抜けるような晴天に、木々の梢が朝日に美しく輝いている。往来も穏やかな正月二日目。昨夜は弓張りの月と金星が、絵に描いたように星空を彩っていた。この時期の空気はひんやりと綺麗である。庭に出ると出会い頭に野良猫と遭遇。いわゆるブチ色のどこにでもいる典型の猫。年の頃が一二歳か。じっと見つめ合う。初めて見るやつで相手も自分を敵か味方か確かめるように、じっとうかがうが、やがて馬鹿にしたような顔をして悠々と木立の中に姿を消していった。今日は庭にハンモックを吊ろうかとおもう。ブラジリアで手に入れた特製のやつで、二人が乗っても大丈夫、これを2本の木に結わえておく。ブラジルでは、家の外にハンモックを吊るしている人がやたら多い。乾いた気候の場所だけに、軒下に吊ったままにして、老人がそこに寝ている風景はよく見かける。それをまねをしょうという算段だ。本を2-3冊持ち込めば、明るい日差しのある内は目も疲れないし、結構読書も進む。一昨年末故人となった鉄道マニアの世界の旅人の藤井常男氏(風景評論家、旅のペンクラブ会員)が南伊豆の別荘の中に、自分でこしらえた渡り廊下に、ハンモックを吊り、ビール片手に読書をしていたのを思い出した。とてもそんな粋人のマネは出来ないけれども。
(年越し派遣村)
テレビに写し出される「年越し派遣村」の様子は、まさしく災害地の救済のすがたと一緒である。派遣労働者は難民そのものであり、廃棄物のように捨てられた。それも、名だたるリーデイングカンパニーによって。これは連鎖反応的に拡がるのではないか。これを見た者は、企業というものは、それも大企業ほどお金を儲けるマシンになってしまったと悟ったであろう。大企業が儲かれば給料が上がり、下請け、中小企業に波及し経済全体が良くなるとマスコミもさんざ言っていたが全くのでたらめだった。いかに愚かであったか、いまは多数の人が忸怩たる思いで自らの思いこみを反省しているのではないか。何兆円もお金を貯めている名だたる大企業がなりふり構わず、首切りの血刀を振り回す姿の壮絶さを見るにつけ、幻想を追いかけるのではなく自然の中に密かに身を寄せて、「足るを知る」という生活をすることがみんなを幸せにすると考えてしまう。「4里四方のものを食べ、飲めばもっとも健康」という俚諺に真実を感じる。結局、人間は自然の一部でしかありえないのに、都市における生活はそれを真っ向反対している。日本人は世界中のものを食べて、グルメなんて言っているが、ほんまにええんでしょうかねと思う人も急増しているはずだ。
090103
正月第三日、またも抜けるような晴天。電車で数駅先にある妻の実家に。恒例の家族新年会へ。もう35年以上も続けている。その間世代が代わり、我らは祖父・祖母の時代に。妻の3姉妹、それぞれの娘、息子たちとそれぞれの配偶者、孫たちと4世代17人の大集合である。新年会は、6年前、3年前にそれぞれ他界した3姉妹の両親に黙祷を捧げた後、にぎやかに手作りの料理を持ち込んでわいわいがやがや、仲がよい。死んでいったものも年の順番通りで、病気や事故で問題が起こった例はない。今時たぐいまれな幸福家族かもしれない。自分の元気はいつもここからもらっている。
090104
4日、今日は日曜日であるためか世間は活動に入っていない。今日は、英語サロンの日と地域の人たちと新年交流会を予定。誰が来るか分からないが時間のある人はどうぞというオープンハウス。ポトラック方式の飲食持ち込みのパーテイである。来る人は5人か10人か、15人か。
午前中は、豚汁づくりの準備で買い物に。豚汁は作ったことがないが、なんとなく分かる。予定通り庭の一角にシートを張って調理場所を設営、場所の大きさは8畳ぐらい、七輪と簡易ガスコンロを持ち込み、前者は熱燗、後者は豚汁鍋をセット。ダイコン、ゴボウ、ニンジン、豚肉、昆布茶(出し)、白みそを混ぜただけのもの。何人来るか分からないので、少しづつ作るが結構香ばしい匂いがしてくる。人採り準備を終えると庭の枯れた芝生の植えに仰向けに寝てつくづくと空を見た。視界にはザクロとハナミズキの冬枯れ枝が飛び込んでいるが、冬の空はきわめて綺麗である。
12時半頃からぽつぽつと来客。最初の来客は寝ている自分を見てちょっとびっくりしていた。寝ころぶのは止めて来客を室内に案内する。悪いが手が足りないのですべてお手伝いに「動員」。来る人はほとんどが、近所の人で、わが英語サロンの人とか、コーラス、及び憲法の会(九条の会)で知り合った方々、そして二人の米国人(親子)。結局、最終的に23人であった。ひととおり自己紹介をするだけで時間の大半を費やしてしまうという和気藹々ぶり。さすが初対面でも近所に住んでいるという関係は、共通の話題もあり親しみがわくのも早い。笑う声が大きく響き、元気を出して思い切って英語で自己紹介を試みる人が次々に現れ、普段はしゃべらない人も英語で挑戦するという雰囲気も作った。音楽も良い味付けになった。これで4日連続、お酒に飲まれることになったが、来た人は一段と友好を深めたに違いない。夕刻6時半頃まで会は続いた。
(年越し派遣村)
テレビに写し出される「年越し派遣村」の様子は、まさしく災害地の救済のすがたと一緒である。派遣労働者は難民そのものであり、廃棄物のように捨てられた。それも、名だたるリーデイングカンパニーによって。これは連鎖反応的に拡がるのではないか。これを見た者は、企業というものは、それも大企業ほどお金を儲けるマシンになってしまったと悟ったであろう。大企業が儲かれば給料が上がり、下請け、中小企業に波及し経済全体が良くなるとマスコミもさんざ言っていたが全くのでたらめだった。いかに愚かであったか、いまは多数の人が忸怩たる思いで自らの思いこみを反省しているのではないか。何兆円もお金を貯めている名だたる大企業がなりふり構わず、首切りの血刀を振り回す姿の壮絶さを見るにつけ、幻想を追いかけるのではなく自然の中に密かに身を寄せて、「足るを知る」という生活をすることがみんなを幸せにすると考えてしまう。「4里四方のものを食べ、飲めばもっとも健康」という俚諺に真実を感じる。結局、人間は自然の一部でしかありえないのに、都市における生活はそれを真っ向反対している。日本人は世界中のものを食べて、グルメなんて言っているが、ほんまにええんでしょうかねと思う人も急増しているはずだ。
090103
正月第三日、またも抜けるような晴天。電車で数駅先にある妻の実家に。恒例の家族新年会へ。もう35年以上も続けている。その間世代が代わり、我らは祖父・祖母の時代に。妻の3姉妹、それぞれの娘、息子たちとそれぞれの配偶者、孫たちと4世代17人の大集合である。新年会は、6年前、3年前にそれぞれ他界した3姉妹の両親に黙祷を捧げた後、にぎやかに手作りの料理を持ち込んでわいわいがやがや、仲がよい。死んでいったものも年の順番通りで、病気や事故で問題が起こった例はない。今時たぐいまれな幸福家族かもしれない。自分の元気はいつもここからもらっている。
090104
4日、今日は日曜日であるためか世間は活動に入っていない。今日は、英語サロンの日と地域の人たちと新年交流会を予定。誰が来るか分からないが時間のある人はどうぞというオープンハウス。ポトラック方式の飲食持ち込みのパーテイである。来る人は5人か10人か、15人か。
午前中は、豚汁づくりの準備で買い物に。豚汁は作ったことがないが、なんとなく分かる。予定通り庭の一角にシートを張って調理場所を設営、場所の大きさは8畳ぐらい、七輪と簡易ガスコンロを持ち込み、前者は熱燗、後者は豚汁鍋をセット。ダイコン、ゴボウ、ニンジン、豚肉、昆布茶(出し)、白みそを混ぜただけのもの。何人来るか分からないので、少しづつ作るが結構香ばしい匂いがしてくる。人採り準備を終えると庭の枯れた芝生の植えに仰向けに寝てつくづくと空を見た。視界にはザクロとハナミズキの冬枯れ枝が飛び込んでいるが、冬の空はきわめて綺麗である。
12時半頃からぽつぽつと来客。最初の来客は寝ている自分を見てちょっとびっくりしていた。寝ころぶのは止めて来客を室内に案内する。悪いが手が足りないのですべてお手伝いに「動員」。来る人はほとんどが、近所の人で、わが英語サロンの人とか、コーラス、及び憲法の会(九条の会)で知り合った方々、そして二人の米国人(親子)。結局、最終的に23人であった。ひととおり自己紹介をするだけで時間の大半を費やしてしまうという和気藹々ぶり。さすが初対面でも近所に住んでいるという関係は、共通の話題もあり親しみがわくのも早い。笑う声が大きく響き、元気を出して思い切って英語で自己紹介を試みる人が次々に現れ、普段はしゃべらない人も英語で挑戦するという雰囲気も作った。音楽も良い味付けになった。これで4日連続、お酒に飲まれることになったが、来た人は一段と友好を深めたに違いない。夕刻6時半頃まで会は続いた。
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