SARP VOL.2 『駐車禁止』
(約40分、その後 アフタートーク)
コンテンポラリーダンス。
あまり見たことのないジャンル。
おおっと驚いたことも沢山なので
思ったことなど書きとめてみた。
・・・・・・・・・・
いわゆる踊りなのかと思っていたら、
今回は短いけどセリフがあった。
ん?劇なのか?ダンスなのか?
そしてスクリーンに映る映像は何なのか?
飛んで跳ねて 引っ張り 叩き 叫び 投げる etc.
目の前のことに多少うろたえながらのスタート。
舞台の上では同時多発に色々な動きがあるから、
どうしよう・・・
どこかに注目しても他が気になるので、
感覚器官をフル稼働せねば いけないのかなと思った。
でもあんまり力むと疲れるので、
私は音から入ろうかな、と。
早く遅く、大きく小さく、次々変わる音に合わせて、
体も揺れるともなく揺れる・・ようにしているうちに
気分が ふぅ~っとなってきた。
自分の波長が同調してきたような、
自分の一部もそこに混じっていくような
感じがして、心地良かった。
“日常的にある気持ち”を動きに・・・
と、アフタートークでは
言われていたかと思うけど、
動きだけ見れば突拍子ないもの。
特に“暴力的”と言われていた、
叩く、叫ぶ、投げるなど
乱暴に扱うことも・・・たぶん人前では 普段しない。
そんなことを今、人前でしている。
この場ではアリなんだと思うと、
なぜか気持ちが楽になって、解放された。
“暴力”は、かなり自分の身に覚えがあったから。
演出の矢内原さんが、
子どもの頃よく叩かれた話をされていたが、私も同じだ。
私は長いこと、絶対に
叩く側の人間ではないと思っていた。
でも子育てを始めて、他人の子ではない
我が子と向き合う中で湧く衝動は、
自分でも恐ろしいくらいだった。
暴力的な動きは、別にそれを
肯定しているわけではないのだろう。
でも、目の前にある、確かにある、誰にでもあると、
理屈じゃなく感じて、なぜかそれが
私には嬉しかった。
後ろめたいことも受け入れてくれるようだと思った瞬間、
ちょっと泣けた。
舞台の上で白い段ボール箱が放り投げられたり
積まれたりするのを見ていたら、
すごく一緒にやりたくなった。
(後の話では、それもずいぶん練習された、
大変な動きだったそうだが)
見ている私には、無心になれる
解放される動きだった。
そこらじゅうにあるものを 力いっぱい
ぶん投げたくなることがあると思う。
実際にはそんなことできないけれど。
でも、目の前の人の体を借りて
自分も一緒にしているような気持ちになって、
抑えているものがパーンと外れたように気も高ぶった。
(後で、がれきを連想させられたという話を聞いて、
はっ!!そうか~~と初めて気付いたくらい、
自分の中のよく分からない世界に浸ってたのかもしれない)
最後の方はよく覚えていない。
「がんばれー」とか言いながら、床に這いつくばった人の足を
ずるずる引っ張っていくあたりを見ていたら、
頭が締め付けられる感じがしたのは覚えている。
外したい外したい どうにかしたい
という感覚でいっぱいだったから。ごめんなさい。
・・・・・・・・・・
アフタートーク。
出演していた学生さんたちは、ダンスなど
経験の少ない人が多かったので驚いた。
作り上げていく中で悩み、投げ出しそうになりながらも
頑張ってきた話に共感した。
大人になっても、初めてのことに もがき あがくもの、
私も同じだと心の中で手を振った。
どうにかして やり通す (ところまで出来ないにしても)
頑張っていくことで得られるものはあると思う。
だから、どんなふうに見えたとしても、一生懸命は いい。
そんな ひとつひとつの頑張りが、次の自分を支えてくれる。
今がどんなでも、そのまま受け止めいこうと、
励まされて終わった。
表現されているものとか、
さっぱり分かってなかったかも知れない。
でも見て良かった。開かれて、洗い流されるような
デトックスな気分だったのは確か。私にとっては。
ちなみに映像の方で面白かったのは、
つーと横切る車のかたちが上と同じく
下にも影?のように映ってたのと、
人間バーコードみたいなのと、
立った人の腹に、体操する人間の影が映って
ひょこひょこ動いてたのと。
それが最後にぴゃーーっと散っていく様は、
今、(オタクには)話題の、
『輪るピングドラム』を彷彿として---
ピンドラ ピンドラ!!と心の中で はしゃいでしまった。
P.S.
暴力について思ったこと。
テレビを見ていて。(クロ現代)
ちょっと違うかもしれないけど、
私の中では似たようなものを感じた、
中東の民主化の流れ。
抑えつけられたものが爆発する感じ。
それにしてもなんだろう あの映像。
権力者の顔が写された布に向かって
大勢で靴を投げつけてるの。
(燃やすとかは、よく見るけど)
後で自分の靴、探すのかな・・・とか
余計なお世話?
そんなこと考えてたら、出来ないよね。
それほどの気持ちなんだよね。
でも それと解決と、どうつながっていけばいいのかと
ちょっと考えさせられた。
(約40分、その後 アフタートーク)
コンテンポラリーダンス。
あまり見たことのないジャンル。
おおっと驚いたことも沢山なので
思ったことなど書きとめてみた。
・・・・・・・・・・
いわゆる踊りなのかと思っていたら、
今回は短いけどセリフがあった。
ん?劇なのか?ダンスなのか?
そしてスクリーンに映る映像は何なのか?
飛んで跳ねて 引っ張り 叩き 叫び 投げる etc.
目の前のことに多少うろたえながらのスタート。
舞台の上では同時多発に色々な動きがあるから、
どうしよう・・・
どこかに注目しても他が気になるので、
感覚器官をフル稼働せねば いけないのかなと思った。
でもあんまり力むと疲れるので、
私は音から入ろうかな、と。
早く遅く、大きく小さく、次々変わる音に合わせて、
体も揺れるともなく揺れる・・ようにしているうちに
気分が ふぅ~っとなってきた。
自分の波長が同調してきたような、
自分の一部もそこに混じっていくような
感じがして、心地良かった。
“日常的にある気持ち”を動きに・・・
と、アフタートークでは
言われていたかと思うけど、
動きだけ見れば突拍子ないもの。
特に“暴力的”と言われていた、
叩く、叫ぶ、投げるなど
乱暴に扱うことも・・・たぶん人前では 普段しない。
そんなことを今、人前でしている。
この場ではアリなんだと思うと、
なぜか気持ちが楽になって、解放された。
“暴力”は、かなり自分の身に覚えがあったから。
演出の矢内原さんが、
子どもの頃よく叩かれた話をされていたが、私も同じだ。
私は長いこと、絶対に
叩く側の人間ではないと思っていた。
でも子育てを始めて、他人の子ではない
我が子と向き合う中で湧く衝動は、
自分でも恐ろしいくらいだった。
暴力的な動きは、別にそれを
肯定しているわけではないのだろう。
でも、目の前にある、確かにある、誰にでもあると、
理屈じゃなく感じて、なぜかそれが
私には嬉しかった。
後ろめたいことも受け入れてくれるようだと思った瞬間、
ちょっと泣けた。
舞台の上で白い段ボール箱が放り投げられたり
積まれたりするのを見ていたら、
すごく一緒にやりたくなった。
(後の話では、それもずいぶん練習された、
大変な動きだったそうだが)
見ている私には、無心になれる
解放される動きだった。
そこらじゅうにあるものを 力いっぱい
ぶん投げたくなることがあると思う。
実際にはそんなことできないけれど。
でも、目の前の人の体を借りて
自分も一緒にしているような気持ちになって、
抑えているものがパーンと外れたように気も高ぶった。
(後で、がれきを連想させられたという話を聞いて、
はっ!!そうか~~と初めて気付いたくらい、
自分の中のよく分からない世界に浸ってたのかもしれない)
最後の方はよく覚えていない。
「がんばれー」とか言いながら、床に這いつくばった人の足を
ずるずる引っ張っていくあたりを見ていたら、
頭が締め付けられる感じがしたのは覚えている。
外したい外したい どうにかしたい
という感覚でいっぱいだったから。ごめんなさい。
・・・・・・・・・・
アフタートーク。
出演していた学生さんたちは、ダンスなど
経験の少ない人が多かったので驚いた。
作り上げていく中で悩み、投げ出しそうになりながらも
頑張ってきた話に共感した。
大人になっても、初めてのことに もがき あがくもの、
私も同じだと心の中で手を振った。
どうにかして やり通す (ところまで出来ないにしても)
頑張っていくことで得られるものはあると思う。
だから、どんなふうに見えたとしても、一生懸命は いい。
そんな ひとつひとつの頑張りが、次の自分を支えてくれる。
今がどんなでも、そのまま受け止めいこうと、
励まされて終わった。
表現されているものとか、
さっぱり分かってなかったかも知れない。
でも見て良かった。開かれて、洗い流されるような
デトックスな気分だったのは確か。私にとっては。
ちなみに映像の方で面白かったのは、
つーと横切る車のかたちが上と同じく
下にも影?のように映ってたのと、
人間バーコードみたいなのと、
立った人の腹に、体操する人間の影が映って
ひょこひょこ動いてたのと。
それが最後にぴゃーーっと散っていく様は、
今、(オタクには)話題の、
『輪るピングドラム』を彷彿として---
ピンドラ ピンドラ!!と心の中で はしゃいでしまった。
P.S.
暴力について思ったこと。
テレビを見ていて。(クロ現代)
ちょっと違うかもしれないけど、
私の中では似たようなものを感じた、
中東の民主化の流れ。
抑えつけられたものが爆発する感じ。
それにしてもなんだろう あの映像。
権力者の顔が写された布に向かって
大勢で靴を投げつけてるの。
(燃やすとかは、よく見るけど)
後で自分の靴、探すのかな・・・とか
余計なお世話?
そんなこと考えてたら、出来ないよね。
それほどの気持ちなんだよね。
でも それと解決と、どうつながっていけばいいのかと
ちょっと考えさせられた。