昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

高校野球予選観戦&ウォーキング。

2011-07-31 22:41:15 | スポーツ-トレーニング

甲子園をめざして高校野球地方予選も次々と
代表が決まってきた
今日は早くも甲子園で練習したチームがある

大阪府予選決勝は毎年のように全国最後になるが
今年も昨日やっと準々決勝が終わりベスト4が
きまった

今日は準決勝戦、二、三日前から観戦に行こうと
思っていたので8時過ぎに自宅を出た

会場は此花区の舞洲にある舞洲スタジアム
JR大阪駅から西九条を経由してUSJから桜島まで
行き球場までウォーキングで行くことにした



このコースは何度も歩いているお馴染みのコース
なので地図もなにもまったく必要がない
USJにそって行くが木陰のない道はきつい



このコースの難関は1400メートルの此花大橋と
その橋に上がる高さ40メートルの螺旋階段は
高度恐怖症には足がすくむ

最初に経験した時は怖くて・・・いまも怖いが
下を見ないで歩くコツ?を身につけてから大丈夫



此花大橋からの景色はすばらしい
ぐるり一回り、視界が広がる



舞洲へ向かって橋をすすむと洲の両側にカラフルで
不思議な建物が見えてくる
最初にここを歩いた時はおとぎの国でもあるのかと思った



これが大阪市環境局の舞洲工場だが
とても工場には見えないね
まるで魔法の館のようで不気味さえ感ずる





球場についたのが10時30分、試合は3回に入っていた

3年前に全国制覇した大阪桐蔭と今年の選抜でベスト4に
進出した履正社の強豪同士の対戦ということもあったのか
内野スタンドは満員になっていた



試合は5-1で大阪桐蔭の勝利
自宅から近くていつも最寄り駅で学生と一緒になる
履正社の応援をしたが残念!

準決勝のもう一試合はさすがにスタンドの暑さに負けて
観戦を中止して舞洲内のスポットをウォーキングした

木立の中で弁当を食べてそのまま寝ころんで
しばらく時をすごした

噴水の水が風でこちらまで流れてきて気持ちよかった




すぐ横の安治川からの川風がとても涼しくてのんびりと
快適な時間を過ごした




舞洲内で一番高い新夕日が丘にのぼった
ここからのながめもすばらしい
360度パノラマ、正面は淡路島、背中は大阪市内
左手は泉州方面、右は神戸方面まで見渡せる
ここからの日没と夜景は絶品!




当初は来た道を此花大橋を渡って戻ってくるつもりだったが
さすがに暑くて汗が目に入って痛い
再び球場前まで戻りバスでJR桜島、仕事場へ戻ってきた。

せめてわが家だけでも涼しく!

2011-07-30 17:37:11 | ひとりごと

また、表紙を替えたの!?

この暑いのに、なぜ、ペンギンちゃん!?

と思われるかしれないが

せめてわが家を訪ねてくださる方には

雰囲気だけでも涼しくして迎えたい!

ペンギンちゃんが相手してくれるよ!

残念、会えないままに!

2011-07-30 17:36:06 | 交流

珍しい方から退職のあいさつ状をいただいた
木村さんのY会で同期生だったIさんからで
郷里の福岡市からだった

IさんとはY会で同期だったがグループが違って
いたので親しく話をしたことはなかった

恰幅が良くて品のある物静かな人で同期の男性では
自分の次に年長者だったと思う

毎年、新年には一筆を添えた年賀状をいただき
いつか会える機会をつくりたいと思いながらも
もう5年も過ぎてしまった

Y会では肩書抜き!ということで仕事の名刺を使う
人は契約業の人くらいで、だれが、何をしているか
もわからないのがいいところだった

もちろんIさんが何をしているかは知らなかったし
自分が何をしているかもIさんは知らなかったはず

そのIさんのはがきを見て驚いた
多分、業界では大手にはいるのかもしれない企業の
大阪本社代表で副社長だったらしい

ほんまに驚いたよ
いまになって、なるほど!と納得できることがある



さらに驚いたのは
自分が社会人になって勤務していた銀行とIさんの
会社と取引があって「証書」を作成した記憶がある

当時の社名が独特だったのでよく覚えている
なんだか不思議な縁があったのに知らなかった

人生でよくあるすれ違いだが、せっかくお互いに大阪
におりながら年賀状だけのやりとり終わったことが
いまとなっては残念でたまらない

数年前に、著名な絵カレンダーを作成している人の
カレンダーを送ってもらって一年間、自宅にかけて
いたことを思い出した

福岡は多分ふるさとなんだろう
これも不思議というば不思議、三日前に某隠れ家で
読書談義をした元エリートお役人も筑豊の人だった
大阪は九州人が多い

Iさんに会っておけばよかったなあ
いろいろと教えていただけたろうに・・・・
今となっては元気で過ごしていただきたいと願うばかり


ここ数年、退職の挨拶状をよくいただく
若い頃、いろいろな出会いを通して交流した人たちが
引退をしてそれぞれの地でゆっくりと羽を休める時期
なんだろう

自分が歳をとったことを改めて知らされる

それにしても特別な交流があったわけでもないのに
大事な職場人生の締めくくりのお知らせを自分ごとき者
がいただくとはうれしいような恐縮するような、さすが
に大きな組織の頂点にたたれた人は違うなあ・・・

Iさんにほのぼのとした一日をプレゼントしてもらった。

放送大学。

2011-07-29 16:21:14 | 本・読書・音楽

社会人大学に入学したいという夢は種々の事情があり
それがクリアできなくて完全に諦めた

それに代わるものとして「放送大学」のことを調べたら
10月にも入学ができることがわかったので資料と願書
を取り寄せた

放送大学の名前だけはよく知っていたが果たしてどんな
勉強ができるのやら・・・



驚いたのはきちんと勉強すれば様々な資格がとれる
キャリアアップにも大いに役立つがそれには時間と
なによりもそれなりの学費が必要であること

ただし一科目から選べる科目履修生がありこれなら
好きな科目を勉強することもできることがわかった

授業は10月からBSデジタル放送で行われる
だから時間も制約されるのでそれなりの覚悟をして
臨まないとそう簡単にはいかないだろうと思う

絶対にこれが受けたい!という科目がいまのところは
ないのでどうしたものかと思案している

理想は通学して若い人たちと学べると最高なのだが
テレビ相手では時間の管理がむずかしいな
続けられるかと問われればあまり自信はない

でもやりだしたら続けるだろうけど・・・
勉強したいことはいくらでもある、あるある!

昨日、気分転換がしたくて久しぶりにさる隠れ家に出向
いたら顔見知りの元エリートお役人さんペアと遭遇した

終戦日前ということで幼き日の戦争体験から政治、経済、
歴史、原発、中国、アジア、沖縄、安保に教育談義・・
本(読書)の話では大いに盛り上がった、リタイア組は
時間とお金をもっているので、うらやましいほど本を
読んでいる・・・学生時代に身に付けた読書習慣だろう

この間読んだばかりの「日本の誇り」(藤原正彦著)は
読んだ者同士だけに本気になった
塩野七生、佐々淳行、石原慎太郎の著書も出たなあ

「文芸春秋」の8月号を読んだか?と聞かれて、あれ
しばらく文芸春秋は読んでないなあ、早速買った
なんだ塩野七生が登場している



飲んでカラオケもいいが、それよりもじっくりと会話の
できる仲間がいい
いまはそんな時間がなくなってるよね

活字がないと生きていけない活字依存症かもしれないが
ただ酒飲んでグデグデで言って終わるよりもましだな。

あれから3年、天竜川を渡った感動の日!

2011-07-28 16:38:24 | チャレンジ

今日は7月28日、大阪は曇り空、暑さも少しましだ
この日が来るとどうしても忘れられない情景が浮かぶ
そして感動がよみがえってくる

3年前の今日は、京都三条大橋をスタートして東海道
五十三次ひとり歩きで遠州路の天竜川を渡った日だ

1泊2日の日程で27日が新居町(新居宿)から浜名湖
を渡り舞坂宿、そして浜松まで歩いて1泊(浜松宿)
暑さにくたくた、当日の浜松の最高気温が35度を越え
ていたと記憶している

浜松では2人のウォーキングサイト仲間が出迎えてくれ
名物のうなぎを食べながら楽しいひとときを過ごした

翌日、浜松城によりもっとも楽しみにしていた天竜川へ
暑さと夕立に遭うなど厳しい状況の中を待望の天竜橋を
渡ることができた(見附宿・磐田市)

東海道53次を歩いて一番感動したことは?と聞かれたら
箱根峠よりも文句なし天竜川を渡ったことと答えている
この橋を渡ってもお江戸までの距離はまだ半分にならず


今、あのコースを二日間で歩けといわれても遠慮する
それだけきつかったのと当時より体力が落ちているから怖い

それでももう一度、天竜橋を歩いて渡りたいと思っている
その気持ちはいささかも衰えていない
多分、いつの日かコースを短縮しても歩きに行くと思う

思い出すだけでもわくわくして元気になるなあ・・・
思い出の夏、思い出の道、68歳のチャレンジ物語!

さて今年の夏の思い出づくりは・・・どんなことで?

当時の二日分のブログ
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/080f54437a743ea87b708a562180d968

HPの記録20年7月27日
http://www.human-dy.com/tokaido-14.20.07.27.html
20年7月28日
http://www.human-dy.com/tokaido-15.20.07.28.html

男の更年期?!

2011-07-27 18:07:15 | 健康



高年期ならわかるが男にも「更年期」があるらしい

その更年期をいかに乗り切るかで女性も男性も老化
に大きく影響してくるそうだ

そういう意味では老化予防は更年期対策にかかって
いると言っていいのかもしれない

たまたまお世話をしているウォーキング倶楽部会員の
ことでどうしても気になることがあってついつい口出
ししてしまった

間違ったことを言っているつもりはないが、言った後で
「もし少し柔軟に考えてやれないか?」という反省に
はじまり「頑固?」「偏屈」と自分を追い込んでしまう

歳とともに見方が狭くなったり考え方が固くなったりして
”ああ頑固になったなあ”と自分で感ずることがある
まわりの人もそう思っているかもしれない、気をつけたい
これも老化現象なのだろう

新しい「発想」が生まれない!
昔と同じ「パターン」だ!
「変化」も「進化」もない!

頭が固くなって融通が効かなくなっている自分の老化
をこんなことで感じてしまう

それが個人的なことならいいが、仕事への対応や人間
関係にかかわることになると老化現象ということでは
問題解決にならない

例によって憩い?の書店に寄ったらこんな本があった



著者には「老化は感情から始まる」という著書があり
ずいぶん前にここでも紹介した記憶がある

老化は前頭葉の機能が低下することから始まるそうだ

「些細なことで腹がたつ」
「人のやっていることが許せない」
「癇に障る」
もうひとつおまけに
「あいつはア管!」

駅員にくってかかるお父さん
すぐ怒る暴走親父・・・

あー、オレ、オレ・・・俺と一緒や!
と思う人がここにもいるはず、あんたもや!

要するに前頭葉の機能低下で感情のコントロールができ
なくなってきたためだそうだ

やっかいなのは、思考が固定化してきて明らかに老化して
いるのに、知能テストで測れるような能力はほとんど落
ちないので普通に仕事をしていれば能力的には変わらな
いそうだ、つまり老化が本人にも周りもわからないという
ことかもしれない

これが「思考の老化」というんだそうだ

そのために古いパターンで仕事の指示をしてしまう
気がつかない「老害」というやつや!

変化への対応は、意外とできるタイプと自負しているし
思考パターンの柔軟性、これは日々の気づきノートなど
で訓練しているつもりだがどうだか?

いつまでも若くいたい!
少しでも老化を遅らせたい!
その鍵は・・・少し勉強した!

でも、でも、手遅れ?ちゅうことじゃないやろな?


本の中にこんなテストがあった
よし、やったろ!

勇気?自信?がある人、あきらめの人?もやってみたら!





それで結果は? 26点。


軽度「男性更年期の始まり」だとさ!

ぎゃふん!

「黒」が書店に流行している!

2011-07-26 23:04:39 | 輝いて生きる

ひまさえあれば書店をのぞくのが好きで
仕事場の行き帰りに大抵は立ち寄っている

その書店で気がついたことが二つある
一つは以前ここに書いたことがある

①「年齢本」(これは自分流の表現)が多い

 ○○歳までに・・・
 ○○歳から・・・
 
 ほとんどが男性を対象とした内容だが
 次から次へと40歳まではほとんどの年齢本が
 あるのではないかと思うくらい発刊されている

 果たして売れるからか
 書きやすいからか・・・わからないが
 自分の年齢に該当すると手にとりたくなるんだろう

②もう一つは「黒表紙」の本がやたらと目立つ

 多分、いま、よく読まれている
 「ニーチェの言葉」が黒表紙で登場してから
 急に目立って多くなってきたように思う

なんとなく落ち着いて男性的な雰囲気があって
哲学や経営、ビジネス、心理、政治、経済書等かな
読まれている本の再販本で黒に替えているのもある

売り場が黒っぽくみえる
多分、男性がよく読む本のコーナーに目立つ
新刊書のコーナーも黒が目立つ
女性がよく読む本だったら黒はどうだろう

ちなみに先週にここで紹介した
鳥越俊太郎さんの「がん患者」も黒表紙だ
一時の流行なのかどうかは知らないが

よくカラーはその時代の動向に関係するというが
東北の大震災とか原発問題の解決が見通したたず
社会に暗雲立ち込めている世相の反映か?

気になれば書店をのぞかれるのもいいだろう。


なつかしい再会、絆はいつまでも!

2011-07-25 23:22:50 | 交流

今日は古いウォーキング仲間のHさん夫婦とIさん
との待ちに待ったなつかしい再会日
朝から落ち着かなくて時計ばかり見ていた

待ち合わせのJR環状線N駅に集合時間の18分前
に着いたらなんと全員勢ぞろい!
みんな早く会いたかったのだろう・・・

何年ぶりか・・・かれこれ4年になるなあ

もう10年も前のことになるが
大阪の某歩け協会の例会で出会ったのが縁でそれ以降
気が合って親しく付き合いが続いた

Hさん夫婦は協会理事として中心的な立場だった
とくに奥さんはちょっと年増だが協会の看板娘?
会長は知らなくても奥さんを知らない人はいなかった

それくらいの有名人で人気者だった
ウォーキングの事でラジオやテレビに出演したり生き方
を本にして発行するなど大活躍をしていた

プライベートでも今日の4人で飲んだりカラオケしたり
・・・優しくて、怖くなくて?
ウォーキングの師匠でよくしていただいた

現役をリタイアしてから歩け協会からも勇退したあと
山歩きの会を設立し今では大勢の会員を擁してアルプス
まで活動領域を広げて楽しんでいる

その他、地域の公、民のお役を沢山もっていて多忙を
極める活動にはこちらは足元にも及ばない
とにかく仲良しで笑顔の絶えないすばらしい夫婦だ

Iさんも元協会の役員さんだったがすでに勇退している
かって自分が主宰していたウォーキング倶楽部では
リーダーとして全面的に協力をしてもらっていた

人好き、世話好き、会話好きで周囲を明るくする得難い
存在で女性会員には絶大の人気があった
Iさんが善玉、自分が悪玉だった

7年目でいったん倶楽部を閉じようとしたときに気持ち
よく引き継いでくれいまも倶楽部の活動を続けている

それがあったから現在の倶楽部を立ち上げるきっかけに
なったのだからありがたく感謝している

まあ本家と分家みたいなもんかな!
たまには合同例会もいいかなあと思ったりするのだが
うちのそれなりの美人会員をIさんに盗られそうで・・

昨日の摂津峡はどうでした?とわが倶楽部のHPを
見てくれているらしい・・・それなりの美人会員を
隠しておかないと狙われているかも、やばい!

日頃会うことはなかったがお互いの友情に代わりなく
久しぶりの再会もその間の時間はまるでなかったよう
いつもの調子で話好き同士だから賑やかなこと!

積もる話においしい料理にお酒で
あっという間に時間が過ぎていた
元気でいたらいつでも会える

大阪駅でIさんと別れた
いつもの別れとまったく一緒で・・・
不思議な気がした

まだ現役でバリバリの技術者
いつか一緒に歩こう!

猛暑のウォーキング例会。

2011-07-24 21:43:49 | ウォーキング


ウォーキング倶楽部の7月例会の日、朝から猛烈な暑さにメンバー全員が無事に完歩できるようにとお守りを二つリュックの中にそっと忍ばせて家を出た!
東海道の三島神社のお守り、熊野古道の熊野本宮大社のお守り、リュックの中で仲良くしてもらえるかなあ・・・。

今日のコースは高槻市の北に広がる摂津峡、集合場所のJR高槻駅に9時半、13名の元気な顔がそろった。
先月の山の辺に続いて今回も担当は女性で看護師のYちゃん、きちんと下見をして準備は万端、一番暑い時期なので熱中症がこわい、事故がないように気温の上がらない昼過ぎまで、距離も12キロと短く、看護師Yちゃんの心配りに任せていざスタート、駅前の芥川商店街をさっそうとすすむ。


今回は初参加者(お試し参加)がいるので自分はアンカーでサポートにまわることにした。
駅前の賑やかな芥川商店街を行くと西国街道へ続く、西国街道は江戸時代に京都と西宮を結ぶ脇道で通称山崎街道と呼ばれ、参勤交代の大名や旅人が行き通った旧街道、このあたりは徳川時代に宿場町「芥川宿」として栄えたところ、いまもわずかに格子窓の家が昔の面影を残している、その街道の途中に旅の道しるべとなった芥川一里塚がいまも残されていて大きな榎が立っている、ここで記念撮影をした。



しばらく行くと市の中心を流れている芥川にかかる芥川橋へ、橋をわたり川に沿って北へ方向を変える、初参加者にはウォーキング歴や日ごろの歩きについて事前にメールで確認はしていたが実際は目で確かめないと歩力はわからないのでアンカーを務めてとくにその人の足元に気を配りながら桜並木のゆめ桜通りを一気にすすんだ。




久しぶりに集まるとついつい話に夢中になって狭い歩道を三列になって自転車の邪魔をしてしまう、後方から何度も道の片側を空けるように声掛けしたがとうとう堪忍袋の緒が切れてどなりまくった。やめさせるぞ!これ最高の脅しの一発!自転車も車道を走れ!暑いとこちらも暴走じいさんになっしまう。

うす雲りでかんかん照りではないが暑いことに変わりはない、せせらぎでは大人から子供まで網をもって魚を追っていたり水遊びを楽しんでいる・・・ああ親子の夏休みなのかなあ。


大型観光施設のあくあピアで休憩、みんなそれぞれの暑さ対策をしていて面白い!
自分は凍った保冷剤を適当にタオルにまいて後ろ首を冷やすようにしたが効果があったのか暑さ負けだけはしなかった・・・
ちょうど3年前の7月後半に一泊二日で東海道五十三次ひとり歩きをした静岡県新居町→浜名湖→浜松→天竜川→磐田間で経験した猛烈な酷暑歩きに比べればこれくらいのことへっちゃら!といい聞かせながら歩いた。でもあの時は60代で若かった?な・・・。油断は禁物。




緑道も川上に行くに従って広がりやがて芥川緑地へ、ここから風景は一変、木々のトンネルを右に左に行く、眼下の川原ではせせらぎを水遊びやバーベキューを楽しんでいる人たちを木々の間から見ながら緩やかな坂を上りつづけると白滝茶屋へ着く。




ここからいよいよ摂津峡の渓谷歩きが始まるが、目的地の白滝まではさほど距離はなくてすんなりと11時20分に到着、ほぼ、時間通り。ここは4年ぶり、全員集合写真を撮ってしばらく滝の涼をもらって元来た道を高槻駅を目指す、ゴール目標時間は12時50分、後半は下り道だし見学個所もないので間に合うだろう。




川原のせせらぎに真夏の太陽がまぶしく反射して気を引き締める、前を行くメンバーの足取りは大丈夫、初参加のメンバーとできるだけ一緒に歩くようにして時間通り無事にJR高槻駅に戻ってきた。



ウォーキングはこれで終わったが、7月は恒例の暑気払い、ゴールで飲みたいビールもみんな我慢をして、次の暑気払い会場の大阪駅前に向かった。

会場は阪神百貨店のレストラン、ここは男性のYさんが担当、始まる前にみな着替えをして、あれ?Kちゃんおしゃれしてる!やっぱり女性や!みんな変身をして予約していた席へついた。
倶楽部の名幹事Yさん、神戸人が大阪で仕切る、趣向を凝らして大阪検定問題の答当てにはみな本気、商品まで用意して楽しませてくれた。
(大阪検定 やってみなはれ!30問 正解1位 Hさん)


最後はみんな想定外のイベント!
要ダイエットおじさん三人組のお腹周り公開サイズ検査、腹出してここは看護師のYちゃんの見事な仕切りで測定完了、三人のお腹はほんのり赤かった、初めて知った、お腹も酔っぱらうのだ!
次回まで数字を下げていない人は倶楽部を辞めてもらいます!とここも脅しの一発!
このイベントに過去、遭遇していないメンバーは、はらはら・・・
こんなのセクハラ? ハラハラ?
男ばかりではないぞ、笑っていたお姉さんたち、油断するな。

1月からお試し会員を続けてきた兵庫県の遠方から参加のKさんの「お試し」をとって正会員に昇格の許可を発表した、7ケ月間もよく辛抱した!会員の印、倶楽部のバッチを贈呈したらさっそく胸につけていた、うれしかったのやろな・・・それにしても7ケ月、成績?下積みが長すぎた。
今日、初参加のNさん、すぐ会員になれないんですか?あったり前や、下働きもしないで!
(リーダーCさんより配布資料)


暑気払いは終わり、5月に大変貌を遂げたJR大阪駅の商業施設見物をすることになり女性軍についておじさん軍はあっちへうろうろ、こっちへうろうろ・・・三越がやっと念願の大阪駅に進出、それも三越伊勢丹で(阪神大震災で傷んだ三越大阪店は閉館していた)登場。
老舗の阪急に大丸、阪神と三越伊勢丹で大阪駅は4つのデパート戦争が始まった、デパートに行くことのないおじさんにはまったく関係ないことだが、うわさの駅の屋上に行って驚いた。


庭園、菜園が広がりスイカやピーマンやきゅうりや白なすまで実っている、もっとおろろいた?のは小さいながらも水田までまであって稲が見事に成長している!植えたのは園児らしい。




こうして7月の月例会&暑気払いは無事に終わった、来月は標高1000メートルの高野山の山上を歩く、これもはみんなが楽しみにしているコース。

ほんとうにいいメンバーに恵まれてありがたいと思っている。
この人たちのためにも年長の自分が何かで頑張っている姿を見せないと老害をまき散らすだけに終わってしまう、見捨てられないようにがんばろう!

暑さの中を新しきことへ始動!

2011-07-23 17:50:16 | 交流

蝉の合唱におそい目が覚めた
今年はじめて聞く蝉の声がひびく
いよいよ来たな夏ほんばん!

その通り朝からかんかん照り
こんな日は出歩くより雲隠れに限ると
仕事場の整理に一日を充てた

自宅のリフォーム予定で一部の荷物を
仕事場に持ち込んでいたために
部屋は余計に雑然として整理が必要だった

こちらも本や書類が部屋を占領していて
段ボールに何個か処分したが
きちんと整理ができるまでは時間がかかる

8月後半には仕事場の一部を活用して
3ケ年計画の一つとして予定している
新しい交流の場を開設するつもり

昔にやっていたHMCの復活版だが
(human management club)
今度は高齢者も歓迎して広く学びあえる
刺激的な交流会を立ち上げるつもり

このブログに当時のメンバーはいなので
ここで関心のある人がいたら迎えたい(99%)
それにしても汚いなあ・・・。



高校野球の地方予選で母校が気になったので
調べたら7月11日、県予選1回戦で×!
あまりに早すぎるぞ後輩たちよ

まあ昔からそんなもんだったな
それでも野球殿堂に1人入っているんだから
不思議、わからんなあ・・・。


続・71歳を生きる!

2011-07-22 19:22:40 | 健康

昨日の続き・・・

鳥越俊太郎さんの著書「がん患者」は同じ71歳として
残された人生をいかに自分の生きる力を集約して前向き
に過ごしていくかを問われているような気がした

去年の秋にこのブログにも書いたが
定年を1年後に控えた現役ばりばりの知人が
がんの発見後わずか4ケ月で亡くなった
見舞いに行って17日後のことだった

見舞った後、別れ際にその友人が号泣した
それを奥さんに話していたらしく亡くなって
奥さんからいただいたはがきにも書いてあった

http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/5b00da65c3cfb5363db3f2ec69c92cc1
http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/43611d2c9af546c4c0c58464b6d320a9

その号泣がどんな意味だったのか知る由もないが
多分、もっと生きたかったのだろう
死んで行くことが悔しかったのだろう

現役を燃焼したあとの
定年後の夢も描いていたはず
みんな残したままに・・・

そう思った

あの日以降、よく言ってきた100歳まで生きる!
と簡単に言うことができなくなった

簡単には生きられないよ!
いつなんどきなにがあるかわからないから
いまを一生懸命に生きてください!
知人はそう教えてくれているような気がする

決して弱気ということではなくて
むしろ強気でまだやれることがある
やりたいことだけはやったおきたい

震災で伊勢街道歩きを中断してわかったことは
シリーズ式ウォーキングに日程を優先してきたため
他のことを疎かにしてきたところがあった

まだ時間は先に沢山あるかもしれない
もしかしたら残りが少ないかもしれない
こればかりはだれにもわからないこと

どちらでもいいように
いまやりたいこと
いまできることをやろうじゃないか!

いまはそんな心境にある
知人のためにも目の前を大事にしよう
その積み重ねの日々が寿命を決めてくれる

鳥越さんの「がん患者」は「生きる」ことを
楽しもう!という案内書と思うことにする。


71歳を生きる!

2011-07-21 23:23:23 | 輝いて生きる

なでしこジャパンが勝った!
魁皇が惜しまれて引退した!
どちらもすばらしいニュースだった!

一方でこんなニュースもあったが書けなかった
元サッカー日本代表監督を経験した森孝滋さんの死
左腎盂(じんう)がんで67歳だった
あのメキシコオリンピック銅メダルの主力メンバーで
郷里広島出身、弟の高校二年先輩でもあり応援していた

さらに俳優の原田芳雄さんもがんで亡くなった
結腸がんから併発した肺炎のためだそうだが71歳
昭和15年2月29日生、自分より45日早いだけ

71歳か・・・・

書店に行くとジャーナリストの鳥越俊太郎さんの新刊書
が目に飛び込んできた

   「がん患者」



鳥越さんも71歳、昭和15年3月13日生まれだから
4月13日生まれの自分とはちょうど1ケ月違い

鳥越さんも原田さんも1学年先輩に当たるが同じ71歳
いやでも71歳を意識せざるを得なかった
とくに日ごろから鳥越俊太郎さんのファンだったから
というよりあこがれの人だからその本が気になった・・

同じ年齢なのにあの存在感、それも常に笑みを絶やさず
言うべきことははっきりと発言するところが気に入ってる

鳥越さんが以前にがんの手術をされたことは知っていたが
すでにそんなことを忘れるくらい元気に活躍しているのに

いまごろ、なぜ、がん患者を?

本の内容を確認しないまま読みたいという衝動に駆られて
買って三日間で読んだ

「がん患者」には鳥越さんの大腸がん手術からちょうど5年
経った日、執刀医の先生から”今日で5年目ですよね・・”
という電話からはじまり、今年の4月終りまでの鳥越さんの
がんとの闘いを4度にわたる手術を含め経緯が書かれている

著書を読んだからといっても元気に頑張っている鳥越さんの
ことを間違って書いてはならないので本の内容にはふれない

いまもがんと闘っている鳥越さんが、がんを公表したのは

”世の人のためにも、それは参考資料だったり勇気のかけら
になったりすると考えてきた、これが本を書くようになった
最大の動機である、と書かれている

がんになって「残り時間をしっかりと考えるようになった」
「残り時間がリアリティをもって身や心に迫ってくるのだ」
「残り時間が少なくなってきて、生まれて初めて生きている
のが楽しくなってきたのだ・・・楽しい状況でも楽しいと意識
することはあまりなかったが今は自覚的になったようにと思う
そんなことがまとめにされている

「取材者・鳥越」と「がん患者・鳥越」の両方の立場で客観的
に詳細に整理、記録されていて読み応えがあった

同じジャーナリストで3年前に亡くなった筑紫哲也さんとの
がん患者同士の往復書簡には驚いた

日本は完全に”がん大国”になった
日本人2人に1人はがんになり
3人に1人はがんで亡くなるそうだ

”自分もがん予備軍の1人である!”
確率は極めて高い
これを忘れてはならない

鳥越さんは古希になってから新しい3つのことをやられている
それも生きることを楽しんでいるからかもしれない・・・

そうそう、表紙の写真、鳥越さんの裸の上半身が同じ71歳の
自分とは違う、自分の裸は手術跡も醜いし人に見られたくない

笑顔もすばらしい、いざという時のため、鳥越さんのこの本は
大事にしたい!

この続きは明日にしたい。


魁皇、よくやった!

2011-07-20 17:22:59 | 輝いて生きる

魁皇が昨日の取組後に引退を発表した
ほんとうによくやった
お疲れさまでした!



まだ入幕してまもないころからの魁皇ファンで
プロフィールの好きな力士に魁皇と書き続けてきた

インタビューにいつも誠実に応える人柄が気に入っていた
同期の若貴や曙の陰に隠れるようにこつこつと取り続け

5度も優勝しながらとうとう綱を締めることはなかったが
だれよりもたくさんの☆星をファンに与えてくれた
通算勝利数1位の1047勝は破られないだろう

得意の右上手を捕ると怪力を発揮し
小手投げの切れは必殺技だった

「魁皇の人生はすばらしかった!」

と自分のことを評しているがこれは名言
こうして自分を客観視できるところが
長い土俵生活を支えてきたのかもしれない

相撲界の浄化と後進の指導のために
貴乃花親方と指導者として能力を発揮してほしい



きのう、今日の新聞、テレビはなでしこさんばかり
だから今更なにも言うことはない
リーダーの澤選手はピッチの監督だな、すごい!

ただひとつ注文がある・・・
ねがわくばショートカットのすっきり澤さんなら
もっと格好よかったのに・・・

極めて個人的なことだが女性の髪型は短いのが好き
自分の好みに過ぎないがきっと似合うと思うよ
(自分はマルコメ型丸刈り頭・・・関係ないか)

メンバーに会った管さんはなでしこさんのように
最後まで一生懸命に頑張ると言ったらしいが
それにはなでしこさんからマネジメントを学ぶことやな!


心に棲みつくものを持とう!

2011-07-19 18:02:29 | 交流

昨日の15時から16時までNHKで
「若者よ君達に日本は任せられるか」
という特別番組があった

建築家の安藤忠雄さんが大阪大学の学生
500人に「若者よ立ちあがれ!」と呼び
かける講義とトーク番組だった

学歴がないのにアメリカの大学や東大で
学生を教えていたという安藤さんに大変
興味があって楽しみに番組を見た

さすがに賢い学生達と安藤さんの熱心な
討議が続きノートにメモ書きもした

”パソコンばかり相手にしないように!

外に出ていろいろなものに出会えという
ことだと思ったが学生の反応は分かれた

安藤さんいわく

”一方通行はむなしい”

人は会うことから広がる、会わないのは
もったいない、若者は人と会うことを避
けていないか?
と問いたかったのかもしれない

これは自分が常に思っていることだから
強く心にささった

還暦になるまで自分の仕事場は「たまり場」
と称して夜になると会社帰りのビジネスマン
が週に数回、本に酒や食べ物を持って集まり
勉強会を開きながらフリートークをかなりの
年数やったものだ
雑誌や新聞の取材、掲載もされた

それが高じて体調を崩してすべての会合を
閉鎖し始めたのがナイトウォーキングだった

あれから11年、自分もいつのまにかPCを
相手にした人間関係や一方通行のブロガーに
なってしまった・・・・
今になって思えば一番大事な生の人間関係を
疎かににしてきた反省がある

安藤さんは建築の仕事を
「人が顔を合わせる場所を作る」
といっていた

”立ちあがれ!”と言われて何で立ち上がる?
という疑問に
”自分の心の中に棲みつくものを持て!”と
言っていた

それがあれば創造性が持続できるとご自分の
建築家への自立の道を話していた

本物の学者ではないから理路整然とした話では
なかったが、安藤さんの人間力がことばの端々
にあって学生たちを引きづり込んでいた

テレビながらとてもすばらしい1時間だった

3ケ年計画の一つに今の仕事場を10年前の
ようなスペースに復活させて「心のたまり場」
にしたいという構想を持っているが安藤さんの
話を聞いて早く実現させたいという気になった。

男は、歳とともに孤立、孤独になっていく
PCの人間関係は所詮PC関係で頼りないもの
大事なことは生の人間関係だ

行くところがない
会う人がいない
することがない

それではあまりにさびしい
自分もその一人になるのかもしれないと思うと
他人事よりも自分のためにも双方通行の場を
自分のスペースを整理してたちあげよう

これが今年の後半にやることだ

心に棲むもの・・・育てよう。

なでしこジャパン、日本人の誇り!

2011-07-18 21:31:38 | ひとりごと

サッカー・女子ワールドカップ決勝で
なでしこジャパンが世界ランク1位の
米国を降して念願の初優勝!

あっぱれ、なでしこジャパン
よくやった
おめでとう!

もちろん期待はしていたけれど・・・
「まさか」?が
「真坂」になった!

シュート数はアメリカの27本に対して
日本は半分の14本だったが

ボールの支配率は日本が53%でチームと
して全員でボールをキープして絆の強さで
戦ったことがよくわかる

仲間を信じ劣勢でも組織として90分を
戦い抜くという日本人の特性を発揮した
勝利だと思う

日本人らしいひたむきさと最後まで諦め
ないで頑張り続けたプレーは日本の女子
サッカーのみならず日本人の評価を高め
たに違いない

やっぱり日本人はすごい!

そんな彼女たちを誇りに思う!

大震災という危機に日本人が示した行動が
美しき心をもった国民性と世界に高く評価
をされ感動を与えなでしこジャパンの活躍
はさらに日本人を世界に発したものと思っ
ている

一方でいまだに続く政治の混乱や対応ぶり
は日本の政治力を著しく下げていると思う

それがどんなに国民から日本人であること
の誇りを奪い去ろうとしているか・・・

なでしこジャパンの快挙はふた月前に読ん
だ数学者・藤原正彦さんの「日本人の誇り」
と思いが重なった



危機に瀕し難局にある日本がそのことに立ち
向かうためには日本人が失った誇りと自信を
取り戻すことに原点があると書かれていると
思う

六年前にヒットした「国家の品格」を引っ張り
出してみても日本の格はどんどん沈下している
とさびしくなる




まず政治家が政治家である前に一人の日本人
として誇りある人物になってほしい
そうすればもっと誇りある政治ができるはず

子供にまで揶揄されるようなお粗末発言を懲り
もせず繰り返す国のトップのことを思うと

なさけないやら
恥ずかしいやら
お粗末すぎる!

「日本の品格」とはなにか
「日本人の誇り」とはなにか

それをどう考えているか
国会議員にアンケートをとってみたいよ

なでしこジャパンのように体を張って
被災地へ行って復興と戦う姿を国民にもっと
見える政治をやることだ!

そうすれば国民も信頼してついていく!

あー、また、品のないことを書いた!
もう書かないといったのに。