よっちゃんの独り言

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八溝山

2014年05月16日 | 日記
何年かぶりで八溝山に。

県道248号を登れば良いものを、蛇穴から登り細い道を苦労して運転した。

茨城、栃木、福島にまたがる八溝山頂には福島県棚倉町で建てた標識が建っていた。


頂上で麓から登った若い女性4人組と会い、水を求めていたため飲料水を差し入れした。

山頂からの眺めは良く、展望台も整備されている。


山頂には八溝山頂神社がありひっそりと佇んでいた。




帰路、八溝山山頂近くの「日輪寺」を参拝した。



日輪寺は坂東21番霊場として多くの信仰を集めているようだ。

この日もマイクロバスでの参拝者がいた。

大子市街への帰路「高徳寺」を訪ねた。


山門の刀痕で有名だ。




(以下参考)
江戸期、外国船が日本近海を航行し、世情騒擾となっていたとき、水戸藩では、「攘夷を行なって神州を守る」等と尊王攘夷を主張する、数十人のグループがあり、元治元年3月27日筑波山で挙兵しました。

 このグループは後に「天狗党」と言われますが、世情の後押しもあって、たちまち数百名の同士等が集り、藩内の一大勢力となりましたが、反して、藩内の守旧派(門閥派、諸生党ともいわれる)も、天狗党の武力鎮圧に乗り出し、幕府も数万の応援軍を出し鎮圧に加勢しましたので、双方の間に戦争が始ってしまいました。

 戦争は、下妻から始まり、諸所で展開されましたが、多勢に無勢、やがて天狗党が押され気味となりましたので、自分たちの真意を京都にいる一橋慶喜に訴え、戦況を打開しようと西上することになりました。

 その出発点となったのが、常陸大子の村でありますが、刀痕跡は、その天狗党が滞在していた頃に生まれたとの伝説があるようです。

ここ高徳寺は天狗党が追われ西進するルート史跡として有名だ。