151027 愛・・最近のコーラスの選曲から
「何も言わずに 抱きしめて 愛しい人よ あなたが すべて 悲しいことは 忘れましょうただ二人だけの徽がほしい あなたの瞳に映る 愛の誓い そうよ二人はもう 離れはしない 愛し合い 永遠に抱き合ったままで 炎に焼かれて 一つになる もう泣かないで 愛しい人 私がここに いつもいるから みんな忘れて 二人だけの かけがえのない愛の印が ほしいの Je Te Vuex」
私どもの日本の文化では、とても同化できない情景と直截な表現である。西欧人は、毎日のように夫が妻に「愛しているよ」と抱き留めてキスをするのが当たり前のような作法があるように見えるが、日本人の我々には、行動で愛を表す方式は西欧とは違い、言葉にはしないものである。しかし日本でも西洋でも愛の深さには変わりあるまいに。西洋人が、このような愛の表現を目の前で私どもに見せるとつい我々は照れて顔を伏せてしまう。こういう文化に育っているので、上のような歌詞は、日本人が、敢えて言えば私のような旧い日本人が感情を表して歌うことは難しい。ただ口を動かして歌詞をなぞるような歌い方になるので、聴いている人には響かないように思う。さあ、これをどのように聴衆に伝えるか?悩ましい。
第二曲は題名が「あい」といい、谷川俊太郎の詩による最近作だ。これは第一曲と対照的に内に向きあう広い意味の愛を探ろうとする讃歌のようだ。
「愛 口で言うのは簡単だ 愛 文字で書くのも難しくない 愛 気持は誰でも知っている愛 哀しいくらい 好きになること 愛 いつでも側にいたいこと いつまでも生きてほしいと願うこと・・・ 愛 それは愛という言葉ではない 愛 それは気持だけでもない 愛 遥かな過去を忘れないこと 愛 見えない未来を 信じること 愛 繰り返し 考えること 愛 命をかけて 生きること」
歌詞を読んでいけば、とても論理的である。結局、愛とは『気持』だけではなく、自分の内部で過去と未来を対話させ、生きている喜びに高めていくこと・・・生きている素晴らしさの謳歌と読める。歌詞は深遠である。歌にした時これをどのように表すのか?これまた実に悩ましい。歌の技巧だけではなく、自分の内部で考えつつ、自分らしい奔放さと個性を出して 歌っている仲間の共感を引き出すこと・・できないね。
とはいえ、何気なく歌っている(鼻歌のように)はずの私が、こんなに真剣に歌に向き合った動機は、歌詞をどうしても暗譜できないので、歌詞の解釈から入ろうと思ってしたことで、こんなことは久しくなかったように思う。
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