「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」の
館内の展示はもちろん素晴らしいですが、
屋外にも飛行機が展示され無料で見ることができます。
真夏の青空に映えて展示されていた
様子を紹介します。(29日)
博物館の前に並ぶ、屋外実機展示場で4機が並んでいます。
その4機を紹介します。
川崎 V-107A ヘリコプター
各務原で量産された多用途ヘリコプター
ボーイング・バートル社で開発されたバートル107を、ライセンス契約に基づいて
川崎航空機工業(現:川崎重工業)が国産化した機体。
陸海空の自衛隊で各種の用途で使用されたほか、スウェーデンやサウジアラビア
などへの輸出も行われ、1962(昭和37)年から26年間にわたり、159機が
各務原で製造された。
展示機は陸上自衛隊の第101飛行隊(那覇市)で救援機として使用された
機体です。
日本航空機製造 YS-11A-500R 中型輸送機
戦後日本で初めて開発・量産された旅客機
戦後日本で初めて開発・生産された旅客機。1959(昭和34)年に設立された
日本航空機製造に航空機メーカー6社が参画して設計・製造した。試作機の
初飛行は1962(昭和37)年に名古屋飛行場で行われた。1973(昭和48)年
までに182機が製造され、海外にも輸出された。
展示機は、全日空とエアーニッポンで運行されていた機体で、主翼とエンジン
ナセル(エンジンを履う部分)は各務原で生産された。1995(平成7)年11月末
に退役し、同年12月5日岐阜飛行場へ最終飛行した。
国内線で活躍していたので利用したことあります。
新明和 US-1A 救援飛行艇
荒天の洋上にも離着水でき海難救助などで活躍した飛行艇
当館で展示しているUF-XS実験飛行艇の成果を基に開発された対潜哨戒飛
行艇PS-1を水陸両用の救難飛行艇にした機体。フラップや動翼への高圧
空気の吹き出しなどの高揚力装置や波消し装置により、波高3メートルの
荒天の洋上でも離着水できる。この特長を生かし、海難救助や離島間の輸送
などに活躍した。
展示機は海上自衛隊第31航空群第71航空隊(岩国市)に所属していた
9078号機で、1995(平成7)年12月12日に岐阜基地へ最終飛行した。
後方から見ると、尾翼が高いのがよく分かります。
まるで「目」ですよね~。
機体ナンバーの後ろにあります。
川崎 P-2J 対潜哨戒機
各務原で量産された潜水艦を探知、攻撃できる飛行機
ロッキード社のP2V-7をベースにして、エンジンをターボプロップに置き換え、
胴体の延長、装備の近代化などの大改造をした、水中の潜水艦を探知、攻撃
出来る機体。1969(昭和44)年から約10年間にわたり82機が各務原で生産
され、1994(平成6)年度まで海上自衛隊の主力機として活躍した。
展示機は、海上自衛隊第1航空群第7航空隊(鹿児島県鹿屋市)に所属して
いた4782号機で、1994(平成6)年5月26日に岐阜基地へ里帰り飛行した。
操縦席がヘリと同じように、最前列に。
見晴らしは好いでしょうが、怖そう。
ご訪問ありがとうございます。
館内の展示はもちろん素晴らしいですが、
屋外にも飛行機が展示され無料で見ることができます。
真夏の青空に映えて展示されていた
様子を紹介します。(29日)
博物館の前に並ぶ、屋外実機展示場で4機が並んでいます。
その4機を紹介します。
川崎 V-107A ヘリコプター
各務原で量産された多用途ヘリコプター
ボーイング・バートル社で開発されたバートル107を、ライセンス契約に基づいて
川崎航空機工業(現:川崎重工業)が国産化した機体。
陸海空の自衛隊で各種の用途で使用されたほか、スウェーデンやサウジアラビア
などへの輸出も行われ、1962(昭和37)年から26年間にわたり、159機が
各務原で製造された。
展示機は陸上自衛隊の第101飛行隊(那覇市)で救援機として使用された
機体です。
日本航空機製造 YS-11A-500R 中型輸送機
戦後日本で初めて開発・量産された旅客機
戦後日本で初めて開発・生産された旅客機。1959(昭和34)年に設立された
日本航空機製造に航空機メーカー6社が参画して設計・製造した。試作機の
初飛行は1962(昭和37)年に名古屋飛行場で行われた。1973(昭和48)年
までに182機が製造され、海外にも輸出された。
展示機は、全日空とエアーニッポンで運行されていた機体で、主翼とエンジン
ナセル(エンジンを履う部分)は各務原で生産された。1995(平成7)年11月末
に退役し、同年12月5日岐阜飛行場へ最終飛行した。
国内線で活躍していたので利用したことあります。
新明和 US-1A 救援飛行艇
荒天の洋上にも離着水でき海難救助などで活躍した飛行艇
当館で展示しているUF-XS実験飛行艇の成果を基に開発された対潜哨戒飛
行艇PS-1を水陸両用の救難飛行艇にした機体。フラップや動翼への高圧
空気の吹き出しなどの高揚力装置や波消し装置により、波高3メートルの
荒天の洋上でも離着水できる。この特長を生かし、海難救助や離島間の輸送
などに活躍した。
展示機は海上自衛隊第31航空群第71航空隊(岩国市)に所属していた
9078号機で、1995(平成7)年12月12日に岐阜基地へ最終飛行した。
後方から見ると、尾翼が高いのがよく分かります。
まるで「目」ですよね~。
機体ナンバーの後ろにあります。
川崎 P-2J 対潜哨戒機
各務原で量産された潜水艦を探知、攻撃できる飛行機
ロッキード社のP2V-7をベースにして、エンジンをターボプロップに置き換え、
胴体の延長、装備の近代化などの大改造をした、水中の潜水艦を探知、攻撃
出来る機体。1969(昭和44)年から約10年間にわたり82機が各務原で生産
され、1994(平成6)年度まで海上自衛隊の主力機として活躍した。
展示機は、海上自衛隊第1航空群第7航空隊(鹿児島県鹿屋市)に所属して
いた4782号機で、1994(平成6)年5月26日に岐阜基地へ里帰り飛行した。
操縦席がヘリと同じように、最前列に。
見晴らしは好いでしょうが、怖そう。
ご訪問ありがとうございます。
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます