昨日、「道の駅かつら」で地域案内人としてPR活動を行っていた
じっと私の胸元を見つめる人がいた
45歳前後と思われる紳士だった、私が掲げていた案内人の名札を見ていたようだった
「〇〇さんですか?」
私が「はい〇〇です」と答えると
「〇〇さんは〇〇〇〇さんをご存知ですか?」と
「はい、よく知っています」と
「私は西尾幹二の付け人で〇〇と申します」
「西尾幹二が小学生のころ「戦時疎開」をしていた〇〇〇〇さんのお宅を探しています」と
「西尾先生に会っていただけますか?」と
「案内業務が午後2時過ぎに終わるのでそれからだった大丈夫です」と答えた
約1時間後、付け人2人を従え西尾さんが現れた
丁寧な挨拶ののち、〇〇〇〇さん宅を案内することになった
行く前に私から〇〇〇〇さんの自宅に電話を入れ、説明をさせていただきお伺いする許可をいただいた
到着すると西尾さんは食い入るようにあたりを見回し、私はここに疎開していたと
ここからは那珂川が見え、前の畑では野菜を作っていたと
今年84歳になる西尾さん、付け人に手を支えられながら遠い記憶を蘇らせようとしていた
ひととおり周囲を見終え、中庭で〇〇〇〇さんの妻である87歳の〇子さんと懇談
残念ながら疎開時に一緒に遊んだという〇〇〇〇さんは約3年前に他界
懐かしい思い出がよみがえったのか、当時の様子を語り始めた西尾さん
「水戸市内で暮らしていたが、終戦直前に日立が艦砲射撃に遭い大きな被害が出、間もなく水戸も同様となると読んだ西尾さんの父親、艦砲射撃が届かない地として現在の常陸大宮市野口地区を目指した」そうだ
当時村役場の助役を務めていた△△さんの紹介で、ここに疎開できたと
わずか半年の疎開だったが、那珂川で魚釣りをしたりその思い出は今も脳裏に鮮明に記憶していると
西尾さんは現在84歳、執筆活動に評論活動等に懸命だ
西尾さんと別れてからネットで「西尾幹二さん」と入れると「ドイツ文学研究者」から「評論家」としての多才な活動を知ることとなった
先生の付け人さんから
「先生はこの地への思いが強く私たち二人が案内役で二泊三日で来ました、目的が達成できてよかったです」と感謝された
2時間ほどの対面だったが、偶然にも道の駅で見た私の名札から疎開先を見つけていただき、本当によかったと感じた
じっと私の胸元を見つめる人がいた
45歳前後と思われる紳士だった、私が掲げていた案内人の名札を見ていたようだった
「〇〇さんですか?」
私が「はい〇〇です」と答えると
「〇〇さんは〇〇〇〇さんをご存知ですか?」と
「はい、よく知っています」と
「私は西尾幹二の付け人で〇〇と申します」
「西尾幹二が小学生のころ「戦時疎開」をしていた〇〇〇〇さんのお宅を探しています」と
「西尾先生に会っていただけますか?」と
「案内業務が午後2時過ぎに終わるのでそれからだった大丈夫です」と答えた
約1時間後、付け人2人を従え西尾さんが現れた
丁寧な挨拶ののち、〇〇〇〇さん宅を案内することになった
行く前に私から〇〇〇〇さんの自宅に電話を入れ、説明をさせていただきお伺いする許可をいただいた
到着すると西尾さんは食い入るようにあたりを見回し、私はここに疎開していたと
ここからは那珂川が見え、前の畑では野菜を作っていたと
今年84歳になる西尾さん、付け人に手を支えられながら遠い記憶を蘇らせようとしていた
ひととおり周囲を見終え、中庭で〇〇〇〇さんの妻である87歳の〇子さんと懇談
残念ながら疎開時に一緒に遊んだという〇〇〇〇さんは約3年前に他界
懐かしい思い出がよみがえったのか、当時の様子を語り始めた西尾さん
「水戸市内で暮らしていたが、終戦直前に日立が艦砲射撃に遭い大きな被害が出、間もなく水戸も同様となると読んだ西尾さんの父親、艦砲射撃が届かない地として現在の常陸大宮市野口地区を目指した」そうだ
当時村役場の助役を務めていた△△さんの紹介で、ここに疎開できたと
わずか半年の疎開だったが、那珂川で魚釣りをしたりその思い出は今も脳裏に鮮明に記憶していると
西尾さんは現在84歳、執筆活動に評論活動等に懸命だ
西尾さんと別れてからネットで「西尾幹二さん」と入れると「ドイツ文学研究者」から「評論家」としての多才な活動を知ることとなった
先生の付け人さんから
「先生はこの地への思いが強く私たち二人が案内役で二泊三日で来ました、目的が達成できてよかったです」と感謝された
2時間ほどの対面だったが、偶然にも道の駅で見た私の名札から疎開先を見つけていただき、本当によかったと感じた