三連休の中日 、朝から快晴、見上げると秋の空は高く、
広く、青くて、やっぱりその下を歩きたくなった
お世話をしているウオーキング倶楽部の今月を担当する
ので、下見・確認もかねてひと歩きしてくることにした。
今日の「淀川下り、舞州からベイエリアウォーク」は
8年前に歩いたコースなので下見の必要もないのだが
スーパー堤防を歩いて、六甲山に沈む夕陽を見たい、
とくに大阪市の最先端にある舞洲からの夕陽ポイントは
大阪一だと思っているので快晴に賭けて、その時間に
合わせて逆算し午後2時阪急電車十三駅をスタートした。
行き先の大阪湾の先端にある舞洲まで、淀川にかかる橋
を交互に渡りスーパー堤防を歩いて行くのは高い空の下
秋がよく似合う。
阪急十三から大阪市内へ向かって歩くとすぐ淀川にかかる
十三大橋が待っている、その先に見える大阪市内のビル群
を目指して大橋を歩く。
鉄道ファンには十三大橋は楽しみの一つ、隣の阪急神戸線
宝塚線、京都線の電車が階段式の高さになっている鉄橋を
3列になって走る姿は眺めているだけで楽しくて、つい
立ち止り、撮り鉄、これではなかなか足がすすまない!
淀川の河川敷は川の両側ともにスポーツ施設になっていて
少年野球、大人の野球、サッカー、ソフトボールの試合を
やっていて、これにも足を止められにわか観客に早変わり・・・
おや?長髪ばかりのチームが試合をしてる?それにしても
太めで緩慢やなあ・・・?
近づいてよく見ると女子野球だ!長髪のはず!
まいった、まいった!
立ち止ると”お姉さんたち、ええぞ!がんばれ!”と掛け
声をかけてしまうので、ここは、口にチャックをしてパス!
堤防の上から眺める景色は眺望が広がりて最高、夏の名残り
か入道雲も力強い雄姿?で子供たちの熱戦を盛り上げている
とにかく厳しい残暑、日陰のない堤防歩きはじりじりと照り
つける太陽との闘い、一番暑い時間帯をそれでも元気よく
おじ(い抜き)さんは行く。
阪神電車の鉄橋が見えてきた、ここも撮り鉄!ここは鉄橋と
並行する長い淀川大橋を渡る、橋から上流の眺めはあきない
琵琶湖から流れてきた水はここを通って大阪湾へ行く。
淀川大橋には、緊急用の開閉ゲートが設置してある
これは以前のまま、いま、大阪市も大阪府も東北の大震災を
教訓に堤防の高さの見直しをしているが現状の堤防の高さ、
開閉ゲートではひとたまりもないかもしれない。
このあたりは堤防より住居(町)が下にあり、大津波でも
くれぱ、すべてが水没してしまう、堤防は マンションの4階
に相当する、こんなところ恐ろしくて住めないな!
道路脇に大塚切れ洪水碑がたっているが、これは大正時代に
淀川が水害にあい溢れた水を速やかに流すためにわざと堤防
を切り開いたことをことを記した碑
河口からの向かい風がきつくなり帽子が飛ばされそうになる
午後からは川下の大阪湾から吹き上げる風が猛烈な向かい風
になってきて、以後、ずっと続いた、これにはまいった!
しばらくすすみ阪神電車の阪神なんば線を渡ると伝法大橋
この橋にも開閉ゲートが設置してある。伝法大橋を西から東側
へ歩いてわたる、ちょうど10分かかった。
伝法大橋からは毎年のように歩いているおなじみのコースで
ここから大型のスーパー 堤防が始まる、蓮舫さんの仕訳でも
論議されたスーパー堤防だ。
(川下から)
この地域は阪神大震災で大きな被害を受けたところ、そして
スーパー堤防として姿を変えて復活したところだ。
この巨大なスーパー堤防ならまさか壊れることはないだろうと
歩くたびに思ってきたが東北の大津波を知ってしまうと、この
スーパー堤防が、まず高さに耐えられるか、心配になる?
町は堤防のはるか下、一般の住宅や商店、町も見下ろすように
下にある、いざという時にどこに避難するのやら・・・
お天気が悪くなってきて暑さは免れたが、向かい風は強くなる
それでも歩いている人、ランニングしている人がいる、自分の
足に問題ないので元気よく風に向かって歩き続ける。
堤防の下にある恒吉庄左衛門の墓と安政元年(1854)年の津波
の犠牲者を祀った記念碑が建っているのでお参りした。
恒吉はこの地区、此花新田を開発した人で次に渡る恒吉大橋の
名前はその功績によるものと思う。
例会で昼食場所に予定している北港ヨットハーバーについた
ここには公園があり木陰もあるので休憩、日没には時間が早過
ぎたのでここで時間調整のためのんびり過ごした、西の空は雲
が多くて夕陽は無理かな?
午後5時、舞洲をめざしてスタート、常吉大橋の手前に行くと
女性が顔にタオルをあててうずくまっている、?タオルが血で
真っ赤になっている。そばに男性がひとり覗き込んでいたので
仲間かと思ったが声をかけた。
手の隙間から血がでている、足元に血が落ちている、かなり傷
を負っているに違いない。その男性も通りかがりの人だった。
自転車で転んだらしい、競技用のようなシャツを着ているが
タオルで顔が見えないので 年齢はわからない。
タオルをあげようかといったら、いまのままがいいと言って
両手で顔を抑えたまま、救急をと言うとだれかが電話をして
くれたと言ったので救急の到着まで様子を見て待つことにした
5分もするとパトカー、続いて救急車2台がきた、日本の救急
は さすがに早い!
サイレンを聞いて集まってきた自転車の人たちの話を聞くと、
どうやら舞州で自転車の競技会があったらしく、その参加者の
ユニフォームだと言っていたが、あの血の量、左顔面をかなり
傷つけたのではないか、女性だから気の毒に思った。
どうしたのかと警察官の質問にわからないと答えていたので
とっさのことだったのだろう、タイヤのスリップ跡から道路脇の
フェンスに激突したのだと思う、急車で運ばれたが大丈夫かな?
恒吉大橋から、休憩したヨットハーバーも黄昏時になった
気をとりなおして常吉大橋を渡った舞洲へ上陸した!日は傾き
雲間に隠れ、うす暗くなったきた。
緑道にそってどんどん洲の先端をめざす。
結局、日没前に雲間からわずかに顔出した夕陽しかとれなかった
それでもいいか!
午後6時、舞洲最南端の新夕陽が丘に上ってしばらく夕涼み
潮風が心地いい、神戸の灯りが見えはじめ夕陽見物の人も帰り始めた。
例会は、ここから後半コースへ続く、今日はここまでで終わり。
バスで帰ることにした。
約26,000歩 いい汗をかいた。