「水戸」の歴史散歩に出た
まずこの人たちに挨拶をして
水戸駅から徒歩300mほどのところにある「水戸黄門神社」へ
さらに歩くこと500mで「弘道館」へ
弘道館「正庁」
1841年、水戸藩9代藩主である「徳川斉昭」が開設した「藩校」だ
正門には刀傷が残されており、「弘道館の乱」時につけられたものだ
これは正門を内側から見ている
正庁に入ると大きな「尊攘」の文字が・・・
尊王攘夷を旨とした水戸藩の考え方が見える
「対試場(中庭)」だ
さきの大震災で大きな被害を受けたが、改修工事を終え見事に甦っている
しばらく出向いていなかったので「弘道館記」の記載された石碑のある「八卦堂」の位置がわからず、茶店のおばさんと懇談
それはそれは丁寧な説明を受けた
昔は八卦堂も敷地内だったが正庁周囲を塀で囲ったため塀の外になったと
一旦出て、八卦堂に向かう
震災で粉々になった石碑が見事に復元されていた(残念ながら画像がない)
大政奉還後、沙汰を受けるまでここ弘道館で時を過ごした「徳川慶喜」の苦悩を偲ぶ「至善堂」で思いをはせた
まずこの人たちに挨拶をして
水戸駅から徒歩300mほどのところにある「水戸黄門神社」へ
さらに歩くこと500mで「弘道館」へ
弘道館「正庁」
1841年、水戸藩9代藩主である「徳川斉昭」が開設した「藩校」だ
正門には刀傷が残されており、「弘道館の乱」時につけられたものだ
これは正門を内側から見ている
正庁に入ると大きな「尊攘」の文字が・・・
尊王攘夷を旨とした水戸藩の考え方が見える
「対試場(中庭)」だ
さきの大震災で大きな被害を受けたが、改修工事を終え見事に甦っている
しばらく出向いていなかったので「弘道館記」の記載された石碑のある「八卦堂」の位置がわからず、茶店のおばさんと懇談
それはそれは丁寧な説明を受けた
昔は八卦堂も敷地内だったが正庁周囲を塀で囲ったため塀の外になったと
一旦出て、八卦堂に向かう
震災で粉々になった石碑が見事に復元されていた(残念ながら画像がない)
大政奉還後、沙汰を受けるまでここ弘道館で時を過ごした「徳川慶喜」の苦悩を偲ぶ「至善堂」で思いをはせた