田園調布の山荘

「和を以て貴しとなす」・・ 日本人の気質はこの言葉[平和愛好]に象徴されていると思われる。この観点から現代を透視したい。

合唱グループに加わって(4)

2009年03月07日 00時53分02秒 | 愛・LOVE・友 

上司は総じて新入社員に優しく、先輩たちは大切に扱ってくれていた。ろくに仕事も出来ないのに給料をもらい、親切にされるのだったが、今時の世の中から見ると考えられないことかも知れない。「会社は金持ちだなあ」と思ったことは一度や二度ではない。そんな会社のコーラス部、先輩に「だまさ」れて入部したもんだった。歌が好きだとはその時まで思っても居なかったのに、一緒に歌っているうちに何となく慣れが生まれて、いっぱしの顔をして歌っていたように思う。なんと言っても、女の子と一緒に歌うのが軽い興奮を覚えたのだったことは間違いない。当時の私は大変な痩躯で、体重が50キロそこそこだったので、それが一番悩みの種だった。きっと声に力もなかったに違いない。今は体重が70キロ近くあり、体型も最低の状態になっているので減量に努めなければならない状態だが、うまい具合の中庸になった試しがない。とにかく、職場の合唱には欠かさず参加していた、というよりいつの間にか団の仕事のおはちが回ってきた。サークル活動というものは、どうしても若年のものに力仕事が回ってくるし、それを引き受けるのも大切である。私はこの会社に20年にて、独立したがその間大体10年間は何らかの形でコーラスに属していたように思う。「思う」というのは、最後の5年間はさしたる記憶が無いからだ。新入社員から5年間は、たくさんの記憶があり、色々な歌も覚えたが、後の5年間は、余り熱心に練習に出なかった、というより出られなかったことによるのだろう。その原因は思いあたる。入社して数年後に小さな不況がやってきた。そしてさらに数年後には、繊維産業が構造不況業種になるという惨憺たる時代になる。沖縄返還と繊維輸出規制が日米間で取引された結果である。その先繊維産業は全く上がり目が無く、工場の再編、統合、労働者の解雇、設備の売却、異業種転換が進み、われわれは揉み九茶になる。もはやコーラスどころではなくなり、1972年頃からは全く離れてしまった。私が再びコーラスに出会うのは2006年の1月であった。34年ぶりである。(続)

最新の画像もっと見る

コメントを投稿