わる教室を限られた時間で移動する階段の上り下りが
大変というが、リュックを背負ったおじいさん大学生は
若い学生の刺激になっていると大学側の話。

教室では一番前に座り、わからなければ講義後、
教授に質問までして学んでいる姿こそ、学生本来の姿だ。

学ぶことに年齢は関係ないが
記憶力や体力を思えば、なにもそこまでしなくてもと思うが
それを超えた学びの面白さ、楽しさを見つけたのだろう。

実は、自分も社会人入学をひそかに思い続けた時期があったが
自分が選んだ仕事にさえ、やり遂げた観がないのに・・・と
そのことは断念することにした。
その分、このFさんのことは衝撃的だし、声援を送りたい。

Fさんより11歳も若い自分がそれだけの努力と学ぶ熱意を
持っているかというと正直なところNOだ。

毎日、こうしてパソコンの前で、さして、重要度もないことに
時間を浪費していることが、しみじみと恥ずかしくなった。

今年も今日で半年が過ぎた。
ほんとうに、燃えて、充実した日を送ったのだろうか
明日から、後半がはじまる。

うれしい再会、たくましい青年。

2008-06-29 18:26:10 | 輝いて生きる
昼過ぎにSさんが訪ねてきた
二年半の地方営業所勤務を終えて
本社の開発部門に戻ってきたという
三十代半ばのビジネスマンだ。

かってわが事務所で研究会を開催していたときもっとも若手で
よくお世話を手伝ってくれたお気に入りの青年だ。

このブログを見てくれていることは以前から知っているが
普段はとりたてて連絡を取り合うこともなく過ごしてきた。

持ってきた缶ビールを飲みながら二年半の
地方での営業活動で頑張ってきたことを話してくれた
その実績を認められ開発部門へ引き上げられたようだ。

ひとしきり話し込んだあと

本社に戻ってきてびっくりしたことがあるという
なにごとかと聞いてみると

隣の別部門の先輩が昼食時間に○ク○イをやっているのを
二度もみたというのだ

"いや、あんまり笑えんよ、おれも若い連中に経験だからと
○i○iはすすめられてやっていたよ"

まあ、休憩時間ならおじさんのお遊びとしてかわいいじゃないか
就業時間中なら問題やけど・・・

思わず、二人で大笑いした。

別に○i○iを否定しているのではないが

ここ数年の間に急速に広まってきたSNS
「フレンド数」と「アクセス数」が勲章みたいで
きりのいいアクセス数になることが自慢らしくて
日記に公開して、人気者になったと錯覚する。

まあ、それはそれでいいのだが

あの種のシステムは、アクセスした人と時間帯が明確に
表示される、いわゆる「足あと」をつける、残すことが
つながりの始まりであり、確認であるみたいだ。

いま、自分が所属している特定分野に特化したSNSでも
一週間に一度しか書き込まない自分のところへ、毎日、毎日
時間帯が明示されている足跡がくっきりとついている。

明らかに就業時間帯、仕事場からだろうが
それが休日にはパタリと止まっているのだから
仕事の最中にあちこち足あとつけしているのだろう
いわゆる「サボーりーまん」というやつだ。

出先で必死で営業をしている者から見ると
そういう人間のことが一番頭に来るとSさんは言う
当たり前のことだ。

SNSは、日記のコメント交換みたいなもので
意味のあるテーマについてならいいが
たわいもないことにかかる時間の無駄を
考えると人事ではないと退散した・・・
コメント屋につけられでもしたら大変だ。

かくいうブログもそんなに違うわけはないが
こちらは足あとがつくわけでもないし
多少の距離感がある分、ゆとりもある。

第一、ここのブログにコメントなど
めったにつくこともないので
それはそれで気楽なもんだが
なんのために書く?と聞かれたらどう答える?

大事なのは、中身。
それが一番大切なことで一番難しいこと。

ここ、しばらく、自分のブログに力がないのを
心配して様子見も兼ねてきたとSさんから帰り際に言われて
なんだ、しっかりしろ!と気合を入れにこられたたみたいで
面目ない。

そういう人のためにも続けることだ。

このブログ、今夜あたりSさんもみているだろう。
人のこと、とやかく言う前に自分のことに
しっかり始末つけていかないといつまでも明日はない。


今日は診察日、何もなければ・・・

2008-06-28 15:41:16 | 健康
何か月も続いている慢性的な疲労感と
脱力感がなかなか取れない

連休前からの腹痛も薬が効かないのか
一向におさまらなくて
ここ数日は、横になることが多かったので
今朝、通院している診療所へ行ってきた。

大腸X腺検査を受けることになったが
運よく十日後に予約がとれた
なにもなければいいが・・・

不思議なことだが
ウォーキングをしているときは
体調のことはさほど気にならないのに
動きをやめると具合が悪くなる。

歩くことが整腸作用になっているのだろうと
素人なりに思っているが
一年間で体重が5キロも減り、やせたということは
喜ぶべきことではないと思うので
ちゃんと原因をつかんで生活改善をしないと
生涯現役、100歳まで生きると言っても
並大抵なことではない。

身体が黄信号を点灯しているのだから
きちんと診察を受けて治療したい。

いい、話題ではないが、これも自分の現実。



あの人たちはいずこへ・・・厳しい現実。

2008-06-26 22:51:22 | 仕事
来週の仕事の打ち合わせで午後から某社をたずねて驚いた。

長い付き合いでビルのどこに部署があるかはよく知っていたのだが

エレベーターを降りて目に入ったフロアーは見たことのない光景
一瞬、階を間違ったのかと目を疑ったが

担当者があわててやってきてくれて間違ってはいなかった。

大きなフロアーの半分は、なにもなく床まるだしで使われていないのだ
組織が大幅に再編成されたということは聞いていたが
要するに組織縮小、人員の削減が行われているのだ。

伺った部署の人員も一年前の3分の2になっていた
そして、顔なじみの担当者がいない

あの人はどこへ行ったのやら・・・
あえて聞きもしなかったし、聞かされもしなかった。

特別に業績が悪化しているわけではないのだが
企業は業績にかかわらず、体質強化に必死であることを
ここでも垣間見た。


有縁有。

2008-06-20 23:19:51 | 交流
まだ会ったことはないが「有縁有」として
大事な知り合いがある県庁所在地にいる。

「有縁有」とは
「縁」があってありがとうという意味。

豆腐の独自メニューで数店の店を経営している
女性後継経営者のMさんが使っていることばだ。

たまたま所属している塾の後輩メンバーだが
電話は一度もらったもののまだ会ったことはない。

さのMさんが出版したばかりの著書を送ってくれた
「有縁有」と書かれた封筒に毛筆のあいさつ状が入っていた
何人にか知らないが、一人ずつ、直筆して送ったのだろう
なみの人ではない。


このMさん、ある出版社の編集長と出会って
800字の原稿を書くように依頼があったので
50回分の原稿を書こうと目標をたて書き続けた者が
エッセイ集的な著書になったらしい。

その大切な著書を、まだ、会った負こともない自分に
「有縁有」と書いて送ってくださったことがうれしい。

自分がOB会長をしていたことを聞いて送ってくださった
のだと思うが、思ってもなかなかできないことだ。

「有縁有」ということばのひびきもいいし
自分を「有縁有」の一人に加えてもらったのだから
ぜひ、彼女の店を訪ねてきたいと思っている。

人と人のつながり・・・・よくご縁というが
そのご縁を続けていくことは簡単なようでむずかしいと
しみじみ思っている。

きのう、二年間、続けてきたSNSの休会宣言をしたが
「ご縁」に疲れて、こちらは「ご縁」をとうに終結しているのに
こちらの思いなどどこ吹く風、なにやらかにやらと
どこまでもすり寄ってこられては、もはや限界。

ネット社会は、24時間、メールで、足跡という名で
「有縁有」なら、こんなにありがたい手段はないが
そうでなければ、こんな迷惑なものはない。

「有縁有」には、つきあいにも「品」が必要だと常々思っているが
もちろん、まず、自分も問われていることだ。

熊野古道のシンボル、牛馬童子像が壊された!

2008-06-19 21:50:09 | ひとりごと
きのう、仕事帰りで熊野古道の起点となった八軒屋浜船着場跡へ
寄ったことを書いた。

まさか、二日続いて熊野古道のことを書くことになろうとは
その時、思いもよらぬことだったが・・・

その熊野古道のシンボル的な存在の「牛馬童子像」の頭部が
壊されたというニュースを夕方に知った。

頭部がなくなっているという、まことに残念、腹だたしいことだ
隣りの役行者像も頭部をたたかれたような跡があるという。


「牛馬童子像」は、田辺市の熊野古道・中辺路にある55.2センチの
小さな像でよく知られており観光スポットにもなっている。

二年前に熊野古道を完歩したが、やっぱり、牛馬童子像に行くことは
楽しみの一つだったし、興味もあった。

2006年9月27日の午後4時頃だったが、薄暗くなりかけていた頃
牛馬童子像前に着いた。

想像していたより小さくて、写真の顔よりも輪郭が不鮮明だったが
なにか神秘的なものを感じたことを今でも鮮明に覚えている。
熊野古道の中でも特に印象深い思い出になっているだけに悔しい。

2006.9.27 薄暗くなった16時頃デジカメ撮影したもの。

あの周辺を観光コースにしたり、ウォーキングコースにして人気もあるが
これからどうなるのだろうか・・・。

2006.9.27 薄暗くなった16時頃デジカメ撮影したもの。



名誉挽回になったか!?

2008-06-18 23:28:57 | 仕事
先月、「肝を冷やした話。あってはならないこと」という
タイトルで日記を書いたが、その○務局に仕事で行ってきた。

部署は違うし、すでにふた月前から依頼があった仕事だが
当然、その話は伝わっていることだろう。

夕べから緊張して目覚ましを二個も用意して今日に備えた
10時半からだが、新任の部長と挨拶があるので15分前に
きてほしいと連絡があったので

10時前にすぐ近くまで行ってコーヒーを飲んで指定の時間に
あいさつに伺った。

先月の話は当然伝わっているとおもったが丁重なあいさつを受け
「これまでのアンケートでとても評判がいいので楽しみにしています」
と冒頭から言われて、その心遣いにほっとした。 

おかげで90分間、内容も自分自身をもフルに出し切ることができ
久々の満足した仕事ができた。

部長、課長にも、いい報告ができて喜んでもらった。

嬉しくて、ご褒美に近くでおいしいそばの昼食をして
少し歩いて熊野古道の起点であった八軒屋浜船着場跡を訪ねた。

ここは、熊野古道を歩いた時のスタート地点で思い出の場なので
近くに来ると自然に足が向いてしまうところだ。

そして、府が3月28日に水都大阪の新名所にするために
大川べりに整備し開港した八軒屋浜港に寄ってみた。


そこから中之島公園を経由して淀屋橋までショートウォークをして
気分のいい時間を楽しんできた。




活断層の上を歩く、クラブの例会ウォーク。

2008-06-16 19:45:23 | ウォーキング
昨日の日曜日、先月の雨で延期していたクラブの例会ウォーク
を実施した。

大阪のど真ん中、と言っても大阪の人以外はあまりわからない
かもしれないが大阪城から南へ天王寺あたりまで伸びる上町台
地にある史跡と坂と文学の舞台をめぐる歴史ウォークだ。

実は、ここは上町活断層、地震帯の真上を歩こうというのだか
ら勇気のあるのんきなメンバーだ。

大阪城公園の広場で、今日の歩程を地図で説明し、ゴールは、
初心者uさんの足の具合を見ながら決めるということでみんなの
了解をうる。

ストレッチをして、10時にuさんと自分が先頭になってスタート
クラブでは、初心者が先頭、そして、自分が付き人をすることにし
ている。

自分のもとに集まってきている大事な人になにかがあってはリー
ダーとして失格長くサークルをやってきて事故にだけは異常なほ
ど神経をつかっているつもりだ。

最初の訪問場所は、難波宮跡、ここの大極殿跡の階段にすわり模
擬階段教室さっそく用意した資料を順番に読んでいく、昔の固有
名詞読みには四苦八苦そして、自分が知っていること、調べたこ
とを説明しては進んでいくスタイルだ。

だから、その時間が休憩代わりになるので無理な歩きはしない。

大阪に生まれ、市内で育ちながら初めて難波宮跡にきたという人
かってここに都が二度もあったことなど、ほとんどが知らなかっ
たという。

以前の下見のブログでも書いたが、次はみんなを案内したかった
越中井細川忠興の妻、明智光秀の娘・玉、後のガラシア夫人が亡
くなった場所だ。

ここで学習をして次へ進もうとしていたら、今日のハプニング発
生!自転車であらわれた50歳くらいのおもろい男性が、自分に説
明をさせてくれという

みんな了解をして聞くことにした・・・これも楽しいひととき。


資料で学習したばかりなので、その人の話がとてもよくわかる
最後に、ガラシア夫人の辞世の句をメロディーつきで歌ってくれ
たのにはみな拍手

「散りぬべき 時知りてこそ 世の中の 花も花なれ 人も人なれ」

この人、ただものではないと思ったので、失礼ですがと聞いてみ
たらなんと、大阪で一、二の名門進学校の現役日本史の先生だっ
た!

あの人、いや、あのセンセ、きっと名物センセに違いない。

向かいの聖マリア聖堂の前でガラシア夫人と高山右近の像を見て
いると教会の人がすばらしいステンドガラスの礼拝堂へ招き入れ
てくれた。これもハプニング。

しばらく歴史の道をウォークして熊野古道から谷町筋のビルの谷
間にある近松門左衛門の墓へ、そして、お寺の集まる谷町筋を歩
いて高津宮で休憩。

そこからしばらくウォーキング

生国魂神社で予定通り昼食、ここの真言坂から七坂が始まる

急な坂の源聖寺坂を下り、松屋町通りに続くお寺の一つ一つの
ぞいて歩くこれが大好きで、ここだけは、自分の歩きの世界だ
uさんはしっかりと自分のそばにいて、この人も好奇心が旺盛で
楽しい。

必ずと言っていいほどカメラマンか絵描きのいる口縄坂へ
いたいた、上り階段の真ん中あたり、男性が絵を描いている

uさんの足の確認をしながら、このまま全員で同じコースをす
すむ

道に埋め込まれた文学コースの標識を辿って縁結びの愛染堂へ
愛染坂を下るが、そこにも五人ほどの女性が絵を描いていたの
でお世辞半分、本気半分? を残して次へ


また、清水坂を上るとここでも数人の男女が絵を描いていた
天神坂を下り真田幸村の墓のある安居神社へ
今日はここをゴールにすることにした。
次回の予告をして解散。

ところが通天閣界隈に行きたいというので、そこから近い通天
閣へオプションウォーク食事をして間もなかったので串焼きは
食べなかったが流行っている店は、大変な行列。

今度、みんなでくることにしてコーヒーショップに寄って帰っ
てきた。

夜には、すでに一日の写真をアルバムにしてくれていたり
専用の掲示板には、無事に帰宅した報告が書き込まれていた
ので一安心。

初心者は内科医なのだが、とても、気持ちよく歩けたという
感謝と大丈夫だという報告をしてくれていた。

去年までのクラブを譲り、今年、ゼロから再スタートしたク
ラブだがマンネリからの脱出、新しい試みのスタート、正解
だった。


源氏物語千年紀展。

2008-06-08 23:14:49 | ひとりごと
そのうち、そのうちにと思っているうちに
とうとう最終日になった源氏物語千年紀展が開かれている
京都三条の京都文化博物館へ行ってきた。


想像していた通り、入場時点で大混雑、会場は女性であふれて
おじさんたちはあの中へ飛び込むにはよほど勇気がないと

勇気のないおじさんの一人だが、二度と見られない作品が集結して
いるのだからとおそるおそるそれなりに見せてもらった。

源氏物語を一度も読んだことがない自分にあれこれ論ずることはできないが
ただ、あの絢爛豪華な絵巻物がかもし出す活字だけの文学にとどまらない
独特の男と女の恋物語が、いまも新鮮に魅了する不思議さは紫式部の才能なのだろう。


世界20ヶ国で翻訳され、読まれていることを初めてしった
なんだ、世界的な文学作品ではないか、そんなことも知らないではずかしい。

よし、今年の目標、源氏物語を読むぞ。

天気もいいし、このまま帰るよりも、少し、ウォーキングして帰ろう

源氏物語千年紀展の会場を出て
そのまま三条通りを東へウォーキング

この時期も京都は観光客でにぎわっている
ひるどきで腹ごしらえをして京都駅までのおなじみの
コースを歩いてみることにした。

まず、去年の4月14日にスタートした東海道五十三次の三条大橋へ向かう。

おなじみの弥次さん、喜多さんをたずねた
あの日から1年と56日。

おかげさんで、いま、静岡県の新居宿まで行ってるよ!と報告
なにも返事はなかったが(当たり前や)。

運よく若い男性がそばにきたのでシャッターをお願いすると
気持ちよく引き受けてくれてこんな写真を撮ってくれた。


そこから、高瀬川にかかる小橋をわたって
坂本竜馬が寓居にしていたといわれる材木屋の酢屋さんの店へ
寄ってみた、ここもギャラリーがあるが
道行く人はだれも立ち止まる人はいない・・関心がないんだろう。




三条通りへ戻って新撰組でおなじみの池田屋騒動の碑をまわって
京都一の繁華街、河原町通りにある坂本竜馬・中岡慎太郎遭難の地の碑を
めぐって、あとは四条、五条大橋のたもとを通りJR京都駅まで一気に歩く
ショートウォークを楽しんだ。

赤川鉄橋から城北公園の菖蒲を見に行ってきた。

2008-06-08 01:17:11 | ウォーキング
朝、仕事場のビルの前の公園で土曜日恒例のフリーマーケット
顔なじみのにいちゃんがやっているミュージックテープの売り場で
また買った・・・青春70年代ベストソングコレクション800円なり
シクラメンのかほり、五番街のマリー、さよならをするために、二人でお酒を・・・
いくらでも持っている曲なのに・・・また買った!


一度、ガレージセールの店主をやってみたいと思いつつ実現していない
やるんだったら思いっきり、有り余るCDを並べてみたい。

午後から鉄橋ウォーキングに出かけた
目的地は淀川の城北大橋のふもとにある城北菖蒲園だ

ここに行くのには淀川にかかる人と列車が共用している
赤川鉄橋を渡らねばならない。

このコースはマイウォーキングコース

ここは滅多に通らない貨物列車の写真を撮るのが一番の楽しみ
カメラマンのカメラスポットとしてもよく知られている

きょうも目的の第一は貨物列者の撮影だ

すでに橋の入口あたりは何人ものカメラマンが待機しているため
邪魔にならないように鉄橋の真ん中へあわてて移動

あっ、やってきた


どんどん近づいてくる

まず成功!





去っていく列車を見送るのもいつもの通り


ただ、この鉄橋は数年後になくなる


鉄橋を渡って淀川堤防を上がっていく
城北大橋が目標だ
斜張橋の美しい城北大橋の手前を降りるとすぐ城北公園の菖蒲園だ。



公園は大変な人出、なにしろ250株、13000株の菖蒲があるという。
いまが見どころ、きれいに咲いている。





仕事場から城北公園までの往復11キロ
見事に咲きそろった菖蒲をじっくり観察して戻ってきた。




聖徳太子展に行った。

2008-06-07 01:08:39 | ひとりごと
天王寺散策。 久しぶりに快晴の午後、天王寺公園内にある
大阪市立美術館で開催中の「聖徳太子特別展」へ行ってきた。

今回は、聖徳太子の宝物を多数所蔵している大阪河内三大子といわれる
「叡福寺」「野中寺」「大聖勝軍寺」から太子ゆかりの作品が特別公開されて
いると聞いていたので見ておきたかった。

出展の中でとくに目をひいたのが「聖徳太子絵伝」の数々、
一部だけなら見たことがあるが、よくぞこれほど集めたと思われるほどの
「聖徳太子絵伝」、500年も前の色彩豊かな大画面は特筆ものだった。


この三寺を結ぶ「河内三太子ウォーキング」を二回に分けて行いたいと
以前から考えていたので、いいきっかけにしたい。

展覧会のあとは、公園内を久しぶりにぶらぶら、たまにはいい骨休み
通天閣まで歩こうかと思ったが、時間は5時まえ、この時間から行くと
まっすぐには戻ってこれまい、ということでさっさと戻ってきた。



ひろしまにはるかさんがくる!

2008-06-04 16:18:46 | 交流
ひろしまにはるかさんがくる!
と広島のあるお寺の住職さんからメールが来た。

「はるかのひまわり」の種を送ったということへの返事だ。

はるかのひまわりの活動を推進しているのは
神戸の震災関連のNPOの人たちだが一生懸命に準備をしても
ボランティアの限界、準備(封入セット)が遅れていた。

その方には、去年から種を頼まれていたのだが
なかなか送れなくて申し訳ないと思っていたので
昨日、送る前にお詫びとお知らせのメールを出したら
そんな返事がきたのだ。

間に合ってよかった、喜んでもらってよかった!
いま頃は、もう、配達されているかもしれない
おすになるのかもしれないが待っていることだろう。

ふるさと広島にはるかのひまわりをたくさん咲かせて
ほしいとメールに書いておいた。


特別な意味のある「はるかのひまわり」の趣旨を
その方ならきちんと伝えてもらえるだろうと多めに送っておいた。

はるかのひまわりについては、HPをつくってきたためか
毎年、たくさんの申し込みをいただく。

いただいた依頼には、きちんと種をおくっているが
届いても届いたと連絡してくる人はほんのわずかしかいない。

去年は大口の無理な依頼も聞いたが
お礼どころか着いたとも返事がないままになっている
それなりの送料がかかっているのだと言いたい。

わずか80円の送料を送るという人もいる
もちろん送料はいただかないと断っているが
それが常識というものだろう。

きれいに咲いた写真を送ってくる人もいる。

去年、ある県の小学校の依頼を受けて送ったが
咲いたら写真を送るといっていたのに
その後、なにの連絡もないままだ。

別に、連絡をせよというのではないが
こんなことでいいのだろうかと思う。

今年は、この人なら!という方に送らせてもらった
ある県のウォーキング協会の会員で
親子でウォーキングを楽しんでいる知人は

子供さんの学校にかけあい、学校の学習活動として
はるかのひまわりを育てることになったと連絡してきた

そしてウォーキング仲間にも広めたいのでいくらでも
送ってほしいと言ってきた

東北で広めてくれるということだ。
うれしい。


一粒から命のリレー、はるかのひまわり。

2008-06-03 21:46:31 | 輝いて生きる
今日、午後、神戸のNPO1.17希望の灯りの事務所を訪ねて
やっと準備ができたばかりの「はるかのひまわりの種」をもらったきた。

なぜ、そこまでするのかと言う人もいるが、彼らの活動を見ていて
自分ができることは、できるときにしておきたいと思うだけのこと
これから一週間、去年の秋から依頼をうけている人たちにお届けしたい。

帰り道、元町から三宮までタウンウォーキング
三宮に来れば必ず立ち寄る東遊園地の
灯り続けている「1.17希望の灯り」と
「慰霊と復興のモニュメント」を訪れた。



1.17希望の灯り   に刻まれていることば

1995年1月17日午前5時46分
阪神淡路大震災

震災が奪ったもの
命 仕事 団欒 街並み 思い出

・・たった一秒先が予知できない人間の限界・・

震災が残してくれたもの
やさしさ 思いやり 絆 仲間

この灯りは
奪われた
すべてのいのちと
生き残った
わたしたちの思いを
むすびつなぐ


「慰霊と復興のモニュメント」この中、地階に亡くなられた人の
名前が壁に刻み込まれている。


・・・・・・・・・・・・・・・・・・

先日、東海道五十三次ウォークで静岡県湖西市の白須賀宿跡を歩いた
遠州灘に面したこの宿場は何度もの地震と津波とで壊滅的な被害を受け
高台に移転した歴史をもっているが

町内のいたるところに
「海抜--メートル・避難場所--」と書かれた標識がかけられていた。
和歌山県の太平洋岸の町々にも同じような光景がいたるところでみられる。

日本の大都会と言われるところは、ほとんどが海抜数メートルだろう
しかし、そんな表示にお目にかかったことはないし
避難訓練もないし、意識している人もいないだろう

四川省の大地震、ミャンマーの災害、身近な日本にも・・・

震災ぼけになっていることが恐ろしい

はるかのひまわりは、ただ一人の少女の悲しい物語ではない

そんな思いで今年もささやかなお手伝いにすぎないが
ウォーキング鍛えた足があるのだから
一歩でもすすんで役にたちたいと思っているだけだ。


有名会のイベント

2008-06-02 23:02:05 | 交流
1日、日曜日の大阪は前日の雨空から一変、快晴の暑い一日になった。

所属している会(会員560名)の恒例の初夏のイベントの日
会として初めての野外イベントを大阪市の埋め立て地「舞洲」で開催
かんかん照りの中を会場まで往復約14キロを歩いてきた。

できることなら堺国際ツーデーマーチの2日目の長い距離を
サークルのメンバーと歩いてみたいと思っていたが
会の前幹事長(OB会長)を昨年までやっていたので顔出しして
励ますのも役目と堺はサークルメンバーに任せて久しぶり
とっておきコースの舞洲へ上陸した。

大阪オリンピックの予定地とされていた舞洲はスポーツ施設が
そろい道も完備していてウォーキングコースにも最適なところだ。

行きは、ユニバーサルスタジオのあるJR夢咲線で終点の桜島へ
そこからユニパーサルスタジオの外周に沿ってすすみ途中で南下
1,400メートルの大きくて高い此花大橋を一気に舞洲めざした

かんかん照りの高い橋の上は暑いが海からの潮風が心地よくて
海派にはたまらない、何度歩いても橋からの眺めはすばらしい

洲が近づいてくると「おや?・・なんだろう?」
と誰もが思う不思議な建物が左右に二つ見えてくる

左の古いほうの建物がこれだ?
なんやろな?
答えは写真の下で


写真の解答 大阪市清掃局舞洲工場 オーストリア人がデザインしたもの

イベントそのものは、従来の室内におけるプレゼンテーション大会から
野外活動で家族含め、各期の交流を推進していこうという試みだ。

バーベキューセンターでかんかん照りの中を炭火で焼き肉を食べようと
食べても食べても尽きない量にとうとうお手上げ
その間もテーブルを自由にまわって交流会
それにしても暑かった。

ひとことあいさつでは、東海道五十三次の経過を報告して拍手をもらった。
昨年の正月のこの会で完歩宣言をしているのでみんな知っているのだ。

イベントを終了して、来た道を歩いて帰ろうとすると会員の男性2人、女性一人が
一緒に歩きたいというので、舞洲の眺望の楽しめる丘に案内した。

大阪湾、淡路島、明石海峡、神戸大橋、空港島、阪神間、六甲山
大阪市内、泉州方面・・・が一望できるところで
大阪市内ではもっとも夕陽がきれいに見えるところだと思っている。

来た道の此花大橋を4人で景色を楽しみながら渡り、ユニバーサルスタジオの
横を通り下車したJR桜島駅ではなく天保山へ渡る渡船乗り場へ。
メンバーの一人が渡船に乗りたいとのことだったので船着き場へ案内した。

大阪市には現在、8ヶ所の渡船が運航しており、市民の足として
大事な役割をしているが、最盛期は29ヶ所あったと聞いている。

桜島側から天保山の船着き場までの乗船時間はわずか3分足らず・・・
それでも、はじめての3人は大喜び、はしゃいでいた。
8ヶ所の渡船めぐりをしながらのウォーキングコースも面白い。


天保山の周辺は、大阪のベイエリアで
大型の観覧車や海遊館、商業スペースがあり賑わっている。


そして、地下鉄でそれぞれの家路に向かった。

自分は、仕事場に戻ってはるかのひまわりの発送のため
名簿の確認をしたり、数を確認したり、あれこれしているとつかれてしまって
自宅に戻ってパタンキュー。

この会は、とにかく元気のもらえる会で
とくに若手のエネルギッシュなメンバーと会っていると
歳を忘れて気分が高まってとてもすばらしい。

堺国際ツーデーマーチに参加。

2008-06-02 22:59:31 | ウォーキング
日本ウォーキング協会、朝日新聞社主催の
第三回堺国際ツーデーマーチ・ようこそ自由都市堺へ
の初日に参加してきた。

あいにくの雨模様、参加者の出足もにぶかったと思われるが
会場につくと堺ブレイザーズの選手が激励にかけつけ盛り上がっていた。


今日はウォーキングシューズ・ワールドマーチでおなじみの
ムーンスター社のマーケティングスタッフで同社が運営している
ウォーカー対象のSNS担当者(サッキー氏)と対面することだったので
短い6キロコースに参加してゴール後お目にかかることにして参加した。

堺市は昔から自由都市を標榜している通り
早くから外との通商交易で発展してきた町だが
なんといっても仁徳天皇陵をはじめとする古墳群が有名で
古代史ファンにはたまらない興味深いところだ。

過去、何度も堺は歩いているが
古墳に集約したウォークははじめてで興味があった。

その古墳群めぐりの6キロコースは、少人数のグループわけで
二人ずつのボランティア観光ガイドがつき
コース内に点在する古墳や史跡の一つ一つを解説し
質問にも答えてくれてという歴史の課外学習型のウォークだ。

短い距離なのでウォーク初心者が多いのかと思っていたが
とんでもないことで、むしろリュックにつけているものから判断すると
日頃からかなり歩いていると思われる人が多かった。

滋賀県から参加のご婦人は県の協会の会員さんで軽やかな歩き
広島から参加のご夫婦の奥さんは熱心にメモメモ
JWAの会員証をつけた男性はスタッフの雰囲気・・・
ちゃんと目的を絞って参加している6キロ仲間だ。

中央会場のある大仙公園内の古墳めぐりのあと
仁徳天皇陵を一周するウォーキングロードへ

さしずめ皇居一周か京都御所一周といったところか

歴史の教科書に必ず載せられている仁徳天皇陵の
正面参拝所からスタートした。



歴史の復習、仁徳天皇陵は、五世紀につくられた前方後円墳で
全長が486メートル、全体の広さは甲子園球場が15個にもなるという
わが国最大で世界三大古墳の一つだ。

ちなみに世界三大古墳のあとの二つとは

ビラミッド、中国の秦の始皇帝陵墓といわれている。

この礼拝所の前には十回以上は来ていると思うが
いつも同じところでこの同じ写真しかとれない。

三重の堀に囲まれた陵内にはだれも入れない
なにしろ天皇家のお墓、宮内庁の管轄だから。

途中から降り始めた雨の中を仁徳天皇陵を取り囲むようにして
点在している古墳について観光ボランティアガイドの方が
ていねいに教えてくれてゆっくりウォークを楽しめた。

このコースには思い出かあり
三年前の2月、大阪府の外郭団体のシニア対象の雑誌に
シニアのウォーキングの特集があり、それに自分が取り上げられたが
その現場取材を受け、写真もこのコースで撮られたものが掲載された。

グループの人たちとも親しく接する時間となりスローウォークは
とてもたのしいひとときになった。


ゴールして完歩カードをもらってムーンスター社の商品展示コーナーへ
担当のサッキーさんが待ち受けてくれており食事をしながら話がはずんだ。

自分の東海道53次ひとり歩きについて、興味をもっていただいており
こんご、なんらかの形で紹介していただくことになるのかもしれない。

そのあと、ムーンスター社のウォーキングシューズの紹介をしてもらい
ずっと前から関心を持っていたシューズも履かせてもらった。

ここでもウォーキング指導員の資格を持つサッキーさんの素早い
動きには驚いた!


関西にもそのSNSの会員がかなりいるのでひとりでも会いたいと
思いつつ早い時間だったが明日のイベント予定があるので戻ってきた。