昨日21日、近所に住む女性たちと、日帰りバスツアーで奈良・京都へ行きました。
10人参加の予定が、インフルエンザで一人欠席になりましたが、マイクロバスは奈良向けて出発しました。
京奈和道で法隆寺へ向かいます。
法隆寺は近くを通ることがあるのですが、中へ入ったのは学生時代に京都から来て以来です。
法隆寺は日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録された寺院です。
南大門をを通って、広い境内を回ります。
中門は工事のため覆いがかかっています。
回廊のそばで、法隆寺についての説明がありました。
回廊の柱はエンタシス形式です。
教科書で習いましたね。
その後、説明と歴史の教科書をを思い出しながら、まず五重の塔へ。
塔はストゥーバともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するところで、仏教寺院では最も重要な所だそうです。
塔の最下層には釈尊が入滅の場面(北面)など、東西南北にそれぞれ表現されています。
大講堂と金堂です。
金堂な中には金銅製の釈迦三尊像金銅薬師如来座像、金銅阿弥陀如来坐像、などたくさんの仏像が安置されています。
残念ながら、昭和24年の火災で焼失した壁画も再現されていました。
聖徳太子の尊像を安置した精霊院を、
を経て、平成10年に落成した百済観音堂を中心とする大宝蔵院へむかいました。(大宝蔵院の写真はありません)
ここでは百済観音像や玉虫厨子に出会いました。
百済観音は八頭身のスマートなお姿です。
そして玉虫厨子、小さいものかと思っていましたが、大きいです。
大宝蔵院は1400年の歴史を持つ法隆寺の宝物が、たくさん安置されています。
最後は夢殿です。
八角形の建物には秘仏救世観音像が安置されていました。
法隆寺では1時間30分くらいかけて、1400年前の飛鳥時代にタイムスリップしました。
教科書で習った、仏像や建物を目の当たりにして、同行した皆と来てよかったねと話しました。
でも残念ですが建物以外は撮影禁止なので、ブログには登場できません。
この後、バスは京都へ向かい、宇治平等院へ行きます。
10人参加の予定が、インフルエンザで一人欠席になりましたが、マイクロバスは奈良向けて出発しました。
京奈和道で法隆寺へ向かいます。
法隆寺は近くを通ることがあるのですが、中へ入ったのは学生時代に京都から来て以来です。
法隆寺は日本で初めてユネスコの世界文化遺産に登録された寺院です。
南大門をを通って、広い境内を回ります。
中門は工事のため覆いがかかっています。
回廊のそばで、法隆寺についての説明がありました。
回廊の柱はエンタシス形式です。
教科書で習いましたね。
その後、説明と歴史の教科書をを思い出しながら、まず五重の塔へ。
塔はストゥーバともいわれ、釈尊の遺骨を奉安するところで、仏教寺院では最も重要な所だそうです。
塔の最下層には釈尊が入滅の場面(北面)など、東西南北にそれぞれ表現されています。
大講堂と金堂です。
金堂な中には金銅製の釈迦三尊像金銅薬師如来座像、金銅阿弥陀如来坐像、などたくさんの仏像が安置されています。
残念ながら、昭和24年の火災で焼失した壁画も再現されていました。
聖徳太子の尊像を安置した精霊院を、
を経て、平成10年に落成した百済観音堂を中心とする大宝蔵院へむかいました。(大宝蔵院の写真はありません)
ここでは百済観音像や玉虫厨子に出会いました。
百済観音は八頭身のスマートなお姿です。
そして玉虫厨子、小さいものかと思っていましたが、大きいです。
大宝蔵院は1400年の歴史を持つ法隆寺の宝物が、たくさん安置されています。
最後は夢殿です。
八角形の建物には秘仏救世観音像が安置されていました。
法隆寺では1時間30分くらいかけて、1400年前の飛鳥時代にタイムスリップしました。
教科書で習った、仏像や建物を目の当たりにして、同行した皆と来てよかったねと話しました。
でも残念ですが建物以外は撮影禁止なので、ブログには登場できません。
この後、バスは京都へ向かい、宇治平等院へ行きます。