今年も8月6日が近づいてきた。
この時期になると、気分が重くなる。
あの悲惨な被爆の思い出がよみがえってくるからだ。
あれから今年で62年目、はるか過ぎ去ってことなのに
あの日のあの時に戻るのだ。
近所のうちのかぼちゃ畑にたって遊んでいた5歳の自分が
そこにいるのだ。
そして、ゆっくりとあの日のことが、きちんと見えてくる。
ヒロシマに生まれてヒロシマで育った者の義務として
伝えていかないといけないノーモア・ヒロシマ!
せめて、年に一度でも、この期間、ヒロシマを忘れないで
ほしいと、自作のホームページを紹介し続けている。
http://www.human-dy.com/hirosima.html
被爆者手帳をもつ母も、よくぞ、92歳まで生きてきた。
しかし、悲惨なあのことは、話してくれないままだ。
この時期になると、気分が重くなる。
あの悲惨な被爆の思い出がよみがえってくるからだ。
あれから今年で62年目、はるか過ぎ去ってことなのに
あの日のあの時に戻るのだ。
近所のうちのかぼちゃ畑にたって遊んでいた5歳の自分が
そこにいるのだ。
そして、ゆっくりとあの日のことが、きちんと見えてくる。
ヒロシマに生まれてヒロシマで育った者の義務として
伝えていかないといけないノーモア・ヒロシマ!
せめて、年に一度でも、この期間、ヒロシマを忘れないで
ほしいと、自作のホームページを紹介し続けている。
http://www.human-dy.com/hirosima.html
被爆者手帳をもつ母も、よくぞ、92歳まで生きてきた。
しかし、悲惨なあのことは、話してくれないままだ。
二度とこのような悲しい事が繰り返されないように
語り継いでいかなければ、いけませんね。
ランドセル少年さんの、貴重な経験を聞かせていただきました。ありがとうございます。
ホームページも作っておられるので、本当に感心致しました。ホームページに書かれている文章の生々しい悲惨さ、この続きをもっと書いてほしい気もしますが・・・。やめて置きたい気もします・・・。
私あたりが戦争の記憶がわずかにでも残る年齢です。
息子には、長崎の爆心地まで連れていくなど、平和教育はしたつもりですが、政治家があんなことを言うんですからさびしいことです。
ヒマジンの試行錯誤さん、こんにちは!ありがとうございます。戦争の記憶は、断片的ですが、あの日のことは、はっきりと時間を追って覚えていますので、よほど、恐怖心をかきたてるものだったのでしょうか。゛近所で、被爆の犠牲にならなかったのは、わが家くらいで、両親も原爆の話は、一切しないできました。いま、こうして生かしてもらっていることにお礼をしないままではいけないと、慰霊碑をウォークでめぐることにしているのですが、まだ、実現していません。だめですネ。
本日コメントを書かせていただきます。
昔、広島を訪れ、記念碑を見たり、平和記念資料館などを訪れました。
ショックでしたね。
当時の広島で被爆された方々のことを思うと、
言葉もありませんでした。
それから、原爆について、
当時の歴史を学び、
日本人として、当然最低限度のことは知っておこうという姿勢でいます。
8時15分の黙祷もさせていただいています。
日本国内では、
原爆の記憶が薄らいでいるということですが、
寂しい限りです。
「核兵器」「平和」については、
いろいろな意見があると思います。
子供達への平和教育をみていますと、
ただ「平和を愛する」とか「戦争は何が何でもだめ」というような、
理想論的な話が多くて、
それが世界に通じ、
世界が武装解除すればいいのですが・・・
近隣では危険な国も次々あります。
難しい時代になりつつありますね。
今日UPしたいと思っていた「合掌」という歌を、
トラックバックさせていただきました。
聴いてみて下さい。
原爆で犠牲になられて多くの方々に、
掌を合わせお祈りいたします。
すばらしいです。すばらしいです。
皆さんで演奏していただいたんですね。
ありがとうございます。
涙がこぼれますよ。
関西に出てきた若いころ、「原爆」とか「平和」というと先輩から、「アカ」と間違えられ、上からにらまれたらえらいことになるぞ、口にすることはやめとけ!と言われたもんですよ。
戦後の最も大事な時期、最も真実を知っている人たちが多かった時期に、平和や原水爆問題は思想レベルの争いの具にされ、政党や団体のおもっゃにされ、ヒロシマやナガサキの声は、消されてしまいました。
高校時代には、県でグループをつくって全国の高校生にヒロシマの声を届けようと、活動をしたもんです。あの頃は、若者にも連帯感がありました。記念式典にもいつも行ってました。
関西に出てきて、ここは、そんなこととは、無縁の地でした。というより、ヒロシマとナガサキ以外にヒロシマとナガサキはないんですよ。
うちの交流会でも、そういう問題を八月のテーマに何度もしてきましたが、虚しいほど反応がありませんでした。
日本は、外国に対して主語を失った国です。
国を守る気概もプライドもなくしてしまいました。
いつも、そう思うといらだつのです。
自分にできることは、広島県人だから、原爆の悲惨さだけは、なんとしても継承していきたい、そう思って毎年、HPでヒロシマの道を知ってもらおうとしています。
私は、政治的にも思想的にも、どこの、なににも属するものはありませんから、遠慮も制約もありませんが、あまりに無力ですわ。
今年もヒロシマの日はまもなく終わります。合掌。