去年参加しなかったにも関わらず、今秋開催予定のとあるマラソン大会の事務局から開催通知のハガキが送られてきた。
同じように複数回参加している大会でも、去年参加していないだけでもう縁は切れたものとされることもあるわけで、そうなると無駄玉を承知で送ってきてくれたことによって、その自治体は相対的に印象もずっと良くなるわけである(もともとそこは将来移住してもいいくらいに好印象ではあるけれども)。
マラソン大会が開催される土地ごとの、「外からの客」に対するメンタリティの違いも浮き彫りになる気も・・・。
そりゃあ参加したいけれどもさ、秋の観光シーズンの土曜日に遠方に移動することを考えると、このゴールデンウイークの有名観光地の大混雑をTVで眺めたばかりゆえ、うんざり気分が先に立ちますわな。
とはいえ、怪しい謀略に伴う歪んだ強制が多少は緩んでくるトレンドが続くなら、そろそろマラソン大会に出走しますかね・・・という気分にもなってくるわけである。
ここ数年のいかがわしい状況に陥る前から、混雑する場所に身を置くケースでは、どこの馬の骨かわからん奴らの発する邪気をダイレクトに吸い込みたくないから、それを避ける心構えを示す意味でもマスクはしていた(長澤まさみちゃんや浜辺美波ちゃんからのダイレクトなモノなら全然ウェルカムだが)。
とあるマラソン大会のスタート地点で、露骨に狭いスペースで待機せねばならない中の大混雑時は、誰~もマスクをしていない中で堂々と付けていて、スタートして数百メートル過ぎて多少バラけてくるまでそのまま走ったこともあるくらいだし(2019年の秋)。
ウイルスを含んだ飛沫のサイズとマスク繊維のサイズを比較して、オーソドックスなマスクの無意味さをアピールする風潮があるのは承知している。だが、無神経な輩の発する邪気に対して無警戒なままだと、運も悪くなってくると思うわけである。
太平洋戦争の陸海軍の生き残りパイロットのエピソードに目を通すと、機体に蜂の巣のように敵の砲弾を受けまくろうが、幸運ならば体やエンジンなどの急所は奇跡のように外れるものらしい。それが好例である。
かくなる奇跡、ないし幸運を掴むには、卓抜した操縦技量、類稀な射撃センス&敵弾回避センスもさることながら、警戒意識と状況判断能力、本人ないし身内の強い信仰をほのめかすエピソードにも随所で行き当たった(中にはあっけらかんとしたケースもあるにせよ)。
ひょんな移動命令や偶然の配置転換で「最悪」を回避し、結果的に生存につながるケースも見受けられる。そういう状況を招くのも、天の配剤めいている側面もあるわけであって、やはりどうしようもない運命と嘆くばかりでなく、自ら運を切り開く気概というか、意識的に出来ることをどう主体的に行うか。
やはりここでも安部譲二さんの名言「競馬は注意力」が脳裏をよぎる。
意味がないように思えるものでも、幸運ならば隙間だらけのマスク繊維にウイルスの方から引っ付いて、体内には入ってこない(多少入って来たとしても、免疫システムの対処により撲滅)。所詮そんなもんだと思うのである。強運ならばだ。
というわけで、体制側が一般レベルを油断させるように仕向けているような「裏」が透けて見える昨今も警戒は絶対に怠らず、心肺機能と足腰を衰えさせないようにそこそこジョギングし、ヒトの免疫力を貶めるような洗脳にはとことん「どこ吹く風」でいられるようにしていくのである。
で、話は戻って秋のマラソン大会。
今回ハガキを送ってくれた自治体の大会にはまたいつか必ず出るとして、今秋から来年早々にかけては近場で1つか2つ出走出来たらいいな。
同じように複数回参加している大会でも、去年参加していないだけでもう縁は切れたものとされることもあるわけで、そうなると無駄玉を承知で送ってきてくれたことによって、その自治体は相対的に印象もずっと良くなるわけである(もともとそこは将来移住してもいいくらいに好印象ではあるけれども)。
マラソン大会が開催される土地ごとの、「外からの客」に対するメンタリティの違いも浮き彫りになる気も・・・。
そりゃあ参加したいけれどもさ、秋の観光シーズンの土曜日に遠方に移動することを考えると、このゴールデンウイークの有名観光地の大混雑をTVで眺めたばかりゆえ、うんざり気分が先に立ちますわな。
とはいえ、怪しい謀略に伴う歪んだ強制が多少は緩んでくるトレンドが続くなら、そろそろマラソン大会に出走しますかね・・・という気分にもなってくるわけである。
ここ数年のいかがわしい状況に陥る前から、混雑する場所に身を置くケースでは、どこの馬の骨かわからん奴らの発する邪気をダイレクトに吸い込みたくないから、それを避ける心構えを示す意味でもマスクはしていた(長澤まさみちゃんや浜辺美波ちゃんからのダイレクトなモノなら全然ウェルカムだが)。
とあるマラソン大会のスタート地点で、露骨に狭いスペースで待機せねばならない中の大混雑時は、誰~もマスクをしていない中で堂々と付けていて、スタートして数百メートル過ぎて多少バラけてくるまでそのまま走ったこともあるくらいだし(2019年の秋)。
ウイルスを含んだ飛沫のサイズとマスク繊維のサイズを比較して、オーソドックスなマスクの無意味さをアピールする風潮があるのは承知している。だが、無神経な輩の発する邪気に対して無警戒なままだと、運も悪くなってくると思うわけである。
太平洋戦争の陸海軍の生き残りパイロットのエピソードに目を通すと、機体に蜂の巣のように敵の砲弾を受けまくろうが、幸運ならば体やエンジンなどの急所は奇跡のように外れるものらしい。それが好例である。
かくなる奇跡、ないし幸運を掴むには、卓抜した操縦技量、類稀な射撃センス&敵弾回避センスもさることながら、警戒意識と状況判断能力、本人ないし身内の強い信仰をほのめかすエピソードにも随所で行き当たった(中にはあっけらかんとしたケースもあるにせよ)。
ひょんな移動命令や偶然の配置転換で「最悪」を回避し、結果的に生存につながるケースも見受けられる。そういう状況を招くのも、天の配剤めいている側面もあるわけであって、やはりどうしようもない運命と嘆くばかりでなく、自ら運を切り開く気概というか、意識的に出来ることをどう主体的に行うか。
やはりここでも安部譲二さんの名言「競馬は注意力」が脳裏をよぎる。
意味がないように思えるものでも、幸運ならば隙間だらけのマスク繊維にウイルスの方から引っ付いて、体内には入ってこない(多少入って来たとしても、免疫システムの対処により撲滅)。所詮そんなもんだと思うのである。強運ならばだ。
というわけで、体制側が一般レベルを油断させるように仕向けているような「裏」が透けて見える昨今も警戒は絶対に怠らず、心肺機能と足腰を衰えさせないようにそこそこジョギングし、ヒトの免疫力を貶めるような洗脳にはとことん「どこ吹く風」でいられるようにしていくのである。
で、話は戻って秋のマラソン大会。
今回ハガキを送ってくれた自治体の大会にはまたいつか必ず出るとして、今秋から来年早々にかけては近場で1つか2つ出走出来たらいいな。