昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

広島市内文化ゾーンを親子ウォーク。

2008-09-29 23:22:12 | ウォーキング
27-28日、ふるさと広島に滞在して。

母の見舞いとカープの試合を観戦した翌日は
広島市内の文化ゾーンを親子ウォーキング。

9時にホテルを出て息子が希望した比治山へ
電車沿いに歩いて行く。


広島にはいたるところに原爆慰霊碑がある


そして折り鶴をみかけるのも広島だ。


いつか原爆慰霊碑めぐりウォークをしたいと思いつつ
実現していないが必ずやりたい、それも暑い夏に。

比治山神社に寄って急な坂道を上り比冶山の頂上へ

ここには漫画図書館と市立現代美術館があるがパス
市内が一望できる展望台へ行く、ここは三年ぶり
百万都市広島の発展をみるにつけ
被爆当時だれも想像しなかっただろう
七十年は草木も生えないといわれたのだから・・

すぐ近くにあるかまぼこ型の放射能影響研究所・・・多分
日本に一つしかない施設だと思う。
自分が広島にいた頃は、ABCCと言っていたと記憶している。


山を一気に下って比冶山下へ、そこからいったん広島駅へ出て
朝食と昼食兼の広島のお好み焼きを食べる、なにしろ人気のお好み焼き。

腹ごしらえをして広島の名園「縮景園」へ
県立美術館、世界平和祈念聖堂をまわり
折り鶴少女でおなじみの佐々木禎子さんの母校
広島市幟町中学校にある折り鶴の碑を訪ねる。


縮景園は、広島藩主浅野長晟が別邸として作ったもの


池の中に大小10の島があり
まん中には橋がかけられている回遊式庭園で実にきれいな庭園だ。


市内の真ん中にありながら静かで落ち着いた広い
この庭園に外国人もたくさん訪れていた。

そこから護国神社へまわって広島城へ
広島城は、毛利輝元が天正17年(1589)年に築城にかかり
福島正則が整備し完成させた。以後、浅野長晟に始まり
浅野家が明治2年の版籍奉還までの250年、12代に渡り
藩主を勤めた。


・広島カープの名前の由来・

広島城は別名を「鯉城」といわれている。城のあたり一帯が
己斐裏と呼ばれ、己斐の音が鯉に通じることから呼ばれるよ
うになったと伝えられている。
広島カープは、この鯉(carp)に因んで名づけられた。

広島城は原爆で天守閣わはじめ城内の建物を焼失した
現在の天守閣は昭和33年に復元されたもの。
城内にも原爆の足あとがいたるところに・・・
被爆の木・・手厚く保護されている原爆の証言樹木だ。


ここから原爆投下の第一報が・・・中国軍管区司令部地下通信室
ここは地下室になっていて被爆を免れた学徒動員の比冶山女学生が
軍事専用電話を使って原爆の第一報を伝えた。


現在はこのようになっている。


復元された二の丸・御門橋と表御門。


最後は、再び広島市民球場前まで歩いた
すでに市民球場での最終戦は行われていたが
球場周辺は名残を惜しむように記念撮影をする人や
グッズを求める人たちがたくさんいた。



そこから路面電車で広島駅へ


3時過ぎの新幹線で広島を後にして息子は新大阪で途中下車
家内と三人で新大阪駅で食事をした。
あわただしい二日間だったが親子で楽しい時間を過ごすことができた。

さようなら広島市民球場、思い出の球場。

2008-09-29 20:34:57 | カープ
続き
2008年9月27日18時から始まるカープ-スワローズ戦の観戦

広島市民球場の閉幕を控えた前日の試合の指定券を息子が
確保してくれたので安心して球場へ

正面の電車通りから見なれた球場の最後の姿をみて


球場横にある日本シリーズ優勝3回、リーグ優勝6回の
モニュメントへ、カープ黄金時代のことが蘇る


市民球場は昭和32年、ナイター設備をもった
球場として完成した、高校二年生のときだった

それまでカープが使っていた県営球場(総合グランドと
言っていた)はナイター設備がない上に市内でも足場の
悪いところだった。
広電の古江という駅から歩いて渡し船で川を渡って行っ
ていたことを覚えている。

セリーグ発足時にチームも設立
被爆都市広島の復興の希望の象徴としての使命をもって
広島の財界と市民、県民の寄付によって設立した
広島カープだったが、とにかく弱かった。

父親に連れられて県営球場によく行ったが
いつも負けてばかりで父がよくこぼしていた
そのころから、もちろん、カープ。

親会社の名前をつけたチームと同じ環境にあったら
何度もつぶれたチームだが、親のいないチームであったことが
このチームを救ってきた。皮肉だ。

経営不振になり選手の給料が遅配になる
球場前には大きな酒樽が用意されそこに市民が
募金を賽銭のようにに投げ込むことで支えたきた。

父が小銭入れから小銭を入れていたことも覚えている。
あの頃は、まだ、小学生だった。

すっかり有名になったカープの酒樽募金は
今度の新球場建設でも行われたと聞く。

こうして地域に密着し愛され熱烈なファンに支えられて
今日まで、都市名をはずすことなく、市民球団として
また、地方球団の先駆者として存続してきた
広島カープを誇りに思う。

FAでチームの主力選手を同じリーグのチームに獲られても
相手チーム憎さよりも、自前で選手を育てながら
健気に戦う選手とそういうチームのファンであることを
晴れがましくさえ思う。


久しぶりのスタンドに足を踏み入れて
おーやっぱりふるさとの球場はいいなあ・・・
子供から年寄りまで赤、赤、赤・・試合開始前からスタンドが燃えている。


試合は、ルイスの好投でカープの勝ち
最初から最後までカープファン独特の応援はすさまじくて楽しい
自分も知らない応援の仕方や歌に戸惑いながら
勝って最高のプレゼントをしてくれた。


息子とさっそく祝勝会をすることにして
繁華街の鹿児島料理の専門店へ
ここで九州の友人Yさんから聞いていた「きびなごの刺身」
とビールで乾杯。



あとは、鹿児島の焼酎とおいしい料理で
夜の広島を親子は楽しく過ごした。


いま、来年のシーズンから新しいカープのホームになる球場建設が
すすんでいる、新幹線からもみえるように工夫されていると聞く。
左右の外野スタンドまでの距離も違うという大リーグのグランドに
近い球場のようだ。また、ふるさとに楽しみが増える。

県外にいる県人にとってカープはふるさとだ。がんばれカープ。
  



母の見舞いに息子とふるさとへ

2008-09-28 23:23:31 | 家族
東京で超多忙なビジネスマン生活を送っている息子が
おばあちゃん(母)の見舞いと広島市民球場のカープの
試合観戦の予定がとれたので行くと連絡があったのが
二週間前、それなら一緒に行こうということで、きのう
新幹線広島駅で落ち合った。

息子にとっては一時期、母親代わりだった祖母(自分の母)は
忘れられない大好きなおぱあちゃんなのだろう
大阪の自分の家に帰らなくても広島へは行くという。

家内のお腹にいた六ヶ月目からずっと母子で入院していた
出産後も母親は状況が悪くて産婦人科医院から救急車で
大きな病院へ搬送されて入院生活が続いた
生まれて数日後、母親から切り離された息子をひきとって
しばらく育ててくれたのがおばあちゃん
お互いに大事な大事な存在なのだろう。

息子は、五月の連休以来、今年で二度目の見舞いだが
記憶が定かでないおばあちゃん、じっと息子の顔を見ていたが
何分後か、息子の名前を口にしてくれて
その手をとって話しかける息子に思わず涙がでた。

今回が最後かもしれないよと息子には言い続けているが
すべすべときれいな母の肌をみているとほっとする
小さな手をさすると母のぬくもりが伝わってきて
最後にならなければいいがと念じた。

病院の眼下にある海岸に出て目の前に浮かぶ宮島を
兄と三人でながめていた
ここはふるさと、自分にとっては母と、
息子にとっては、おばあちゃんとの思い出が詰まる宮島



宮島の景色を跡にして広島名物の路面電車で広島市内へ


車内で見かけたカープ少年、これから観戦、車内には
こんな姿がいっぱい


試合の始まるまでの時間をふるに使って久しぶりに
親子ウォークをすることにしたが
なにも言わなくても足は、原爆ドームと平和祈念公園へ。

親子で何度ここにきたことだろうか・・・
最近でも三年前にきているのだが・・・慰霊碑を撮っている息子


息子にとって広島は父のふるさとで自分のふるさとではないが
広島やかープにこだわるのも広島のDNAが流れているからだろう。

ドーム前からゆっくりと平和祈念公園を散策して
国立広島原爆死没者追悼平和祈念館へ・・・地下に降りて行く


ここは沖縄のひめゆり平和祈念資料館によく似ているが
施設としては平成になって建てられたもので
管内にさまざまな工夫がしてあり
ここは広島へきた足あつづくりのひとつ

広島に行くなら、なにはさておいても行ってほしいし
そういう心ある日本人が多くいることを願いたい。

ひとつひとつ丁寧に見る息子の足がすすまないので
急がせて試合前の広島市民球場へ急いだ。


・・・以下に続くhttp://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/e/a1183496e6cdbf9d0a52137431bab29e

68歳。

2008-09-26 22:47:30 | 輝いて生きる
麻生内閣が発足した日に王監督が辞任を発表した

日経新聞の「春秋」欄にこんなことが書かれていた

「二人はともに福岡にゆかりがある。一人は身を引き
、もう一人は立った。今季でユニフォームを脱ぐ決意
をした福岡ソフトバンクホークスの王貞治監督と、き
のう首相に選出された麻生太郎氏と。大仕事の終着点
と出発点が交錯する二人は六十八歳の同い年だ。」
・・・2008.9.25日経朝刊より

幸せな人生であったという王さんの68歳は「終着点」
天命を果たすと宣言した麻生さんの68歳は「出発点」

実は、自分も68歳、学年でいえば同級生、歩んできた
道は違うが同じ時代を生きてきた一人だ。

(王貞治15.5.20/麻生太郎15.9.20/自分15.4.13)

はたして自分の68歳はなんと表現できるか

「終着点」を迎えたと言える人生は送っていないし
これが「出発点」と明確に言えるものを持っている
わけでもない。

ただ言えることは
好きな仕事を続けてこられたこと
いまなお呼びがかかることもうれしい
生きている限り自分を生かしてお役にたちたいと
いう思いには変わりない。

ひとり東海道を歩いている時、いつも自分に問いかける

68歳、これでいいのか?

残された時間を考えると、猛烈な焦燥感にかられる

 68歳だからできること
 68歳からできること
 68歳でもまだできること

いつも問い続けて自分らしく一歩ずつ歩いて行くことかなあ。
そのための自分自身の構造改革をしていかないと・・・・。


世代を越えて教え、教えられ合い。

2008-09-25 19:13:41 | 輝いて生きる
サービス業に携わる男女若者21名と4時間
一緒に学ぶ時間をもった

社会経験からいえば
未熟な部分がたくさんある年代だが
それを上回る若い新鮮なエネルギーは
こちらのエネルギーまで引き出してくれて
熱い学習関係をつくってくれる。

親子以上に年齢差のある若者だから
あたりまえのことだが
考えていること、言っていることに
意外な驚きがあって面白い。

自分が若いころはとてもそこまでは
考えていなかったこと、やっていなかったことを
さらりと見せられるのは
今の若者が大人なのだろう。

なによりも姿形がスマートできれいだし
マナーもすばらしい
サービス業で訓練されているとはいえ
うらやましくさえ思う。

日々の職場生活は、決して生易しい環境にはないが
それでも、その中で前向きに戦っていくという決意を
真剣に聞かせてくれた。

「ありがとうございました」という明るい声に
こちらも
「ありがとうございました」と言って辞してきたが
どうか、充実した日々をおくってほしい。

教える立場で行ったが、こちらも多くのことを教えられた。


王さん、ありがとうございました!

2008-09-24 20:04:30 | ひとりごと
世界の王貞治さんが辞任を発表された
今日はそのことがトップニュースみたいに報じられていた

記者会見で、ここまで振り返って

「プロ野球に入って50年。
本当にいい人生を歩ませてもらった。
心をときめかせて、やらせてもらったのは幸せだった」
と語っていた。

王さんらしい情熱の中にも謙虚な人柄があふれる
コメントだと思った。

王さんと自分とは生年月日がひと月違いの同じ年齢、同学年
早実のエースとして甲子園で優勝投手になった時からの
大ファンだった。

ジャイアンツファンではなかったが王さんのファンで
あり続けてきたのでひいきチームが打たれても不思議と
みとめることができたものだ。

シーズン前に今年で引退をほのめかしていたので
なんとか優勝させてあげたい、してほしいと
とくにソフトバンクには注目していたが
最近のチーム不振は気の毒でならなかった。

WBCの監督にとの声もあるようだが
もう、ゆっくりさせてあげたいと思う

王さんの活躍の時期を振り返る時
そこに同じ年齢の自分を重ね合わせることができて
同じ時代を生きてきたことをうれしくおもう。

ほんとうにお疲れさまでした。
ありがとうございました。

かっこいい、おじさんのレジ係り!

2008-09-23 21:24:03 | 輝いて生きる
昼前に近所のフードショップでレジに行くと
みかけない男性が一台のレジにたっていた。

おっ、おじさんレジやないか!
ちょうど昼前で客数の少ない時だったので
他のレジも空いていたがあえておじさんレジへ

買い物を終えてそのおじさんに言った

"とてもお似合いですよ、かっこいい"

"そんなことを言われたのは初めてです、ありがとうございます"

うれしそうに答えた

"笑顔が素敵ですよ"

ますます、笑顔。


となりのおばさんレジも二人のやりとりを聞いていて
いい方ですよとうれしそうに話してくれた。

6?歳という。

”ここの店には68歳の人もいますよ”と言ったので

”私も68歳ですけど、使ってもらえますかね”と言ったら笑っていた。

とても清々しい気分になって店を出た。

最近、飲食店でもおじさん店員をよくみかけるが
若い人と同じユニフォームを着て接客をしている姿をみると
とてもほほえましくて和んだ気持ちになる。

定年後の人たちだろう、お金は二の次で
まだまだ元気な自分をどこかで活かして生きて行きたい
という願望があってのことだろうと思う。

高齢化社会は高齢者が生き生きと生きる時代
これまで積み重ねてきた尊い知識や経験や智恵は
個人のみならず社会の財産だから
やっぱり活かしてほしい。

68歳の自分がそう思うのだから
どんどん、チャンスを求めて
外に出ていくことだと思う。

もし、自分が他の仕事をするなら
お客様相手のサービス業がいい

"いらっしゃいませ"

"ありがとうございました"

たったふたつのこの言葉
お互いが明るく元気になるこの言葉をいっぱい使える仕事
いいなあ・・・。

動きが止まると世界が狭くなる。

2008-09-22 23:16:39 | チャレンジ
夕7時から4回目のイベント会議

仕事帰りや仕事を中断して集まってきた
12名のメンバーで最終前の骨格づくりができた
重要なイベントのタイトルも決定

具体的な推進に必要な役割が決まったので
メンバーからふさわしい人を人選し電話交渉

司会者はメンバーの二人のフリーアナウンサーから
一人が引き受けることを了解してくれた。

なにしろ560名の会員がいる会だから
弁護士から会計士、医者に経営者、コンサルにデザイナー
教師にビジネスマンに各種資格所持専門家、タレント・・・
多士済々、人材もネットワークも広い。

2時間余りでイベントのイメージづくりが完了した

この会のメンバーと接していていつも思うのは
とにかく、やることが早い、決まれば、その瞬間から
だれの指示があるわけでも、頼まれるわけでもないのに
すぐ自主的に動いている。

自分も決断は早いが
行動は、とても、とても、かなわない
仕事でもなく、なにの利益があるわけでもないのに
そこまで一気にモティベーションを高めていくのを
頼もしくも、うらやましくも思ったりする。

いま自分が接しているメンバー集団で
ここは際立って行動力の高いパワフル集団だ

自分の年齢で
30-50代はじめの現役バリバリの集まりに
煙たがられず、同じ仲間として受け入れられているところは
他にないので、貴重な会であり仲間として大事にしている。

やることが終わると食事にノミニュケーションがお決まり
もちろん会から補助が出るわけではないから自前
回数が増せば負担も少なくないが
そこで得られるプラスを知っているから帰る者はいない
自分も必ず共にすることにしている

世代の違う若い人たちは、さまざまな刺激を与えてくれる
彼ら、彼女らから得られる見えない刺激は貴重なエキスだ。

年齢とともに行動範囲、交流範囲が狭くなってしまうので
つとめて外に出て、ひとりでも多くの人と合って
つねに好奇心と問題意識をもつことで老化防止にしている。

いつまでもお呼びがかかる存在でいたい。


淀川の橋めぐり

2008-09-21 21:33:34 | ウォーキング
マネジャーをしているウォーキング倶楽部の月例会の日、天気が
気になったが雨の場合、それに代わるメニューを用意したので開
催を決定。
9時45分、新大阪駅にメンバーが集合した時には、雨も上がり
むしろ、曇り空でウォーキングには格好の天気になった。

今日は、「淀川にかかる橋めぐりウォーク」、先週、下見をして
いるし、日頃のマイコースだからコースに不安はない。

駅前の公園(実は自分の仕事場のあるビルの目の前)で今日のコー
スの説明、新メンバーの紹介、ストレッチをしてスタート。

大阪市の水道記念館で大阪の水道と生活の変遷、現状、淀川水系
の生物、とくに魚の生息状況等、社会見学。


長柄橋をすぎ、淀川の水量を調整している淀川大堰をそばまで行っ
て見物


人と貨物列車が共用している珍しい城東貨物線赤川鉄橋を
渡るここは、カメラマンや鉄道ファンの集まる橋としても有名にな
っている。

参加者の中に小学校の社会見学で渡ったことがあるという者がいて
数年後になくなるこの橋を大変懐かしがっていた。


淀川左岸を上って城北大橋のふもとで早めの昼食。

そばに昭和20年6月9日の米軍大阪爆撃で数万人が死亡、身元
不明者を淀川の堤防で荼毘にふし、その人たちの霊を慰めるため
に建てられた碑があるのでお参りした。

次に、淀川にかかる橋で最もきれいだと思っている城北大橋を右
岸に渡るこの橋は、車は有料、鳥が羽を広げたような斜張橋が実
にきれいで好きな橋。


気持よい川風が曇り空の堤防を気持ちよく吹いてくれて景色はい
いしみんなの歩きは楽しく元気にすすむ。
長く入会を待たせていた新人さんも念願かなって?の参加で、気
分よさそうに歩いていた。


豊里大橋を渡って今度は左岸をゴールの鳥飼大橋をめざす。


河川敷は、スポーツの施設が完備していて、テニスやサッカーや
野球が行われていて歓声が上がる、少年野球が楽しくて何度も足
を止めては見学。

曇り空が一気に雨雲になりカミナリがとどろく堤防を最後の快歩。


で無事に鳥飼大橋にゴール、15キロを完歩した。


完歩後は、恒例のティタイム、寝屋川市内の大型ショップの喫茶
コーナーでそれぞれが設定している目標の推進状況やこの一ヶ月
間の個人ウォーキング活動等について話し合った。
また、W協会、ツーデーチへの参加の件も話題に取り上げた。

うちのW倶楽部は、生意気な言い方になるが、健康をウオーキン
グでとせれだけマネジメントしていくことができるか、それにこ
だわって二人の医師の協力も得ながら個々の目標、倶楽部の目標
をうまくリンクして行うことに試行錯誤しているところ。

ただ例会を開催して、歩くだけのウォーキングサークルならどこでも
やっているのであえてやる必要もないので、やっていく以上は
きちんと方向性を定め、その実現のためにいくつかの目標と約束事
を明示していて、その条件に合うことを入会の条件にしている。



まだ、現役、続けられる。

2008-09-20 22:57:11 | 輝いて生きる
きのう、ある勉強会に、中国地方のある市で
ビジネスマンから経営者に転身して大活躍をしている経営者を
お招きした。

手作りの経歴書と貴重な資料を用意して一時間
とても感動的な話を聞かせてもらい参加者一同、大喜び。

さまざまな苦労の末、現在に至ったいきさつ
それを支えた仕事への情熱は社員とその家族に
”あの会社に勤めてよかった”と言ってもらえることが
経営者の責任だと明言していた。

食事に行ってすっかり気があった
場所を変えても遅くまで話はつきなくて・・・
気がついたら終電車が出たあとだった

その経営者に

"すごい熱気を持たれていますね”

と言われた

その人に
先に話していた自分の話を少し聞かれていたのだが。

ぜひ、一度、○○に来てほしいと言われて
お世辞でも気分が良かった。

いつもいつも、あとのない年齢だから
気持ちの火が消えたらお終い
と思って臨んでいる仕事だが

まだ、現役、いけるぞ!

証明をもらったみたいで気分がよかった。



心も秋の装い、本は心の友達。

2008-09-18 20:44:15 | 本・読書・音楽
夏場、仕事枯れ、そのあおりで自分枯れ
暑い暑いと言い訳してパソコン遊びしている間に
うっかり賞味期限がきている自分にあわててる

秋は、一回りも、二回りも、三回りも歳下の
これからの人、ばりばりの人、熟した人たちと
あちらこちらで、一人で立ち向かう

その真剣勝負をリードしていくためにも
危機感をもって自己磨きをして
賞味期限を延ばして
期待にこたえられるようにしたい

書店も秋のよそおい
活字がこちらを呼び掛けている

この秋の推薦本、どこでも必ず聞かれるので
何冊か買ってきた


そのうちの二冊、新刊書

「なぜ生きるか どう生きるか」 稲盛和夫著

この本をこの秋に仕事で出会う人すべてに推薦したい

稲盛さんについては説明するまでもない
この方の本に触れると、心がわくわくする自分を知る

経営者でありながらおっしゃる軸になる言葉は
「心」とか「生き方」とか「人生」とか「哲学」

とくに好きなことばは「心を高める」ということば

いつでも、どこでに、だれにでも
受け入れてもらえ、認めてもらうためには
どうしても磨いていかなければならない自分の心

今年は
ちいさなちいさなことなのに自分の心の器がもっと小さいために
飲み込めずに心のとげになり悩み続けてきた
なせ飲み込めぬ、いまでもささったままになっている

「心を高める」・・・それは学習だけでは解決できない
日々の生き方の中にあることはわかっている
こんなに長く生きてきたのにまだできない自分を悔しく思う

そんな思いも込めて、みんなで考え実践していきたい
「命輝かせて・・」とは「心躍らせて・・」ということか

新しいネクタイで外観は秋の装いを始めた
こんどは中身の装いだ
 
 なぜ生きるか?

 どう生きるか?

自分への質問、さあ、どう答える・・・。


もう一冊

「涙の数だけ大きくなれる!」 木下晴弘著

自分の体験から、不遇の時代、死と向かい合った時こそ
きっかけをつかむと人間は、解かれて、一気に飛び立つ。
涙を知っている人は、強い、優しい、そして厳しい。
いま、この本がよく読まれていると新聞の書評にあった。

頭の学習もいいが、もっと大事なことは実践学だ

もっと、もっと、生きる力がほしい
もっと、もっと、役に立つ力がほしい
そして
どんなとげでも飲みこめる心の器がほしい

相変わらず欲張りなことを言う


このブログは、一緒に勉強した仲間がたくさん見てくれている
いつも、経営だのビジネスだのという前に本の話をしながら
一緒に勉強をしてきた経営やマネジメントの現場で活躍している
仲間が見てくれている。

だれか、この秋に(後輩に)すすめる本があれば、紹介してほしい。



秋の装い、自分らしく!

2008-09-17 20:33:49 | 輝いて生きる
打ち合わせの帰りに大阪駅を通ったので
駅の大丸梅田店に寄った

もう、秋、自分も秋の装いをしないと・・・
と言っても、できるのは「ネクタイ」くらい

九階のネクタイ売り場へ直行して
売り場のベテランらしい販売員さんに

"これから着る紺と黒のスーツに合うように選んでいただけません
か。人前に出る仕事をしていますので見られて品のあるものがいい
です。選んでいただいたものから買いますからお任せします”

とお願いした。
ずいぶんと厚かましいお願いかもしれないが・・・いつもこの調子。

昔は、自分で選んで買っていたが、ある時期から、ずっとそうして
いる。プロはプロ、あえて自分だったら選ばないなあという品を買
うようにしている。

推薦してもらったものから三本買った
今日のポイントは、「むらさき」と「グリーン」
気に入った。


近々、半年間の講座が始まる
初対面の人たちに
じいさんであることは隠しようがないが

"かっこいい、じいさんやないか"と思ってもらえるように
自分をプレゼンすることから自分の仕事は始まる。

男は、顔を作り替えることができないので
一番、目につくネクタイが、相手に失礼でないようにと
いつも心がけてはいるが、どうだろう。

自制をこめて。

2008-09-16 19:46:05 | 健康
マンションの狭いわが家の居間が段ボールで
占領されてきた

今月になってから家内が体調のいいときなのだろう
少しずつ、家の中の片づけを始めて
もらわれていく物と捨てる物との選別をして
ダンボールにつめている

たまたまのことなのか
自分の体が動く間に始末をしておきたいと思っているのかは
しらないが、聞きもしないが
すっかり動きの鈍くなったうしろ姿を見ていると
ここ二、三年で一気に老いて不憫に思う

身体の状況がどうなのか何も言わないのでわからないが
よくはならないと宣告されているので本人はそれを
引き受けていく以外、どうしょうもないと思っているのだろう

自分も病ではずいぶんと痛い思いをしてきたのに
ウォーキングで復活して外に目が向いてしまっているが
こんなことではいけない

ウォーキングはやめてでも家にいなさいと親友の姫さんに
言われたが、それに返すこしばもない
家の中をきちんとしないと・・・

仕事場から新幹線をながめながら
自分の生き方も家族とともにあるのだから
と反省をしている。

敬老に寄せて元気のいいことを書いたの一変して
しめっぽい記事は書きたくないが、自制をこめて。

これも現実、生きておればこそ・・・。


「生きるということ」 敬老の日に思う。

2008-09-15 14:22:55 | 輝いて生きる
敬老の日。

「敬老の集い」のはがきはどこへ行ったのやら・・・

いま68歳と5ケ月

ここまで生きてきた道を振り返り

「感謝と反省」の68年を思う

親への恩、家族への感謝
多くの支えてくれた人々への感謝

そして、真面目に生きてきたことへの
自分へのねぎらいと誇り

一方で

果たせなかった親への孝行
果たせていない家族への平安

そして

期待してくれていた人々へ果たせなかった悔い
果たせていないお返し

大事なことはこれから歩いて行く道をしっかりと見定めて
自分らしく歩くこと、生きていくことだ

生きるとは

「自ら輝いて生きること」
「自分に誇りを持って生きること」
「自分の名前で生きること」
「自分の存在を生かしてお役にたつ生き方をすること」

モットーである

明るく、楽しく、さわやかに
そして、軽やかに自分の道を歩いていこう

昨日よりも今日を
今日よりも明日を
一歩でも前進できる歩き方、生き方
それが自分の歩き方、生き方だ

・・・・・・・・・・・

総務省の発表では、70歳以上の人口が2,017万人になり
初めて2,000万人の大台を超えた。

また75歳以上が1,321万人、総人口の1割に初めて達成した。
65歳以上の高齢者全体は昨年より76万人多くなり2,819万人
総人口の22.1%になったそうだ。


まさに高齢化社会の中で自分の人生を生きていく
68年の年輪をどこまで積み重ねていくことができるか
平均寿命では10年がある
しかし、だれも保証はしてくれない
油断するな
寿命に順番はないのだから。