東北自動車道を「花巻温泉のホテル佳松園」に向かっていた
カーラジオから国会中継が聞こえていた
地元選出の参議院議員 岡田広さんが質問をし聞き入っていた
午後2時46分、「緊急地震速報」
間髪を入れず大きく揺れた
走行していた場所は宮城県栗原市だった
あとで知ったが「震度は7」
激しい揺れで急ブレーキをかけ、走行車線をはなれ停車した
停車した場所は築館ICを過ぎた橋梁の上だった、ここは危険と思い約300mほど走り停車した
続けて大きな余震が
ここにいるのも危険と感じ、最寄りのパーキングに向かった
志波姫PAだった
走行を止めた車がたくさんいた
ここにいても立て続けに大きな余震がきた
トイレに入ったが、体を揺すられるような大きな余震だった
恐怖を感じ、高速道路内にいるのはまずいとIC出口に向かった
若柳金成ICがあった、これより先は通行止めと
一般道に出てホテルに電話をしたがつながらず、この状況ではキャンセルもやむを得ないと思い、帰ることを決断
ところが、国道4号線は大渋滞が始まり、橋のつなぎ目には高い段差ができやっとの思いで渡る箇所がたくさんあった
この日、夕方から雪となり、凍える寒さだった
ラジオからは地震の規模や現状が報告され、地震は東北地方ばかりでなく北海道、関東、北陸まで及んでいることを知った
帰ると言ってもここから我が家まで約600km
まずガソリンが足りない
どこかで補給しなければ戻れないが、あたりは全面停電で真っ暗
無駄に動いてガソリンを消費してはまずいと
周囲は雪が白く積もり始めていた
ここでじっとしていても始まらないので、帰れるところまで行こうと妻と決めた
娘達から安否確認のメールが届くもこちらからの返信がうまくいかずいらいらがつのった
家や娘達は大丈夫と知り一安心ではあった
国道4号は仙台に向かうほど大きな渋滞となり、1時間に1kmも進まない状況が続いた
そのとき
真っ暗な国道沿いにガソリン待ちの長い車列が出来ていた
なんと手回しでガソリンを販売してくれていたのだ
これはどうしても並ばないと
2時間ほど待ったろうかやっと順番がきた
「ガソリンは皆さん10リットルまでです」と
「10Lでは家まで帰れない、なんとか20L入れてと」お願いした
事情を説明すると20L入れてくれた
うれしかった、約2年後このガソリンスタンドにお礼に行くことができた
とりあえず戻れる確信ができ少し安心したが、道のりはまだ300km以上ある
深夜0時に仙台市内を通過した、この時仙台湾方面から「真っ赤な炎が」
国道4号を名取市内に入って「そうだ我が家は国道4号より国道6号で行った方が空いているし近い」と思った
岩沼市内で国道6号線にまわった
国道6号は空いていてしばらく快適に車をすすめ、常磐線山下駅近くまで行くと「この先通行止め」と
「なんと津浪があったらしい!」
ここではじめて「津浪」があったことを知った
やむを得ず国道4号に迂回しようと真っ暗な夜道を移動した
今思うと道路や空き地にたくさんの車があったが、あれは余震を心配し、避難していた人達だと知った
国道4号の周囲では「トラックが崖から転落していたり、がれきが道をふさいでいたり」ほぼ全面渋滞が続いていた
夜が明けようとしたころ須賀川に到着、ここから国道118号を経て午前9時過ぎ我が家に戻ることができた
実に24時間のドライブだった
9年前の記憶をたどり書いたが、この記憶は未だに鮮明に残っている
この震災で東北地方のたくさんの方が犠牲になった
9年経ったいまでもその傷が癒えることはない大惨事だった
深くご冥福を祈りたい
カーラジオから国会中継が聞こえていた
地元選出の参議院議員 岡田広さんが質問をし聞き入っていた
午後2時46分、「緊急地震速報」
間髪を入れず大きく揺れた
走行していた場所は宮城県栗原市だった
あとで知ったが「震度は7」
激しい揺れで急ブレーキをかけ、走行車線をはなれ停車した
停車した場所は築館ICを過ぎた橋梁の上だった、ここは危険と思い約300mほど走り停車した
続けて大きな余震が
ここにいるのも危険と感じ、最寄りのパーキングに向かった
志波姫PAだった
走行を止めた車がたくさんいた
ここにいても立て続けに大きな余震がきた
トイレに入ったが、体を揺すられるような大きな余震だった
恐怖を感じ、高速道路内にいるのはまずいとIC出口に向かった
若柳金成ICがあった、これより先は通行止めと
一般道に出てホテルに電話をしたがつながらず、この状況ではキャンセルもやむを得ないと思い、帰ることを決断
ところが、国道4号線は大渋滞が始まり、橋のつなぎ目には高い段差ができやっとの思いで渡る箇所がたくさんあった
この日、夕方から雪となり、凍える寒さだった
ラジオからは地震の規模や現状が報告され、地震は東北地方ばかりでなく北海道、関東、北陸まで及んでいることを知った
帰ると言ってもここから我が家まで約600km
まずガソリンが足りない
どこかで補給しなければ戻れないが、あたりは全面停電で真っ暗
無駄に動いてガソリンを消費してはまずいと
周囲は雪が白く積もり始めていた
ここでじっとしていても始まらないので、帰れるところまで行こうと妻と決めた
娘達から安否確認のメールが届くもこちらからの返信がうまくいかずいらいらがつのった
家や娘達は大丈夫と知り一安心ではあった
国道4号は仙台に向かうほど大きな渋滞となり、1時間に1kmも進まない状況が続いた
そのとき
真っ暗な国道沿いにガソリン待ちの長い車列が出来ていた
なんと手回しでガソリンを販売してくれていたのだ
これはどうしても並ばないと
2時間ほど待ったろうかやっと順番がきた
「ガソリンは皆さん10リットルまでです」と
「10Lでは家まで帰れない、なんとか20L入れてと」お願いした
事情を説明すると20L入れてくれた
うれしかった、約2年後このガソリンスタンドにお礼に行くことができた
とりあえず戻れる確信ができ少し安心したが、道のりはまだ300km以上ある
深夜0時に仙台市内を通過した、この時仙台湾方面から「真っ赤な炎が」
国道4号を名取市内に入って「そうだ我が家は国道4号より国道6号で行った方が空いているし近い」と思った
岩沼市内で国道6号線にまわった
国道6号は空いていてしばらく快適に車をすすめ、常磐線山下駅近くまで行くと「この先通行止め」と
「なんと津浪があったらしい!」
ここではじめて「津浪」があったことを知った
やむを得ず国道4号に迂回しようと真っ暗な夜道を移動した
今思うと道路や空き地にたくさんの車があったが、あれは余震を心配し、避難していた人達だと知った
国道4号の周囲では「トラックが崖から転落していたり、がれきが道をふさいでいたり」ほぼ全面渋滞が続いていた
夜が明けようとしたころ須賀川に到着、ここから国道118号を経て午前9時過ぎ我が家に戻ることができた
実に24時間のドライブだった
9年前の記憶をたどり書いたが、この記憶は未だに鮮明に残っている
この震災で東北地方のたくさんの方が犠牲になった
9年経ったいまでもその傷が癒えることはない大惨事だった
深くご冥福を祈りたい