昨日より今日を!今日より明日を! 夢と希望がある限り命輝かせて生きていこう!

「夢を描こう!」「 夢を語ろう!」 「夢を形にしよう!」 楽しもう76歳を!

ミニ同窓会・関西版(二日目)。

2011-09-30 19:55:13 | 交流

ふるさとの小学校同級生の女性仲良しメンバーが
関西にやってきて今日が二日目

初日の昨日は、神戸市郊外、明石海峡大橋すぐ傍の
大型ホテルで食事会がありそこに宿泊した

今朝、ホテルの部屋から眺める朝の明石海峡を楽し
みにして起きたら、あいにくの曇り空
それでも雄大な大橋のながめはすばらしい


ゆっくりホテルを出て二日目は神戸港から神戸沖の
クルージング、モザイクの波止場に着くととうとう
雨になった


神戸クルージング・コンチェルト



12時きっちりに観光船コンチェルトで出港、海峡
大橋の手前を折り返す1時間45分のクルージング


ドック、大型タンカーの修理だな・・パナマ船籍


神戸港から雨の神戸沖、大阪湾へ


雨で肝心の景色は十分な楽しめなかったのは残念
だったが、それでも雨の甲板と船室で思い思いに楽
しんできた


ポートタワーとホテルオークラ


オリエンタルホテル


午後2時過ぎからホテルオオクラで昼食、ここで会
はお開き、足の悪い担任の先生を神戸駅へ見送り、
新幹線で帰郷するメンバーは新神戸駅へ

二日間、同級生からふるさとの情報や参加していな
い同級生の話も聞いた
長く会っていなかったメンバーの人生いろいろ話を
聞いて懐かしい小学生のころと今の姿をとを重ねて
なつかしく思ったりした

”もう人生は面倒になってきた!”
うーん、いろんなことがあったんやろな!?
でね、生きていれば、また、いいことがあるよ

そんな印象的なひとことも聞いた

古希を過ぎても元気な人、少し重くなっている人・
大した距離ではないのに歩くのがしんどい人を見て
いると、単純なことだが、歩くということがいかに
重要なことか、しみじみと実感したおばさんたちと
の二日間だった

いま頃は、それぞれの家に帰った頃だと思う
どんなお土産を持って帰ってくれたのやら?
元気で再会の日がくることを楽しみにしている

希望があればこそ!
元気であればこそ!
生きていればこそ!

ミニ同窓会・関西版。

2011-09-29 22:53:05 | 交流

郷里の広島から小学校のクラスメイトのおばさん軍団が
大阪へ上陸してきた

新大阪駅へ幟を持って?まさか!
新幹線中央口へお出迎え
すぐ地下鉄に乗せて道頓堀へ

もっとも大阪的な道頓堀から
法善寺横町へ案内した
予約していたお好み焼きの○房へ行った

広島風お好み焼きと元祖大阪のお好み焼きと
どっちがうまいか?!
おいしいと言って食べてくれてほっとした

道頓堀散策・・・

看板を見るだけでも面白い、おなじみのかに道楽

なんだこの看板?

たこも大阪では主役!


次はリクエストのあった大阪駅へ
ここにできた大型の商業施設に行ったが
みんなは屋上の天空農園が一番よかったらしい

りんどう


15時、今夜の会場とJRで移動
会場・宿泊のホテルは担任の女先生の住む神戸の西
○子駅近く、明石海峡大橋のすぐそばにある

16時過ぎホテルについて18時から食事会前に
明石海峡大橋のすばらしい景色と夕陽に満足した



浴衣姿の宴会ではなくテーブルだから移動もなく
女性中心のもっぱら食べておしゃべりが中心

部屋に召集がかかっておしゃべりの二次会が
延々と続いた

外は明石海峡大橋のイルミネーションがきれいだった



ということで初日は明石海峡大橋が目の前にある
ホテルに宿泊となった
午後11時、久しぶりに早い床についた

あー耳がつかれた!
明日は神戸クルージングだ
お休み!

足は生涯現役!

2011-09-28 21:03:02 | ウォーキング

(大阪駅天空農園)

足はうそをつかない!
ゆうべ星空の下を歩きながら
そう足から教えられた!

2000年10月1日にウオーキングを始めて
もうすぐまる11年、そして12年目に入るが
最初はナイトウォーキングから始めた

最近は12年前の最初の頃に歩いていた短い距離
しか歩かないが20分でどこまで歩けるか・・・
それでも十分だと思っている

その距離がウオーキングを始めた60歳のころより
いまのほうが少しだけだが長く歩けるのだ
71歳の記録のほうが伸びている!

体力だけならかなり落ちているはずだが
足はここまで歩いてきて衰えていない
まさに足はうそをつかない

ただし、61歳から65歳くらいまでの足とは
かなりスピードが落ちているのは実感している
それでも歩いていない人から見れば歩力はある


(大阪駅天空農園)

12年前は、ウォーキングという言葉が今ほど
一般的ではなかった
どちらかといえば「ハイキング」が主流だった

あれから12年がたった今
ウォーキングはブームを過ぎて
だれでも、どこででも始められる
手軽なスポーツとして定着している

そのウオーキングをはじめたいという人が
お世話をしているW倶楽部に参加の申し込みや
問い合わせが急に増えてきた

多くは女性だが
運動不足を解消したい
これは女性に多い

医師からすすめられた
メタボを改善したい
これは男性に多い

ウォーキングを始めたいという初心者から
大きなW協会にいるが少人数のところで歩きたい
という人までさまざま

検索で当方のHPを見て問い合わせてくるが
60歳まで、仕事を持つ人、男性中心という
3条件があるので対象者は限定されてくる

しかも、しばらくは「お試し」で仮り会員扱い
何度か参加してこれをパスしてやっと
晴れて会員として倶楽部のバッヂを渡す

これは、だれでも、かれでも入れていくと
メンバー同士の人間関係がすっきりしなくて
雰囲気に影響することを過去経験してきた教訓

http://www.human-dy.com/walking.club
(倶楽部のHP)

先日の日曜日の例会の後
倶楽部の女性メンバーからメールが来た
「女子会」をつくるので・・・と

うちでは男性会員は「金の卵」・・・歓迎!
といってもかなり古い卵だから油断できないけど

今日も女性の入会希望者があった
男性は、女性と聞けば「歓迎」と言うのだけれど
うちでは「あまり歓迎」されないから変わってる

女に弱いからでしょ!?
と、どこかから聞こえてくるが
いや、男に強いから!ということにしている

ウォーキングをスポーツとするなら
極端な男女差がないスポーツだと思う
だから夫婦で楽しむカップルも多い

とても太刀打ちできないおばさんウォーカーも
大勢いて抜かれて悔しい思いをしたこともある
男女歩幅の差があるからその程度差くらいかな

それと年齢差がそんなに大きくないこと
高齢者でも健脚派はたくさんいる
足年齢は実年齢とは違うもの

高年者にはいつも言っている
少しずつでもいいから歩こう
お金もかからず道具もいらないから。

恐怖の一団を迎え撃つ!

2011-09-27 22:35:22 | 交流


木曜日にふるさとの小学校の同級生のおばさん達がやってくる
今日もよろしくと連絡が入った

1泊2日だが担任の女先生が神戸方面だから会場はそちら
元少女たちは神戸は素通りして新大阪へ上陸するので駅まで
迎えに来るように・・・
そして滞在時間は大阪で面倒をみるように指令が出ている

なんでも大阪駅が見たいらしい
いや、おばさん達に電車など興味があるはずがない

5月に新しくオープンした大阪駅に隣接する商業スペースを
見たいのだろうと思う
先だってふるさと広島へ帰った時、駅や電車内で大阪の観光
案内広告が目立って多かった

ところが、そういうところにまったく関心のない自分には
どう案内したらええのやらさっぱりわからない・・・
とにかく下見がてら、と大阪駅へ出かけた

まるでおのぼりさん!
たった一駅隣の新大阪駅前にいるのにあまりの違いに戸惑う
仕方なしに三越伊勢丹と大丸とをつなぐ大阪駅上の通路から
電車をながめていた


となりで男の子が乗り出すように出入りする電車を眺めて
いたが、こっちは楽しくもないなあ

そこは5階部分、大きな時計が二か所ある
「時空の広場」というらしい、いわゆる待合目印場所らしい


電車の発着を見ていても仕方ないので、7月のウオーキング
倶楽部の帰りに皆で行った駅上の花壇?菜園?へ行ってみた
「天空の農園」というんだそうな


中国原産のしゅうめい(秋明)菊、自分の名前もしゅうめい!
この美人菊になんとなく親近感! 


驚いた、あの時青々としていた稲田?がすっかり色づいて
刈り入れ時まじか、稲穂がたわわに実っている
大阪駅のてっぺんに田圃?がある!


おっ、まだ、がんばってる!


コスモスとしゅうめい菊


この花?実?なんだ?


キツネさんもにぎやかに遊んでいる


帰りがけ三越伊勢丹に入ってみた、というより迷い込んだ!
大阪駅周辺にはすでに百貨店が3店あるのに三越さんが伊勢丹
さんとやってきたが、どうやら苦戦しているらしい
東京型の売り場を大阪風に修正しているといつか記事があった

おじ(い抜き)さんには何の興味もないなあ・・・
では、いけない、素通りでもいいから
天空の農園たずねてまた来てみよう


そんなことで何の下見にもならなかった
ここは女性に聞いたほうがいい
倶楽部のHさんにメールでSOSを発したらアドバイスがきた
ありがたい、やっぱりグルメだな

あまり歩かせないように!
と指令が来ているので、メタボ系だからな!
手がかかるおばさん達を相手にするのは憂鬱やなあ

いま頃は○○君がちゃんとしてくれるから・・・と
修学旅行気分でいるに違いない
ここだけの話、同窓会は退屈であまり好きではない!

昼間は暑かったが朝夕は急に涼しくなった
昨夜のナイトウォーキング、半ズボンでは寒かった!
でも、星を眺め、虫の音を聞きながら歩く公園の
ナイトウォークはいまが一番いいとき

この冬もナイトウォーキングは欠かさないつもりだから
いまのうちにしっかり歩いておこう

さあ、来い!
ふるさとの元少女たち
迎え撃ってやるからな!

火災発生?

2011-09-26 23:16:50 | ひとりごと

19時頃だった
仕事場にいたら消防の音が聞こえてきた
パトカーのサイレンもなってきたので

七階の廊下に出て下をのぞくと消防車数台とパトカーが
とまって人だかりになっている



まさか自分のいるビルとは思わなかったので階下へ急行
外に出てみるとビルの地階にある居酒屋に消防のホースが
敷かれて消防の人が入っていく

何事や?

煙は出ていないし匂いもしない

消防の人に聞ける雰囲気ではなかったのでしばらく様子を
みていたら続々と消防車、救急車、パトカーが集結してきて
何事かと大勢の人もが集まってきた

様子を見ながらぐるり歩いてみたら梯子車を含めて消防車
だけでも10台以上、信号と信号の間を完全に埋めていた



少し落ち着いてきたので指揮を執っていた人にビルの組合
の者だと言って様子を聞いたら、店で仕事の段取りをして
いたら発火したらしいが、通報後、すぐに消したらしくて
片付いたとのこと、それを聞いてほっとした

それにしても消防、救急、パトカー集結の早さには驚いた
また、いざという時は、たのもしくも思えた

この店、以前も問題を起こして大騒ぎしたことがあるので
二度あることは三度ある・・・気をつけてくれよ!


秋空の下を歩く!

2011-09-25 22:34:03 | ウォーキング

お世話をしているウォーキング倶楽部の9月例会日
今日は自分が担当、先週の日曜日に下見したばかり
の淀川を下って舞洲まで歩く

朝からウォーキング日和
9時30分に阪急十三駅に集合した
参加者は11名
淀川にかかる十三大橋と淀川大橋を渡り歩きながら
淀川の左右を歩き続けて最先端の舞洲へ行く

ススキが風に揺れる、河川敷は秋の気配!


今回のコースは、淀川の地震災害 による、特に津波
水害対策がどうなっているのか、その現場を訪ねて
学習しながら歩くこと

国交省・近畿地方整備局・淀川河川事務所発行の資料
を用意して、何よりも驚いたのは、大阪市や周辺都市
の多くが淀川の水面より低い位置にあること、万一洪
水が発生し大量の水が低い街に流れ出ると大変な被害
を発生することになるという


JR大阪駅前では、バスの天井の高さまでも水没する
シュミレーションが描かれていてほんとうにびっくり
その対策としてできたのがスーパー堤防、今日はその
スーパー堤防をメンバーに歩いて感じてもらうのも狙
いのひとつ、とくに東日本の大津波被害のことを思う
と、水害だけでなく想定されている東南海地震の津波
に対してどうなのか、そんな不安のある現場を目で確
かめることにした

途中の淀川大橋や伝法大橋、そして阪神電鉄などは、
対策として堤防と同じ高さの開閉ゲートが、橋の両側
に設置してありそれも確認しながら歩いた

ご自慢のスーパー堤防もあの高さでいいのか?
東北の津波を思うとこれも?がつく


マンション脇の小さな木陰をオアシスにして休憩

ここから北港ヨットハーバーまでは自由歩行!の指令
を出したら、みんな思い思いの歩きで、うれしそうに
のびのびと歩いていた
そこまでは橋や道路の片隅をずっと一列で歩いてきた
のでまるで放たれた鳥のよう・・・

自分はアンカー、それぞれの歩く後ろ姿を見ていて
歩くことがどんなに楽しい!ことなのか再認識した!
それにしてもよく歩く、後ろ姿に年齢が出るお年頃

大手企業に勤める京都のMさんが、ウオーキングを
始めて体調がよくなったとしみじみ語っていたが、
こういうことで役に立ったうれしい
毎日1万歩近くを日課にしていて出張先でも歩く!

昼食場所の北港ヨットハーバーへ12時過ぎに着いた
ほぼ予定通り、心配していた初参加者もしっかりと
歩いてくれてほっとした

みんなで、まーるくなって昼食、うちはバラバラに
なって食事をしない、みんなの顔が見えるように!

昼食後12時50分に午後のスタート、常吉大橋を
渡って舞洲へ上陸、洲の東岸の緑道を歩いて最先端
まで行った

ここで障害・・・発生!
最先端から新夕陽が丘へ行く途中の駐車場のゲートに
鍵がかけられていて通れない、もとに戻るには時間が
かかる、えーい!障害・・・物競走や!くぐれ!


新夕陽が丘からの眺めは最高、見慣れた六甲の山並み
も場所を変えると新鮮に見える

阪神間から神戸までよく見える、お気を行く巨大な
タンカーも箱庭を見るようで楽しい

洲の野外活動センターをウオーキングして東側にある
お楽しみスポットのシーサイドプロムナードへ

わー虹! 



隣の夢洲とを結ぶ夢洲大橋、その奥へ行くと大阪港


ここからゴールのJR桜島駅をめざす
途中、みんなの関心を集めた奇抜なデザインの舞洲
清掃工場へ寄った・・・何度見ても不思議な建物だ
オーストリア人のデザインした建物が反響で見学者
が絶えないという


午後3時半に桜島駅へゴールと決めていたので休憩は
極力控えてスピードアップ、長くて高い此花大橋へ


橋の上からの景色は広い、WTCも見える


長くて高い此花大橋をわたり、恐怖の螺旋階段を降りて
無事に地上に着地した!
橋の上から螺旋階段降りまでの先頭は、わが倶楽部の
元お嬢様4名、この人たちは、まったく怖がることも
なく、どんどん先頭を歩いた

以前、吊り橋を渡った時もそう思った、女性は「恐怖」
という神経が、男より一本少ないんだろうと思う
尻込みするのは男どもだからだらしない

でも、元お嬢様、可愛げがないぞ!と言っても
現おば様には無理な注文か?・・・な

最後のUSJの南側の道を歩き続けて予定していたより10分
早い午後 3時20分にJR夢咲線桜島駅へゴールした

よく歩いた、とくに女性軍がしっかり歩いてくれてほっとした
先頭を歩き続けた自分も久しぶりに心地よい疲れを感じた

ゴールした感想、早くて必死だった! と聞いてすまなかったが
決めた時間は守る!ということを優先したのできつかったかも
しれない
そのため少ない休憩時間で全員が完歩したのだからすごい

歩数約31,000歩、距離にすると21キロ、いい一日だった

夜、さっそくメンバー全員から倶楽部の掲示板に楽しかった一日
のことが書き込まれていた
みんなが喜んでくれる、年の開きのある人たちを相手にどこまで
できるかわからないが、精いっぱい頑張って続けていきたい
年を重ねていくと実感する
歩けることは自信! 
歩けることで年齢を超越する!
としみじみと思う。

懐かしい再会、熱い絆。

2011-09-24 15:39:28 | 交流

昨日、大阪市立美術館の岸田劉生展(昨日のブログ)
のあと、曽根崎のニューミュンヘン本店へ移動した

8月5日のブログに書いた古い勉強仲間のKさんの
「定年のお祝いと労いの会」をお世話させてもらう
ために親しいメンバーに声をかけた
(http://blog.goo.ne.jp/yhyh1940/d/20110805)

集まったメンバーに会うのは4年ぶり
それでも、いつも会っているような気がしたのは
お互いをいつも身近に感じているからだろうと思った

そのメンバーと出会ったのは、56歳の時だったと思う
ダイヤモンド社エグゼクティブクラブの会員で関西に
いる気心が知れた人達が自分の事務所に集まってきた
のがきっかけで、ヒューマンネットクラブを立ち上げて
勉強会中心の交流会を続けた

あの頃のことを思い出すと今でも心が熱くなってくる
多分、昨日集まったメンバーの気持ちも一緒だったに
違いない

話している顔が輝いていて
あーいい顔してるな!
男の顔が輝く年代なんだなあ!

人生の後半まで歩んできた自信の顔か
積み重ねてきた年輪の美しさか
それが大人の男の真実の姿だと思った!

4年という年月を決して無駄に過ごしてはいない
ひとりひとりが男の人生の最盛期から円熟期へ向けて
確かな歩みを続けていることが伝わってきた

二次会まで、延々と話は続いた

それぞれが大手企業に属し厳しいビジネスの第一線で
苦労を重ねてきているはずなのに、ひとことの不満も
愚痴も後悔話も出てこないのをさすがだと思った!

また定期的に交流会を復活しないか!という提案を即
一番若いNさんが幹事役を引き受けてくれた
再開、第一回の日程まで決まった

71歳の自分にとって10歳以上も年下の若い人たち?
から得られる刺激は何物にも代え難いものと思う
老害にならないよう一生懸命についていきたい!

ただ、いただくばかりではいずれ邪魔者になってしまう
あの人たちに年上の自分が提供できるものは何か?
最年長なんだから一番頑張ることだな!

そしてNさんの還暦のお祝いのお世話をしたい!
そのとき、自分は80歳、ニューミュンヘンでやろう!
それまで、はつらつと、生きていないとな!

懐かしい再会、熱い絆
自分のハートをリセットした夜は
興奮してなかなか寝付けなかった。


岸田劉生展。

2011-09-23 23:34:13 | ひとりごと

朝から快晴、秋らしい?刈り入れをして丸坊主頭になって
気持ちもすっきり
予定していた天王寺の大阪市立美術館で開催している
「生誕120年記念岸田劉生展」にでかけた


麗子のチケット!


岸田劉生は日本近代美術会屈指の洋画家、特に長女を
描いた「麗子像」は重要文化財として知られている
会場の入り口でも大きな麗子絵が出迎えてくれた


肖像画、特に自分の肖像画を数多く残している点では
特異な存在だと思う

先週に始まったばかりで入場者も思っていたほど多く
なくてゆっくりとみることができた

美術館から正面に通天閣がみえる


展覧会場を出て美術館のすぐ隣にある茶臼山へ行った


ここは大阪市内でも最大級の前方後円墳だが被葬者は
だれであるか不明
慶長19年(1614年)の大坂冬の陣では茶臼山一帯が
徳川家康の本陣となり、翌年の慶長20年(1615年)
の大坂夏の陣では真田幸村の本陣となって「天王寺口
山の戦い」の舞台となったところ

数で圧倒的に劣勢だった真田陣の捨て身な闘いで家康
をあと一歩まで追い詰めたことで知られている




四天王寺にも寄ってみた


お彼岸で大変な混雑、五重の塔が青空を背景に映えていた



四天王寺は聖徳太子が建立した七大寺の一つとされている
金堂にも行ってみた



後悔しない生き方。

2011-09-22 14:46:21 | 輝いて生きる
入院中のZさんに次はどの本を送ろうかと書店で
うろうろしていると目にとまった本があった

「後悔しない生き方」!



あの時・・・しておけばよかった!
もっと・・・しておけばよかった!

要するにものの見方を変えれば!とよくある本で
特別なノウハウが書かれているわけではない

この種の本がよく読まれるのは・・・といっても
読者の大半は男性だろうと思う
男は後悔する人間だからなあ

そして、後悔好きの人間は
なぜ・・・あの時・・しなかったのか!
もう一度チャンスがあったら・・・したい!

とひとり物語に浸るのである!
なんだか自分のことを言っているみたいで
ギクッとした

いえ、もともと振り向かない主義だから
「後悔」の引き出しを開くことはしないので
そういうパターンには陥ることはないが

後悔していることを書き出せ!と言われたら
次から次へとどこまで続くかわからない
後悔のない人生なんてありえないと思う

ふと九州の病院にいるZさんのことを思った
復活を賭けて懸命に闘っている病床の彼には
過去を後悔する時間などないだろうと思う

それより今日のことで精いっぱいだと思う
まだ明日を考える余裕もないかもしれない
そう思うとこの本は贈り物にはならない

すでに亡くなっているが同い年の古い友人に
「あの時・・しておけばよかった!」を口癖
にする友人がいた

ある時、”過去に生きることはできないので
そういう話はやめたほうがいい”と忠告したら
その後、姿をみせないままに逝ってしまった

”あなたは過去の話をしませんね”と言われた
ことがある、語れば必ず後悔と言い訳が出る
その反動か、このブログは過去話の大盛りだ

それは自分の意識や目が後ろをみている証拠
過ぎ去った多くの学びや経験は大事にしたいが
意識や目は明日にをむいていないといけない

”後悔先に立たず”というがそれも人のつね
後悔のある人生を否定はしないが
戻ってこない人生を嘆いても仕方がない


先日、古いなじみの先輩三人と会う機会があった
三人三様、その人柄で人生を生きていると見た
数年したら自分もあのようになる?と重ねてみた

正直なところ自分が描いている姿と重ならなかった
こだわりの自分の将来像があるからだと思うが
その時になって”あの時・・・しておけばよかった”

と後悔がないようにしっかりと足跡残していきたい
昨日より今日、今日より明日をと確実に命のゴール
に近づいているのも事実

その命のゴールは見えないが
自分のやりたいゴールは想像することができる
それにこだわり続けて行けば後悔はないだろう

「後悔しない生き方」
だれでも思う当たり前のことだが
その当たり前のことができないから後悔するのだ

「反省」はしても「後悔」はしない!
そう言い聞かせて明るく楽しく
日々を送りたいね!


(日経新聞)

無事、手術を終える!

2011-09-21 13:29:38 | 健康

早朝にZさんから無事に手術を終えたとメールがきた
びっくりした
まさか、こんなに早く連絡がくるとは

それも、丁寧に、冷静に
応援のお礼までちゃんと書いてある
いかにも律儀なZさんらしい

決してこれで終わったのではなく
むしろこれからの日々が
Zさんにとって復活へのチャレンジ

しばらくは心身ともに緊張が続くだろうが
タフなZさんだから
粘り強く立ち向かっていくにちがいない

新幹線も飛行機もない九州の病院で
当分は治療が続くのかもしれない
お見舞いにすぐとはいかないけれど

こちらも復活の日まで
ずっと気持ちによりそって
信じてしっかりと応援を続けたい

自分が入院していた時は本が友だった
Zさんも本が好きなので
さっそく追加の本を二冊送った

昨夜は落ち着かなくて
アルコールで気を紛らしたが
Zさんのメールで一安心した。 



祈り続ける日。

2011-09-20 14:35:06 | 交流
いま、午後の2時35分、朝から時計が気になる

今日20日は、何度も書いた友人Zさんの手術日
午後2時からだからいま彼は手術台の上で医師に
身を任せていることだろう

昨夜10時過ぎのメールのやりとりでストップと
思ったが、やはり気になるので朝一番にメールを
打っておいた

リラックス!
リラックス!
ただ、それだけ

12時32分、律儀なZさんから返信がきた
落ち着いている
大丈夫だ!

彼を激励するために設置した応援掲示板には連日
書き込みが続いている

自分より10歳も若い
第二の人生が順調に始まって
これからという時に

よりによって相手が悪すぎる
悪性の○○だ
なぜそんな厄介なものに取りつかれたのか

誰からも慕われる好人物で
自分好みの気配りに長けた
申し分のない人物なのに

この数日のメールは
落ち着いて穏やかだった
きっとすべてを受け容れたのだろう

精神力も強い
肉体も鍛えてきている
何よりも人助けを業としてきた

きっと克服してくれると思う
きっと見えない力が応援してくれていると思う
きっと復活してくれると信じている

まず手術が無事に終わってほしい
そして復活への第一歩の始まりの日が
うまくスタートしてほしい

このブログをいつも訪問してくださっている方
Zさんに力を貸してください!
お願いいたします!

心配な熊野古道。

2011-09-19 22:59:17 | ひとりごと
昨日の天気がうそだったように今日もまた雨もよう

続く雨で台風12号で崩落した熊野古道のその後のこと
が気になっている。

数日前の新聞によれば、文化庁の調査が現地で行われ
「想像以上に深刻、文化庁だけでは手に負えない」と
調査官が漏らしたという産経新聞の議事があった。



現場に行くまでもスギの倒木や古道の陥没などに行く手
を阻まれ何度も迂回してやっと現場へ着いたらしい。

崩落規模は幅約80メートル、高さ約50メートル、
そのおよそ半分が古道の往時の姿を比較的残している
世界遺産のコアゾーン(核心地域)だそうだ。



あの地域を歩いたのが5年前の9月、発心門王子の手前
中辺路でももっとも往時を思わせる雰囲気のある道だった。

復旧の見通しはたたないらしい
専門家は二次災害の危険性すらあると指摘しているそうだ
当分は熊野古道の中心、中辺路は歩けないのだろうか
残念。

熊野古道ウォークの記録
http://www.human-dy.com/kumano.walk.html

淀川下りウォーク。

2011-09-18 23:29:46 | ウォーキング
三連休の中日 、朝から快晴、見上げると秋の空は高く、
広く、青くて、やっぱりその下を歩きたくなった

お世話をしているウオーキング倶楽部の今月を担当する
ので、下見・確認もかねてひと歩きしてくることにした。

今日の「淀川下り、舞州からベイエリアウォーク」は
8年前に歩いたコースなので下見の必要もないのだが
スーパー堤防を歩いて、六甲山に沈む夕陽を見たい、
とくに大阪市の最先端にある舞洲からの夕陽ポイントは
大阪一だと思っているので快晴に賭けて、その時間に
合わせて逆算し午後2時阪急電車十三駅をスタートした。

行き先の大阪湾の先端にある舞洲まで、淀川にかかる橋
を交互に渡りスーパー堤防を歩いて行くのは高い空の下
秋がよく似合う。

阪急十三から大阪市内へ向かって歩くとすぐ淀川にかかる
十三大橋が待っている、その先に見える大阪市内のビル群
を目指して大橋を歩く。



鉄道ファンには十三大橋は楽しみの一つ、隣の阪急神戸線
宝塚線、京都線の電車が階段式の高さになっている鉄橋を
3列になって走る姿は眺めているだけで楽しくて、つい
立ち止り、撮り鉄、これではなかなか足がすすまない!



淀川の河川敷は川の両側ともにスポーツ施設になっていて
少年野球、大人の野球、サッカー、ソフトボールの試合を
やっていて、これにも足を止められにわか観客に早変わり・・・



おや?長髪ばかりのチームが試合をしてる?それにしても
太めで緩慢やなあ・・・?
近づいてよく見ると女子野球だ!長髪のはず!
まいった、まいった!
立ち止ると”お姉さんたち、ええぞ!がんばれ!”と掛け
声をかけてしまうので、ここは、口にチャックをしてパス!

堤防の上から眺める景色は眺望が広がりて最高、夏の名残り
か入道雲も力強い雄姿?で子供たちの熱戦を盛り上げている
とにかく厳しい残暑、日陰のない堤防歩きはじりじりと照り
つける太陽との闘い、一番暑い時間帯をそれでも元気よく
おじ(い抜き)さんは行く。



阪神電車の鉄橋が見えてきた、ここも撮り鉄!ここは鉄橋と
並行する長い淀川大橋を渡る、橋から上流の眺めはあきない
琵琶湖から流れてきた水はここを通って大阪湾へ行く。



淀川大橋には、緊急用の開閉ゲートが設置してある
これは以前のまま、いま、大阪市も大阪府も東北の大震災を
教訓に堤防の高さの見直しをしているが現状の堤防の高さ、
開閉ゲートではひとたまりもないかもしれない。



このあたりは堤防より住居(町)が下にあり、大津波でも
くれぱ、すべてが水没してしまう、堤防は マンションの4階
に相当する、こんなところ恐ろしくて住めないな!



道路脇に大塚切れ洪水碑がたっているが、これは大正時代に
淀川が水害にあい溢れた水を速やかに流すためにわざと堤防
を切り開いたことをことを記した碑



河口からの向かい風がきつくなり帽子が飛ばされそうになる
午後からは川下の大阪湾から吹き上げる風が猛烈な向かい風
になってきて、以後、ずっと続いた、これにはまいった!



しばらくすすみ阪神電車の阪神なんば線を渡ると伝法大橋
この橋にも開閉ゲートが設置してある。伝法大橋を西から東側
へ歩いてわたる、ちょうど10分かかった。






伝法大橋からは毎年のように歩いているおなじみのコースで
ここから大型のスーパー 堤防が始まる、蓮舫さんの仕訳でも
論議されたスーパー堤防だ。


(川下から)

この地域は阪神大震災で大きな被害を受けたところ、そして
スーパー堤防として姿を変えて復活したところだ。

この巨大なスーパー堤防ならまさか壊れることはないだろうと
歩くたびに思ってきたが東北の大津波を知ってしまうと、この
スーパー堤防が、まず高さに耐えられるか、心配になる?

町は堤防のはるか下、一般の住宅や商店、町も見下ろすように
下にある、いざという時にどこに避難するのやら・・・



お天気が悪くなってきて暑さは免れたが、向かい風は強くなる
それでも歩いている人、ランニングしている人がいる、自分の
足に問題ないので元気よく風に向かって歩き続ける。



堤防の下にある恒吉庄左衛門の墓と安政元年(1854)年の津波
の犠牲者を祀った記念碑が建っているのでお参りした。
恒吉はこの地区、此花新田を開発した人で次に渡る恒吉大橋の
名前はその功績によるものと思う。



例会で昼食場所に予定している北港ヨットハーバーについた
ここには公園があり木陰もあるので休憩、日没には時間が早過
ぎたのでここで時間調整のためのんびり過ごした、西の空は雲
が多くて夕陽は無理かな?



午後5時、舞洲をめざしてスタート、常吉大橋の手前に行くと
女性が顔にタオルをあててうずくまっている、?タオルが血で
真っ赤になっている。そばに男性がひとり覗き込んでいたので
仲間かと思ったが声をかけた。

手の隙間から血がでている、足元に血が落ちている、かなり傷
を負っているに違いない。その男性も通りかがりの人だった。

自転車で転んだらしい、競技用のようなシャツを着ているが
タオルで顔が見えないので 年齢はわからない。

タオルをあげようかといったら、いまのままがいいと言って
両手で顔を抑えたまま、救急をと言うとだれかが電話をして
くれたと言ったので救急の到着まで様子を見て待つことにした
5分もするとパトカー、続いて救急車2台がきた、日本の救急
は さすがに早い!



サイレンを聞いて集まってきた自転車の人たちの話を聞くと、
どうやら舞州で自転車の競技会があったらしく、その参加者の
ユニフォームだと言っていたが、あの血の量、左顔面をかなり
傷つけたのではないか、女性だから気の毒に思った。

どうしたのかと警察官の質問にわからないと答えていたので
とっさのことだったのだろう、タイヤのスリップ跡から道路脇の
フェンスに激突したのだと思う、急車で運ばれたが大丈夫かな?

恒吉大橋から、休憩したヨットハーバーも黄昏時になった



気をとりなおして常吉大橋を渡った舞洲へ上陸した!日は傾き
雲間に隠れ、うす暗くなったきた。
緑道にそってどんどん洲の先端をめざす。



結局、日没前に雲間からわずかに顔出した夕陽しかとれなかった
それでもいいか!




午後6時、舞洲最南端の新夕陽が丘に上ってしばらく夕涼み
潮風が心地いい、神戸の灯りが見えはじめ夕陽見物の人も帰り始めた。



例会は、ここから後半コースへ続く、今日はここまでで終わり。
バスで帰ることにした。

約26,000歩 いい汗をかいた。

:健康に勝る財産はなし。

2011-09-17 18:22:02 | 健康

このブログで何度も書いてきた友人のZさんの手術が
明日の午後にせまってきた

少しでも早く手術をして早く職場復帰をしたいという
本人の強い意思があり受け入れ先を探してとてもいい
病院、先生と巡り合えて一気に決まった

大阪から遠く離れた病院なので、すぐに行くわけには
いかないが、関係する人達にも事情を知らせて応援の
掲示板をネット上に突貫工事?で開設した

Zさんの闘う相手は、難敵中の難敵、なんとしても力
負けしないように応援メッセージを送り続ける

幸いZさんもすっかり落ち着いて明日のその時間を待
つ心境になっていることがうかがえるメールが来た

今夜はあいにくの雨で一緒に星空もお月さんも見られ
ないが、ぐっすり休んで明日を迎えてほしい


自分のことだが定期診察日だったので病院へ行った
治療中の血圧がずっと高めなので気になっているが
体調そのものは悪くはない

人間ドックの申し込みにも行った
脳ドック+胃カメラをプラスすると来年の3月まで空きは
なし!といってバリュームはいやだから、逆に胃カメラ
なしで受けることにした
胃カメラは単独でどこかでお願いするつもり・・・

少し前なら、脳ドックとか胃カメラなら、簡単に申し込
めたのに変わったものだ

きちんと受診していても、そうして険しい病に侵されて
しまうのだからドックとて決して安心はできない
この歳になると健康のありがたみがしみじみとわかる。



カミング・コンサート。

2011-09-17 17:40:36 | 本・読書・音楽

昨日は、18時からザ・シンフォニーホールのABC
ホーム・カミング・コンサートー行ってきた

文化庁・大阪府・大阪市教育委員会・朝日新聞・テレビ
アサヒ・朝日放送が後援しABC音楽振興会が主催して
いるクラシックの新人登竜門オーディションコンサート
で選ばれた人が、演奏家として育っていく中で、何年か
に一度、その成長した姿を披露するためにスタートした
ザ・ザ・シンフォニーホールに戻ってくる「カミング・
コンサート」、なかなか面白い企画だと思う



1991年に始まったこの新人コンサートは今年で20
年、今回の出演者の経歴をみているとすでに国内、海外
で活躍中の人たちばかり、そのスタートの時に聞いた人
はなつかしいわが子の演奏の応援に来たようなもの

今回は、ピアノ、ヴァイオリン、声楽部門

オーケストラの演奏会ではなく、個人演奏なので実力が
わかる・・・といっても素人の自分にはわからないが
ので「母校」でもあるコンサート会場はさぞや緊張した
ことだろうと思う、みんな素晴らしかった!

すでに輝かしい賞をとっている演奏家もいるが、どの人
もまだ多くの人に師事してプロとして進んで段階のはず

何事もそうだが特に音楽の世界はその道のプロになるに
は子供のころから多くの人に師事して休む間もないほど
練習を重、評価され自立していく道は厳しいのだろう

審査委員長の伊藤京子さんはオペラ・ソプラノ歌手とし
て日本を代表してきた有名な方、技術の成長もすばらし
いが、演奏家としてのマナーもすばらしいと成長した姿
をほめておられた

マナーに触れたのは、それが演奏家にとって大事な部分
だということなんだろうと思った

舞台に出ると普段見えないその人の人間的な部分が出て
くるということか、よく本番に強いとか、出る所へ出る
と花になるとか、いろいろな表現があるけれど、仕事は
違うが自分にもわかるような気がした

社会で認められるプロになる人の努力は並みではない
多くの人はオーディションのない世界で生きているのだ
が、それがいいのかどうか?
オーディション、予選、試合、試験など、厳しい関門が
あればこそ、努力が生まれ、可能性が引き出されるもの
と思う・・・
人生71年、なんの関門も通っていない気がするけど。