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建仁寺に観音座像が戻ってきた!

2009-03-04 22:23:09 | 古寺巡礼
1月31日に盗まれた建仁寺の木造十一面観音座像が
今日、無傷で建仁寺に戻ってきた

このニュースを聞いてホッとしている。

今年から始めた「古寺巡礼100寺」の京都のスタートは
去年の暮から始めた座禅ができる京都の禅寺で一番古い建仁寺
から始めたいと思っていたので盗難には腹立たしく思っていた。

それが無傷で戻ってきたそうなので安心した

早く訪れたい!

とにかくよかった。


心の受信機・感度磨く!

2009-02-13 23:08:40 | 古寺巡礼
日経新聞に「100歳が説く現代の禅」というタイトルで「般若心経
入門」をはじめ「わたしの歎異抄入門」等、多くの仏教関連書の
著者でおなじみの松原泰道さんの記事が載っていた。

松原さんは、芭蕉の句「よく見ればなずな花咲く垣根かな」が好
きだそうで、きれいとは言えないペンぺン草のなずなの小さな花
が人知れず咲いているところに芭蕉は美を見出してつくった句だ
といわれている。

自然の中にある感動を読み取れるのは、心の受信装置が敏感だ
から、受信機があっても感度が鈍いとキャッチすることはできない
ので、普段からその感度を磨いておくことが大事だといわれてい
る。

仏教も同じで経典だけではなく、水鳥樹林の音もすべて仏の声で
あると自然を読み解く力が備われば、そこから逆境を生き抜く知
恵も生まれてくるという。

たまたま先日、鎌倉の禅寺円覚寺の拝観受付所で売られていた
色紙にこんなことが書かれていた。買わずに写真を撮ってすみま
せん。


ウォーキングの楽しみは、こういう言葉に出会うこと、そして、四季
の移り変わりを感じながら歩くことだ。

道端の名もない草花、石仏、景色、風、におい・・・人との会話・・・
ウォーキングはたくさんのプレゼントをしてくれる。

一人歩きが好きなのは、誰にも邪魔されず、気兼ねすることもなく
そういう時間を楽しめるからだ。

心の受信機の感度を磨くには、ウォーキングはいい機会だと思って
いる。

宝戒寺の境内で


円覚寺にあった坂村新民さんのことば




古寺巡礼ウォーク(2-2)鎌倉五山-浄妙寺・建長寺

2009-02-09 22:46:22 | 古寺巡礼
古寺巡礼(第2回-2)鎌倉五山-⑥浄妙寺⑦建長寺古寺巡礼・鎌倉五山巡りの後半コースへ

五山の第五位は、浄妙寺。ここに行く途中にある宝戒寺へ寄ってみた
ここは鎌倉で最大級の枝垂れ梅が有名と聞いていたので訪れて納得。


こんもりと小山を連想させるような見事な白梅、ここまで歩いてきてまだ冬枯れの鎌倉を彩っているのが梅であると感じていたが、宝戒寺の梅はお見事すぎる、人も多かった。




萩寺といわれるらしいので萩もきれいなんだろう。北条一族の鎮魂の目的で1335年(建武2年)に足利尊氏が建立されている。

ここから浄妙寺へは距離がありバスも考えたが、やっぱり巡礼は歩くこと、まがりくねった金沢街道の狭い歩道をどんどんすすむ。浄妙寺のバス停から左へ入って行くと山間に佇むように鎌倉五山五位の浄妙寺についた。


他の五山が北条氏と関係が深い中で、浄妙寺だけは足利氏と関係のある寺で1188年(文治4年)足利義兼が建てた真言宗が前身、その後に臨済宗に改宗、足利氏の保護のもとに発展したという。
この寺も重なる火災で衰退、いまの銅葺きの屋根の本堂が往時をしのばせている、参道の梅と白砂と本堂が背景の山に静かにおさまっていてとても雰囲気のあるお寺だった。




すぐ近くにある報国寺へ寄りたかったが時間がなくてパス、残念。
次は、鶴岡八幡宮から建長寺へ、その途中、寄りたかった鎌倉宮もパス、源頼朝の墓所へは寄ってみた。


鶴岡八幡宮も大勢の人が訪れていた、ここも二度め、SNSのおせつさんが紹介していた国宝のいちょうも、いまは冬の装い、舞殿で結婚式に遭遇、野次馬になってしばし見物させてもらった。




15時50分、八幡宮から建長寺へ
息子が幼稚園の頃から、京都・奈良の史跡を一緒に歩いたころのことをなつかしく思い出しながら今日最後の親子ウォーキング、建長寺を目指して鎌倉街道の狭い道を後ろ前に並んで歩く、あの頃は、朱印帳を持ち歩いていたのが息子、いまはその息子に連れられてご朱印を楽しみに集めるおやじ。二度めの建長寺の門前へ、なつかしい。


総門を入ると三門がそびえ立つ、そこから仏殿、法堂と建物が縦一列に並ぶ様は、鎌倉五山第一位の寺格を示している、臨済宗建長寺派の大本山だ。
鎌倉幕府五代執権北条時頼が1253年(建長5年)に建立したわが国最初の禅寺で本格的な禅の修行の場として発展した。中国の建物を模した禅宗様式は、のちにわが国の禅宗寺院建築に大きな影響を与えているそうだ。





鎌倉幕府が滅んだ後も、足利幕府によって保護され、現在も各地に400寺以上の末寺をもっている。

ラッキーだったのは法堂が特別公開中で普段見ることができない髭面のお釈迦様の像を見ることができた。法堂の天井には、小泉画伯の雲龍図が描かれている。


北鎌倉から新横浜へ、息子が心配したのか新幹線の入口までついてきた、午後8時半に自宅へ戻ることができた。
前日が、東海道53次丸子宿から府中宿まで歩き、今日は鎌倉五山巡り、天気にも恵まれ楽しい思い出に残る二日間を過ごすことができた。

同じ仏教を土台に栄えてきた京都・奈良とはまるで違う雰囲気が漂う鎌倉への関心はますます高まるばかり、機会をつくってまた訪れたい。

最後に「五山」について

「五山」とはインドの五精舎にならって中国で始められた制度で禅宗の保護と統制を目的に、格式の高い5つの寺と定めたもの。禅宗が入ってくるまでのお寺、たとえば東大寺、興福寺、延暦寺などの有名寺院は五山に含まれていない。

源氏の後を継いだ北条氏が京都の貴族文化と違った新しい仏教や文化を育てようと禅宗の育成に力を入れたことから鎌倉で五山制度が定められたらしい。室町時代になると京都五山が定められた。

ブログの記載内容は正確さを欠くところがあるかもしれません。鎌倉や仏教に詳しい方、間違いがあればご指摘いただけるとありがたいです。

古寺巡礼ウォーク(2-1)鎌倉五山-円覚寺・浄智寺・寿福寺

2009-02-09 19:36:04 | 古寺巡礼
急用で土曜日の午後に上京(静岡に途中下車、東海道五十三次の一宿場間ウォーク)東京で一泊して日曜日、古寺巡礼ウォークに息子と鎌倉五山を訪ねた。

本来は、京都五山を予定にしていたのだが、先に鎌倉へ、しかも息子と一緒に一日を過ごせるというめったにないチャンスとあって朝からまるで遠足気分、ホテルに迎えに来てくれる息子を待ちきれなくてロビーでうろうろ。

10時半、スタートの北鎌倉駅を下車、駅のすぐそばにある鎌倉五山の円覚寺へ
駅から円覚寺への道は大変な人、やっと憧れの円覚寺を訪れた嬉しさと息子と一緒で付いて歩けばいいという気楽さでるんるん、きのうの東海道ウォークと夜の痛飲とでいささか疲れ気味だった気分もふっとんでしまった。

円覚寺は鎌倉五山第二位の格式をもつ寺で、鎌倉幕府八代執権・北条時宗が1282(弘安5年)に創建した臨済宗・円覚寺派総本山。
文永・弘安の役で蒙古の大軍を撃破した時宗が、両軍戦死者の菩提を弔い、己の精神的支柱となった禅宗を広めたいと願い、中国から招いた無学祖元(仏光国師)を師として日夜参禅に励んだ、その師への報恩の念から無学祖元を開祖に円覚寺を建立したと伝えられている。


階段を上るといきなり目の前にそびえたつ山門に圧倒される、創建当時の建物はたび重なる火災で焼失、再建されているが、寺の奥にある舎利殿は、室町初期の建築で禅宗を代表する建物だそうだ。土曜参禅会の案内が掲示されているのを見て、近くにおれば・・・と残念に思った。




受付で売られていた色紙


ご朱印をいただいて次の浄智寺へ向かう、今日の五山巡り順序は、②円覚寺→④浄智寺→③寿福寺→⑤浄妙寺→(鶴岡八幡宮)→①建長寺の順路、JR北鎌倉駅スタート、ゴールですすむ建長寺を最後にしたのは、数年前に訪れているので時間がなくなればパスすることにした。

円覚寺から鎌倉海道を大勢の人の流れに続いて歩く、途中にある東慶寺へ寄った
東慶寺は、北条時宗夫人覚山尼が開山、明治に至るまで男子禁制の尼寺で、駆入寺または縁切として多くの女人を救済したとか。
咲き始めた梅が狭い参道を華やかにし、西田幾太郎、和辻哲郎、鈴木大拙、小林秀雄、佐佐木信綱・・・等、多くの文人の歌碑が立つ境内は女性の参拝人が目立って多かった。

ロウバイ、白梅、花の寺のよう・・・


東慶寺から次の浄智寺は近く街道からやや奥に入り込むと木々の間に唐風の建物が見えてくる浄智寺は鎌倉五山の第四位、開基は北条時宗の弟・宗政の夫人とその子師時でも宗政の菩提のために1281年(弘安4年)建立されたという。入口には、鎌倉十井のひとつ、甘露の井がある。
この寺の特徴は、唐門風の鐘楼門が印象的で規模は小さいが円覚寺や東慶寺のような人出もなく、静かでのんびりと散策するのにはとてもいい。受付のご婦人が話しかけてくれるほど訪れる人は少なかった。


本尊三世仏、阿弥陀・釈迦・弥勒が安置されている



次の鎌倉五山第三位の寿福寺をめざす、このコースは小さな峠越えがあり、うっかりハイカーにつられて木の根っ子の続くハイキングコースに踏み込んで引き返す羽目になったが、別れ道に標識もなく道も整備されていなかったので五山巡りの順路
ではなかったのかもしれない。春のような陽気に峠歩きで暑い、JRの路線わきに戻り鎌倉駅方向にすすむと寿福寺に着く。
ここは人通りの多い道路脇にあるので便利でわかりやすい寺だが、街道は人の列が続いているのに寿福寺を訪れる人は少なく、みかけたのは女性グループの四人だけ。正門から続く長い参道には誰もいなくて騒々しい通りから一歩入っただけなのに驚くほどの静けさだった。寿福寺は、源頼朝の夫人政子が、夫の源頼朝を供養するために1200年(正治2年)に建立されたが、大火でほとんどが焼失、北条政子と源頼朝の供養塔が立つ、拝観はできない。受付場所もなくご朱印はインターホンでお願いした。



JRの踏切を渡り鶴岡八幡宮前の賑やかな通りを人ごみに紛れるようにぶらぶら、そばやさんに入って昼食、休憩。時間はすでに午後1時半。
後半は、→(鶴岡八幡宮)→①建長寺の順路でJR北鎌倉駅へ。

(2-2)へ続く

古寺巡礼ウォーク(第1回)①東大寺②興福寺

2009-01-13 15:37:02 | 古寺巡礼
ウォーキングを始めて9年目、その間、4年間、協会に所属して多くの例会に参加してきたし、ウオーキングサークルを主宰して7年、個人でも熊野古道、琵琶湖一周、しまなみ海道を歩いてきた。東海道五十三次ひとり歩きも順調にすすんでいる。

そして今回から新たなウオーキング・シリーズ

「古寺巡礼ウォーク」100寺を訪ねてのスタート!

東海道五十三次に続く二つ目のシリーズウォーク、三年かけて関西の100寺をしっかりと歩いてみることにした。もしかしたら、これが求めていた最終のウオーキングのような気がする。

簡単な記録でも残しておけば、お寺巡りとカメラの好きな息子やまだ見ぬ孫に足跡として残せるだろうと思う。

成人の日、その一歩を踏み出した。
奈良は寒かった、12時過ぎに近鉄奈良駅についたらちらちらと雪が寒い出迎えをしてくれた。
温かいそばを食べて天気の回復を待ち12時45分、駅前の行基菩薩像前から巡礼ウォークのスタート


後から行く興福寺の五重塔が見える奈良公園。




こんなに寒くても奈良は観光客でいっぱい、おなじみの鹿もせんべいをねだってすり寄ってくる。


順番、鹿せんべい売りのおばちゃんのところで待ってる鹿たち
おーい、誰か早くせんべいを買っておくれ!


国立博物館前を通り右へ、最初の巡礼古寺は、奈良の象徴的な「東大寺」


若草山は山焼き前の冬景色、鹿は元気!


東大寺、もう、何度来ていることか、周辺も含めてよく分かっているのだが、それは白紙にして、しっかり巡礼ウォークにこだわることにした。
東大寺の総門にあたる正門の南大門から大仏殿(金堂)へ向かう、南大門には左右に運慶、快慶の大きな金剛力士像(国宝)が力強い表情で迎えてくれる。


南大門を入ると大仏殿(後ろの建物)がある中門(左前)へ、そこを壁にそって左へすすむと大仏殿へ入る入口がある。


中門を左へすすみ拝観受付から入ると目の前に木造建造物世界一の大仏殿が寒空に威容を誇るように立っている。そして、中に入ると目の前に本尊の大仏さん(盧舎那仏・国宝)、高さ15メートル、見上げるようにして、久しぶりに写真を撮らせてもらった。




柱の根元に大仏様の鼻の穴と同じ大きさの穴があいていてそこをくぐり抜けると幸運がくるとか・・・子供たちが親の写真撮影にモデルにされて、何人も挑戦している姿がほほえましくて思わずこちらもシャッターを押した。


東大寺は、奈良時代の8世紀中ごろ神亀5年(728)、聖武天皇の皇太子、基王の菩提を追修するために建てられた金鐘山寺(きんしょうせんじ)が始まり。745年に東大寺となり、大仏は752年に開眼供養が行なわれたが、大仏殿や講堂などの伽藍が完成したのは789年。現在の伽藍は1709年に再建されたものである。華厳宗大本山。本尊は盧舎那仏で天平勝宝5年(753)に完成。

この巡礼ウォークでは、「朱印」をいただくことにした。朱印帳は、熊野古道巡りで完歩した熊野本宮大社で買ったもの。熊野古道から古寺巡りへと引き継いで行く。



次に訪れたのが「戒壇院」、大仏殿中門から西へゆるい坂道を降りて行くと右手にある。
戒壇院は、天平勝宝6年(754)に唐から来日した鑑真和上が、東大寺大仏殿の前で、日本に初めて戒律を伝えたことが建立の由来になった。
戒壇とは、僧侶が戒律を守ることを仏前に誓う儀式を行うところ、戒壇院では、僧侶のためにの資格認定の儀・授戒が行われていた。いまの本堂は、江戸時代に再建されたもの、厳粛な雰囲気の静けさの中にひっそりとたたずんでいる本堂は、戒壇の名にふさわしい趣がある。

堂内では、誰もいない、自分一人だけで国宝の四天王立像を身近に拝観できて感動を覚えた。朱印には「国宝四天王」と書かれていた。でもここを訪れる人は少ない。


お堂の石畳の両側を白砂が敷かれ若草山をきれいに臨める、おすすめの戒壇院。


次は、二月堂へ向かうが、途中、少し寄り道して正倉院へ、ここは宮内庁管轄なので土日祭日は閉まっていることを知っていたので塀にそって歩き、やや遠回りして柵の外から建物が見える場所まで移動してみた。寒いのに柵の間からカメラを向けたりのぞいたりしている人がいたが、遠くから来た観光客なのだろうか・・・。



二月堂には、東大寺の裏参道を通る、大仏殿の背中を歩くのもかくれた楽しい道、やがてゆるやかな坂、やわらかな曲がり道は土塀の続く石畳の小道になり、向こう正面に二月堂が見えてくる、ここの風情は大好きだ。カメラスポットで写真でもよく紹介されているところ。ここは女性の散策している姿がいつもみられる、外人さんも多い。



二月堂は、春の到来を告げるお水取りで広く知られている。二月堂は、下から見上げても美しい建築様式だが、舞台のある回廊からの眺めはすばらしい。東大寺の大仏殿も正面下に見え、奈良市内も一望できる。


ここから生駒山に落ちる夕陽の美しさは格別で毎年、夏の夕刻に写真撮りにきているところだ。


寒いので境内にある茶店でおはぎ抹茶を頼んだ、おはぎの大きかったこと、でも温まった。社務所で、朱印をお願いした。


すぐ隣の三月堂の前を四月堂を右にして東大寺方面に石段を下りながら、鐘楼、行基堂、俊乗堂へ寄ってみた。

東大寺の前にある鏡池を散策、ライトアップの時期、ここの池に映る東大寺の姿はカメラスポットとして気に入っている。
そこで「古寺巡礼ウォーク」と書きこんだ用紙とリュックと帽子の記念写真を撮った。

鹿と観光客でごつたがえしている東大寺門前のお土産物屋の前を通り、巡礼ウォーク二番目の「興福寺」へ向かう。時間は午後3時半、日没までは時間がないのでここは速歩。


まず、猿沢の池から興福寺の五重塔を眺めたい、ここは、夏の燈火会のビューポイント、珍しく人がいなくてのんびりと池の周りを歩くことができた。


興福寺は、藤原鎌足が、大化改新(645年)の成功を願って建立した釈迦三尊像を安置するため、669年に妻の鏡女王が京都山科に建てた山階寺を起源とする、そして、和銅三年(710)の平城京遷都に際して、寺は左京三条七坊の地に移して興福寺と称された。以降、藤原氏や朝廷が深くかかわったために絶大な権力をもつに至り、その結果、わが国の宗教界はもとより政治、経済、社会、文化に多大な影響を及ぼしてきた。
1998年に世界遺産に登録、国宝26件、重要文化財44件、うち国宝彫刻17件は、わが国の国宝彫刻の14%を占めるという。(興福寺パンフレット参考)

すでに4時をまわり日は西に傾き、その夕日から受ける影が五重塔が一層に引き立たせ、若草山を背にする位置からの五重塔は奈良1番の高さを見せつけてくれた。
光明天皇によって天平2年(730)に建立された五重塔は5回焼失し、いまの塔は応永33年(1425)に再建されたもの、高さ51メートル、五重塔では、京都・東寺に次ぐわが国2番目の高さ、国宝。


なにしろ広大な敷地、建物、じっくり見るには半日もかかるといわれているくらいでとても時間がないので、五重塔の隣り、国宝の東金堂を拝観することにした。
興福寺を訪ねると五重塔とこの東金堂は必ず目にする建物で、聖武天皇が奈良時代の神亀3年(726)に元正天皇の病気回復を願って造立した薬師三尊を安置するお堂、焼失あと応永22年(1415)に再建された。堂内の真中に座する薬師如来座像は手の届く位置にあり、その美しさと堂々とした威厳が格調の高さを感じさせてくれた。朱印をいただいて100メートルほど南にある南円堂へ



南円堂は、西国33ヵ所の9番札所だけに、リュックサック姿やウォーキング姿の人が大勢きていた、興福寺の中では、すこし雰囲気の違うところと感じた。
八角形の朱塗りのお堂で、ここにも堂内に国宝の観音像と四天王立像がある。



興福寺のはしの目につきにくいところに国宝のある北円堂、下がったところにある
国宝の三重塔をめぐるうちに日没、薄暗くなり予定コースを巡ったので近鉄奈良駅へ、寒風の奈良公園内を約4時間、拝観を含めて12000歩、しっかりと歩いた。17時2分の快速電車に乗った。

普段から仏像は、しっかりと観ていると思ったが、改めて時間をかけて訪ねてみると違った見方があるものだと気がついた。

古寺巡礼ウォークは、自分が自分と向かい合うウォーキングだと感じた。眺めている仏像の中に実はもう一人の自分がいるような、その自分がこちらの自分を見ているような、そんな気がしてならなかった。
自分の中にいる仏様、仏心、それを忘れてはならない。

その思いをしっかり持って、自分をしっかり見て、しっかりと対話して、しっかり歩くことにしたい。

100寺巡礼ウォークはスタートした、3年後の100寺はどこの古寺やら、楽しみだ。

私の古寺巡礼。

2009-01-09 22:31:24 | 古寺巡礼
思いが通じたのだろうか、今夜NHKテレビの関西特集
「みんなが選んだ古寺を楽しむ」をみてしみじみとそう思った

今年のウォーキング目標の一つに五木寛之さんの「百寺巡礼」
の中から25寺を訪ねるウオーキングを倶楽部メンバーに発表
したところだった


しかし、奈良、京都のそれぞれ10寺は何度も訪ねているお寺ばかり
なのでどんな訪ね方をしたらいいのやら考えていたところ
夕べ、買ったばかりの手帳にそれを記入しょうとして気がついた
和辻哲郎さんの古寺巡礼、写真家の入江泰郎さんの大和路や
土門拳さんの古寺巡礼もある

それなら自分の古寺巡礼ウォークにしたらいい

「私の(ランドセル)の古寺巡礼ウォーク」

それに「座禅ウォーク」を組み込んだランドセル風ウォークに
することにした

そこに導くようなNHKの番組、びっくりした
思いが通じたのかなあ・・・と不思議さを覚えた

歴史と精神文化に恵まれている関西に住んでいるのだから
この豊かな天からの授かりものをこれからも生涯の心の道
として歩き続けていくことにきめた

どんな巡礼になるかしれないが、「自分の古寺巡礼」100寺
にでかける

明日は、今年の初歩き、すでに年頭から古寺巡礼は奈良公園
からと決めていたので予定通りでかけてくる

戻ってくるかと思っていた息子も戻れなくなったし東海道五十三次
もモティベーションが下がったままになっているのでぶらり奈良
公園の古寺巡礼を楽しんできたい

「私の(ランドセル)の古寺巡礼ウォーク」が
どんな古寺巡礼になるやら自分でもわからないが楽しみだ



NHK大阪の「みんなで選ぶ 古寺」のアンケートから
ベストテンは下記のようになったそうだ
どのお寺も二度以上訪れているので目に浮かぶ
①②③は私のベストスリー

  第一位  三千院   ③
  第二位  浄瑠璃寺  ①
  第三位  東寺
  第四位  東大寺
  第五位  清水寺
  第六位  室生寺   ②
  第七位  法隆寺
  第八位  四天王寺/龍安寺
  第十位  長谷寺