野田市関宿は千葉県の西北の突端にある街で、利根川と江戸川の分岐点に位置します。かつての関宿城を模した関宿城博物館があるので、4日に見学に行って来ました。結構遠くて、ナビの案内どおりに行ったら渋滞があったせいもあり、2時間近くかかりました。
分かりやすいように地図を載せておきますね。
ゆるキャラのチーバくんは千葉県の形をしています。
入口
中は四階なっていて、一階には利根川の治水工事の説明や資料がびっしり展示されていました。資料が多くて、それも年代順になっておらず、分かり難くて困りました。帰ってからWkipediaなどで調べましたが、色んな川の名前が出て来て余計に分かりませんでした。
やっと簡単な説明を見つけたので載せてみます。
「古来、利根川は太平洋ではなく、江戸湾(現在の東京湾)に注いでいました。現在のような流路となったのは、数回に渡る瀬替えの結果です。近世初頭から行われた河川改修工事は利根川東遷事業と呼ばれ、徳川家康によって江戸湾から銚子へと流路を替える基礎がつくられました。
東遷事業の目的は、江戸を利根川の水害から守り、新田開発を推進すること、舟運を開いて東北と関東との交通・輸送体系を確立することにありました。
東遷の工事は、当時栗橋付近から江戸湾に流れていた利根川の流れを東に移し、台地を切り通して赤堀川としたほか、常陸川と多くの湖沼を結びつけて銚子に流すものでした。
事業は文禄3年(1594)から60年の歳月をかけて承応3年(1654)に完了。これによって、わが国最大の流域面積を誇る河川が誕生したのです。
利根川東遷より前、今の江戸川は渡良瀬川の下流で、太日川(ふといがわ)と呼ばれていました。利根川東遷により、渡良瀬川は利根川に流れ込むようになりました。一方、関宿から金杉(野田市)までの間を掘って新しい川を作り、利根川と太日川をつなぎました。こうして誕生したのが江戸川です。利根川と江戸川の分岐点になるのがこの関宿なのです。」
重機の無い時代の土木工事はさぞ大変だったろうと思います。
四階に登ってみました。四方の景色が見えるようになっています。
北側 利根川と江戸川の分岐点です。奥は茨城県、右に流れるのが利根川、左が江戸川です。分岐点までは1km、道があって無いような歩いては行き難い場所だそうです。
東側に利根川が見えます。
南側 真ん中付近の鉄塔の左奥にうっすらと見えているのがスカイツリーだそうです。
外に出て、お城の写真を撮りました。
1995年に出来たそうで、小さいけれど綺麗です。
周囲はのどかな田んぼで、田植えが済んだところもありました。
階段があったので上ってみると、細い江戸川の流れが見え、ちょっと感動しました。
うちの近くを流れているのは、「江戸川放水路」です。
「江戸川放水路は、1919年に江戸川の河口部が開削され、誕生しました。この放水路の目的は、河床上昇による洪水の被害を避けるためで、かつては明治時代になっても洪水被害が頻繁に発生していました。ですから、開削された川を「放水路」と呼ぶようになったのです。江戸川放水路は江戸川の本流となったため、篠崎から下流の旧流路は「旧江戸川」と呼ばれるようになりました。」
ついでに、旧江戸川と江戸川放水路の分岐点の写真を以前撮ってあるので載せましょう。
江戸川水門と閘門 ここで川の水位を調整しています。うちから歩いて20分位の所にあります。
話がそれてすみません。関宿博物館は高齢者は入場無料、駐車場も無料で驚きました。売店はありましたが、カレーしかないような食堂は 閉鎖されていました。お昼になってもアイスクリームしか食べられず、帰り道でやっと天ざるを食べました。有料でいいから、もう少し軽食を食べられる場所を作って欲しいです。見物客は皆アイスクリームを食べていました!
やっと良い天気になったこの日、見学とドライブを楽しんで来ました。
地理、歴史、科学、色々なものを
知ることができる博物館なんですね。
利根川、
東京湾から、太平洋に変わったとは、
大きな川が、何度も氾濫して、
昔の人々を困らせたのを感じます。
それを今のように変えて、水源として役に立ち、作物に水を与える人々に役に立つ
川になったのを感じました。
2時間のドライブ、お疲れ様でした^^
今日から出勤で、久々に電車からです。
関宿に行ってこられたのですね!
とは言え、私が知ってる関宿は三重県の関宿でしたので、関宿違いでした。
千葉県にも関宿があるとは知りませんでした。
見晴らしのいいとても気持ちの良さそうなところですね!
江戸川がそんなふうになっていたとは知りませんでした。
分岐点があるのですね。
お天気に恵まれ、とても楽しまれたようで、良かったです(^^)
野田といえば醤油で有名なところですね。
利根川東遷事業と呼ばれる河川改修工事は、大掛かりな事業だったようです。
これによって、坂東太郎と呼ばれた暴れ川・利根川の氾濫も防ぐことができたようですね。
縄文時代や1000年前の利根川の流れと、現在の流れを利根川上流河川事務所の地図で見ると
その変貌ぶりがよくわかりますね。複雑だった流れがすっきりしていますものね。
💻頂きしたコメントや👍のお礼が遅く成り済みません。✌で~す!
@('_')@今日の「関宿博物館のブログ」を見せて頂✍コメントで~す。
🏯写真と説明で様子が良く判りご案内有難う御座いました。👍&👏で~す。
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🎥大竹市晴海ふ頭をウオーキングしましたのでお付き合い頂ければ嬉しいで~す!
見て頂いた感想コメントも楽しみにお待ちしていますネ。
🔷今週も元気で頑張りましょ~!それではまた👋・👋!
おはようございます。
私も関宿、また千葉から遠い所までと思ってしまいました。
東海道の関宿とは違いました。
関宿博物館の見学。
利根川の地理、歴史が勉強出来ましたね。
いいお天気で大型連休は終わってしまいました。
関宿は地図で見ると、わが家からも近くて1時間ほどで行けると
思っていましたが、さざんかさんの家からだとずいぶんかかりますね。
私が博物館の説明を見ていたら、難しくて諦めて調べなかったでしょう。
利根川東遷事業の説明、さざんかさんの説明で理解できました。(^.^)
利根川の流れは、徳川家康によって流路を変える基礎が作られたのですね。
60年の年月をかけて完了した利根川の流れ、今のように重機の無い時代、
大変な難工事だったのでしょうね。わが家の近くにも利根川が流れています
が、このような先人たちの事業によって洪水もない生活が出来ているのでしょうね。
関宿城、博物館の見学を単なる観光でなく、このように過去の歴史を考える
ことのきっかけにする、さざんかさんはさすがです。(^.^)
久しぶりに遠くまで出かけて来ました。
書き加えましたが、2時間罹ったのは一般道が渋滞していたせいです。
江戸湾に流れ込んで暴れていた利根川を、銚子に抜けるようにしたのは、さぞ大工事だったことと思います。
博物館の展示は詳し過ぎたので、帰ってから調べて書きました。
昨日は投稿が纏まらず、頭を抱えて過ごしました。
今日はゆっくりしたいです。
関宿博物館、連休中だったのに混雑というほどでも無く、丁度良い人出で良かったです。
久しぶりに田園地帯に行きましたよ。
周りは何にも無い所でした。
歴史好きの夫が以前から行きたがっていたし、私はshuさんの投稿に関宿城が見えた、とあったので行きたくなって、丁度良かったです。
利根川東遷の歴史をとくと読んで来ました。
江戸川もこのように分岐しているんですよ。
分岐点までが千葉県です。
お早う御座います。
地図を見ると幸手に近くに見えますが2時間かかるんですね、お城の博物館なんて素敵ですね、仕事では江戸川を通りましたが
歴史があったのですねきっと江戸川を通る時思いだしますよ、ありがとう御座います!
一応位置関係の画像を追加しました。
本当に角のように突き出た千葉県の隅です。
博物館の中は川の説明、関宿藩の歴史、周囲で見られる鳥など、展示物が山にようにあって、詳しく見ていたら一日かかりそうでした。
観終わって、さあ遅いお昼を食べようと思ったら、アイスクリーしか無い!
これには参りました。
でもドライブも出来、川の歴史も勉強できて、楽しかったです。
連休中、初めて晴れた日でしたから。